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磐城、46年ぶり出場!復興の思い背負い聖地へ帰る!名将の娘、磐城・遠藤マネ夢が現実に!

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「第92回選抜高校野球大会」( 3月19日開幕、甲子園)の出場32校が決定し、「21世紀枠」で福島県立磐城高校(福島)が選出された。昨秋の東北大会中に「台風19号」の影響を受けたが、46年ぶりに「2勝」を挙げ「8強」入り。71年夏に「小さな大投手」田村隆寿氏(67)を擁し「準優勝」するなど、甲子園 9度出場を誇る「文武両道」の古豪が、95年夏以来25年ぶりに聖地に戻る。11年の「東日本大震災」で大きな被害を受けたいわき市にとって、復興を象徴する吉報となった。組み合わせ抽選会は 3月13日に行われる。懐かしのコバルトブルーが甲子園に帰ってくる。部員20人を前に木村保監督(49)は涙をこらえきれなくなった。東北大会で初戦突破し岩手からいわきに戻った翌日、「台風19号」の直撃を受けた。ぶっつけ本番で臨みながら 2回戦も勝利。準々決勝で力尽きたが、地元に戻るとすぐにボランティアに出向いた。復興への思いは強い。現 2年生は小 2の 3月に「東日本大震災」を経験。自宅の庭まで津波が押し寄せた岩間涼星主将は、当時の恐怖を忘れない。加えて福島第 1原発の事故による放射能の影響で、神奈川県の親戚宅に避難。東海大相模が優勝したセンバツをテレビ観戦し思いを口にした。 3月14日には常磐線も全線開通予定。ゆっくりと、確実に復興が進む。71年夏は、福島勢最高の「準優勝」で炭鉱の閉山が決まっていた町に希望を与えた。熱い使命感を胸に、聖地で復興の象徴となる。

磐城の遠藤百恵マネジャー( 2年)が、19人の部員とともに「21世紀枠」での甲子園出場を喜んだ。父太さん(53)は同校OBで、現在福島県立ふたば未来学園の監督を務める。相馬監督時代には元巨人鈴木尚広氏(41)を育てるなど県内では名将として知られ、磐城では木村保監督の前任監督だった。子どもの頃から父の姿を見て育ち、いつしか磐城でのマネジャーを夢見るようになった。猛勉強し見事県内屈指の進学校に合格。中学時代は陸上部で野球のルールには疎かったため、当初はスコアブックを持ち帰ると父に添削されまくったが、今ではほとんど直されなくなった。

記事をまとめてみました。

 

 <第92回選抜高校野球:選考委員会>◇24日◇大阪市

 「第92回選抜高校野球大会」( 3月19日開幕、甲子園)の出場32校が決定し、「21世紀枠」で磐城(福島)が選出された。昨秋の東北大会中に「台風19号」の影響を受けたが、46年ぶりに「2勝」を挙げ「8強」入り。71年夏に「小さな大投手」田村隆寿氏を擁し「準優勝」するなど、甲子園 9度出場を誇る「文武両道」の古豪が、95年夏以来25年ぶりに聖地に戻る。11年の「東日本大震災」で大きな被害を受けたいわき市にとって、復興を象徴する吉報となった。組み合わせ抽選会は 3月13日に行われる。

◇   ◇   ◇

 懐かしのコバルトブルーが甲子園に帰ってくる。部員20人を前に木村保監督は涙をこらえきれなくなった。「『21世紀枠』という困難を克服したり模範になっているとか、素晴らしい取り組みをしている学校の代表として選出されたことを心に刻んでくれ。選ばれたにふさわしい戦いを披露してください。まだ道半ば。日々精進していきましょう」と声を掛けた。

 磐城高校ナインは帽子を投げて喜ぶ=福島県立磐城高校

 東北大会で初戦突破し岩手からいわきに戻った翌日、「台風19号」の直撃を受けた。ぶっつけ本番で臨みながら 2回戦も勝利。準々決勝で力尽きたが、地元に戻るとすぐにボランティアに出向いた。住民から「頑張ったね」と声をかけられ岩間涼星主将( 2年は「地域の方々に支えられていることを再認識した」。木村監督は「地元の方々に励まされ心が磨かれたと思う。甲子園に行って勝つんだという気持ちを持ったと思う」と成長を感じ取った。

 復興への思いは強い。現 2年生は小 2の 3月に「東日本大震災」を経験。自宅の庭まで津波が押し寄せた岩間主将は、当時の恐怖を忘れない。加えて福島第 1原発の事故による放射能の影響で、神奈川県の親戚宅に避難。東海大相模が優勝したセンバツをテレビ観戦し「外で遊ぶことも困難なのに、いい環境でプレーしている選手がうらやましかった。野球ができなかったあの日の感情も背負ってプレーしたい」と思いを口にした。

 磐城高校・木村保監督は会見で涙を流す=福島県立磐城高校

  3月14日には常磐線も全線開通予定。ゆっくりと、確実に復興が進む。岩間主将は「今度は僕たちが子どもたちに『信じ続けることの大事さ』を証明したい。それは甲子園に出るだけじゃなく、勝つことで証明できる。大きな夢を与えたい」。71年夏は、福島勢最高の「準優勝」で炭鉱の閉山が決まっていた町に希望を与えた。熱い使命感を胸に、聖地で復興の象徴となる。

○…磐城のグラウンドには、長年甲子園出場を待ち望んだ多くのOBたちが駆け付けた。阿部武彦校長(60)から選手たちに95年夏以来となる甲子園出場が告げられると、大きな歓声が沸き起こった。北海道日本ハム上沢直之投手(25)の父和也さん(60)も同校の投手だったが、甲子園出場はかなわなかった。現在もいわき市在住で、後輩たちの活躍を見守ってきた。当時生徒会長だった阿部校長とは同級生。「子どもたちが快適に練習できるようにバックアップしたい」とサポートを約束した。

 46年ぶりの出場を決め、ガッツポーズする磐城の選手たち。福島県内屈指の進学校としても知られる=福島県立磐城高校

 磐城・岩間涼星主将( 2年)は「被災した方々の思いを背負って戦う使命がある。元気や勇気を与えたい」と意気込んだ。

 学校のある福島・いわき市は昨年の「台風19号」で大きな被害を受けた。グラウンドも浸水。 2週間にわたって練習ができなかったが、被災した家屋から泥をかき出す作業や、家財の運び出しなどボランティア活動に取り組んだ。

 岩間主将は小学 2年の時、東日本大震災で被災した経験を持つ。迫る津波から車で逃げ、避難生活を送ったという。震災後にテレビで見て憧れ続けた舞台への切符をつかみ「一戦必勝で臨みたい」と力を込めた。

 磐城は1971年夏の甲子園で準優勝。身長 165センチのエース・田村隆寿が準決勝まで27回連続無失点で投げ抜き「小さな大投手」と評された。桐蔭学園(神奈川)との決勝で連続イニング無失点は「33」でストップしたが大きな話題を呼んだ。

 県内有数の公立進学校の選手はわずか19人だが、昨秋の東北大会では「8強入り」を果たした。復興五輪が開催される2020年。木村保監督は「甲子園の舞台にふさわしい戦いをしたい」と涙ながらに誓った。

 

 センバツ出場を決めた磐城高校ナインは喜びを爆発させる=福島県立磐城高校

 磐城の遠藤百恵マネジャー( 2年)が、19人の部員とともに「21世紀枠」での甲子園出場を喜んだ。

 父太さんは同校OBで、現在ふたば未来学園の監督を務める。相馬監督時代には元巨人鈴木尚広氏を育てるなど県内では名将として知られ、磐城では木村保監督の前任監督だった。

 選抜出場を決めた磐城高校・岩間涼星主将はナインから胴上げされる=福島県立磐城高校

 子どもの頃から父の姿を見て育ち、いつしか磐城でのマネジャーを夢見るようになった。猛勉強し見事県内屈指の進学校に合格。中学時代は陸上部で野球のルールには疎かったため、当初はスコアブックを持ち帰ると父に添削されまくったが、今ではほとんど直されなくなった。木村監督は「なくてはならない存在。気が利くし、ベンチでの表情もいい」と信頼を寄せる。選手から「甲子園に連れて行ってあげる」と言われ続けてきた夢が現実となった。「うれしいです。磐城高校らしく、感謝と感動を届けられたら」。

 

※磐城高校概要

  旧制磐城中学校を前身とする福島県の高等学校。通称は「磐高(いわこう)」。  男子高時代は磐城女子高校(現:磐城桜が丘高校)と並び、ステータスの高い学校として認識されていた。その為、浪人をしてまで入学を希望する生徒が多く、いわゆる「中学浪人」が問題となった。

 2001年度より女子の受け入れを再開した。  2011年度、文部科学省よりスーパーサイエンスハイスクール(SSH)に指定された。

・福島県立磐城高校沿革

1895年 - 福島県尋常中学校磐城分校が認可される。

1896年5月5日 - 福島県尋常中学校磐城分校として開校。

1898年 - 福島県第二尋常中学校と改称。

1899年 - 福島県第二中学校と改称。

1901年 - 福島県立磐城中学校と改称。

1924年 - 平高月台に新校舎竣工。

1948年4月1日 - 学制改革により、福島県立磐城高等学校となる。普通科、併設中学校を設置。

1951年4月1日 - 男女共学開始、女子生徒5名入学。火災により本校舎全焼。

1952年 - 第二校舎竣工。

1953年 - 図書館竣工。

1954年 - 第一校舎、講堂竣工。

1955年 - 女子生徒の募集中止、再び男子校となる。

1958年 - 史学部発掘の埴輪が重要文化財に指定。

1970年 - 講堂火災により全焼。 1971年 - 第53回全国高等学校野球選手権大会準優勝。

1976年 - 同窓会館竣工。

1989年 - 講堂焼失。

1996年 - 創立100周年、「百年記念館」完成。

2001年4月1日 - 男女共学再開。

2007年 - 創立以来初めて新入生女子の生徒数が男子生徒数を上回る。 / 創立110周年記念館「ピークス110」完成。

※福島県立磐城女子高校概要

 旧校名福島県立磐城女子高等学校から、変更する前の通称は「磐女(ばんじょ)」であった。当時は、磐女体操というエアロビ風の準備体操があり、現在も体育の授業で取り入れられている。

 新しい校名は敷地内にある図書館兼同窓会館の「桜丘会館」に由来する。この建物は2013年に有形文化財に登録された。

 かつては磐城高等学校とならび、男子は磐城高等学校、女子は磐城女子高校と言われるほど、県内屈指の進学校であった。2001年の共学化により、磐城高等学校についでいわき市内では二番手の進学校となった。共学化以前は、いわき市近辺の女子においては、地域の評価、実績ともにトップ高であった。

・福島県立磐城女子高校沿革

1904年 - 私立磐城女学校設立。

1912年 - 私立磐城女学校廃校。福島県立磐城高等女学校開校。

1948年 - 学制改革により、福島県立磐城女子高等学校となる。

2001年4月 - 「福島県立磐城女子高等学校」より「福島県立磐城桜が丘高等学校」へ名称変更。同時に男女共学高校となる。

2009年 - Ⅰ期選抜入学者枠を全体の30%に拡大した。

2013年 - 「桜丘会館」が有形文化財に登録された。

※スーパーサイエンスハイスクールとは文部科学省が科学技術や理科・数学教育を重点的に行う高校を指定する制度のことである。SSHと略記される。2002年(平成14年)度に構造改革特別要求として約 7億円の予算が配分され、開始された。  2007年(平成19年)度予算では約14億4443万円、2010年(平成22年)度予算では約20億6500万円、2011年(平成23年)度予算では約24億400万円が配分されており、増額傾向にある。

 

 

 

 

 

 

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