「ぐるりと歩けば福がめぐる 湘南ひらつか七福神めぐり」に参加してきました…(1)からの続きです。
「弘栄堂」さんの反対側に到着しましたが、お店にはシャッターが閉まっていました。こういう場合、当然の事ながら休業日なんですよね。
仕方無く「布袋尊」の「蓮光寺」へ行こうかな…。と思っていたところ、お店の前に停まっている車の中にお店の人がいましたので、
「今日はお休みなんですね。今回のコースではこちらの側を通るので、期待して来たのに残念です」
と話したところ、
「何が欲しいですか?」
「実は。最中を買いたかったのです」
「最中なら大丈夫ですよ。どうぞ」
という会話をして、お店が休みなのにも関わらずに売ってくださいました。
こちらが、「明治神宮献上銘菓 ちょんまげ最中」です。粒餡と白餡の 2種類有ったので、各 3個購入して来ました。 1個 140円と手頃の値段です。
お店に入ると、今度は女将さんと話しました。
「七福神巡りですか。今日は良い天気で良かったですね」
「雨でなくて良かったです」
という会話の他に、
「今日は東京からきましたが、 2~ 3年前迄神奈川県ウオーキング協会主催で『みずウォーク』が開催されていた際には、必ずこちらで買って行っていたものですから、今回のコースに入っていたので買いたいと思いながら来ました。お店がお休みでどうしようかと思って話しをさせて頂いたら、快く開けて頂きまして有り難う御座いました」
と伝えると、
「今日は寄って頂きまして、ありがとうございます。これからも宜しくお願いします。今日は、気を付けて行ってくださいね」
と言って貰い良い思い出となりました。
「ちょんまげ最中」はその昔、相模国府祭の夕方、相模一之宮の寒川神社の神輿をかつぐ若者たちと、平塚新宿八幡宮の神輿をかつぐ若者たちが、東海道を通って帰途につく途中、些細なことから諍いを起こした。口論はやがて大乱闘へと発展し、神輿は川に落ち流されてしまった。どちらの側にも怪我人がたくさん出たが一之宮の神輿に狼藉を働いたことはけしからぬとして、代官の江川太郎左衛門は馬入村の若者たち16人に死罪を言い渡した。
ところが、処刑当日、代官が斬り落としを命じたのは16人の首ではなく、そのちょんまげだった。罪を憎んで人を憎まず。悔い改めている若者を殺してはならじと、髷を切ることによって斬首に代えたのだ。代官のこの情け深い処置に、死罪を免れた若者たちはもちろん、村人たちもみな、涙にかきくれたという。
これは、文化 2年(1805)か、あるいは天保 2年(1831)の頃に実際に起こったできごとと言われており、前出の蓮光寺には今でも若者16人のちょんまげを埋めた丁髷塚が残されている。この故事に因んで三代目のご主人が考案したのが、ちょんまげ最中である。
「以前はどこにでもある普通の最中を作っていたのですが、地元に関連したものを作ろうと考えていたところ、この故事を思い出したのです」
刻み栗入りの粒餡と、白餡の 2種類があり、角型の最中皮には「ちょんまげ」と「弘栄堂」の文字。当地に伝わるこの故事から学ぶことができる教訓を伝えてくれるこのお菓子には、地元を大切にする弘栄堂のご主人の気持ちも込められている。
「布袋尊」の「蓮光寺」に到着しました。
「布袋尊」の祠です。大小 2体の 「布袋尊」が有りました。
小さい 「布袋尊」の隣に有る机の上に 2個のスタンプが有りました。
「馬入ふれあい公園」に到着しました。
花壇には、パンジー他の綺麗な花が咲いていました。
「馬入ふれあい公園」では、本当の花壇というのは無く、少々離れた所の河川敷に花壇は有りました。ここの花がパンフレットに載っていたものなのですが、知らない人は公園の中に有るのだろうと探したと思います。
この後「平塚八幡宮」へ向かいましたが、「ぐるりと歩けば福がめぐる 湘南ひらつか七福神めぐり」に参加してきました…(3)に続きます。
人気ブログランキングへ
にほんブログ村
↧
「ぐるりと歩けば福がめぐる 湘南ひらつか七福神めぐり」に参加してきました…(2)
↧