●金足農業高校(秋田)吉田輝星投手(17= 3年)が「外れ1位」」で北海道日本ハムから単独指名を受けた。会見場で会議の行方を見守ったいた吉田はホッとした表情を見せた。県大会初戦から甲子園の準決勝までの10試合を 1人で投げ抜き、列島を熱狂させた。甲子園終了後に急激に評価を上げたスター右腕が、プロ野球選手として歩み始める。吉田輝星投手は、北海道日本ハムが大阪桐蔭高・根尾昂内野手(18)を 4球団競合の末にくじで外した後、「単独1位指名」で交渉権を獲得。米大リーグで活躍するダルビッシュ有(カブス)、大谷翔平(エンゼルス)らを育てた球団で、甲子園を沸かせたヒーローが飛躍を誓った。日本中が注目した、平成最後のドラフト。秋田から飛び出した甲子園のスターの新天地は、さらに北上した北の大地に決まった。秋田市の学校の体育館に集まった報道陣52社 130人、22台のテレビカメラを前に、吉田は強い決意を明かした。赤い糸で結ばれたのは、ダルビッシュ、中田翔、大谷、清宮幸太郎ら高卒の選手育成には定評がある北海道日本ハムだ。15日には大渕スカウト部長が金足農高に出向き、吉田と約40分間にわたって面談。同席した中泉一豊監督(46)も信頼を口にした。今夏の甲子園で準優勝。 6試合で 881球を投げ、旋風の中心になった。秋田大会開幕前は大学進学を決めていたが、幼い頃からあこがれていたプロ野球への夢が膨らんだ。プロ志望か、大学進学か-。そのまま進学をすすめる周囲の声もあったが、今月 4日にプロ志望を自ら決断した。このドラフトで、夢へまた前進。好きな球団に巨人を挙げ、闘志を燃やした。日本を代表する選手たちが育った北海道日本ハムでも輝きを放つ-。その日を目指し、2001年生まれの“平成最後の怪物”は歩みを進める。
●北海道日本ハムから「1位指名」された金足農(秋田)吉田輝星投手がドラフト会議から一夜明けた26日、同校で指名あいさつを受けた。ドラフト会議から一夜明け、アメリカからエールが届いた。初対面した栗山英樹監督(57)からは、20年東京五輪での侍ジャパン入りを求められた。OBのダルビッシュ有投手(32=カブス)からは、ツイッターで背番号11の継承を“推薦”された。平成最後の怪物が、早くも日本ハム・カラーに染まった。初対面した栗山英樹監督(57)からは、20年東京五輪での侍ジャパン入りを求められた。OBのダルビッシュ有投手(32=カブス)からは、ツイッターで背番号11の継承を“推薦”された。平成最後の怪物が、早くも日本ハム・カラーに染まった。ドラフト会議から一夜明け、アメリカからエールが届いた。偉大なOBダルビッシュがツイッターで「背番号『11』番」を“推薦”した。伝え聞いた吉田は、はにかみながら謙遜するばかりだった。指名あいさつが行われた校長室で初対面した同監督の印象は「オーラがありました。緊張しました」。そんな硬さが、一言でほぐれた。いきなり「コウセイ」と、呼ばれた。中学以来の感覚だった。栗山監督は清宮を「コウタロウ」、中田を「ショウ」、大谷を「ショウヘイ」など、ファーストネームで呼ぶことが多い。選手を大切に思い、真剣に向き合おうとする魂が、そう呼ばせる。“栗山流”を初対面で繰り出され、一気に心は日本ハム一色に染まった。約1時間半の初対面で、OBも含めた日本ハムファミリーの印象は、不動のものとなった。
記事をまとめてみました。
金足農(秋田)吉田輝星投手( 3年)が「外れ1位」」で日本ハムから単独指名を受けた。
会見場で会議の行方を見守ったいた吉田は「うれしいです。すごく安心しました」とホッとした表情を見せた。日本ハムの印象を「大谷選手、清宮選手ら高校から入って活躍している選手が多い若いチーム」と話した。
県大会初戦から甲子園の準決勝までの10試合を 1人で投げ抜き、列島を熱狂させた。甲子園終了後に急激に評価を上げたスター右腕が、プロ野球選手として歩み始める。
プロ入りが決まり、会見に臨む金足農・吉田輝星投手=秋田県立金足農業高校
「プロ野球ドラフト会議 supported by リポビタンD」が25日、東京・グランドプリンスホテル新高輪で開かれた。今夏の甲子園の準優勝投手、秋田・金足農高の吉田輝星投手は、日本ハムが大阪桐蔭高・根尾昂内野手を 4球団競合の末にくじで外した後、「単独1位指名」で交渉権を獲得。米大リーグで活躍するダルビッシュ有(カブス)、大谷翔平(エンゼルス)らを育てた球団で、甲子園を沸かせたヒーローが飛躍を誓った。
日本中が注目した、平成最後のドラフト。秋田から飛び出した甲子園のスターの新天地は、さらに北上した北の大地に決まった。秋田市の学校の体育館に集まった報道陣52社 130人、22台のテレビカメラを前に、吉田は強い決意を明かした。
「『ドラフト1位』の中に、自分の名前が呼ばれて安心しました」 ドラフト会議の様子は、別室で見守った。最初の「1位入札」はなかったが、日本ハムが「外れ1位」で単独指名。心を落ち着けてから会見に臨んだ。
「日本ハムに入れることが決まって、非常にうれしい。『ドラフト1位』で高校から入った先輩たちがすごく活躍しているので、自分も一緒に活躍したいと思います」
赤い糸で結ばれたのは、ダルビッシュ、中田翔、大谷、清宮幸太郎ら高卒の選手育成には定評がある日本ハムだ。15日には大渕スカウト部長が金足農高に出向き、吉田と約40分間にわたって面談。同席した中泉一豊監督も「野球に限らず、若い選手のいろんな可能性を育てようという思いが伝わってきた」と信頼を口にした。
今夏の甲子園で準優勝。 6試合で 881球を投げ、旋風の中心になった。秋田大会開幕前は大学進学を決めていたが、幼い頃からあこがれていたプロ野球への夢が膨らんだ。プロ志望か、大学進学か-。そのまま進学をすすめる周囲の声もあったが、今月 4日にプロ志望を自ら決断した。このドラフトで、夢へまた前進。「高校時代と変わらずに自分の強気なピッチングをしっかりして、新人王をとりたいと思います」と胸を躍らせた。
北海道日本ハムに「1位指名」された吉田輝星投手。プロでの活躍を誓い“シャキーンポーズ”を決めた=秋田県立金足農業高校
好きな球団に巨人を挙げ、「巨人に行きたいか」との質問に「はい、行きたいです」と回答したこともあるが、その思いは“封印”。対戦したときには「自分の出せる全力を出していきたい」と闘志を燃やした。
会うことを楽しみにしている選手には、主砲の中田を挙げた。「『4番』を打っていて雰囲気がすごい。バッターとして嫌な球はどんな球か聞いてみたい」と10歳以上も上の先輩にも物おじすることなく、積極的に質問する貪欲な姿勢を見せた右腕。現在は後輩が練習するグラウンドで、トレーニングを続けている。
「自分の持ち味のストレートをもっと磨いて勝負したい。目標は高く、 155キロを出したい」
日本を代表する選手たちが育った日本ハムでも輝きを放つ-。その日を目指し、2001年生まれの“平成最後の怪物”は歩みを進める。
■日本ハム 2軍施設がある千葉・鎌ケ谷市の清水聖士市長
「昨年の清宮幸太郎選手に続き、甲子園のスター選手の入団が決まり、興奮しています。11万鎌ケ谷市民で吉田選手の成長を応援していきたい」
■日本ハム「2位指名」の野村佑希(花咲徳栄高)
「スケールの大きい選手になりたい。スタッフやファンの皆さんに愛されるような選手になりたい」
★背番号は「11」?「18」?
気になるのは吉田の背番号だ。日本ハムではダルビッシュや大谷がつけていた「11」や、斎藤らがつけたエース番号の「18」が現在空き番となっており、行方が注目される。
チームメートに祝福され照れ笑い。甲子園のヒーローが北の大地で新たな戦いに臨む=秋田県立金足農業高校
★日本ハム・過去の主な「ドラフト1位指名」VTR
★ダルビッシュ有(2004年、東北高):高校生ナンバーワン右腕と称され競合が予想されたが、単独指名に成功。「指名は光栄。新庄さんもいて、盛り上がっている球団]と笑顔だった。
★斎藤 佑樹(2010年、早大):ハンカチ王子として甲子園を沸かせたヒーローを日本ハム、ヤクルト、ロッテ、ソフトバンクの 4球団が指名。藤井社長が2007年に 4球団競合の中田翔(大阪桐蔭高)を当てたのに続き、引き当てた。
★大谷 翔平(2012年、花巻東高):最速 160キロの「二刀流」は米大リーグ挑戦を表明していたが、強行指名して交渉権を獲得。当初大谷は指名あいさつにも顔を出さなかったが、「ダルビッシュの背番号『11』」「二刀流」のプランを提示して粘り強く交渉し、入団にこぎつけた。
★清宮 幸太郎(2017年、早実高):史上最多とされる高校通算「111本塁打」のスラッガーに、1995年の福留孝介(PL学園高)に並ぶ野手&高校生最多の 7球団が競合。木田優夫GM補佐が左手で当たりくじを引き当てた。
◇吉田 輝星(よしだ・こうせい)
2001(平成13)年 1月12日生まれ、17歳。秋田県出身。天王小 3年から天王ヴィクトリーズで野球を始める。天王中では軟式野球部に所属。金足農高では 1年夏からベンチ入りし、 1年秋からエース。今夏の甲子園では秋田県勢 103年ぶりの「決勝」進出に導き、“金足農フィーバー”を巻き起こした。決勝では大阪桐蔭高に敗れ準優勝。 9月には高校日本代表として「U18アジア選手権」に出場。 1メートル75、84キロ。右投げ右打ち。家族は両親、弟。
日本ハムから「1位指名」された金足農(秋田)吉田輝星投手がドラフト会議から一夜明けた26日、同校で指名あいさつを受けた。
初対面した栗山英樹監督からは、20年東京五輪での侍ジャパン入りを求められた。OBのダルビッシュ有投手(カブス)からは、ツイッターで背番号11の継承を“推薦”された。平成最後の怪物が、早くも日本ハム・カラーに染まった。
ドラフト会議から一夜明け、アメリカからエールが届いた。偉大なOBダルビッシュがツイッターで「背番号『11』番」を“推薦”した。伝え聞いた吉田は、はにかみながら謙遜するばかりだった。「ピッチャーで結構、『11』番を付けている人がいるので、すごいかっこいい背番号だなと思います」と笑顔で反応。ただ、13年から昨季までエンゼルス大谷も背負い、今季は空き番だった。由緒ある数字でもあり「なったら、すごいプレッシャーがかかると思います」と、照れ笑いを浮かべた。
栗山監督も、秋田に来てくれた。指名あいさつが行われた校長室で初対面した同監督の印象は「オーラがありました。緊張しました」。そんな硬さが、一言でほぐれた。いきなり「コウセイ」と、呼ばれた。中学以来の感覚だった。「高校に入ってからは名字で呼ばれていたので、うれしかったです」と、喜んだ。
北海道日本ハム栗山英樹監督の指名あいさつを終えた後、囲み取材で笑顔を見せる金足農・吉田輝星投手=秋田県立金足農業高校
栗山監督は清宮を「コウタロウ」、中田を「ショウ」、大谷を「ショウヘイ」など、ファーストネームで呼ぶことが多い。選手を大切に思い、真剣に向き合おうとする魂が、そう呼ばせる。“栗山流”を初対面で繰り出され、一気に心は日本ハム一色に染まった。
求められる将来像も、早速あうんの呼吸で一致した。栗山監督は、指名あいさつ後の会見で「近いところにオリンピックもあります。目指してほしい」と、20年の東京五輪で侍ジャパン入りを指令。続いて吉田も会見に登場し、同監督の指令を伝え聞くと「自分も日の丸を背負いたいと前から言っていたんですけど、そういうチャンスが一番近いのが東京五輪。しっかり目指していきたいです」と力強く答えた。
背番号について栗山監督は「メッセージ性を持たせる」と話した。球団はこれから背番号の選定に着手する予定という。
約1時間半の初対面で、OBも含めた日本ハムファミリーの印象は、不動のものとなった。吉田は言った。「すごい、いいチームだと思ったので、早く行ってみたい。すごく楽しみです」。
中田選手を「ショウ」と呼ぶのは、ファンと監督だけでは無い!虎ちゃんもその一人だ!虎ちゃんの場合、ファンの方々と違うのは、本人公認での呼び方であることだ!日本ハム球団時代に会わせて貰い、選手やコーチと一緒に呑んだ席の時だった。そこに、ショウ君も来ていたのだ!そこで「中田くんと呼んだところ」、「ショウと呼んで下さい」と言われたのだ!
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