● 3日第93回箱根駅伝復路◇箱根-東京( 5区間 109.6キロ)が行われ、青山学院大學(以下青学大)が圧勝で総合 3連覇を成し遂げた。往路、復路、総合をすべて制しての 3年連続制覇は、1937年の日本大學(以下日大)以来80年ぶりの快挙。史上初めての箱根 3連覇&大学駅伝 3冠を達成した青学大の原晋監督(49)が、いつもの“原節”で喜びを爆発させた。青学大が11時間 4分10秒のタイムで総合 3連覇を飾り、史上初めて「大学駅伝3冠&箱根3連覇」に輝いた。前日の往路を 5時間33分45秒で制し、 2位の早稲田大學(以下早大)に33秒差で復路をスタート。 6区の小野田勇次選手( 2年=豊川)が快調に飛ばしてリードを広げたが、 7区の田村和希選手( 3年=西京)が体調不良からブレーキ。それでも 8区の下田裕太選手( 3年=加藤学園)が昨年に続く区間賞で貯金をつくると、 9区の池田生成選手( 4年=佐久長聖)、10区の安藤悠哉選手( 4年=豊川工)が危なげなくトップを守った。記録ずくめの優勝となった。今回は「3」連覇に「3」冠、そして就任「9」年目、それらに「感謝する」という意味を込めて「サンキュー大作戦」を掲げた。それを踏まえて最後に「サンキュー大作戦、大成功!」と声を張り上げ、満面の笑みを浮かべた。
● 3連覇を狙う青学大にまさかの異変が起きた。復路の準エース区間の 7区(小田原~平塚=21.3キロ)で、田村和希選手( 3年=西京)が突然の体調不良に見舞われた。快調にトップを走っていた田村が、16キロすぎから急にベースダウン。苦悶の表情を浮かべ、足取りはフラフラ。そこからの 1キロのペースは 3分25秒前後まで落ちた。
●青学大が11時間 4分10秒で 3年連続 3度目の総合優勝を果たし、史上 6校目の総合 3連覇を達成した。復路は 8区の下田裕太選手( 3年)が 2年連続区間賞に輝く快走で独走態勢を築き、 5時間30分25秒で制した。 3年続けて往路と復路の両方で優勝するのは、1937(昭和12)年の日大以来80年ぶり。出雲、全日本と合わせ、史上 4校目となる「大学駅伝3冠」にも輝いた。就任13年目の原晋(すすむ)監督の指揮の下、黄金時代を築いた。 2位の早大と33秒差のトップで復路をスタートをしたが、 7区でアクシデントが起こった。当日のエントリー変更で起用された田村和希選手( 3年)が、脱水症状で 7区(21.3キロ)の15キロ過ぎに失速した。一度も先頭を譲らなかった昨年とは違うレース展開を救ったのは、 8区の下田選手だった。田村選手の失速を取り戻す快走で、 8区で 2年連続となる区間賞。 2位の早大に 5分32秒差をつけて総合優勝を決定づけた。“3代目・山の神”と呼ばれた神野大地選手(現コニカミノルタ)ら昨年連覇を達成した最強世代が卒業しても強さは不変だった。原監督は選手との距離間を変えた。これまで青学大陸上部というブランドに頼った就職活動を進める 4年生もいたが、自主性を重視し、進路に関する助言を避けた。「ただ、勝った負けただけでは何も残らない」と人間教育に心血を注ぎ、常勝チームを作り上げた。往路と復路を制しての「総合3連覇」は、1937年の日大以来80年ぶりの快挙。「大学3大駅伝3冠」を合わせれば史上初だ。「3連覇&3冠と9度目の箱根路」での指揮をかけて、原監督が大会前に命名した“サンキュー大作戦”は「大成功!!」と結実。今回の優勝メンバーのうち 6人が来季も残る。青学大の黄金時代は続く。
●青学大が11時間 4分10秒で 3年連続 3度目の総合優勝を果たした。 8区で 2年連続区間賞の下田裕太選手( 3年)、往路の 2区で区間 3位の一色恭志選手( 4年)は2020年東京五輪出場を目指し、今年もマラソンに挑戦する。山下りの 6区で、日体大・秋山清仁選手( 4年)が自身の持つ区間記録を 8秒更新する58分 1秒をマーク。 2年連続で区間新記録を樹立し、大会最優秀選手(金栗四三杯)に選ばれた。見据えるは世界の舞台だ。出雲は区間 4位、全日本は区間 8位と力を発揮できなかったが、この日の箱根では向かい風に果敢に挑み、昨年のこの大会と同タイムでたすきを渡した。昨年 2月の東京マラソンでは、初マラソンで 2時間11分34秒をマーク。日本人 2位でフィニッシュした。その後はひねりを使ったフォームに変更し、ようやくこの日の箱根で手応えをつかんだ。今夏ロンドンで行われる陸上世界選手権の代表選考会を兼ねる東京、びわ湖での活躍が 3年後の東京五輪につながる。「一色さんの存在を超えないといけない」と下田。箱根駅伝から東京五輪へ。常勝・青学大を築いた“両雄”が、低迷する日本の男子マラソン界を盛り上げる。
●予選突破組の神奈川大學が大健闘した。 5位に入り、12大会ぶりにシード権を獲得。大後監督は柔らかな笑みを浮かべた。往路 6位の勢いを、 6区で鈴木祐が区間 4位の走りで持続すると、 7区の中平も区間 4位でまとめた。 8区の大塚は区間 2位と好走した。鈴木健選手はさらなる飛躍を期した。
●中央学院大學は 6位に入り、 3年連続でシード権を確保した。総合 5位の目標にはあと一歩、届かなかったが、川崎監督は冷静だった。
●東海大學は往路15位から巻き返し、10位に滑り込んでシード権を死守した。 7区では数少ない 4年の石橋が区間賞の走りで11位まで順位を上げ、流れを引き寄せた。16人のメンバーに 8人の 1年生を登録。往路に 4人、復路に 1人を起用した。 1区 2位の鬼塚以外は期待したような実力を発揮できなかった。
●オープン参加の関東学生連合の10区照井明人選手(東京国際大學 4年)が 1時間10分58秒で“幻”の区間賞となった。順天堂大學(以下順大)の作田選手( 4年)が 1時間11分で区間賞を獲得。照井のタイムは参考のため記録には残らない。前回大会では、東京国際大學は予選を突破して箱根駅伝に出場しており、照井は 3区を走り区間13位だった。記事をまとめてみました。
<第93回箱根駅伝>◇ 3日◇復路◇箱根-東京( 5区間 109.6キロ)
青学大が圧勝で総合 3連覇を成し遂げた。往路、復路、総合をすべて制しての 3年連続制覇は、1937年の日大以来80年ぶりの快挙。
史上初めての箱根 3連覇&大学駅伝 3冠を達成した青学大の原晋監督)が、いつもの“原節”で喜びを爆発させた。
青学大が11時間 4分10秒のタイムで総合 3連覇を飾り、史上初めて「大学駅伝3冠&箱根3連覇」に輝いた。
箱根駅伝 3連覇と大学駅伝 3冠を達成し、ゴールテープを切る青山学院大學10区の安藤選手
前日の往路を 5時間33分45秒で制し、 2位の早稲田大學(以下早大)に33秒差で復路をスタート。 6区の小野田勇次選手( 2年=豊川)が快調に飛ばしてリードを広げたが、 7区の田村和希選手( 3年=西京)が体調不良からブレーキ。それでも 8区の下田裕太選手( 3年=加藤学園)が昨年に続く区間賞で貯金をつくると、 9区の池田生成選手( 4年=佐久長聖)、10区の安藤悠哉選手( 4年=豊川工)が危なげなくトップを守った。
記録ずくめの優勝となった。「大会3連覇」は史上 6校目、「大学駅伝3冠」は史上 4校目。往路、復路を制しての総合 3連覇は1937年(昭12)の日大以来80年ぶり、 2校目の快挙となった。
レース直後のテレビインタビューでに笑顔で応じ「13年前に強化がスタートし、原を信じて選手を送ってくれた各校の先生方に感謝申し上げたい。毎年、毎年、 4年生が歴史をつくってくれて感謝しています」。
「箱根駅伝3連覇」と「大学駅伝3冠」を達成し、笑顔を見せる青山学院大學の原晋監督
そしてレース展開を振り返り、「( 7区の)田村が10キロを通過したところで楽に勝てると思いました。しかし、箱根のあっと驚く展開がありました。 8区の下田が圧巻の走りで、後ろから見ていてほれぼれしましたね」。ただあくまで箱根は通過点で、 4年後の東京五輪を目指しているだけに「青山学院軍団から 1人でも多く出したい」と意気揚々と話した。
今回は「3」連覇に「3」冠、そして就任「9」年目、それらに「感謝する」という意味を込めて「サンキュー大作戦」を掲げた。それを踏まえて最後に「サンキュー大作戦、大成功!」と声を張り上げ、満面の笑みを浮かべた。
小田原中継所 1位で 7区田村選手(左)にたすきを渡す青山学院大學 6区小野田選手
3連覇を狙う青学大にまさかの異変が起きた。復路の準エース区間の 7区(小田原~平塚=21.3キロ)で、田村和希選手( 3年=西京)が突然の体調不良に見舞われた。
快調にトップを走っていた田村が、16キロすぎから急にベースダウン。苦悶の表情を浮かべ、足取りはフラフラ。そこからの 1キロのペースは 3分25秒前後まで落ちた。
気温も上昇し、脱水症状の陥ったかのような状況。後方から一気に差を詰める早稲田大學(以下早大)。 2年前から監督車から下りて給水することはできないため、原晋監督は心配そうに「がんばれ、がんばれ!」と呼びかけるしかなかった。
田村選手は泣きそうな表情ながらも、必死に歯を食いしばり、 8区の下田裕太選手( 3年=加藤学園)へトップを守ってタスキをつないだ。我慢に我慢の 1時間 5分40秒だった。
追走する早大と 6区までに 2分 8秒あった差は、 1分21秒まで縮まった。
歓喜の輪の中で原晋監督は 3度、胴上げされた。青山学院大學を常勝軍団に作り上げた
青学大が11時間 4分10秒で 3年連続 3度目の総合優勝を果たし、史上 6校目の総合 3連覇を達成した。復路は 8区の下田裕太選手( 3年)が 2年連続区間賞に輝く快走で独走態勢を築き、 5時間30分25秒で制した。 3年続けて往路と復路の両方で優勝するのは、1937(昭和12)年の日大以来80年ぶり。出雲、全日本と合わせ、史上 4校目となる「大学駅伝3冠」にも輝いた。就任13年目の原晋監督の指揮の下、黄金時代を築いた。
新春の大手町に歓喜の声が響いた。アンカーで主将の安藤悠哉選手( 4年)が、「V3&3冠」を意識して両手の指を 3本立ててゴールテープを切った。選手の手で 3度宙に舞った原監督は声を詰まらせながら、喜びに浸った。
青山学院大學の主将・安藤悠哉選手が昨年12月に定めた目標のシート。目標は「9区」だったが、もう一つの「総合優勝」を達成した (本人提供)
「非常に重圧を感じていました。13年間、少しずつ積み上げてきた伝統が花開いた。去年は(個々の)走力で勝ったけれど、今年は『チーム青山』の勝利です」
2位の早大と33秒差のトップで復路をスタートをしたが、 7区でアクシデントが起こった。当日のエントリー変更で起用された田村和希選手( 3年)が、脱水症状で 7区(21.3キロ)の15キロ過ぎに失速した。
「絶対に(たすきを)途切れさせるわけにはいかなかった。駅伝だから走れた」と田村。意識がもうろうとする中、部員やスタッフら約60人の名前が書き込まれたフレッシュグリーンのたすきを何度も手でさすった。ふらつきながら 8区につなぐと、救急車で平塚市内の病院に搬送された。
昨年12月30日、田村は体調を崩して、寝込んでいた。指揮官は復調を見込み、満を持して復路でカードを切ったが、裏目に出た結果に「箱根の怖さを学ばされた」。
一度も先頭を譲らなかった昨年とは違うレース展開を救ったのは、 8区の下田選手だった。田村選手の失速を取り戻す快走で、 8区で 2年連続となる区間賞。 2位の早大に 5分32秒差をつけて総合優勝を決定づけた。“3代目・山の神”と呼ばれた神野大地選手(現コニカミノルタ)ら昨年連覇を達成した最強世代が卒業しても強さは不変だった。
「三連覇」の指を 3本立て、総合 1位でゴールする青山学院大學の10区・安藤悠哉選手
「箱根駅伝3連覇」と「大学3大駅伝3冠」を目指す今季、選手は互いを高め合った。毎月 1度の「目標管理ミーティング」では部員44人が 5人 1組になって、その月の目標をシートに書き、寮の壁に掲示。設定が甘ければ、遠慮なく指摘し合った。主将の安藤は昨年12月の目標の一つを「総合優勝」と設定。嫌われ役も買って出て、気を抜く仲間に「そんな姿では誰もお前についていかない」と厳しい言葉をぶつけた。
原監督は選手との距離間を変えた。これまで青学大陸上部というブランドに頼った就職活動を進める 4年生もいたが、自主性を重視し、進路に関する助言を避けた。「ただ、勝った負けただけでは何も残らない」と人間教育に心血を注ぎ、常勝チームを作り上げた。
往路と復路を制しての「総合3連覇」は、1937年の日大以来80年ぶりの快挙。「大学3大駅伝3冠」を合わせれば史上初だ。「3連覇&3冠と9度目の箱根路」での指揮をかけて、原監督が大会前に命名した“サンキュー大作戦”は「大成功!!」と結実。今回の優勝メンバーのうち 6人が来季も残る。青学大の黄金時代は続く。
青学大が11時間 4分10秒で 3年連続 3度目の総合優勝を果たした。 8区で 2年連続区間賞の下田裕太選手( 3年)、往路の 2区で区間 3位の一色恭志選手( 4年)は2020年東京五輪出場を目指し、今年もマラソンに挑戦する。山下りの 6区で、日体大・秋山清仁選手( 4年)が自身の持つ区間記録を 8秒更新する58分 1秒をマーク。 2年連続で区間新記録を樹立し、大会最優秀選手(金栗四三杯)に選ばれた。
箱根を足がかりに、世界に羽ばたく。 8区で 2年連続区間賞を獲得した下田は、区間 2位の選手に 2分 4秒の差をつけながらも、ゴール後はカメラに向かってピース。末恐ろしい底力を見せつけた。
「出雲、全日本のときは(結果が出ずに)マラソンはやらなくてもいいと思っていたけれど、今回の結果でマラソンをやりたいという決心がついた。東京五輪のマラソンで結果を残すために、いろいろやっていきたい」
青山学院大學のアンカー、安藤悠哉選手は仲間の待つゴールへ飛び込んだ
見据えるは世界の舞台だ。出雲は区間 4位、全日本は区間 8位と力を発揮できなかったが、この日の箱根では向かい風に果敢に挑み、昨年のこの大会と同タイムでたすきを渡した。昨年 2月の東京マラソンでは、初マラソンで 2時間11分34秒をマーク。日本人 2位でフィニッシュした。その後はひねりを使ったフォームに変更し、ようやくこの日の箱根で手応えをつかんだ。
「箱根だけではなく、マラソンを目指してほしい。東京五輪に若手がマラソンに挑戦できる機会を作りたい」とは原監督。 2月26日の東京マラソンに出場し、 2時間10分前後を目指すと明言した下田に加え、昨年の東京マラソンで日本選手 3位( 2時間11分45秒)だったエースの一色も 3月 5日のびわ湖毎日マラソンに出場予定。「箱根の悔しさをマラソンで返したい。 2時間10分切りを狙う」と強気だ。
今夏ロンドンで行われる陸上世界選手権の代表選考会を兼ねる東京、びわ湖での活躍が 3年後の東京五輪につながる。「一色さんの存在を超えないといけない」と下田。箱根駅伝から東京五輪へ。常勝・青学大を築いた“両雄”が、低迷する日本の男子マラソン界を盛り上げる。
データBOX◆
青学大の総合 3連覇は日本大學、中央大學、日本体育大學、順天堂大學、駒澤大學に続く快挙だ。1959年から 6大会連続で優勝した中央大學が最長。ほかの 4校も全て、 4連覇以上に伸ばしている。出雲駅伝が初開催された1989年以降、全日本(70年開始)と箱根を合わせた「大学駅伝3大会」を同シーズンに全て制覇するのは大東文化大學、順天堂大學、早稲田大學に続いて 4校目。過去の 3校は翌シーズン、順天堂大學が出雲で勝ったほかは、全て優勝を逃している。 ◎青山学院大 日本に派遣されたキリスト教宣教師が1800年代後半に設立した 3つの学校を源流とし、1949(昭和24)年に開設された私立大学。現在は 2つのキャンパス(東京・青山、神奈川・相模原)に10学部を設置。主な卒業生は俳優の渡哲也、歌手の桑田佳祐ら。陸上競技部は18年に創部。箱根駅伝は1943年に初出場し、今回が 9年連続22度目の出場。長距離部員は44人。たすきの色はフレッシュグリーンに白のライン。主な陸上部OBは神野大地選手(コニカミノルタ)ら。原晋(すすむ)長距離監督。
12年ぶりにシード権を獲得して盛り上がる神奈川大學の選手たち
予選突破組の神奈川大學が大健闘した。 5位に入り、12大会ぶりにシード権を獲得。大後監督は「出来過ぎなところがあった。せいぜい 8~10位だと思っていた」と柔らかな笑みを浮かべた。
往路 6位の勢いを、 6区で鈴木祐が区間 4位の走りで持続すると、 7区の中平も区間 4位でまとめた。
8区の大塚は区間 2位と好走し、監督は「 6~ 8区があれだけ走れるとは思っていなかった」とたたえた。
今大会に出場した10人のうち、 2区区間賞で主将の鈴木健選手ら 7人が来季も残る。鈴木健選手は「ここからがスタート。上位を争えるようにやっていきたい」とさらなる飛躍を期した。
総合 6位でゴールする中央学院大學10区村上優輝選手
中央学院大學は 6位に入り、 3年連続でシード権を確保した。
総合 5位の目標にはあと一歩、届かなかったが、川崎監督は「想定内の順位。(実際は)厳しいと思っていた」と冷静だった。
将来を見据え、往路も合わせて 3人の 1年生を起用したものの、いずれも区間10位台にとどまった。「難しいことが分かったと思う」と上のレベルを体感したことを収穫とし、「 2、 3年後にもっと良くなる」と今後の成長に期待した。
10位でゴールする東海大學10区林竜之介選手
東海大學は往路15位から巻き返し、10位に滑り込んでシード権を死守した。
7区では数少ない 4年の石橋が区間賞の走りで11位まで順位を上げ、流れを引き寄せた。「最後の最後で 4年生の意地を見せることができた」と誇らしげに話した。
16人のメンバーに 8人の 1年生を登録。往路に 4人、復路に 1人を起用した。 1区 2位の鬼塚以外は期待したような実力を発揮できなかったが、大舞台を踏んだ経験は今後の財産となりそうだ。
両角監督は「 1年生をしっかり鍛えたい」と表情を引き締めた。
ゴールテープを切る関東学生連合10区の東京国際大學・照井明人選手
オープン参加の関東学生連合の10区照井明人選手(東京国際大學 4年)が 1時間10分58秒で“幻”の区間賞となった。
順天堂大學(以下順大)の作田選手( 4年)が 1時間11分で区間賞を獲得。照井のタイムは参考のため記録には残らない。照井は「区間賞を出す自信はありましたけど、まさか本当にそんなタイムを出せるとは」と、驚きを隠せなかった。
びっくりしたような、うれしそうな顔はすぐに真顔に戻り「後輩たちには予選会を突破して、箱根駅伝を走ってもらいたいです」と、エールを送った。前回大会では、東京国際大學は予選を突破して箱根駅伝に出場しており、照井は 3区を走り区間13位だった。
第93回箱根駅伝順位推移
※ダイジェスト動画を掲載しました。(ダイジェストのタイトルをクリックしてご覧下さい。)