●15日陸上自衛隊立川駐屯地~立川市街地~国営昭和記念公園(20キロ)で箱根駅伝予選会が行われ、関東の50校が参加。各校上位10人の合計タイムで争われ、トップの大東文化大學、 2位の明治大學、 3位の創価大學など上位10校が来年 1月 2、 3日の本大会への出場権を獲得した。史上最多の14度の総合優勝を誇る中央大學が11位に終わり、88回連続91度目の出場はならなかった。本大会は 2大会連続総合優勝の青山学院大學、東洋大學などのシード校と関東学生連合を加えた計21チームが参加する。最多記録だった連続出場は87回でストップ。1925年(大14)の「第6回大会」から毎回受け継がれてきた伝統の赤いたすきが、正月の箱根路から姿を消す。1959年から1964年に 6連覇の黄金時代を築くなど、箱根駅伝で最多14度の優勝を誇る古豪が、1996年の優勝を最後に成績は徐々に下降。近年は有望な高校生が新興の青学大などに入学し、予選会の常連に。今年 4月、元世界選手権マラソン代表でOBの藤原正和氏(35)が監督に就任。大学からチームの再建を託されたが、青年監督が見たのは門限が緩和されるなど緊張感のない現役生の姿だった。藤原監督は責任を背負い込んだが、改革は始まったばかりだ。白地に赤色の「C」が入ったユニホームは、箱根駅伝の風物詩でもある。舟津は名門の復活を誓った。
●伝統のたすきが途切れた。中央大學が10時間17分 1秒の11位に終わり、上位10校が進む来年 1月 2、 3日の本戦出場を逃した。世界選手権マラソン代表3度選出の藤原正和監督835)が 4月に就任。 1年の舟津彰馬を主将にするなど改革を行ったが、10位日大に44秒届かず、連続出場回数が「87」で止まった。本戦で最多14度の優勝を誇る名門が正月の箱根から姿を消すことになった。優勝14回、出場90回、連続出場87回はいずれも最多。だが最後の優勝は1996年で最近は 4年連続で予選会出場と低迷。再建の切り札が 3月に現役を引退したばかりのOB藤原監督だった。藤原監督は 4月に日野市内の選手寮で住み始めて驚いた。玄関、食堂、トイレが雑然とし、集合に遅れる選手がいた。「同好会みたいなものだった」。自身の学生時代は月 1度、寮の門限である午後10時を越える外出が許可されていた。だが監督になって戻ると外出許可は月 4度、しかもOBの誘いは別枠でカウントされないなど、ルーズになっていた。大學側は昨秋にを目標に、陸上部を重点強化する方針を発表。
●日本大學が11位の中央大學と44秒差の10位で辛くも本戦出場権を得た。ケニア人のワンブィ( 2年)が個人 1位でゴールしながらのギリギリ通過。過去12度優勝の名門校だけに、レース後はOBから厳しい声が続出した。
●昨年は10秒差で泣いた国士舘大學が、今年は 9位で 3年ぶりに本戦出場権を獲得した。昨年の10秒差は 1人あたり 1秒になるため、今季のテーマは「 1秒の油断」。この日も石井主将を中心に粘りの走りをみせた。石井主将は終盤失速し満足しなかったものの、昨年のリベンジ成功でチーム力アップを実感していた。
●東京大學 2年の近藤が学連選抜入りを確実にした。東京大學生として11年ぶりの箱根路の期待がかかった昨年度大会は、11番目の補欠のまま帯同のみに終わった。悔しさをバネに成長を遂げ、悲願の箱根デビューとなりそうだ。記事をまとめてみました。
<箱根駅伝予選会>◇15日◇陸上自衛隊立川駐屯地~立川市街地~国営昭和記念公園(20キロ)
関東の50校が参加。各校上位10人の合計タイムで争われ、トップの大東文化大學、 2位の明治大學、 3位の創価大學など上位10校が来年 1月 2、 3日の本大会への出場権を獲得した。史上最多の14度の総合優勝を誇る中央大學が11位に終わり、88回連続91度目の出場はならなかった。本大会は 2大会連続総合優勝の青山学院大學、東洋大學などのシード校と関東学生連合を加えた計21チームが参加する。
最終結果を告げるアナウンスが、秋晴れの立川に響く。中央大學の選手たちは吉報が届くのを待ったが、10位の日本大學に44秒届かず、11位。最多記録だった連続出場は87回でストップ。1925年の「第6回大会」から毎回受け継がれてきた伝統の赤いたすきが、正月の箱根路から姿を消す。
「申し訳ありません。力が足りなかった」
中央大學の選手は円陣を組んで再起を誓った。手前は歯をくいしばる舟津主将=国営昭和記念公園
全体 100以内に 4選手しか入れなかった。 1年生の主将、舟津彰馬が涙ながらに語った。
1959年から1964年に 6連覇の黄金時代を築くなど、箱根駅伝で最多14度の優勝を誇る古豪が、1996年の優勝を最後に成績は徐々に下降。近年は有望な高校生が新興の青学大などに入学し、予選会の常連に。「自主性の重視が勘違いされ、緩い感じを受け継いでいた」と15位にとどまった 4年生のエース、町沢大雅は力なく話した。
2013年は途中棄権
今年 4月、元世界選手権マラソン代表でOBの藤原正和氏が監督に就任。大学からチームの再建を託されたが、青年監督が見たのは門限が緩和されるなど緊張感のない現役生の姿だった。 6月の全日本大学駅伝の関東地区予選では17位に沈んだ。藤原監督は 7月、チームのたるんだ雰囲気に染まっていない 1年生から統率力のある舟津を主将に起用。荒療治で立て直しを図ったが、及ばなかった。
「私の指導力のなさ。申し訳ない気持ちでいっぱい。新しい伝統を一から始められるようにしたい」
藤原監督は責任を背負い込んだが、改革は始まったばかりだ。白地に赤色の「C」が入ったユニホームは、箱根駅伝の風物詩でもある。舟津は「これからは他大学に有無をいわせない、力のあるチームを目指す」と名門の復活を誓った。
伝統のたすきが途切れた。中央大學が10時間17分 1秒の11位に終わり、上位10校が進む来年 1月 2、 3日の本戦出場を逃した。世界選手権マラソン代表3度選出の藤原正和監督835)が 4月に就任。 1年の舟津彰馬を主将にするなど改革を行ったが、10位日大に44秒届かず、連続出場回数が「87」で止まった。本戦で最多14度の優勝を誇る名門が正月の箱根から姿を消すことになった。
正月の箱根で「白地に赤のC」が見られない。日大との44秒差が、戦争による中断を挟み日ソ基本条約の1925年(大14)から続く伝統を止めた。藤原監督は「伝統のたすきを途切らせてひとえに私の責任。申し訳ありません」。舟津主将は「自分たちはこの日を忘れることはありません!」と涙で絶叫した。
1996年V
最初の 5キロ通過は、チーム全体で 6位と出遅れた。藤原監督は「入りが想定よりも遅かった。厳しいと思った」。エース町沢は 1時間 0分 5秒で個人15位。苦戦を挽回する起爆剤にはならなかった。
優勝14回、出場90回、連続出場87回はいずれも最多。だが最後の優勝は1996年で最近は 4年連続で予選会出場と低迷。再建の切り札が 3月に現役を引退したばかりのOB藤原監督だった。
藤原監督は 4月に日野市内の選手寮で住み始めて驚いた。玄関、食堂、トイレが雑然とし、集合に遅れる選手がいた。「同好会みたいなものだった」。自身の学生時代は月 1度、寮の門限である午後10時を越える外出が許可されていた。だが監督になって戻ると外出許可は月 4度、しかもOBの誘いは別枠でカウントされないなど、ルーズになっていた。「24時間競技のことを考えるものなのに」。
中央大學の舟津主将は、号泣しながら引き揚げる=国営昭和記念公園
舟津も今春の入学時、目を疑った。先頭で練習を引っ張る選手がいない、ラストでペースを上げない。「箱根にいけるわけがない」。緩んだ空気を一掃するために、藤原監督は 6月に舟津を主将にする“カンフル剤”を投入。しかし本戦出場には届かなかった。町沢は「中大は自主性を重んじるところがあったが、それが甘えに変わった。悪いところばかり引き継いでしまった」と涙に暮れた。
藤原監督は「屈辱以外の何ものでもないが、これが現実です」。大學側は昨秋に「箱根駅伝で 5年以内に 5位、10年以内に優勝」を目標に、陸上部を重点強化する方針を発表。第1弾が藤原監督の起用だった。「今年より来年のほうが厳しい。またここから新しい伝統を作っていかなきゃいけない。いばらの道です」と藤原監督。復活へ、長い戦いが始まる。
◆中央大学陸上競技部 1920年創部。長距離ブロックは箱根駅伝で1960年代に達成した 6連覇を含め14回の優勝を誇り、1985年の「第61回大会」以降は「第89回大会」で途中棄権するまで28回連続でシード権を獲得する強豪校。多摩キャンパス陸上競技場を練習拠点とする。主なOBに現在も指導者や解説者として活躍する横溝三郎氏、碓井哲雄氏、「1964年東京五輪」長距離代表の岩下察男氏。
総合11位で険しい表情で引き揚げる日本大學10区山崎(中央)ら=大手町(2016年 1月 3日)
日本大學が11位の中央大學と44秒差の10位で辛くも本戦出場権を得た。
ケニア人のワンブィ( 2年)が個人 1位でゴールしながらのギリギリ通過。過去12度優勝の名門校だけに、レース後はOBから「ハラハラさせるな。何かが足りない」と厳しい声が続出した。石川主将は「首の皮 1枚つながってタスキをつなげる。シード権、さらに上の順位を目指したい」と巻き返しを誓っていた。
昨年は10秒差で泣いた国士舘大學が、今年は 9位で 3年ぶりに本戦出場権を獲得した。
昨年の10秒差は 1人あたり 1秒になるため、今季のテーマは「 1秒の油断」。この日も石井主将を中心に「最後の 1秒まで油断はしない」と粘りの走りをみせた。石井主将は終盤失速し「キャプテンとして情けない」と満足しなかったものの、昨年のリベンジ成功でチーム力アップを実感していた。
東京大學 2年の近藤が学連選抜入りを確実にした。
「今年は注目されていて、過緊張で…」と 3日前に発熱し、体調が万全でないなかで 1時間 1分 4秒(個人58位)に入った。東京大學生として11年ぶりの箱根路の期待がかかった昨年度大会は、11番目の補欠のまま帯同のみに終わった。「 100のうち 1しか体験できなかった」という悔しさをバネに成長を遂げ、悲願の箱根デビューとなりそうだ。
◆箱根駅伝予選会:各校14人までのエントリー選手のうち、10~12人が出場する。全員が20キロを走り、チーム上位10人の所要合計タイムの少ない上位10校が本戦出場権を獲得。本戦には前回優勝の青山学院大學などシード10校、予選会を突破した10校、予選会の記録上位者を中心に編成する関東学生連合(オープン参加)の21チームが出場する。