去る3月3日(日=春の節句・雛祭りの日)に、国分寺市に有る「武蔵国分寺跡」に行って来ました。
通常は、「国分寺駅」を出てから「国分寺街道(東京都道133号小川山府中線)」を下って「国分寺公園(国分寺市立歴史公園・史蹟武蔵国分寺跡)」の「真姿の池湧水群」方面へ向かうのですが、今回は少々目先を変えて円形広場の有る「都立武蔵国分寺公園」を最初に目指してから、「真姿の池湧水群」方面へ向かう事にしました。
「国分寺公園(国分寺市立歴史公園・史蹟武蔵国分寺跡)」に到着しました。
ここには、「伽藍地(寺院地)北辺」が残っていました。
「伽藍地(寺院地)北辺の区画溝跡」の説明です。ここだけでも、いかに「武蔵国分寺」が大きなお寺だったのかが想像できそうでした。
「史蹟武蔵国分寺跡」に有った「北辺区画溝」です。この溝が延々と続いていたのでしょうね。
「史蹟武蔵国分寺跡」に有った、「地域全体の地図」と「史蹟武蔵国分寺跡(僧寺北東部地域)」の案内板です。
「史蹟武蔵国分寺跡(僧寺北東部地域)」の案内板です。
「史蹟武蔵国分寺跡(僧寺北東部地域)」の案内板の柱の頭には、お寺の家紋が載っていました。
上記の地図の上では、「こもれび広場」となっています。ここを後にして、「真姿の池湧水群」方面へ階段を下りて向かいました。
「真姿の池湧水群」に到着しました。
元来インドの河神であることから、日本でも、水辺、島、池、泉など水に深い関係のある場所に祀られることが多い「弁天様(辨財天・辯才天)」が祀られています。
ここの池に自分の姿を写してみましょう。そうすると、そこには本当の自分の姿(真姿)が映ると言われています。あなたは、どんな姿が映るでしょうね。
「真姿の池」の由来は、嘉祥元年( 848年)、玉造小町という当代きっての美女がライ病を患い、国分寺の薬師如来を訪れたところ、一人の童子が現れ、小町を池のほとりに案内して、池の水で顔を洗うようにと誘い、その通りにしたところ病が癒えたという伝説からこの名がつけられた。とか、鬼女が美女に姿を変えて現れ殿様に近づいたが、この池に真の姿が映り鬼女とばれて殺された為にこの名前が付いた。とか様々な伝説が有ります。
近くの電柱には、「お鷹の道」の説明が出ていました。
道のあちらこちらには、この様に「お鷹の道」の案内板が出ていました。
「お鷹の道」は、この様な道になっています。
「お鷹の道」の所々には、「国府・国分寺散歩」と題した案内図が設置されていました。
現在地は、先ほどの「真姿の池湧水群」から出た辺りの遊歩道だと言う事が分かります。
しばらく行くと、「お鷹の道 遊歩道」の説明板が出ていました。
昔懐かしい昭和時代のポストが未だに残っていました、ポストには、JPのステッカーと取集時間が書かれていますので、現在でも使っているのが分かりますね。
「お鷹の道」の出口に近づくにつれて、この様な看板が増えてきました。この辺りの川では、ほたるが夏飛び交う様ですね。見てみたいなと思いました。また、この案内板に沿って行くと必然的に今来た道を戻ることができる様になっています。
川の上には、「スポーツ祭東京 2013」「東京オリンピック誘致」の幟(のぼり)が出ていました。
今回は、この幟を見てから「国分寺駅」に戻り帰ってきました。
スポーツ祭東京2013 競技場マップです。どこで、どの様な競技が行われるのかが調べられます。
サイトは、こちら→http://www.sports-sai-tokyo2013.jp/about/index.html
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「武蔵国分寺跡」に行って来ました…
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