ロンドン五輪第10日 5日、卓球の女子団体で 2大会連続の 4強入りを果たした日本は、シンガポールとの準決勝に第 1試合で福原愛(23=ANA)が、シンガポールのエースでシングルスの銅メダリスト、フェン・ティアンウェイを 3― 1で下し先勝。続いて石川佳純(19=全農)が、シングルス準々決勝でも下したワン・ユエグに 3- 0でストレート勝ち。第 3試合のダブルスは石川と平野早矢香(27=ミキハウス)がコンビを組み、ワン、リ・ジャウェイ組を 3― 0で破って、決勝進出を決め、銀メダル以上が決定した。五輪の卓球で日本のメダル獲得は男女を通じて初めて。 7日の決勝では中国―韓国の勝者と対戦する。
男子フルーレ団体の準決勝に太田雄貴(27=森永製菓)、千田健太(26=ネクサス)、三宅諒(21=慶応大學)、淡路卓(23=ネクサス)の 4人で臨んだ日本は、イタリアに39-45で敗れたが、銀メダルを獲得した。
男子個人種目別床運動決勝で内村航平(23=コナミ)が、最後のロンドンを「世界一美しい体操」で締めくくった。個人総合を制した内村は、種目別床運動決勝で15.800点をマーク。銀メダルに輝いた。
室伏広治(37=ミズノ)が、男子ハンマー投げ決勝 3投目に78メートル71をマークし、銅メダルを獲得した。
女子マラソン・日本勢は木崎良子(27=イハツ)が 2時間27分16秒で16位、尾崎好美(31=第一生命)が 2時間27分43秒で19位、重友梨佐(24=天満屋)は79位と、入賞はならなかった。記事をまとめてみました。
ロンドン五輪第10日 5日、卓球の女子団体で2大会連続の4強入りを果たした日本は、シンガポールとの準決勝に 3― 0と圧勝。決勝進出を決め銀メダル以上をが決定した。五輪の卓球で日本のメダル獲得は男女を通じて初めて。 7日(午後11時半)に行われる決勝では、金メダルを懸け中国―韓国の勝者と対戦する。
1番手で勝利し、 2番手の石川佳純(手前)に声を掛ける福原愛
日本は第 1試合で福原愛が、シンガポールのエースで女子シングルスの銅メダリストのフェン・ティアンウェイを相手に第 3セットを失ったものの、終始優位に試合を進め 3― 1で下し先勝。続いて石川佳純が、シングルス準々決勝でも下したワン・ユエグに 3- 0でストレート勝ち。第 3試合のダブルスは石川と平野早矢香がコンビを組み、ワン、リ・ジャウェイ組を 3― 0で下し勝負を決めた。
3番手で出場し、ポイントを奪いガッツポーズの平野早矢香(右)、石川佳純組
シンガポールは北京五輪で団体銀メダル。「過去に団体で勝ったことはない」(村上監督)相手だったが、あっさり撃破。決勝進出が決まると「北京で負けてからずっと、ロンドンの準決勝を戦うイメージをつくってきた」と語っていた福原は、感極まった表情を見せていた。
勝利が決まった後は 3人で抱き合って歓喜の涙を流した。
女子団体で決勝進出が決まり泣きながら抱き合う福原(左)と石川
男子フルーレ団体の準決勝に臨んだ太田雄貴、千田健太、三宅諒、淡路卓の日本は、2008年北京五輪銅メダルのイタリアに39-45で敗れたが、世界選手権 3位のドイツに41―40で勝利。日本フェンシング団体では団体史上初の銀メダルを獲得した。
日本は第 1セットで三宅がリードを奪い、第 2セットで太田がリードを守ったが、第 3セットの千田が逆転を許し、苦しい展開になった。その後は第6セット中には太田の奮闘で一時は同点に追いついたが、セット終了時には再びリードを許した。日本は第 8セットで今大会初出場の淡路を投入したが、劣勢を挽回することはできず、一進一退の攻防を繰り広げ第 9試合で太田が登場。一時逆転を許し追い込まれたが、39― 40から残り 1秒で同点に。勝負は 1分間の延長となり先に 1点先取したら勝利の場面で、 3度のビデオ判定を乗り越え太田が 1本決め、日本が劇的な勝利を飾った。
銀メダルを手に笑顔を見せる(左から)淡路卓、太田雄貴、三宅諒、千田健太
大接戦に会場中が固唾(かたず)を飲んだ。 3点リードで迎えた最終対決。エースの太田が10年世界選手権王者のP・ヨピッヒに攻め込まれる。 5連続ポイントを許し、逆転された。以後、一進一退の攻防となったが、残り40秒で 2点差をつけられた。残り 6秒。太田のサーベルが相手の胴体をとらえた。残り 1秒。再びポイント。同点。日本陣営が絶叫に包まれた。
1分間の延長戦はサドンデス。先に仕掛けたのはヨピッヒだ。太田はポイントされたかに見えたが、相手に頭を下げる反則があり、ビデオ判定で無効に。残り49秒、ヨピッヒと太田が突き合ったが両者とも認定されなかった。その 2秒後、太田の剣先が相手を突いたかのように見えた。 3度のビデオ判定。 1分後、審判の手が日本側に上がった。仲間やコーチが台上に飛び出した。「厳しい試合だった」。太田のびっしょりにぬれた顔に笑みがにじんだ。フルーレ団体初のメダルが確定した。
男子フルーレ団体準決勝のドイツ戦を延長で勝利し喜ぶ太田(中央)ら日本チーム
前回の北京で個人銀に輝いた太田だが、昨年から今年にかけて調子が上がらず、苦しんだ。原因は士気の低下。メダルを逃した昨秋の世界選手権後は一切剣を握らず、肉体改造に着手。年末には単独で沖縄に行き、砂浜を走った。「(メダルを)取りたいという飢えが弱かった」。精神面から鍛え直した五輪。だが、その思いは届かず、個人では 3回戦を敗退し、メダルを逃した。
そんなエースを仲間が支えた。準々決勝の宿敵、中国戦では太田に次ぐエース格の千田が活躍。「(太田の)マネをしてもそれ以上はいけない」と毎日の居残り練習でフットワークや突きのタイミングを研ぎ澄ませてきた苦労人だ。宮城県気仙沼市出身で、昨年 3月11日の東日本大震災で親友の小野寺諭さん(享年25)も津波で亡くした。「ロンドン、期待してっから、がんばれよ」。生前に友人がかけてくれた言葉を胸に、大一番でチームに貢献した。
若手の成長株、三宅も勝負所で加点。そして太田が土壇場で踏ん張った。団体初のメダル。「W杯なら早い段階で負けていたかもしれない。観客の後押しがあった」。太田はそう言って周囲に感謝した。
◆フェンシング団体の競技方法: 1チーム 3人の選手が総当たりで 9試合戦う。 1試合 3分間で 1試合目は 5点目、 2試合目は10点目、といった形で 5の倍数まで得点できる。先に上限の得点をとるか、時間切れで次の試合に入る。合計点が先に45点達するか、 9試合終了時点で合計点の高いチームが勝利。同点時は 1分間 1ポイントの先取の延長戦を行う。
男子個人種目別床運動決勝で内村航平が、最後のロンドンを「世界一美しい体操」で締めくくった。個人総合を制した内村は、種目別床運動決勝で15.800点をマークで銀メダルに輝いた。団体の銀を含め、今大会 3つめのメダルとなった。
「最後の最後でいい演技ができた。悔いはない」。
3番目に演技したデニス・アブリャジン(ロシア)とは同点だったが、同点の場合は正確な演技を表すEスコア(実施点)が高い選手が上位となる。プレッシャーをかけたが、床運動のスペシャリスト鄒凱(中国)が完璧な演技で15.933を出し、金メダルを獲得した。 8人中最高の 9.100点をマークした内村の銀が決まった。「美しい体操ができている証拠。銀メダル以上の価値がある」。
種目別決勝の男子床運動で、演技を終えてガッツポーズする内村航平
ロンドン五輪最後の演技は内村は 1番手で登場。着地がわずかにずれたところもあったが、最後の後方宙返り 3回ひねりの着地は内村らしくピタリと止める美しい着地で、微動だにしなかった。声援をくれたスタンドに向け、大きなガッツポーズを見せた。しかし、続く 2番目に演技した鄒凱に 0.133点差で敗れた。「彼の演技なら(金は)当然」。
表彰で名前をコールされると、大歓声に掲げた両手を振って応えた。銀メダルだったが、表情には納得の笑顔が浮かんでいた。「今大会の最後にようやく満足できる演技が出た。(待っている間は)自分の演技のことしか考えていなかった。(銀メダルは)満足な演技だったから、とてもうれしい。終わりよければすべて良しという言葉もあるけど、最後の最後にいい演技ができて良かった。日本のみなさんにがんばっている姿を見せられて、感動と勇気を与えられたと思う」と、落ち着いた声で話した。
男子種目別床運動で銀メダルを獲得した内村航平
団体予選での鉄棒落下などまさかのミスもあった。 4年間何をやってきたのかと自分を責めたこともあった。だが、崩れることなく立ち直った。
この銀メダルで、個人総合の金メダル、団体総合の銀メダルと合わせて計 3個のメダルを獲得した。しかし大会を通して、これまでの内村とは明らかに違いミスが目立った。「反省しかない。あらためて金メダルを取る難しさが分かった」。悔しい思いは、 4年後のリオデジャネイロ五輪で晴らすしかない。2016年リオデジャネイロ五輪での雪辱へ、また大きな経験を積み、内村が笑顔でロンドン五輪を終えた。
男子ハンマー投げ決勝 2投目の投てき後に大声を出して気合を込める室伏広治
室伏広治が、男子ハンマー投げ決勝 3投目に78メートル71をマークし、銅メダルを獲得した。
2大会ぶりのメダルは、ブロンズだった。競技を終えた室伏は、スタンドから手渡された日の丸の旗をマントのように背中に翻し、スタンドの声援に応えてみせた。
本来の実力を発揮できなかった。 1投目からファウルを取られ、首をかしげた。力のこもった雄叫びが飛び出したのは 2投目のみ。投げるたびに尻上がりに成績を伸ばしていく室伏自慢の投てきは、銅メダルを呼び込んだ 3投目(78メートル71)が、この日の最高スコアとなった。狙った金メダルではなかったものの、円熟味を増してつかんだ銅メダルが色あせることはない。
男子ハンマー投げで 3位になり日の丸を背負ってポーズをとる室伏広治
80メートル59を投げたクリスティアン・パルシュ(ハンガリー)が金メダルを獲得した。
雨の中、海軍門を抜けて走る重友(手前中央)らランナー
女子マラソン・日本勢は木崎良子が 2時間27分16秒で16位、尾崎好美が 2時間27分43秒で19位、重友梨佐は79位と、入賞はならなかった。優勝は 2時間23分07秒の五輪新記録でゴールしたティキ・ゲラナ(24=エチオピア)。高橋尚子がシドニー大会で作った記録を更新した。 2位はジェプトゥー(ケニア)、 3位はペトロワアルヒポワ(ロシア)だった。かつての栄光は見る影もない。女子マラソンの日本勢は惨敗に終わった。
木崎は「最後の一瞬まで集団につけたかったが、力不足でできなかった。悔しい。経験を無駄にしないように国内のマラソンや駅伝で活躍できるようにしたい」と、肩を落とした。尾崎は「どうしたら勝てるだろうかとオリンピックに向けて練習して、そのようにレースをしたが、かなわなかった」と話した。
ボトルを手にする木崎良子(中央)
雨の中でのスタート。道幅が狭く、しかも、滑りやすい石畳の道が続く厳しいコース。にもかかわらず、軽快なリズムで走るアフリカ勢に日本の 3選手は太刀打ちできなかった。10キロ手前。まず、重友が集団から脱落した。
20キロ過ぎ、尾崎が集団から遅れ始める。第一生命入社後は1992年バルセロナ 4位の山下佐知子監督(47)と二人三脚で歩んできた。師匠が果たせなかったメダル獲得を狙ったが、先頭集団から徐々に離され、19位。「(世界で)どうしたら勝てるんだろうと、五輪に向けて考えながらやってきた。でも、かなわなくてまだまだ考えなきゃいけない」と、うなだれた。
先頭集団から遅れた木崎(左)と尾崎(右)
木崎は日本人 3選手の中では最後まで粘ったが、優勝したゲラナやアフリカ勢が25キロ過ぎにスピードアップするとあっという間に取り残された。順天堂大學で 4年連続箱根駅伝を走った父・和夫さん(58)のアドバイスで、小さい頃から体幹の強化などを徹底してきた。最高のコーチの存在は「速くて当たり前」というプレッシャーにもなり、悩んだこともあったが「頑張っている姿を見せることが最高の親孝行」と、感謝の気持ちを五輪で伝えるはずだった。だが、入賞にも届かず。五輪後は京都・宮津高時代から交際していた男性と結婚する予定。最初で最後となるかもしれない夢舞台は、満足いく結果を残せなかった。
重友は79位で辛うじて完走。「カーブがきつくて、相当練習していないと足にくる。自分の力不足」と、大舞台でひ弱さを痛感させられた。
2000年シドニーで高橋尚子、2004年アテネで野口みずきが金メダルに輝いた。有森裕子が1992年バルセロナで銀、1996年アトランタで銅。 4大会連続でメダルを獲得していたが、2008北京では中村友梨香の13位が最高で、土佐礼子が棄権、野口みずきが欠場という大惨敗を喫した。ロンドンで巻き返しはならず、 2大会連続でメダルなく、入賞さえ逃した。 4年後のリオデジャネイロへ、復権の道は遠い。
卓球の女子団体で 2大会連続の 4強入りを果たしたのは凄いですね。今大会では、良い色のメダルを持って帰ってきて欲しいですね。
男子ハンマー投げ決勝で室伏が銅「満足感がある」と語ったように、過去の大会では順位がころころ変わる事態が起こった中でのメダルだったが、今大会ではそれは無かった。
雨の中でのスタートした女子マラソン・日本勢は、かつての栄光は見る影もなかった。女子マラソンの日本勢は惨敗に終わった。いったいどうしたのでしょうね?2000年シドニーで高橋尚子、2004年アテネで野口みずきが金メダル。有森裕子が1992年バルセロナで銀、1996年アトランタで銅という記録は既に過去のものになってしまったのでしょうか?それらに匹敵する様な選手はもう出て来ないのでしょうか?とにかく、これからも頑張って欲しいですね。
ガンバレ!日本!
ロンドン五輪競技日程表
「公益財団法人日本オリンピック委員会」のサイトは、次のURLになります。
http://www.joc.or.jp/games/olympic/london/
こちらでは、会場マップ.実施競技・種目比較.日本の大会参加状況等ロンドン五輪情報関係がご覧頂けます。
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