去る20日(祭日)に、JR東日本の駅からハイキング&ウォーキング「上野から歩く早春の下町散策」のコース変更をしながら参加してきました。
今回のコースマップです。この辺りは何回も来ているので、このコースの内の浅草ビューホテルから「ロック(浅草六区)」方面へと進み、そのまま浅草寺境内へというコースにしました。このコースですと、約 4.0kmの省略をする事になっていました。
今回は、「ロック(浅草六区)」から「下谷神社」迄を載せる事にしました。
こちらが「ロック(浅草六区)」です。「浅草新劇場」はロック(浅草六区)の映画街の端っこにあり、場外馬券場の前にある映画館です。ここは「日活」の他 に、「大映」、「松竹」、「東宝」、各社の邦画をチョイスして 3本立てにした上映館です。
上の写真の「浅草新劇場」の反対側に有る建物が、浅草場外馬券場の建物です。
「浅草新劇場」を過ぎてから「浅草花やしき」に到着しました。と言っても、「浅草新劇場」の隣が「浅草花やしき通り」になっているのです。
昔懐かしい建物の上に、鉄骨の足場有りました。新旧が一緒になっているのですね。
先ほどの「浅草新劇場」よりの入口の他に、浅草寺側には「浅草門」が有りました。
「浅草門」の方から「浅草寺」を撮ってみました。
上の写真の入口を入ると、直ぐに六角堂が有りました。ここから中に進んでいきました。
中には、「日陰地蔵尊」が祀られています。「日陰地蔵尊」というのは、慈悲のお心で、この娑婆世界だけでなく地獄や餓鬼道にもおもむき、衆生を救われる仏様です。
特にこの「日陰地蔵尊」は、何かのお願い事に対し、日数を定めて祈願すれば、古来より霊験あるとされる。と言う事です。
影向堂(よごうどう)です。
観音さまのお説法やご活躍に不断に協力されている仏さま方を「影向衆(ようごうしゅう)」とお呼びしこれらの仏さまをおまつりするお堂。
旧影向堂は、現淡島堂で二天門の脇にあった。現在のお堂は、平成 6年(1994)、浅草寺中興開山慈覚大師円仁(えんにん)さまのご生誕千二百年を記念して建立された。鉄筋コンクリート寄棟造り、錣(しころ)屋根本瓦葺。内陣須弥壇(しゅみだん)中央に聖観世音菩薩、その左右に生れ年(干支)ごとの守り本尊八躰をまつる。
堂内には浅草名所(などころ)七福神の内の大黒天をお祀(まつ)りし、また浅草寺の御朱印所も併設されており、ご朱印をお求めになるご信徒の方々も大勢お参りになる。とある。
石橋(しゃっきょう)です。
この石橋は、都内最古の石橋で元和 4年(1618)浅草寺に東照宮(現存せず)が造営された際、参詣のための神橋として造られたものである。とある。
阿弥陀如来像です。元禄 6年(1693) 4月造立。唐銅製。高さ 1.8m
当初は阿弥陀三尊であったが今は中尊のみ現存。もと本堂裏築山にあったものを、平成 6年(1994)の境内整備にともない現在地に移す。阿弥陀如来とは、無量光如来とも呼ばれ、西方極楽浄土に住まい、慈悲の光で世界をあまねく照らし、我々をお救いくださる仏さまである。と有る。
この大仏様は、鎌倉高徳院の大仏様(鎌倉の大仏様)と同じ大仏様です。東大寺盧舎那仏像(奈良の大仏様)は、別の大仏様です。
この後伝法院通りを通って、再度「ロック(浅草六区)」へ向かいました。
「ロック(浅草六区)」の「胡蝶」というお店の屋根に鼠小僧がいました。動かないで、いつもこうやっているのかな?lol
「下谷神社」に到着しました。一の鳥居は大きくて写真に撮れませんでした…。
「下谷神社」の本殿です。小さな神社です。
小さな神社だけに、社務所も直ぐに分かりました。お守りが色々と置いて有りました。
今回は、ここまでの紹介になりました。
次のウォーキングは、31日のJR東日本の駅からハイキング&ウォーキング「桜を愛でながら品川の歴史めぐり」に参加ですが、雨天の場合小雨を除いて中止にする予定でいます。
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上野から浅草界隈散策…
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