なでしこジャパンの主将として2011年女子W杯ドイツ大会で初優勝に貢献し、得点王と最優秀選手にも輝いたMF澤穂希(37=INAC神戸)が、引退表明から一夜明けた17日、都内で会見を行った。引退後に関しては「日本のスポーツ界のために澤穂希にしかできない仕事があれば積極的にやりたいと思います」と話し「最高のサッカー人生でした」と完全燃焼を強調した。東京・千代田区のホールでの引退会見。テレビカメラ20台、報道陣約 300人が集結し、テレビ各局の夕方のニュース内で生中継も行われた。13秒間の沈黙の理由は「苦しい時も一緒にやってきたチームメートの顔が浮かんで…」と明かした。「最高だった」という現役生活にはピリオドを打った。第 2の人生でも新たな夢を追い続ける。
16日に今季限りでの引退を発表した澤穂希の夫、J1ベガルタ仙台の辻上裕章運営・広報部長(39)が18日、仙台市内の同クラブ事務所で報道陣の取材に応じた。引退については、 7日に電話で報告を受けていたといい「その時が来たんだなと。全てを受け入れるという心境でした」と振り返り、「残る皇后杯では彼女の全てを出し切るプレーをして欲しい」と話した。神戸と仙台は19日、それぞれ皇后杯の準々決勝を戦う。ともに勝てば23日の準決勝でぶつかる。「双方にやってもらうことを望んでいます」と“夫婦対決”に期待した辻上氏。決勝まで最大で 3試合。夫人の最後のプレーを目に焼きつけ、夫婦水入らずの正月に入る。
なでしこジャパン最大のライバル、米国女子代表も公式ツイッターで澤穂希の引退を惜しんだ。澤が引退を発表した16日に、米国のFWアビー・ワンバック(35)も現役最後の試合となる中国戦を戦ったため「伝説的な 2人が同じ日に引退しました。輝かしいキャリアを祝福します、ホマレ・サワ」と記した。記事をまとめてみました。
引退会見で心境を語るINAC神戸・澤穂希=東京・千代田区
なでしこジャパンの主将として2011年女子W杯ドイツ大会で初優勝に貢献し、得点王と最優秀選手にも輝いたMF澤穂希が、引退表明から一夜明けた17日、都内で会見を行った。
上下濃紺のスーツ姿に身を包み、笑顔を見せながら登壇した澤は「心と体が一致してトップレベルで戦うことが難しいと感じてきたからです」と引退理由を説明。チームメートとの苦しい日々が胸にこみ上げ、言葉をグッと詰まらせた。
自らのサッカー人生で最高の瞬間を問われると2011年ドイツW杯優勝を挙げ「日本女子サッカーの歴史を変えた日なので、私にとっても忘れられない 1日になった」と振り返った。
引退後に関しては「日本のスポーツ界のために澤穂希にしかできない仕事があれば積極的にやりたいと思います」と話し「最高のサッカー人生でした」と完全燃焼を強調した。
引退会見に臨んだINAC神戸・澤穂希。最初は言葉に詰まるシーンもあったが、その後は笑顔が目立った=東京・千代田区
サッカー日本女子代表「なでしこジャパン」の中心で活躍し、今季限りでの現役引退を表明したMF澤穂希が17日、東京都内で記者会見し、「心と体が一致してトップレベルで戦うことが難しくなった」と決断の理由を語った。これまで否定してきた指導者への転身にも意欲を示し、早ければ日本が招致活動を行う2023年女子W杯で「澤監督」が指揮をとる可能性も浮上した。
日本代表として2022年、サッカーを始めて30年分の思いがこみ上げた。会見の冒頭、黒のスーツを着た澤は無数のフラッシュを浴びながら話を切り出すと、直後に言葉に詰まり、13秒間の沈黙。目には光るものがあった。
最後のあいさつのためにマイクチェックをするINAC神戸・澤穂希=東京・千代田区
「この度、私、澤穂希は今シーズンをもって現役を引退することを決断しました。引退の一番の理由は、心と体が一致してトップレベルで戦うことが難しくなってきたと感じたからです」
東京・千代田区のホールでの引退会見。テレビカメラ20台、報道陣約 300人が集結し、テレビ各局の夕方のニュース内で生中継も行われた。13秒間の沈黙の理由は「苦しい時も一緒にやってきたチームメートの顔が浮かんで…」と明かした。
15歳で代表にデビューし、女子サッカー界を引っ張ってきた。2011年ドイツ女子W杯で日本を初優勝に導き、最優秀選手と得点王に輝いた国民的スター。同大会決勝・米国戦での「 1- 2から同点にした右アウトサイドでのゴール」を自身最高のゴールに挙げた。
フォトセッションのためにイスを片付けるINAC神戸・澤穂希(左)=東京・千代田区
ただ、この 1年は現役を続けるか自問自答を繰り返す日々。「体もしんどいし、モチベーションを保つのも大変。みなさんの想像以上に心と体の一致は難しい」。疲れが抜けず、これまで球際で相手に届いた「一歩」が出なくなった。 8月にJ1仙台の辻上裕章氏と結婚。「この 1年は主人に支えてもらってやってこられた」。辻上氏はこの日「将来子宝に恵まれれば」と話し、澤は妊娠はしていないもようだが、ようやく仙台で同居しての新婚生活を満喫できる。
「澤穂希にしかできない仕事があるのなら積極的にやりたい」。今後について問われると、こう表現した。周囲が期待するのは、やはり指導者だ。「私は感覚でやるタイプ。向いていない」と話してきたが「その時の気持ちを大切にしたい」と初めて意欲を示した。日本サッカー協会の指導者ライセンス取得に向けて、「資格は必要になる。より深くサッカーを知るためにもいいこと」と前向きに語った。
最後のあいさつのためにマイクチェックをするINAC神戸・澤穂希=東京・千代田区
選手としての実績は十分。人望もあり、未来のなでしこジャパンを任せるには最適な人材になる。日本協会が内規で定める女子代表監督就任に必要なS級ライセンス取得まで、現行制度で 4~ 5年は必要とみられるが、日本が招致活動を行っている 8年後の2023年女子W杯での指揮は十分に可能。協会内では女子代表での女性監督起用の機運も高まっており、再び日の丸を背負う日が訪れるかもしれない。
「最高だった」という現役生活にはピリオドを打った。第 2の人生でも新たな夢を追い続ける。
★監督への道
代表監督就任の条件として、日本サッカー協会の内規では、指導者免許制度で最高位にあたるS級ライセンスの取得者を対象にしている。Jリーグおよび男子代表の監督を務めるためにも必要な免許で、日本協会主催の公認S級コーチ養成講習会の修了者に与えられる。女子では本田美登里、半田悦子、高倉麻子、野田朱美の 4人が取得している。
◆澤穂希(さわ・ほまれ):1978(昭53)年 9月 9日、東京・府中市生まれ。1993年、中学 3年の15歳で日本代表にデビューし、通算 205試合出場、83得点はいずれも男女を通じて史上最多。主将を務めた2011年女子W杯ドイツ大会では、米国との決勝の延長後半に同点ゴールを決め、日本を初優勝に導いてMVP。 5ゴールで得点王にも輝いた。2012年 1月には世界年間女子最優秀選手賞を受賞し、ロンドン五輪では銀メダル。準優勝だった2015年W杯カナダ大会にも最多の 6大会連続で出場した。 8月にJ1仙台の運営・広報部長の辻上裕章氏と結婚した。
多くの報道陣に囲まれ、取材に応える、J1ベガルタ仙台の辻上裕章運営・広報部長
16日に今季限りでの引退を発表した澤穂希の夫、J1ベガルタ仙台の辻上裕章運営・広報部長が18日、仙台市内の同クラブ事務所で報道陣の取材に応じた。
テレビカメラ 7台、報道陣約30人が集まった会議室で、辻上氏は「妻の会見はテレビで見ていましたが、途中で終わり、全部を見ることができなかった」と切り出した。先に会見を終えた妻からは「頑張って(会見を)やり遂げたから。頑張ってね」と激励されたという。
引退については、 7日に電話で報告を受けていたといい「その時が来たんだなと。全てを受け入れるという心境でした」と振り返り、「残る皇后杯では彼女の全てを出し切るプレーをして欲しい」と話した。
今後については「日本サッカー界やスポーツ界の象徴となり国際的な活躍をしてほしい」とし、「具体的には未定ですが、今後は一緒に暮らすことになる彼女の作る料理が日常的に食べられることになればうれしいこと」などと語った。
澤穂希を支えた辻上裕章氏。今後は夫婦水入らずで過ごす
日本女子代表MF澤穂希が17日、東京都内で記者会見。また今年 8月に結婚した夫で、J1仙台運営・広報部長の辻上裕章氏は仙台市のクラブ事務所で会見し、胸中を明かした。
夫の辻上氏は澤の会見終了から約 1時間後の午後 7時半に、仙台で会見。穏やかな表情で、心中を明かした。
「夫婦ですので、一緒に暮らすことになると思う。料理が上手なので、彼女の作る料理を日常的に食べられることがうれしい」
仙台で同居する新生活に思いをはせた。 8月に結婚を発表したが、その後も月 1、 2度のペースでしか会えず、毎晩電話で連絡を取りあっている。引退を伝えられたのは 7日夜。夫人の今後については「日本サッカー界の象徴として国際的に活躍してもらいたいし、彼女もそれを求めていくと思う」と話し、サッカー教室や講演などの活動を例に挙げた。
今年 1月に自主トレに帯同して交際に発展し、心身にわたってサポートを続けた。「限られた時間の中で、感謝の思いを胸に恩返ししてください。僕自身の中でも感謝している」との思いを語った。
神戸と仙台は19日、それぞれ皇后杯の準々決勝を戦う。ともに勝てば23日の準決勝でぶつかる。「双方にやってもらうことを望んでいます」と“夫婦対決”に期待した辻上氏。決勝まで最大で 3試合。夫人の最後のプレーを目に焼きつけ、夫婦水入らずの正月に入る。
◆辻上裕章(つじかみ・ひろあき):1976(昭和51)年 8月31日生まれ、39歳。群馬県出身。米ニューマンスミス高校から早稲田大學に進学し、サッカー部で総理大臣杯優勝。2000年に仙台(当時J2)に入団し、DFとしてプレー。同年限りで引退し、2001年からJ1柏の強化本部に在籍。2012年ロンドン五輪ではサッカー男子代表の広報担当を務めた。現在はJ1ベガルタ仙台の運営・広報部長。 1メートル75。
アビー・ワンバックと澤穂希(右)(写真は2015年 7月 5日)
なでしこジャパン最大のライバル、米国女子代表も公式ツイッターで澤穂希の引退を惜しんだ。
澤が引退を発表した16日に、米国のFWアビー・ワンバックも現役最後の試合となる中国戦を戦ったため「伝説的な 2人が同じ日に引退しました。輝かしいキャリアを祝福します、ホマレ・サワ」と記した。
ワンバックが先発して後半37分までプレーした米国は 0- 1で中国に敗れ、国内での無敗記録が 104試合でストップした。
都内で引退会見を行った澤も、ワンバックの引退について問われ「昔からの戦友であるし引退のタイミングも一緒。何かの縁を感じる」と感慨深い様子だった。
澤選手は、いつか違う姿で戻ってくると思うが、いつまでもお幸せに!
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16日に今季限りでの引退を発表した澤穂希の夫、J1ベガルタ仙台の辻上裕章運営・広報部長(39)が18日、仙台市内の同クラブ事務所で報道陣の取材に応じた。引退については、 7日に電話で報告を受けていたといい「その時が来たんだなと。全てを受け入れるという心境でした」と振り返り、「残る皇后杯では彼女の全てを出し切るプレーをして欲しい」と話した。神戸と仙台は19日、それぞれ皇后杯の準々決勝を戦う。ともに勝てば23日の準決勝でぶつかる。「双方にやってもらうことを望んでいます」と“夫婦対決”に期待した辻上氏。決勝まで最大で 3試合。夫人の最後のプレーを目に焼きつけ、夫婦水入らずの正月に入る。
なでしこジャパン最大のライバル、米国女子代表も公式ツイッターで澤穂希の引退を惜しんだ。澤が引退を発表した16日に、米国のFWアビー・ワンバック(35)も現役最後の試合となる中国戦を戦ったため「伝説的な 2人が同じ日に引退しました。輝かしいキャリアを祝福します、ホマレ・サワ」と記した。記事をまとめてみました。
引退会見で心境を語るINAC神戸・澤穂希=東京・千代田区
なでしこジャパンの主将として2011年女子W杯ドイツ大会で初優勝に貢献し、得点王と最優秀選手にも輝いたMF澤穂希が、引退表明から一夜明けた17日、都内で会見を行った。
上下濃紺のスーツ姿に身を包み、笑顔を見せながら登壇した澤は「心と体が一致してトップレベルで戦うことが難しいと感じてきたからです」と引退理由を説明。チームメートとの苦しい日々が胸にこみ上げ、言葉をグッと詰まらせた。
自らのサッカー人生で最高の瞬間を問われると2011年ドイツW杯優勝を挙げ「日本女子サッカーの歴史を変えた日なので、私にとっても忘れられない 1日になった」と振り返った。
引退後に関しては「日本のスポーツ界のために澤穂希にしかできない仕事があれば積極的にやりたいと思います」と話し「最高のサッカー人生でした」と完全燃焼を強調した。
引退会見に臨んだINAC神戸・澤穂希。最初は言葉に詰まるシーンもあったが、その後は笑顔が目立った=東京・千代田区
サッカー日本女子代表「なでしこジャパン」の中心で活躍し、今季限りでの現役引退を表明したMF澤穂希が17日、東京都内で記者会見し、「心と体が一致してトップレベルで戦うことが難しくなった」と決断の理由を語った。これまで否定してきた指導者への転身にも意欲を示し、早ければ日本が招致活動を行う2023年女子W杯で「澤監督」が指揮をとる可能性も浮上した。
日本代表として2022年、サッカーを始めて30年分の思いがこみ上げた。会見の冒頭、黒のスーツを着た澤は無数のフラッシュを浴びながら話を切り出すと、直後に言葉に詰まり、13秒間の沈黙。目には光るものがあった。
最後のあいさつのためにマイクチェックをするINAC神戸・澤穂希=東京・千代田区
「この度、私、澤穂希は今シーズンをもって現役を引退することを決断しました。引退の一番の理由は、心と体が一致してトップレベルで戦うことが難しくなってきたと感じたからです」
東京・千代田区のホールでの引退会見。テレビカメラ20台、報道陣約 300人が集結し、テレビ各局の夕方のニュース内で生中継も行われた。13秒間の沈黙の理由は「苦しい時も一緒にやってきたチームメートの顔が浮かんで…」と明かした。
15歳で代表にデビューし、女子サッカー界を引っ張ってきた。2011年ドイツ女子W杯で日本を初優勝に導き、最優秀選手と得点王に輝いた国民的スター。同大会決勝・米国戦での「 1- 2から同点にした右アウトサイドでのゴール」を自身最高のゴールに挙げた。
フォトセッションのためにイスを片付けるINAC神戸・澤穂希(左)=東京・千代田区
ただ、この 1年は現役を続けるか自問自答を繰り返す日々。「体もしんどいし、モチベーションを保つのも大変。みなさんの想像以上に心と体の一致は難しい」。疲れが抜けず、これまで球際で相手に届いた「一歩」が出なくなった。 8月にJ1仙台の辻上裕章氏と結婚。「この 1年は主人に支えてもらってやってこられた」。辻上氏はこの日「将来子宝に恵まれれば」と話し、澤は妊娠はしていないもようだが、ようやく仙台で同居しての新婚生活を満喫できる。
「澤穂希にしかできない仕事があるのなら積極的にやりたい」。今後について問われると、こう表現した。周囲が期待するのは、やはり指導者だ。「私は感覚でやるタイプ。向いていない」と話してきたが「その時の気持ちを大切にしたい」と初めて意欲を示した。日本サッカー協会の指導者ライセンス取得に向けて、「資格は必要になる。より深くサッカーを知るためにもいいこと」と前向きに語った。
最後のあいさつのためにマイクチェックをするINAC神戸・澤穂希=東京・千代田区
選手としての実績は十分。人望もあり、未来のなでしこジャパンを任せるには最適な人材になる。日本協会が内規で定める女子代表監督就任に必要なS級ライセンス取得まで、現行制度で 4~ 5年は必要とみられるが、日本が招致活動を行っている 8年後の2023年女子W杯での指揮は十分に可能。協会内では女子代表での女性監督起用の機運も高まっており、再び日の丸を背負う日が訪れるかもしれない。
「最高だった」という現役生活にはピリオドを打った。第 2の人生でも新たな夢を追い続ける。
★監督への道
代表監督就任の条件として、日本サッカー協会の内規では、指導者免許制度で最高位にあたるS級ライセンスの取得者を対象にしている。Jリーグおよび男子代表の監督を務めるためにも必要な免許で、日本協会主催の公認S級コーチ養成講習会の修了者に与えられる。女子では本田美登里、半田悦子、高倉麻子、野田朱美の 4人が取得している。
◆澤穂希(さわ・ほまれ):1978(昭53)年 9月 9日、東京・府中市生まれ。1993年、中学 3年の15歳で日本代表にデビューし、通算 205試合出場、83得点はいずれも男女を通じて史上最多。主将を務めた2011年女子W杯ドイツ大会では、米国との決勝の延長後半に同点ゴールを決め、日本を初優勝に導いてMVP。 5ゴールで得点王にも輝いた。2012年 1月には世界年間女子最優秀選手賞を受賞し、ロンドン五輪では銀メダル。準優勝だった2015年W杯カナダ大会にも最多の 6大会連続で出場した。 8月にJ1仙台の運営・広報部長の辻上裕章氏と結婚した。
多くの報道陣に囲まれ、取材に応える、J1ベガルタ仙台の辻上裕章運営・広報部長
16日に今季限りでの引退を発表した澤穂希の夫、J1ベガルタ仙台の辻上裕章運営・広報部長が18日、仙台市内の同クラブ事務所で報道陣の取材に応じた。
テレビカメラ 7台、報道陣約30人が集まった会議室で、辻上氏は「妻の会見はテレビで見ていましたが、途中で終わり、全部を見ることができなかった」と切り出した。先に会見を終えた妻からは「頑張って(会見を)やり遂げたから。頑張ってね」と激励されたという。
引退については、 7日に電話で報告を受けていたといい「その時が来たんだなと。全てを受け入れるという心境でした」と振り返り、「残る皇后杯では彼女の全てを出し切るプレーをして欲しい」と話した。
今後については「日本サッカー界やスポーツ界の象徴となり国際的な活躍をしてほしい」とし、「具体的には未定ですが、今後は一緒に暮らすことになる彼女の作る料理が日常的に食べられることになればうれしいこと」などと語った。
澤穂希を支えた辻上裕章氏。今後は夫婦水入らずで過ごす
日本女子代表MF澤穂希が17日、東京都内で記者会見。また今年 8月に結婚した夫で、J1仙台運営・広報部長の辻上裕章氏は仙台市のクラブ事務所で会見し、胸中を明かした。
夫の辻上氏は澤の会見終了から約 1時間後の午後 7時半に、仙台で会見。穏やかな表情で、心中を明かした。
「夫婦ですので、一緒に暮らすことになると思う。料理が上手なので、彼女の作る料理を日常的に食べられることがうれしい」
仙台で同居する新生活に思いをはせた。 8月に結婚を発表したが、その後も月 1、 2度のペースでしか会えず、毎晩電話で連絡を取りあっている。引退を伝えられたのは 7日夜。夫人の今後については「日本サッカー界の象徴として国際的に活躍してもらいたいし、彼女もそれを求めていくと思う」と話し、サッカー教室や講演などの活動を例に挙げた。
今年 1月に自主トレに帯同して交際に発展し、心身にわたってサポートを続けた。「限られた時間の中で、感謝の思いを胸に恩返ししてください。僕自身の中でも感謝している」との思いを語った。
神戸と仙台は19日、それぞれ皇后杯の準々決勝を戦う。ともに勝てば23日の準決勝でぶつかる。「双方にやってもらうことを望んでいます」と“夫婦対決”に期待した辻上氏。決勝まで最大で 3試合。夫人の最後のプレーを目に焼きつけ、夫婦水入らずの正月に入る。
◆辻上裕章(つじかみ・ひろあき):1976(昭和51)年 8月31日生まれ、39歳。群馬県出身。米ニューマンスミス高校から早稲田大學に進学し、サッカー部で総理大臣杯優勝。2000年に仙台(当時J2)に入団し、DFとしてプレー。同年限りで引退し、2001年からJ1柏の強化本部に在籍。2012年ロンドン五輪ではサッカー男子代表の広報担当を務めた。現在はJ1ベガルタ仙台の運営・広報部長。 1メートル75。
アビー・ワンバックと澤穂希(右)(写真は2015年 7月 5日)
なでしこジャパン最大のライバル、米国女子代表も公式ツイッターで澤穂希の引退を惜しんだ。
澤が引退を発表した16日に、米国のFWアビー・ワンバックも現役最後の試合となる中国戦を戦ったため「伝説的な 2人が同じ日に引退しました。輝かしいキャリアを祝福します、ホマレ・サワ」と記した。
ワンバックが先発して後半37分までプレーした米国は 0- 1で中国に敗れ、国内での無敗記録が 104試合でストップした。
都内で引退会見を行った澤も、ワンバックの引退について問われ「昔からの戦友であるし引退のタイミングも一緒。何かの縁を感じる」と感慨深い様子だった。
澤選手は、いつか違う姿で戻ってくると思うが、いつまでもお幸せに!
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