26日東京マラソン(東京都庁前-東京ビッグサイト)がロンドン五輪男子マラソン選考会を兼ねて行われ、 3万5000人を超えるランナーが参加した。北京五輪補欠で10度目のフルマラソンとなった藤原新(30=東京陸協)は25キロすぎに第 2集団から抜け出し、終盤にゲブレシラシエもかわし、日本歴代 7位の 2時間 7分48秒で日本勢トップの 2位に入り、初の五輪代表を確実にした。
日本選手の2時間7分台は2007年12月の福岡国際での佐藤敦之(中国電力)以来だった。“フリーター”はライバルの公務員ランナー、川内優輝(24=埼玉県庁)の調整法を取り入れるなど単身でトレーニング。高級外車( 600万円相当)と賞金 400万円もゲットして高笑いした。
昨年大会で日本勢トップの 3位に入って注目を集めた川内優輝(24=埼玉県庁)は 2時間12分51秒で14位。前田和浩(30=九電工)が 2時間 8分38秒の 6位で日本勢 2位となり、ロンドン五輪代表候補に浮上した。松宮隆行(32=コニカミノルタ)は 7位。前世界記録保持者のハイレ・ゲブレシラシエ(エチオピア)は終盤失速して 4位だった。
選考レースではない女子は大久保絵里(28=セカンドウインドAC)が 4位で日本勢トップ。男子は 2時間 7分37秒で走ったマイケル・キピエゴ(28=ケニア)で初優勝し、賞金 800万円を獲得した。女子は 2時間25分28秒のアツェデ・ハブタム(24=エチオピア)が初優勝した。
キプロティチ(左後方)との 2位争いを制し、両手を広げながらゴールテープを切る藤原新。 2時間 7分48秒の好タイムで日本勢 1位となり、五輪代表を確実にした藤原新
残り 200メートル。藤原新は懸命に腕を振り、歯を食いしばった。キプロティチ(ウガンダ)との 2位争いを制し両手を広げてゴールすると、ドヤ顔で周囲を見渡した。
「最後は金に目がくらんで、もう必死でした。ロンドン五輪、BMW(高級車)、賞金をずっと意識してたので」
レース後は、あっけらかんと本音を口にした。 2位は賞金 400万円、 3位ならば半分の 200万円。自称「プータローランナー」の真骨頂だ。
選考レースで結果を残しロンドン五輪男子マラソン日本代表の最有力候補に躍り出た。「五輪のない競技人生は考えられない」と話す夢舞台に大きく前進した。
JR東日本出身だけに前半は「車掌の気分で」と第 2集団の後方から動向をチェック。最大のライバルと目される川内の視界に入らないように注意しながら、ペースメーカーが外れた25キロで飛び出した。日本勢が追走してこないと見るや『前に来い』とジェスチャー。左足にマメができ、両ふくらはぎには違和感を覚えたが、「アドレナリンが出ていたし、痛み以上の苦しい練習をした」と自信で押し切った。
副賞 BMWを喜ぶ藤原新。左キビエゴ、右キプロティチ
2008年の東京で 2位に入り、北京五輪代表の補欠に。2010年 3月にJR東日本を退社しプロ宣言したが、雲行きが怪しくなった。同年に 3年契約を結んだ健康機器販売会社に給与不払いなどの問題が起き、2011年10月に契約を解除。姉さん女房の優子さんと結婚したものの、貯金を切り崩す清貧生活に突入した。
妻子を妻の実家がある富山県に残し、東京で単身トレーニング。 1泊6000円( 2食付き)の施設に寝泊まりしながら体幹や臀部の強化、柔軟性向上に取り組んだ。
そんなとき、福岡国際で日本選手トップの 3位に入った川内の姿が目に飛び込んできた。「僕もレース前に追い込む川内君メソッド(調整)をやろうと。練習を 3割増しにしたら楽しかった」
この日は41キロ過ぎに日本選手初のゲブレシラシエ抜きを果たし、最後の 2.195キロは全選手中 1位の 6分41秒。「川内君には絶対に負けられない。次の舞台までに強くなってくれれば。それがロンドン五輪なら最高です」とエールも忘れなかった。
27日で、五輪開幕まであと 5カ月を迎える。「( 2時間 3分台となる) 1キロ 2分56秒くらいの練習をしたい。(本番コースの)路地対策に下町でも走ろうかな」。現金も栄誉も手にし、就活へ最高のPRも完了した30歳が大きな一歩を踏み出した。
14位でゴールした川内優輝(中央)は、前回大会と同じように車いすで救護室へ運ばれた
男子マラソン代表 3枠は東京で藤原新が 1枠を確実にし、残り 2枠の争いとなった。公務員ランナーの川内優輝は「練習の一環」と公言した昨年12月の福岡国際で日本人トップの 3位に入って代表候補に名乗りを上げたが、再挑戦となった本命レースの失速で五輪に「黄信号」がともった。
川内は苦悶の表情を浮かべてゴールに飛び込んだ。その場に倒れ込み、車いすで救護室に直行した光景は昨年と同じ。だが、順位とタイムは大きく違った。
5、10キロの給水地点で特製ドリンクが入ったボトルが見つからず、「動揺してしまった」。走りも硬く両足に血マメができ、24キロ手前で第 2集団から遅れた。10キロ地点でもボトルを取り損ね、持ち味の粘りを欠いた。
この 1年はプレッシャーとの戦いだった。実業団に所属せず、月に 1度のペースで大会に出場する破天荒ぶり。注目度は格段に増し、練習中に写真を撮られたり、声をかけられたりして集中できない日々が続く。「毎回ぶっ倒れてみっともないからレースには二度と出るな」という心ない手紙が届いたこともあった。
昨年12月の福岡国際で日本勢トップの 2時間 9分57秒をマークし、五輪代表の最有力候補に。それでも東京で目標とする 2時間 7分台を出しての代表入りを目指したが、「この結果では選ばれない。自分の五輪挑戦は終わってしまった」。
代表が決まる 3月12日までは、これまでと同じ調整を続ける。 4月のかすみがうらマラソン(茨城県土浦市)に出場するプランもあったが、 4月29日のデュッセルドルフ・マラソン(ドイツ)への出場を決めた。「本来は五輪前に予行演習のつもりだった。今度は先頭集団についていく」。世界と戦うランナーになるという気持ちは決して折れていない。
日本陸連は原則として最初の選考レースを重視し、再挑戦の「追試」については「相当のインパクトが必要」との立場だ。川内の場合は「練習」の福岡国際で 2時間 9分台を出したと評価もできるし、東京の失敗で調整能力に問題ありとも指摘できる。河野匡強化副委員長は「本人のコメントも勘案し、東京を狙ってきたと判断している」と厳しい見方を示した。
福岡国際 6位から再挑戦した前田は 2時間 8分台の好タイムを出したが、レース内容のインパクトは乏しい。最終選考会のびわ湖毎日は、昨年の世界選手権 7位の堀端宏行(旭化成)や北京五輪代表の佐藤敦之(中国電力)のほか、福岡国際で川内に競り負けて 4位の今井正人(トヨタ自動車九州)も再挑戦する。この結果次第では川内が再浮上する可能性も残されている。
・藤原新「( 2時間) 6分台を狙っていたが、一人旅が長かったので、このタイムで合格としたい。25キロで飛び出したときには不安があったが、ハイレ(ゲブレシラシエ)選手の背中が見えて元気になった」
・川内優輝「 5キロ、10キロの給水を失敗して動揺してしまった。精神的に未熟なのかなと思う。自分の五輪挑戦は終わってしまった。情けない」
◆藤原 新(ふじわら・あらた)長崎・諫早高から拓大に進み、卒業後にJR東日本入社。2008年 2月の東京マラソンで 2位に入り、北京五輪代表の補欠となった。2009年世界選手権は61位。2010年 3月に退社し、同年 5月のオタワ・マラソンで優勝した。 167センチ、54キロ。30歳。長崎県出身。
川内選手の場合、自分自身に対して給水できないという不幸な事が有ったとは言う物の、よく最後まで頑張った。15km給水場を通過して行った川内選手に対して、「先生!何が有ってもガンバレ!」と声を掛けたけれど、苦しみながらもよく頑張ったと誉めてあげたい。
藤原新選手は、フリーター・ランナーとして現在フリーターの人達に夢を与えた。虎ちゃんも勤務する企業が、新選手が 3年契約を結んだ健康機器販売会社と同状態のため、この大会が終わったら一時的だとは思うが同じ状態になる事になっている。そんな人は、他にもいるだろう。そう言う人に対しても夢を与えてくれたと思っている。
とにかく、両選手ともお疲れ様でした。よく頑張った!
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日本選手の2時間7分台は2007年12月の福岡国際での佐藤敦之(中国電力)以来だった。“フリーター”はライバルの公務員ランナー、川内優輝(24=埼玉県庁)の調整法を取り入れるなど単身でトレーニング。高級外車( 600万円相当)と賞金 400万円もゲットして高笑いした。
昨年大会で日本勢トップの 3位に入って注目を集めた川内優輝(24=埼玉県庁)は 2時間12分51秒で14位。前田和浩(30=九電工)が 2時間 8分38秒の 6位で日本勢 2位となり、ロンドン五輪代表候補に浮上した。松宮隆行(32=コニカミノルタ)は 7位。前世界記録保持者のハイレ・ゲブレシラシエ(エチオピア)は終盤失速して 4位だった。
選考レースではない女子は大久保絵里(28=セカンドウインドAC)が 4位で日本勢トップ。男子は 2時間 7分37秒で走ったマイケル・キピエゴ(28=ケニア)で初優勝し、賞金 800万円を獲得した。女子は 2時間25分28秒のアツェデ・ハブタム(24=エチオピア)が初優勝した。
キプロティチ(左後方)との 2位争いを制し、両手を広げながらゴールテープを切る藤原新。 2時間 7分48秒の好タイムで日本勢 1位となり、五輪代表を確実にした藤原新
残り 200メートル。藤原新は懸命に腕を振り、歯を食いしばった。キプロティチ(ウガンダ)との 2位争いを制し両手を広げてゴールすると、ドヤ顔で周囲を見渡した。
「最後は金に目がくらんで、もう必死でした。ロンドン五輪、BMW(高級車)、賞金をずっと意識してたので」
レース後は、あっけらかんと本音を口にした。 2位は賞金 400万円、 3位ならば半分の 200万円。自称「プータローランナー」の真骨頂だ。
選考レースで結果を残しロンドン五輪男子マラソン日本代表の最有力候補に躍り出た。「五輪のない競技人生は考えられない」と話す夢舞台に大きく前進した。
JR東日本出身だけに前半は「車掌の気分で」と第 2集団の後方から動向をチェック。最大のライバルと目される川内の視界に入らないように注意しながら、ペースメーカーが外れた25キロで飛び出した。日本勢が追走してこないと見るや『前に来い』とジェスチャー。左足にマメができ、両ふくらはぎには違和感を覚えたが、「アドレナリンが出ていたし、痛み以上の苦しい練習をした」と自信で押し切った。
副賞 BMWを喜ぶ藤原新。左キビエゴ、右キプロティチ
2008年の東京で 2位に入り、北京五輪代表の補欠に。2010年 3月にJR東日本を退社しプロ宣言したが、雲行きが怪しくなった。同年に 3年契約を結んだ健康機器販売会社に給与不払いなどの問題が起き、2011年10月に契約を解除。姉さん女房の優子さんと結婚したものの、貯金を切り崩す清貧生活に突入した。
妻子を妻の実家がある富山県に残し、東京で単身トレーニング。 1泊6000円( 2食付き)の施設に寝泊まりしながら体幹や臀部の強化、柔軟性向上に取り組んだ。
そんなとき、福岡国際で日本選手トップの 3位に入った川内の姿が目に飛び込んできた。「僕もレース前に追い込む川内君メソッド(調整)をやろうと。練習を 3割増しにしたら楽しかった」
この日は41キロ過ぎに日本選手初のゲブレシラシエ抜きを果たし、最後の 2.195キロは全選手中 1位の 6分41秒。「川内君には絶対に負けられない。次の舞台までに強くなってくれれば。それがロンドン五輪なら最高です」とエールも忘れなかった。
27日で、五輪開幕まであと 5カ月を迎える。「( 2時間 3分台となる) 1キロ 2分56秒くらいの練習をしたい。(本番コースの)路地対策に下町でも走ろうかな」。現金も栄誉も手にし、就活へ最高のPRも完了した30歳が大きな一歩を踏み出した。
14位でゴールした川内優輝(中央)は、前回大会と同じように車いすで救護室へ運ばれた
男子マラソン代表 3枠は東京で藤原新が 1枠を確実にし、残り 2枠の争いとなった。公務員ランナーの川内優輝は「練習の一環」と公言した昨年12月の福岡国際で日本人トップの 3位に入って代表候補に名乗りを上げたが、再挑戦となった本命レースの失速で五輪に「黄信号」がともった。
川内は苦悶の表情を浮かべてゴールに飛び込んだ。その場に倒れ込み、車いすで救護室に直行した光景は昨年と同じ。だが、順位とタイムは大きく違った。
5、10キロの給水地点で特製ドリンクが入ったボトルが見つからず、「動揺してしまった」。走りも硬く両足に血マメができ、24キロ手前で第 2集団から遅れた。10キロ地点でもボトルを取り損ね、持ち味の粘りを欠いた。
この 1年はプレッシャーとの戦いだった。実業団に所属せず、月に 1度のペースで大会に出場する破天荒ぶり。注目度は格段に増し、練習中に写真を撮られたり、声をかけられたりして集中できない日々が続く。「毎回ぶっ倒れてみっともないからレースには二度と出るな」という心ない手紙が届いたこともあった。
昨年12月の福岡国際で日本勢トップの 2時間 9分57秒をマークし、五輪代表の最有力候補に。それでも東京で目標とする 2時間 7分台を出しての代表入りを目指したが、「この結果では選ばれない。自分の五輪挑戦は終わってしまった」。
代表が決まる 3月12日までは、これまでと同じ調整を続ける。 4月のかすみがうらマラソン(茨城県土浦市)に出場するプランもあったが、 4月29日のデュッセルドルフ・マラソン(ドイツ)への出場を決めた。「本来は五輪前に予行演習のつもりだった。今度は先頭集団についていく」。世界と戦うランナーになるという気持ちは決して折れていない。
日本陸連は原則として最初の選考レースを重視し、再挑戦の「追試」については「相当のインパクトが必要」との立場だ。川内の場合は「練習」の福岡国際で 2時間 9分台を出したと評価もできるし、東京の失敗で調整能力に問題ありとも指摘できる。河野匡強化副委員長は「本人のコメントも勘案し、東京を狙ってきたと判断している」と厳しい見方を示した。
福岡国際 6位から再挑戦した前田は 2時間 8分台の好タイムを出したが、レース内容のインパクトは乏しい。最終選考会のびわ湖毎日は、昨年の世界選手権 7位の堀端宏行(旭化成)や北京五輪代表の佐藤敦之(中国電力)のほか、福岡国際で川内に競り負けて 4位の今井正人(トヨタ自動車九州)も再挑戦する。この結果次第では川内が再浮上する可能性も残されている。
・藤原新「( 2時間) 6分台を狙っていたが、一人旅が長かったので、このタイムで合格としたい。25キロで飛び出したときには不安があったが、ハイレ(ゲブレシラシエ)選手の背中が見えて元気になった」
・川内優輝「 5キロ、10キロの給水を失敗して動揺してしまった。精神的に未熟なのかなと思う。自分の五輪挑戦は終わってしまった。情けない」
◆藤原 新(ふじわら・あらた)長崎・諫早高から拓大に進み、卒業後にJR東日本入社。2008年 2月の東京マラソンで 2位に入り、北京五輪代表の補欠となった。2009年世界選手権は61位。2010年 3月に退社し、同年 5月のオタワ・マラソンで優勝した。 167センチ、54キロ。30歳。長崎県出身。
川内選手の場合、自分自身に対して給水できないという不幸な事が有ったとは言う物の、よく最後まで頑張った。15km給水場を通過して行った川内選手に対して、「先生!何が有ってもガンバレ!」と声を掛けたけれど、苦しみながらもよく頑張ったと誉めてあげたい。
藤原新選手は、フリーター・ランナーとして現在フリーターの人達に夢を与えた。虎ちゃんも勤務する企業が、新選手が 3年契約を結んだ健康機器販売会社と同状態のため、この大会が終わったら一時的だとは思うが同じ状態になる事になっている。そんな人は、他にもいるだろう。そう言う人に対しても夢を与えてくれたと思っている。
とにかく、両選手ともお疲れ様でした。よく頑張った!
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