12月 3日はあいにくの雨でしたが、今年最後のNPO・東京都ウオーキング協会の例会ミニウォーク 「ふれあい」が千住で行われました。
参加者は、参加者17名,役員16名という数になりました。雨の中参加された、参加者の皆様及び役員さんお疲れ様でした。
今回のウォーキング・コースです。この辺りには既に 3~ 4回来ています。
今回は、南千住からのスタートでしたが、雨の為にドナウ広場集合になっていたのに実際には手前の地下通路集合となりました。
虎ちゃんは役員として参加しましたが、「この雨の中どの位の人が来てくれるだろうか?」と話していました。結果的には先に書きましたように、17名の方が雨の中集まってくれて良かったです。
今回の雨は、小田原ツーデーマーチの時の様な大雨にはなりませんでしたが、家に帰ってきてみると靴の中はあの時と同様な事になっていました。
今回は、ポンチョを家に忘れたために傘を差してのウォーキングでしたので、写真は全く撮れなかったのが残念です。各サイトの写真等を借りて、ご案内する事にしましょう。
隅田川千住の大橋に程近く、日光街道の基点に位置し、その境内では四季を通じて情感のある風景に触れることができる「神社素盞雄神社」です。立派な狛犬さんがお出迎えです。
御縁起によりますと、「当社の開祖となる黒珍(こくちん:修験道の開祖役小角の高弟)の住居の東方小高い塚上に奇岩がありました。
黒珍はそれを霊場と崇め日夜斎戒礼拝すると、平安時代延暦14年(795) 4月 8日の夜、小塚の中の奇岩が突如光を放ち二柱の神様が翁に姿を変えて現れ、「吾はスサノオ大神・アスカ大神なり。吾れを祀らば疫病を祓い福を増し、永く此の郷土を栄えしめん。」と御神託を授け、黒珍は一祠を建て鄭重にお祀りし、当社が御創建されました。
次いでスサノオ大神の御社殿を西向きに御造営し 6月 3日、アスカ大神の御社殿を南向きに御造営し 9月15日、それぞれ御神霊をお遷し致し、 4月 8日「御創建疫神祭」・ 6月 3日「天王祭」・ 9月15日「飛鳥祭」の祭禮日が定まりました。」と有ります。
荒川区南千住・三河島(現:荒川)・町屋・台東区三之輪の区内で最も広い氏子区域61ケ町の鎮守で、平成 7年には御鎮座1200年祭が厳粛盛大に斎行されたそうです。
2006年 9月に「千住大橋橋詰テラス」を訪れた時の写真です。この時は、今回とは違ってよく晴れた中でのウォーキングでした。
「千住大橋橋詰テラス」は、かつて昔「千住大橋際御上がり場」となっており、松尾芭蕉が「奥の細道」に向かうために一歩を示した場所なのです。ここは、千住宿と水戸藩の城下町である水戸をつないだ「水戸街道」等の要所ともなっていた場所で、参勤交代等でも利用された場所でした。
また、殿様等が鷹狩りに向かう途中舟でここまで来てここで下りて向かった場所でもあります。
ここには、奥の細道に出かける松尾芭蕉の絵や「千住大橋際御上がり場」の札、そうして俳句が並べて有りました。
今回訪れた際には、雨にこれらはかなり濡れていました。
千住名倉医院の入り口である、この長屋門は江戸時代の名残を留めるものです。
骨つぎと言えば名倉と言われるほど、関東一円にその名を知られていた名倉医院。1770年頃から、柔術や剣道を教えるかたわらで、骨つぎを手がけていたと言います。地元ならずとも長年親しまれてきた
名倉医院です。現在も、整形外科として開業しています。
土日が休診日となっていて、今回は長屋門前の駐車場のゲートは閉まっていますが、その外から門構えを見ることができました。
今日はよく晴れた空の下でのウォーキング、JR東日本の「駅からハイキング&ウォーキング 都心のオアシス!紅葉と歴史を感じる「千代田区」を堪能ウォーキング」に参加して来ます。
このコースは、期間設定コースとなっていて今日が最終日となっています。
また、未だに付かない10月 9日に行ったJR東日本の「駅からハイキング&ウォーキング 藤沢宿・遊行寺から片瀬旧道の史跡発見、江の島を探訪」の 2ポイント分の内の半分を、今回と次回のSuica利用イベントで取り戻す予定にしています。
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雨降る中、千住に行ってきました そうして今日は…
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