ロンドン五輪第 6日( 1日)ついに五輪の頂点に立った!!万能キングがついに復活!
ロンドン五輪体操男子個人総合決勝で、内村航平(23=コナミ)が 6種目通じて安定した演技で 92.6900点をたたき出し、個人総合では1984年ロサンゼルス大会の具志堅幸司以来 7大会28年ぶりとなる金メダルを獲得した。今大会の日本選手の金メダルは柔道女子57キロ級の松本薫(24=フォーリーフジャパン)に続いて 2個目。
負傷した山室光史(23=コナミ)に代わって出場した予選22位の田中和仁(27=徳洲会)は、床とあん馬のミスが響き、合計89.407点で 6位だった。
男子 200メートル平泳ぎ決勝が行われ、北島康介(29=日本コカ・コーラ)は 2分08秒35で 4位だった。最後は第1コースの立石諒(23=NECグリーン)にかわされた。立石諒は 2分08秒29でうれしい銅メダル獲得となった。
卓球女子 3位決定戦で世界ランキング 6位で第 4シード、五輪初出場の石川佳純(19=全農)はフェン・ティアンウェイ(25=シンガポール)に 0- 4のストレートで敗れ、メダル獲得はならなかった。日本男女を通じ初の 4強入りを果たした19歳は、1988年ソウル五輪での正式競技採用後、日本初のメダルを目指していた。男子で日本勢初の 8強入りを果たした岸川聖也(25=スヴェンソン)は、準々決勝で第 2シードの王皓(中国)に 0- 4でストレート負けした。
女子バレーボール 1次リーグ第 3戦を行い、世界ランキング 5位の日本はドミニカ共和国(同11位)に 3- 0で快勝し、 2勝 1敗で勝ち点を「6」に伸ばした。代表唯一のママさん選手、大友愛(30=JT)は、応援に駆けつける予定の長女・美空(みく)ちゃん( 5)に恥じない好プレーを披露。ベテランらしい動きで「火の鳥ニッポン」に貢献する。記事をまとめてみました。
24人で争う男子個人総合決勝は、世界選手権 3連覇中で予選 9位の内村航平が全 6種目でただ一人、15点以上の高得点をマーク。合計 92.690点で1984年のロサンゼルス五輪の具志堅幸司以来となる、28年ぶりの金メダルを獲得した。
内村は予選では落下したあん馬、さらにつり輪でもほぼノーミスの演技を見せると、跳馬では着地をピタリと決め、 16.266の高得点をマーク。合計46.665点のトップで折り返した。 4種目の平行棒は15.325点。 5種目の鉄棒ではF難度のコールマンをあえて省き、着地を決め、15.600点をマークした。最終種目の床では一度手をつくミスも15.100点にまとめた。
負傷した山室光史に代わって出場した予選22位の田中和仁は、床とあん馬のミスが響き、合計89.407点で 6位だった。
跳馬で着地を決めてガッツポーズをみせる内村航平。個人総合で五輪初優勝を飾り、体操ニッポンの復活を世界にアピールした
新五輪王者への万雷の拍手。内村はガッツポーズで応えた。最終種目の床運動。序盤の着地で珍しく両手をついたが、最後は後方宙返り 3回ひねりで“栄光”をつかんだ。
「夢かと思った。やっとここまで来たという感じ」
試合中は自分に集中するため他の選手の演技は完全無視した。鉄棒では大会前練習と団体予選で落下した手離し技・コールマンをあえて入れずに15.600点をマーク。床も15.100点にまとめ、合計92.690点で金メダルを手にした。
個人総合で獲得した金メダルを手に笑顔で声援に応える内村航平
代表 5人が正式決定した 5月のNHK杯。内村は観客に向かって豪語した。「プレッシャーは感じないので、どんどん期待してもらいたい。倍にして返します」。個人総合では国内外の大会を含め2008年 9月以来、公式戦20連勝中。団体連覇の宿敵・中国を牽制(けんせい)するように「全 6種目を美しくやるのが体操なんです」。練習も常に 6種目の通し練習にこだわり続けた。
鉄棒で離れ技を決める内村航平
3歳で体操を始めた。体操教室を営む自宅は体育館を兼ねた大型コンテナ。カラオケボックスに間違えられ、湿気がこもる部屋で極度のアトピー性皮膚炎にもなった。小学生の頃は大学ノートに技の分解図を書き、ピンクパンサーのぬいぐるみを使って動作を確認。猛特訓した練習後は鉄棒の下で眠ってしまうこともしばしばだった。
そんな内村を常に温かな視線で見つめたのが母・周子さんだった。内村が得意とする回転技。「ひねりは外から回すのではなく、内側を引っ張る感じよ」。そう教えてくれたのも母だった。だが、単身で上京した高校入学後から恥ずかしさもあって疎遠に。大学時には試合の応援に来る母を“無視”することもあった。
鉄棒を終えガッツポーズする内村航平
しかし本音は違った。「両親に感謝するというのは当たり前。特に母と祖母が一番応援してくれている」。今大会前の国内合宿最終日。練習を終えた内村が押した携帯電話の番号は母のものだった。短く感謝と決意を口にした息子。「本当はすごく優しい子なんです」と周子さんはいう。
この日も観客席には両親の姿があった。鉢巻き姿の母は幼少時の内村を抱く 2人の祖父の遺影(小川音三さん=享年79、内村益美さん=享年65)を持参。試合中は目を閉じて祈っていた。いつもそうだ。それは技の成功ではなく、けがをしないように-。
銀メダルを獲得した北京五輪後、母は周囲にこう言っていた。「銀は金に(より)良いって書くんです」。両親に本当の金メダルをかけてあげたい。体操を始めて“成人”を迎えた23歳。内村の思いはロンドンで結実し、日本体操界初の世界&五輪王者が誕生した。
日本競泳のエース北島康介は、アテネ、北京に続く五輪3連覇を逃した。
男子 200メートル平泳ぎ決勝が行われ、北島康介は 2分08秒35で 4位だった。 最後は第1コースの立石諒にかわされた。立石は 2分08秒29でうれしい銅メダル獲得となった。
北島康介は、五輪 3連覇を狙った 100、 200ともメダルを逃した。
すがすがしい表情だった。「悔しいですけど、(立石)諒がとってくれたんで悔いはないです」。前回、前々回と金メダルを取って「名言」を残してきた男の声は、明るく、かつ潔いものだった。
レースは北島がスタートからエンジン全開で泳いだ。最初の50メートルをトップでターンすると、世界記録を上回るペースで進んでいった。このレースに懸ける思いを、ひとかきひとかきに表していた。
銅メダルを獲得した立石諒を祝福する北島康介(左)。五輪 3連覇はならなかったが「悔いはない」と話した
しかし、 150メートルのターンで 2番手に後退すると、そこから失速。「きょう精一杯のレースだった」と全力を尽くしたが、結果は 4位。 2大会連続 2冠のスーパーエースが表彰台に上がることさえできなかった。
「 3連覇よりも、この 4年間は自分に対しての挑戦だった。ここまでサポートしてくれた全ての人に感謝します」。そう振り返った北島は、最後まで晴れやかだった。レース結果が電光掲示板に映し出されると、いち早く隣のレーンにいた銅メダルの立石と抱き合った。インタビュー終了後には、後輩と握手をし背中をポンと叩いて祝福。北島はゆっくりとプールサイドを後にした。
ハンガリーのダニエル・ジュルタが 2分07秒28の世界新記録で泳ぎ金メダル。地元英国のマイケル・ジェーミソンが銀メダルを獲得した。
あと一歩に迫ったが、その一歩が遠い。快挙の期待は、あっけなく幕を閉じた。日本卓球史上初のメダルへの挑戦。大きな期待を一身に背負った石川佳純が、顔をしかめて天を仰ぐ。試合開始から30分にも満たない短い時間で、メダルの夢は消えた。
「悔しい。まだまだだなと思った。第 1ゲームを取りたかった。ラリーでは何回打っても返ってきて先にミスをしてしまった」と声を絞り出し、涙をぬぐった。
日本人として初めて立った 3位決定戦のセンターコート。第 1ゲームはポイントを取るたびに右手で小さくガッツポーズ。序盤から気合十分で 9- 8とリードしたが、そこから痛恨の 3連続失点で逆転された。第 2ゲーム以降は相手の巧みなサーブに揺さぶられ、 3球目勝負で失点を重ねた。結局、 1ゲームも奪えずに完敗した。だが、単では日本男女を通じて初の 4強入り。天才サウスポーが卓球発祥の地、英国でその名を刻んだ足跡は消えない。
両親は元卓球選手、家には卓球台、妹も現役選手という卓球一家で「英才教育」を受けた。小 3のとき、父・公久さん(48)と元国体選手の母・久美さん(48)は山口市の自宅 1階を改装し、卓球クラブをつくって指導者になった。食事前には中国の有名選手がプレーする映像を見るという生活だった。
3位決定戦で敗れた石川佳純。日本の悲願だったメダルにあと一歩、届かなかった
コーチでもある久美さんは、娘が試合で負けて初めて泣いたのは小 4の全国大会だったと記憶する。卓球界の登竜門とされる舞台で初優勝を狙ったが、目標を果たせなかった。久美さんは「 1時間も会場の隅でえんえん泣いていた」と振り返る。村上恭和女子監督(54)は「負けず嫌いで我が強い。日本代表3人で心が一番強い」とするハートがある。快挙にあと一歩届かず、流した涙を将来の力にかえるのだ。
メダルに手は届かなかったが、中国出身選手と互角に打ち合った。大舞台で得た自信は 3日から始まる団体戦につながる。「団体戦でチャンスがあると思うので、そこでリベンジしたい」。いま一度、日本卓球界悲願のメダル獲りへ。集中力は切らない。
初出場となった娘の夢舞台には、コーチの久美さんだけでなく、公久さんも「会社休んで」応援に駆けつけた。大健闘をみて「会社を休んできたかいがあった。うれしい」。力を出し切り、悔し涙を流す石川に「私も涙が込み上げた」と久美さん。卓球一家の思いを乗せ、長女はロンドンで輝きを放った。
五輪卓球女子シングルスで大躍進を見せた石川佳純
ロンドン五輪卓球女子シングルスで 3位決定戦にまで勝ち上がった石川佳純。“佳純モデル”のラケットを製作、販売している卓球総合メーカー「ニッタク」(本社・東京都)は「素晴らしい活躍だった」と健闘を称えた。ラケットを開発した際、石川が「値段を高くしないで」という条件を出してきた秘話を明かし「誰でも会うといっぺんで好きになる子」と19歳の素顔を語った。
石川を中学 3年のころから見守ってきたニッタクの広告担当者、大津恵英(よしひで)さん(59)は「今から 5年前、夢は何?と聞いたら“オリンピックでメダルを獲ること”と即答していました。その時の彼女の顔が浮かびます」と振り返った。
同社が2008年10月に開発・発売したラケットは「佳純ベーシック」という商品。その名の通り、シンプルでビギナーから中級者が使いやすいモデルという。
1万円を超えるものも多いラケットの中では低価格の5575円(税込み)。当時15歳の石川の「みんなに使ってほしいから高くしないでね、ニッタクさん」というひと言からだった。同年代の中高生にも買いやすいようにという思いが込められていた。
「佳純ベーシック」は翌2009年 5月、石川が使用して世界選手権の8強入りを果たしたことで、一気に同社の主力製品になった。ロンドン五輪では別のメーカーのラケットを使っているが、ラバーはニッタク製。同社の社員は石川の健闘に大盛り上がりだ。
大津さんは「明るくて礼儀正しくて、誰でも一度会ったら好きになる子です。撮影や練習の準備をわれわれがしていると、主役なのに一緒に手伝いをしてくれる。“みんなにやってもらって悪いから”と言うんです。本当に気遣いもできるいい子なんです」と絶賛。
「今後も夢を実現していく佳純ちゃんをわれわれは全力で応援していきます。まだ19歳です。もちろんリオでの活躍も間違いないでしょう」と 4年後の活躍にも太鼓判を押した。
▽ニッタク:正式名称は日本卓球株式会社。1920年(大正 9年)創業の老舗卓球用品メーカー。ラケット、ラバー、ボール、卓球台、ユニホームなどを扱う。「卓球経験者なら誰もが一度は製品を使うのでは」といわれる業界大手。ロンドン五輪の公式球は同社製。
女子バレーボール 1次リーグ第 3戦を行い、A組の日本はドミニカ共和国に 3― 0で快勝した。木村沙織(25)と江畑幸子(22)の両アタッカーを中心とした多彩な攻めで相手を翻ろう。 2勝 1敗で勝ち点を「6」に伸ばし、 3日の第 4戦でロシアと対戦する。ロシアは 3― 0でアルジェリアを下し、 3連勝で 4位以内を決め準々決勝進出。 1次リーグは12チームをA、Bの 2組に分け各組上位 4チームが準々決勝に進む。
サーブレシーブがしっかりとセッター竹下に返り、多彩な攻撃が機能した。真鍋政義監督は「速いコンビバレーが展開できている」と満足げだった。センター大友の速攻が面白いように決まり、山口や井上らの移動攻撃が相手を幻惑した。「他の国の選手は高いのでしっかり跳ばないと」とバックアタックでも活躍した江畑がチーム最多の14点。エース木村も「日本らしいバレーができた。センターとサイドがうまく絡み合って攻撃できた」と13点で貢献した。
大友と山口もそれぞれ 9点、 8点。バリエーション豊かな攻撃を可能にしたのはしっかりとしたサーブレシーブ。サーブレシーブ成功率は77.8%に達し、竹下は「木村と佐野が集中力を切らずにやってくれている。(トスを)上げやすい」とねぎらった。
目標とする 1位通過も残る日本。ドミニカを圧倒して笑顔が弾ける大友愛(右)と木村沙織(左から 2人目)
女子バレーボール「火の鳥ニッポン」の大友愛が、経験に裏打ちされた自信の笑顔が、空気を和らげる。2004年アテネ大会以来、 8年ぶりに五輪の舞台に戻ってきたセンター大友が、輝きをみせた。立ち上がりに硬さの目立った第 1セット。大友のサーブから3連続得点を挙げて一進一退の展開から抜け出す。第 2セット以降も大友の高速ブロード攻撃が決まり、相手ブロックに的を絞らせず、格下を圧倒した。
「さみしい思いをさせているけど、『バレーをするママが好き』といってくれるから…」。ベテラン大友にとって、集大成の大会だ。2006年に電撃結婚、24歳で出産。一時はコートを離れ、2008年に現役復帰。ふだんは美空ちゃんを仙台市内の親類に預け、この舞台での活躍を目指してきた。
美空ちゃんの声援はこれ以上ないママのエネルギー源。昨年 9月のアジア選手権で右ひざじん帯を損傷し、10月にメスを入れた。リハビリに半年以上費やしたが、五輪直前の 6月にギリギリで代表復帰。その間には離婚も決断した。
ミスで与えた得点は相手の22に対し、日本はわずか11。これで 2勝目。全勝のロシア戦を残しており、目標とする 1位通過もまだ消えていない。 9得点を挙げた大友は「自分のスピードが相手に通用していることでサイド(木村と江畑)が打てる。役割はあると実感している」。まな娘はロンドンまで応援に駆けつける予定で、ママがメダルへの道を押し開く。
内村航平が個人総合で28年ぶり金を取ったが、団体戦の時は何だったのか?隣では他の国が競技をしており、その影響が有ったのかも知れないと言われているが、本当にそうだったのだろうか。
競泳北島康介は、あくまでも立石諒のペースメーカーなのか?と言う様な泳ぎだった。これでは、当然メダルが取れるわけが無いではないか。立石諒がメダルを取れたのは、あくまでも隣には北島康介しかいなかったからだろうと言われている。
卓球女子 3位決定戦で石川佳純がもしかすると、 2位も狙えるかも知れないとまで言われたが、結局 4位で終わってしまった。相手が強かったのか、それとも練習不足が有ったのか分からないが、本人も「良くない試合だった。負けてしまって申し訳無いです」と話すように、今ひとつ何かが足りなかったのかも知れませんね。団体戦が残っているから、そちらでの笑顔を見せて欲しいですね。
「火の鳥ニッポン」は、絶対に「東京五輪」の時の「東洋の魔女」の生まれ変わりだと思う。その理由の一つは、かなりのメンバーの所属団体(V・プレミアリーグの東レ・アローズ)の前身となったチームが「ニチボー貝塚」なのです。これを見ても分かるのだ。第 2,第 3の「東洋の魔女」を目指して、これからも一歩一歩確実に進んで行って欲しい。
ガンバレ!日本!
ロンドン五輪競技日程表
「公益財団法人日本オリンピック委員会」のサイトは、次のURLになります。
http://www.joc.or.jp/games/olympic/london/
こちらでは、会場マップ.実施競技・種目比較.日本の大会参加状況等ロンドン五輪情報関係がご覧頂けます。
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内村航平個人総合で28年ぶり金!北島康介 4位個人でメダル獲得ならず…石川佳純、涙の 4位…
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