●阪神は 4日、大阪市内のホテルで新人 7選手の入団記者会見を行い、背番号「18」を託された「ドラフト1位」指名の馬場皐輔投手は意気込んだ。
●「ドラフト1位」の馬場皐輔投手(22=仙台大學)が 4日、大阪市内のホテルで新入団選手発表に臨んだ。真新しいタテジマのユニホームに袖を通し、少し緊張気味の若者たち。なかでも注目を浴びたのは、背番号「18」を付けることになった、「ドラフト1位」・馬場皐輔投手だ。来季から新調されるユニホームをまとい、背番号「18」を披露。最速 155キロの直球に加え、 7種類の変化球を操るみちのくの右腕が、 1年目から活躍して、優勝へと導く。無数のフラッシュを浴びながら、力強く宣言した。金びょうぶを背に、晴れやかな表情で決意表明した。金本知憲監督(49)は、背番号「18」に決まった「ドラフト1位」・馬場皐輔投手にハッパ。日本の野球界でエースナンバーとされるが、阪神ではその印象が薄い番号のイメージを変えろ-と大いに期待をかけた。無数のフラッシュを浴びながら、金びょうぶの前でガッチリと握手を交わした。初お披露目された真新しいユニホームに輝く番号は「18」。金本監督が、馬場に虎の新たな歴史を託した。球界を見渡せば「18」はエースがつけるナンバー。だが、阪神でこの番号をつけて、球界を代表するような存在になった選手は-。すぐに名前が出てこないのが実情だ。だからこそ、指揮官はそんな“負の歴史”に終止符を打つことを期待した。頼もしいルーキーに金本監督の目尻も下がりっぱなし。この日が初対面だったが改めてホレ直した。力強い言葉に、うなずいた。馬場は来季の先発ローテ入りへ虎視眈々。歴史を変えてみせる。その先に猛虎の13年ぶりの「リーグ優勝」、33年ぶりの「日本一」がある。そして、数年前。同じく、大卒で「18」を背負い、プロに飛び込んだ先輩がいる。現在の二神一人広報(30)だ。法政大学でエースとして活躍し、2010年に「ドラフト1位」で入団。「18」を受け取り、期待を胸にプロの門をたたいた。その後、故障に悩まされるなど、なかなか思うような活躍ができず、2014年から背番号を「66」に変更。結果的には未勝利のまま、2016年に戦力外となり、広報業務に携わることになった。重圧のある番号は、藤川球児投手が背負った後、ルーキーに託された。二神広報はエールを送る。重圧を感じ、苦労も重ねた二神広報。そんな先輩がチームにはいる。馬場投手はきっと、大丈夫なはずだ。
●「ドラフト2位」の高橋遥人投手(22=亜細亜大學)は 4日、沢村賞投手の背番号を受け継ぐことになった。大阪市内のホテルで新入団発表会に臨み、井川慶氏が背負った背番号「29」をお披露目した。左腕は緊張した表情で意気込んだ。エースとして君臨。重圧を感じながらも、目標として掲げた。スライダー、カーブ、ツーシームを持ち球としているが、さらなるレベルアップも誓った。井川の決め球でもあった、チェンジアップの習得にも意欲をみせた。
●「ドラフト3位」で指名された熊谷敬宥(たかひろ)内野手(22=立教大學)は、背番号が「4」に決まった。以前は上本博紀内野手(31)も背負っていた番号で「歴代素晴らしい先輩方が築いてきた番号。『4番といったら熊谷敬宥』と覚えてもらえるように頑張りたい」と意気込んだ。目標とする選手には元ヤクルトの宮本慎也氏(47)の名前を挙げ声を弾ませた。熊谷敬宥内野手は新たな虎の元気印としてムードメーカーになることを宣言。「4位」の島田海吏外野手は赤星憲広(41)の背番号「53」継承に胸を躍らせた。「6位」の牧丈一郎投手は同世代で 7球団競合の末、北海道日本ハムに入団した清宮幸太郎内野手(18=早実高)との対戦を熱望した。イケメンが背番号「4」を背負い、よりキリッと表情を引き締めた。声は戦力-。 1軍に上がれば、実績のある先輩選手ばかりがベンチに腰掛ける。圧倒されることもあるだろう。だが、おじけづかない。立教大主将の誇りも胸に、ガンガン声を上げる。今季、新井良太内野手(34)や狩野恵輔捕手(34)が現役を引退し、空席となったムードメーカーの座。そこに滑り込む。宮城・南光台中学校の先輩は、お笑いコンビ「サンドウィッチマン」の富澤たけし(43)。漫才師日本一決定戦「M-1グランプリ」の2007年王者と同じ地で育ち、周囲から「変人」と呼ばれる明るい性格に成長した。自分の価値を高め、その名前を売っていく。セールスポイントは「足を生かした守備に走塁、攻撃」に加えて明るさ。まだ入団したばかりとあって「猫をかぶっている状態」というが 1軍定着、レギュラー奪取のためにはあらゆるものを武器にしていく。徐々に本性を見せていくつもりだ。借りてきた猫のままではいられない。プレーで、顔で、声で。関西にクマガイ旋風を巻き起こす。
●「ドラフト4位」の島田海吏外野手(21=上武大學)が 4日、大阪市内のホテルで新入団選手発表会見に臨み背番号「53」を披露した。島田が目標とする元阪神の赤星憲広外野手(41)が2001年から2009年まで付けていた番号で「とても偉大な背番号をいただき、とても光栄に思います」と話した。前日 3日の体力測定で30メートル走 3秒99の好タイムを出した俊足が持ち味。「 1つでも多くの盗塁を決められるよう」と来季の目標を話した。背中の番号は重いが、足取りは誰よりも軽い。稲妻のような速さで、「D4位」・島田は赤星氏を追いかける。 8年の時を経て受け取ったバトンを、必ず守る。 8年間、野手は誰も背負えなかった番号。だが、はじめから島田へ渡る運命だったのかもしれない。50メートル「5秒8」。中学時代は陸上部に駆り出され熊本県で優勝。全国大会では日本人初の「9秒台(9秒98)」をマークしたあの桐生祥秀(21=東洋大學)にも勝った。赤星氏の現役最終年、2009年も中学生だったが、映像などでずっとあこがれてきた。赤星氏のスライディングといえば、グッと最後にベースをひと突きするのが特長。持ち前の俊足と「53」らしい走塁技術が合わされば、最強だ。
●「ドラフト5位」指名、九州三菱自動車・谷川昌希投手(25=九州三菱自動車)が 4日、大阪市内のホテルで行われた新入団発表で背番号「34」を披露した。来季の新人で最年長の谷川は、落ち着いた口調で語った。谷川昌希投手は、積極的な会話からグングンと成長すると誓った。営業マンだったとあってトークはお手のもの。会見でも家族や恩師らへの感謝を立派に口にした。背番号「34」は先輩、後輩問わず話しかけ、 1年目から 1軍で暴れる。
●「ドラフト6位」牧丈一郎投手(18=啓新高校)は 1年目から憧れの甲子園のマウンドを目指 す。高校時代は甲子園出場歴なし。大阪市内のホテルで行われた新人入団発表の会見で意欲 をにじませた。背番号は「66」に決定。持ち味である最速 152キロの真っすぐに磨きをかけ、 トラの孝行息子になる。入団会見では金本監督の心をくすぐった。「66」という背番号に 「(自分は)『ドラフト6位』で、金本監督の背番号も『6』。縁を感じています」。これには 指揮官もうれしそうに笑った。同じ京都出身で、ソフトバンクのエースとして活躍した 斉藤和巳氏(40)と同じ番号。「超えられるようなピッチャーになりたい」と力を込めた。記事をまとめてみました。
ドラフト1位で入団した馬場皐輔投手(右)の帽子に手を当て握手する金本知憲監督=大阪市内のホテル
阪神は 4日、大阪市内のホテルで新人 7選手の入団記者会見を行い、背番号「18」を託された「ドラフト1位」指名の馬場皐輔投手は「(目標は)ヤンキースの田中将大投手。背番号に負けないように自分にもプレッシャーをかけて頑張りたい」と意気込んだ。育成を含む新入団選手は次の通り。
【ドラフト】1位 馬場皐輔投手(22=仙台大學)、 180センチ、90キロ、右投げ右打ち、背番号「18」▽2位 高橋遥人投手(22=亜細亜大學)、 180センチ、78キロ、左投げ左打ち、「29」▽3位 熊谷敬宥内野手(22=立教大學)、 173センチ、70キロ、右投げ右打ち、「4」▽4位 島田海吏外野手(21=上武大學)、 175センチ、72キロ、右投げ左打ち、「53」▽5位 谷川昌希投手(25=九州三菱自動車)、 175センチ、79キロ、右投げ右打ち、「34」▽6位 牧丈一郎投手(18=啓新高校)、 181センチ、81キロ、右投げ左打ち、「66」。
【育成】1位 石井将希投手(22=上武大學)、 180センチ、82キロ、左投げ左打ち、「121」。
「ドラフト1位」の馬場皐輔投手が 4日、大阪市内のホテルで新入団選手発表に臨んだ。
来季から新調されるユニホームをまとい、背番号「18」を披露。金びょうぶを背に、晴れやかな表情で「プロとしての新たなスタートが切れた。ストレートと変化球のコンビネーションを見てほしい。早く 1軍で投げて優勝に大きく貢献したい」と決意表明した。
最速 155キロの直球に加え、 7種類の変化球を操るみちのくの右腕が、 1年目から活躍して、優勝へと導く。
金本知憲監督(左)は馬場皐輔投手(右)と握手。阪神の歴史を変えてくれ、頼むぞ!=大阪市内のホテル
馬場よ、新たな歴史を作れ! 阪神の新入団選手発表会が 4日、大阪市内のホテルで開かれた。金本知憲監督は、背番号「18」に決まった「ドラフト1位」・馬場皐輔投手にハッパ。日本の野球界でエースナンバーとされるが、阪神ではその印象が薄い番号のイメージを変えろ-と大いに期待をかけた。
無数のフラッシュを浴びながら、金びょうぶの前でガッチリと握手を交わした。初お披露目された真新しいユニホームに輝く番号は「18」。金本監督が、馬場に虎の新たな歴史を託した。
「彼が(新しい歴史などを)作ればいい」
球界を見渡せば「18」はエースがつけるナンバー。米田哲也(阪急)、桑田真澄(巨人)、三浦大輔(DeNA)、前田健太(広島、現ドジャース)らそうそうたる顔ぶれが背負って、マウンドに仁王立ちしてきた。
だが、阪神でこの番号をつけて、球界を代表するような存在になった選手は-。すぐに名前が出てこないのが実情だ。だからこそ、指揮官はそんな“負の歴史”に終止符を打つことを期待した。
会見する金本知憲監督=大阪市内のホテル
もちろん、馬場も壮大な期待に応える覚悟はできている。目標に自身の故郷・仙台で大活躍したあの男の名を挙げた。
「田中投手はチームに愛されていた投手。僕も阪神タイガースのチームの中心を将来、背負えるようなピッチャーになれるよう、頑張っていきたいと思います」
田中将大(現ヤンキース)。かつて楽天に所属し、2013年のリーグ初優勝、初の日本一に貢献した大エースだ。「小さい頃から宮城県でプレーしているところを見てきましたし、2013年の『24連勝(0敗)』というすごい記録を残して、勝てる投手として尊敬しています」。Koboパーク宮城で観戦し、その姿を目に焼き付けた。大学時代、迷ったときにはインターネットで動画を見て、参考にしたこともある、あこがれの人。その背番号も「18」だった。誰からも認められる大投手となって、虎のエースといえば…というナンバーにしてみせる。
金本知憲監督とポーズを取って応じた馬場皐輔投手=大阪市のホテル
最速 155キロの直球に多彩な変化球を操るスタイルは本家と似ている。それもそのはず「自分もそういう(硬軟を自在に操る)ピッチャーになりたい。そういうピッチャーを目指してやってきた」という結果だった。「素晴らしい背番号。これに負けないように、しっかり自分にプレッシャーをかけて、頑張っていきたいと思います」と決意を新たにした。
頼もしいルーキーに金本監督の目尻も下がりっぱなし。この日が初対面だったが「体はどっしりして、しっかりしてそうだね。タフそうだわね。あれで変化球が自慢というからね。逆に頼もしい」と改めてホレ直した。力強い言葉に、うなずいた。
「阪神タイガースが優勝を目指して、その中で貢献できるような投手になれるよう頑張っていきたいと思います」と馬場は来季の先発ローテ入りへ虎視眈々。歴史を変えてみせる。その先に猛虎の13年ぶりの「リーグ優勝」、33年ぶりの「日本一」がある。
ポーズを取って撮影に応じた馬場皐輔投手=大阪市のホテル
2017年12月 4日、新しい虎戦士が誕生した。来季、金本阪神に加わる新人 7選手の入団発表が大阪市内で行われた。真新しいタテジマのユニホームに袖を通し、少し緊張気味の若者たち。なかでも注目を浴びたのは、背番号「18」を付けることになった、「ドラフト1位」・馬場皐輔投手だ。
「『18』という素晴らしい背番号をいただいたので、それに負けないよう、自分にもプレッシャーをかけてやっていこうと思います」
無数のフラッシュを浴びながら、力強く宣言した。そして、数年前。同じく、大卒で「18」を背負い、プロに飛び込んだ先輩がいる。現在の二神一人広報だ。
法政大学でエースとして活躍し、2010年に「ドラフト1位」で入団。「18」を受け取り、期待を胸にプロの門をたたいた。その後、故障に悩まされるなど、なかなか思うような活躍ができず、2014年から背番号を「66」に変更。結果的には未勝利のまま、2016年に戦力外となり、広報業務に携わることになった。
そんな先輩は入団時をこう振り返る。「希望に満ちあふれているなかで、歴史ある球団の『18』といえば、エース投手の番号。それに見合う活躍をしないといけないというプレッシャーを(自分に)かけていた」という。
二神一人氏
その重圧のある番号は、藤川球児投手が背負った後、ルーキーに託された。二神広報はエールを送る。
「馬場くんがどう感じているかは分かりませんが、自分がその番号に見合う選手になれなかったからこそ、がんばってほしい」
重圧を感じ、苦労も重ねた二神広報。そんな先輩がチームにはいる。馬場投手はきっと、大丈夫なはずだ。
★桑田真澄、松坂大輔ら名投手ズラリ
日本のプロ野球で「18」といえばエースが背負うナンバーだ。巨人は中尾碩志、藤田元司、堀内恒夫、桑田真澄、杉内俊哉と代々受け継がれてきた。松坂大輔(ソフトバンクを戦力外)も西武とソフトバンクで、この番号。佐々岡真司(広島)もつけ、ダルビッシュ(ドジャースFA)も日本代表で背負ったことがある。 ◇馬場 皐輔(ばば・こうすけ) 投手。1995(平成 7)年 5月18日生まれ、22歳。宮城・塩釜市出身。小3から野球を始める。塩釜三中時代は七ケ浜シニア所属。仙台育英高では 2年秋の「明治神宮大会」で優勝。 3年春「選抜8強」。仙台大學では「通算15勝5敗」。 1メートル80、90キロ。右投げ右打ち。
「ドラフト2位」の高橋遥人投手は 4日、沢村賞投手の背番号を受け継ぐことになった。大阪市内のホテルで新入団発表会に臨み、井川慶氏が背負った背番号「29」をお披露目した。
左腕は緊張した表情で「すごい番号をいただいたと思っていますし、番号に負けないように頑張りたい。 1軍のマウンドに 1日早く立って、どんなところでもいいので、戦力になりたい」と意気込んだ。
入団会見を終え背番号29を披露する高橋遥人投手=大阪市内のホテル
阪神の新入団選手発表会が 4日、大阪市内のホテルで開かれた。
「ドラフト2位」の高橋遥人投手は、背番号「29」の真新しいユニホームに袖を通すと、井川超えを誓った。
「同じ左ピッチャーなので、そういった方に少しでも近づいていけるようにしたいです」
ポーズを取って撮影に応じた高橋遥人投手=大阪市のホテル
同じ「29」の大先輩は阪神在籍「8年で通算86勝」を挙げ、2003年は最多勝(20勝)で優勝に貢献するなど、エースとして君臨。重圧を感じながらも、目標として掲げた。スライダー、カーブ、ツーシームを持ち球としているが、さらなるレベルアップも誓った。
「(プロでは)緩急がなければいけないと思うので、緩いボールを井川さんのように練習していきたいです」
井川の決め球でもあった、チェンジアップの習得にも意欲をみせた。
入団会見を終えバットを手にポーズを決める熊谷敬宥内野手=大阪市内のホテル
阪神は 4日、大坂市内のホテルで新人 7人の入団発表会見を行った。「ドラフト3位」で指名された熊谷敬宥内野手は、背番号が「4」に決まった。
以前は上本博紀内野手も背負っていた番号で「歴代素晴らしい先輩方が築いてきた番号。『4番といったら熊谷敬宥』と覚えてもらえるように頑張りたい」と意気込んだ。
目標とする選手には元ヤクルトの宮本慎也氏の名前を挙げ「宮本慎也さんも守備からリズムを作って攻撃につなげていた。小さい頃から目指していたので、少しでも近づけるように頑張ります」と声を弾ませた。
金本知憲監督を中心に勢ぞろいしたルーキーたち。今から活躍が楽しみだ=大阪市内のホテル
阪神の新入団選手発表会が 4日、大阪市内のホテルで開かれた。「ドラフト3位」・熊谷敬宥内野手は新たな虎の元気印としてムードメーカーになることを宣言。「4位」の島田海吏外野手は赤星憲広の背番号「53」継承に胸を躍らせた。「6位」の牧丈一郎投手は同世代で 7球団競合の末、北海道日本ハムに入団した清宮幸太郎内野手との対戦を熱望した。
甘いマスクの好青年も、ハートには熱いものをもっていた。クールな性格ではない。「D3位」・熊谷が力強く宣言した。ハツラツと元気を出す。声を出す。ベンチを盛り上げる。お笑いのDNAを受け継ぐルーキーが、ムードメーカーに名乗りを上げた。
「ベンチでは常に明るくとは思っています。誰かが声を出していかないと、盛り上がっていかないので」
イケメンが背番号「4」を背負い、よりキリッと表情を引き締めた。声は戦力-。 1軍に上がれば、実績のある先輩選手ばかりがベンチに腰掛ける。圧倒されることもあるだろう。だが、おじけづかない。立教大主将の誇りも胸に、ガンガン声を上げる。
熊谷敬宥内野手はバットを手にポーズを決めた。持ち前の明るさでも貢献するぜ=大阪市内のホテル
今季、新井や狩野が現役を引退し、空席となったムードメーカーの座。そこに滑り込む。宮城・南光台中学校の先輩は、お笑いコンビ「サンドウィッチマン」の富澤たけし。漫才師日本一決定戦「M-1グランプリ」の2007年王者と同じ地で育ち、周囲から「変人」と呼ばれる明るい性格に成長した。
「自分では普通のつもりなんですけど、よく『変人』と言われます。寮生活のとき、いきなり爆音で替え歌を歌ったりするんですけど…。そういうところが『変人』になんですかね」
本人は苦笑いするが、空気に流されない鋼のハートは、プロの世界で大きな武器になる。
自分の価値を高め、その名前を売っていく。セールスポイントは「足を生かした守備に走塁、攻撃」に加えて明るさ。まだ入団したばかりとあって「猫をかぶっている状態」というが 1軍定着、レギュラー奪取のためにはあらゆるものを武器にしていく。徐々に本性を見せていくつもりだ。
「関西に来てから『クマガヤ』と言われますね。(地元の)東北では『クマガイ』が当たり前なんですけど。『クマガイ』と覚えてもらうようにがんばります」
借りてきた猫のままではいられない。プレーで、顔で、声で。関西にクマガイ旋風を巻き起こす。
会見する熊谷敬宥内野手=大阪市内のホテル
★お立ち台楽しみ
サンドウィッチマン・富澤が、熊谷にエールを送った。熊谷が11月に仮契約したときに、富澤のネタである「ちょっと何言っているかわかんない」を、甲子園のお立ち台で「やってみたい」と宣言。これを伝え聞き「いつか番組で共演したいです」と“オファー”を出し「ヒーローインタビューで披露するのを楽しみにしてます。でも、『ちょっと何言ってるかわかんない』は、使い方によっては失礼になるので気をつけてね」と先輩としてアドバイスした。
◇サンドウィッチマン
グレープカンパニー所属のお笑いコンビ。仙台商高の同級生だった富澤たけしと伊達みきおが1998年 9月に結成。2007年「M-1グランプリ」優勝。2009年「キングオブコント」準優勝。富澤の「ちょっと何言ってるかわからないです」のボケに対し、伊達が「なんで何言ってっかわかんねえんだよ」とツッこむ掛け合いが定番として知られている。
「ドラフト4位」の島田海吏外野手が 4日、大阪市内のホテルで新入団選手発表会見に臨み背番号「53」を披露した。
島田が目標とする元阪神の赤星憲広外野手(41)が2001年から2009年まで付けていた番号で「とても偉大な背番号をいただき、とても光栄に思います。この背番号に見合った選手になっていけるように頑張っていきます」と話した。
前日 3日の体力測定で30メートル走 3秒99の好タイムを出した俊足が持ち味。「 1つでも多くの盗塁を決められるように、まずは 1つ目の盗塁をしっかり決めることから始めていきたいと思います」と来季の目標を話した。
新人選手入団発表会見後、写真撮影をする島田海吏外野手=大阪市内のホテル
阪神の新入団選手発表会が 4日、大阪市内のホテルで開かれた。
背中の番号は重いが、足取りは誰よりも軽い。稲妻のような速さで、「D4位」・島田は赤星氏を追いかける。 8年の時を経て受け取ったバトンを、必ず守る。
「いやもう…驚きでいっぱいだったんですが、自分が着けていいのかなという気持ちもありました。この背番号に見合った活躍を、 1年目からしていきたいです」
島田の背中で「53」が復活! 快足の系譜を引き継ぐゾ!=大阪市内のホテル
特別な意味を持つ虎の「53」に袖を通し自然と背筋が伸びた。 8年間、野手は誰も背負えなかった番号。だが、はじめから島田へ渡る運命だったのかもしれない。50メートル「5秒8」。中学時代は陸上部に駆り出され熊本県で優勝。全国大会では日本人初の「9秒台(9秒98)」をマークしたあの桐生祥秀(東洋大學)にも勝った。「53」でスタートを切れるのは島田しかいない。
赤星氏の現役最終年、2009年も中学生だったが、映像などでずっとあこがれてきた。「盗塁の、スライディングまでの形を少しマネしてみたりということは、イメージしながらやってきました」。赤星氏のスライディングといえば、グッと最後にベースをひと突きするのが特長。島田も「ベースの近くでスライディングした方が減速もしませんし、できるだけ近くでということは心がけています」と勉強中。持ち前の俊足と「53」らしい走塁技術が合わされば、最強だ。
既に2018年度の準備は始まっている!2017年度の成績を糧にして、2018年に向かって、全員野球でファン皆が待ち望む「二文字」に向かって、全員で力を合わせて進め! ガンバレ!阪神!我らのタイガース!勝利を掴め!
2017年日本シリーズ 日程
2017年 公式戦 順位表
2018年 公式戦 日程と結果(03月)
2018年 公式戦 日程と結果(04月)
概要
"執念"を持って優勝をめざす金本タイガース
変革し続ける1年が沖縄キャンプから始まります!
選手との記念撮影(団体撮影)や記念グッズのプレゼント などの特典もございます!
各地から参加頂けるよう新コース 「那覇空港集合プラン」を設定いたしました!
最小催行人数 各出発日20名
※詳細は、阪神タイガース公式ホームページサイトにて!
どんな相手にも立ち向かう。どんな局面でも己の限界にトライする。
その精神を全員が強く持ち、タイガースが変革し続ける一年にしたい。
そうした強い思いをスローガンとして表現しています。
※このスローガン・デザインは、2017年のシーズンロゴとしても展開して参ります。