●ソフトバンクは 1回に一死 1、 2塁の好機を得たが無得点。広島も 2回一死 1、 3塁のチャンスを生かせず先制できなかった。ソフトバンクは 4回、西田哲朗内野手(27)のスクイズで 1点を先制。 5回にはユリスベル・グラシアル内野手(33)の「ソロ本塁打」で加点した。広島は 6回まで 4安打無得点。ソフトバンクは終盤、継投で広島の反撃をかわし、「2年連続の日本一」。広島は「4連敗」で、「34年ぶりの日本一」を逃した。「SMBC日本シリーズ2018」は、広島市のMazda Zoom-Zoom スタジアム広島(通称:「マツダスタジアム」)に 3万 723人を集めて第 6戦が行われ、「パ・リーグ2位」から勝ち上がったソフトバンクが「セ・リーグ3連覇」の広島を 2- 0で下し、対戦成績を「4勝1敗1分け」として前身の南海、ダイエー時代を含めて「2年連続9度目の日本一」に輝いた。就任 4年目の工藤公康監督(55)は、昨年に続いて「3度目の日本一」。“平成最後の大舞台”で、平成最多を更新する 7度目の頂点にチームを導いた。転機は前半最後のカードとなった北海道日本ハム戦での 2夜連続の大敗。後半戦開始前、指揮官はナインに呼びかけた。もう一つの分岐点は 8月上旬。立場上、特定の選手との宴席はご法度にしていたが、思い切った行動に出た。ベテラン、若手、捕手、外国人。それぞれと食事会を開いた。結果は「吉」と出た。雑談から始まった若手組との焼き肉店での会は予想以上の長時間に及び、中村晃外野手(28)が野球談義の突破口を開くと20代前半の選手が次々と監督に思いを伝えた。中には“無礼講”の訴えも飛び出したが、工藤監督は全てに真摯に耳を傾けた。ベテラン組からは背中を押された。開催時点で残り49試合。「36勝13敗」の結果を出した。心を鬼にできたのも、選手との距離が縮まったからこそ。今シリーズでは松田宣浩内野手(35)が精彩を欠くと先発を外し、第 5、 6戦では主将の内川聖一内野手(36)に 8年ぶりの犠打を決めさせるなど勝負に徹した。平成時代に行われた30度の「日本シリーズ」で、巨人を抜いて「7度目の日本一」に輝いたソフトバンク。「平成最強軍団」が球史にその名を刻んだ。
●ソフトバンクが「4連勝」で、広島を下し通算「4勝1敗1分け」で「2年連続9度目の日本一」に輝いた。広島は34年ぶり「4度目の日本一」はならなかった。「シーズン2位」から下克上で、パ・リーグ球団では史上初となる「セ・リーグ6球団制覇」を達成した。工藤監督は 2年連続 3度目の頂点。選手時代に11度、監督 3度で計14度の「日本一」は、王会長の13度(選手11度、監督2度)を抜き「単独3位」となった。試合はソフトバンクが先手を取った。 4回、先頭柳田悠岐外野手(30)が四球で出塁すると中村晃が左前で続き無死 1、 2塁。内川が 2戦連続となる犠打を決め一死 2、 3塁とし、続く西田のスクイズで先制した。先発バンデンハークは 6回を 4安打無失点、10奪三振の好投。先発マスクの甲斐拓也捕手(25)も初回に「日本シリーズ新記録」となる「5連続盗塁」を阻止。 2回にも 2盗を阻止し 6連続と記録を更新し先発リック・バンデンハーク投手(33)を強力サポートした。 7回からは武田翔太投手(25)、嘉弥真新也投手(28)、 9回は守護神・森唯斗投手(26)とつなぎ完封リレーで頂点をつかんだ。
●大好きな街、生まれ育った広島で、“カープ男子”柳田が宙に舞った。7度も。ギータ・スマイルがはじけた。選手会長の仕事を全うした 年。公式戦は悔しい「2位」だったが、「打率0.352」で 3年ぶりの「首位打者」。CSはMVPでチームを「日本シリーズ」に導き、頂上決戦は第 5戦でサヨナラ弾を放って王手をかけた。そして優秀選手賞に。この日も四回先頭で四球を選ぶと、西田のスクイズで先制のホームに滑り込んだ。土台に主力打者の自覚がある。ときには、まるで受験生のように資料室に食事を持ち込んで自習。自主トレは濱涯泰司打撃投手(48)に同行を依頼。シーズン中は練習後に関本塁データ分析担当ディレクターの元を訪れるのが日課になった。関本氏はもともと、データ分析のIT化のためにスコアラーに加わったシステムエンジニアだ。今季は春季キャンプからグラウンドに出ていた。その視線に気が付いた背番号「9」。いまでは、よき相談役だ。広島ファンだった少年は、誰もが認める「日本一の4番打者」になった。
●「パ・リーグ2位」から勝ち上がったソフトバンクが「セ・リーグ3連覇」の広島を下し、「2年連続9度目の日本一」に輝いた。対戦成績は「4勝1敗1分け」。最高殊勲選手(MVP)には「6連続で盗塁を阻止」したソフトバンクの甲斐拓也捕手が選ばれた。「2年連続で日本一」に輝いたソフトバンクから、甲斐拓也捕手が最高殊勲選手(MVP)に選ばれた。今シリーズは「打率0.143」ながら、投手陣を好リードし、盗塁を「6連続で阻止」して広島の機動力を“完封”。育成ドラフト出身では初の栄誉となった。 1回に完璧なスタートを切った田中広輔内野手(29)の 2盗を封じた。際どいタイミングで一度はセーフも、工藤監督のリクエストが成功。60年ぶりに「日本シリーズ記録」を更新する 5者連続の「盗塁阻止」を記録すると、 2回二死 1、 3塁で 1走・安部の 2盗を封じて「6連続」に更新した。終盤の守りはベテランの高谷裕亮捕手(36)に譲る“準正捕手”。それでも、早出の打撃練習を欠かさず、試合後は全配球をその日のうちに見直す日々が報われた。いつでも最後に球場を後にする男が今季最後のヒーロー。“甲斐キャノン”が、全国にとどろいた。
●ソフトバンクが歓喜のビールかけに酔った。試合後に広島市内の特設会場に移動し、祝勝会を開いた。 後藤球団オーナー代行兼社長、王球団会長、工藤監督のあいさつにの後、今季の球団スローガンである「もう1頂!」のかけ声で鏡割り。続いて壇上に立った柳田選手会長が「最高ー」と号令をかけた。3000本のビールなどがあっという間にはじけ飛んだ。工藤監督は選手、ファンに感謝した。 4連勝で「2年連続日本一」!ソフトバンクが、セ・リーグ3連覇の広島を 2- 0で下して対戦成績を「4勝1敗1分け」とし、前身の南海、ダイエー時代を含めて「2年連続9度目の日本一」に輝いた。就任 4年目の工藤公康監督は、昨年に続いて「3度目の日本一」。
記事をまとめてみました。
SMBC日本シリーズ2018<広島 0- 2ソフトバンク>◇第 6戦◇ソフトバンク 4勝 1敗 1分◇ 3日◇Mazda Zoom-Zoom スタジアム広島(通称:「マツダスタジアム」)
ソフトバンクは 1回に一死 1、 2塁の好機を得たが無得点。広島も 2回一死 1、 3塁のチャンスを生かせず先制できなかった。
ソフトバンクは 4回、西田のスクイズで 1点を先制。 5回にはグラシアルの「ソロ本塁打」で加点した。広島は 6回まで 4安打無得点。
ソフトバンクは終盤、継投で広島の反撃をかわし、「2年連続の日本一」。広島は「4連敗」で、「34年ぶりの日本一」を逃した。
5回表ソフトバンク一死、ユリスベル・グラシアル内野手の「左越え本塁打」に大喜びのベンチ=Mazda Zoom-Zoom スタジアム広島
「SMBC日本シリーズ2018」は、広島市のマツダスタジアムに 3万 723人を集めて第 6戦が行われ、「パ・リーグ2位」から勝ち上がったソフトバンクが「セ・リーグ3連覇」の広島を 2- 0で下し、対戦成績を「4勝1敗1分け」として前身の南海、ダイエー時代を含めて「2年連続9度目の日本一」に輝いた。就任 4年目の工藤公康監督は、昨年に続いて「3度目の日本一」。“平成最後の大舞台”で、平成最多を更新する 7度目の頂点にチームを導いた。
真っ赤に染まった敵地で、常勝軍団の指揮官が宙に舞った。力尽きるまで腕を上げたナインの手で15度胴上げされた工藤監督は、目を真っ赤にして思いの丈を響かせた。
「最高に幸せです。シーズン終盤から満身創痍(そうい)の中で突っ走ってくれた。選手のみんな、本当にありがとう! (胴上げは)手の感触が伝わってきて、みんなに支えられてきたんだなと思いました」
最終戦も大技小技でセ・リーグ王者を圧倒した。 4回は無死 1、 2塁で主将の内川が 2試合連続の犠打を決め、続く西田のスクイズで先制。 5回には、グラシアルの豪快な一発で追加点を挙げた。投げてはバンデンハークが 6回10奪三振と力投し、盤石の継投で勝利につなげた。
敵地で「1敗1分け」のスタートとなったが、シリーズ新記録となる「本拠地12連勝」で王手をかけ、最後は広島で一気に決めた。「2年連続の日本一」は、球団史上初の「レギュラーシーズン2位」以下からの“下克上”による頂点となった。
転機は前半最後のカードとなった日本ハム戦での 2夜連続の大敗。後半戦開始前、指揮官はナインに呼びかけた。
「やっぱり、野球は明るく楽しく。どんな結果になっても、こちらが責任を取るから」
すると、「勝率5割前後」をさまよったチームは一変した。
もう一つの分岐点は 8月上旬。立場上、特定の選手との宴席はご法度にしていたが、口癖でもある「心を一つに、チームを一つに」を実現するため、思い切った行動に出た。「何組かに分けよう」。ベテラン、若手、捕手、外国人。それぞれと食事会を開いた。
結果は「吉」と出た。雑談から始まった若手組との焼き肉店での会は予想以上の長時間に及び、中村晃が野球談義の突破口を開くと20代前半の選手が次々と監督に思いを伝えた。中には「こう使ってほしい」と“無礼講”の訴えも飛び出したが、工藤監督は全てに真摯に耳を傾けた。
ベテラン組からは背中を押された。開催時点で残り49試合。「『40勝9敗』でいきましょう。それなら優勝できる」と不可能に近い目標を立て、「36勝13敗」の結果を出した。「選手一人一人が満足する采配はできない」と心を鬼にできたのも、選手との距離が縮まったからこそ。今シリーズでは松田宣が精彩を欠くと先発を外し、第 5、 6戦では主将の内川に 8年ぶりの犠打を決めさせるなど勝負に徹した。
「レギュラーシーズン2位」からの下克上で「2年連続の日本一」。工藤公康監督はナインの手で15度、宙を舞った=Mazda Zoom-Zoom スタジアム広島
「『勝ちたい』という気持ちが、ベンチのみんなの声から伝わってきた。このチームの監督ができて幸せです」。平成時代に行われた30度の「日本シリーズ」で、巨人を抜いて「7度目の日本一」に輝いたソフトバンク。「平成最強軍団」が球史にその名を刻んだ。
■ 4回無死 1、 2塁で連夜の犠打を決めたソフトバンク・内川聖一内野手
「そうだろうなと思っていた。どんな形でも、点につながるところで仕事ができたのはうれしい」
■10三振を奪い、 6回無失点のソフトバンク・リック・バンデンハーク投手
「素晴らしい気分。(甲斐)拓也がそこにいるだけで安心する。クイックが多少遅くても余裕でアウトだからね」
★第 6戦の主な記録
【新記録】▽シリーズ最多盗塁刺8 広島▽シリーズ最多ホールド15 ソフトバンク▽シリーズ最多ホールド合計22 ソフトバンク15、広島7▽捕手のシリーズ最多補殺11 甲斐(ソフトバンク)
【タイ記録】▽シリーズ最多盗塁刺3 田中(広島)=3人目、3度目▽1試合最多三振13 広島=8度目▽シリーズ最多セーブ3 森(ソフトバンク)=6人目、6度目
【その他の記録】▽1試合2桁奪三振 バンデンハーク(ソフトバンク)=21人目、24度目
★ 6試合シリーズの主な記録
【新記録】▽シリーズ最少二塁打3 ソフトバンク▽シリーズ最多盗塁刺3 田中(広島)▽シリーズ最多盗塁刺8 広島▽シリーズ最多三振12 丸(広島)▽シリーズ最多三振64 広島▽捕手シリーズ最多補殺11 甲斐(ソフトバンク)
【タイ記録】▽シリーズ最少盗塁0 広島=3度目▽シリーズ最少完投合計0=14度目▽シリーズ最多与死球2 ヘルウェグ(広島)=8人目、8度目▽シリーズ最少併殺1 広島=2度目
☆ソフトバンク球団史
1938年に南海電鉄を経営母体に創設。1944年に近畿日本、1946年に近畿グレートリングと改称し、1947年から南海ホークス。 1リーグ時代に「2度優勝」し、1973年までに「パ・リーグ制覇10度(日本一2度)」。低迷期を経て1988年にダイエーが買収して本拠地を大阪から福岡に移した。1993年に福岡ドーム(現ヤフオクドーム)が完成。1995年から王貞治監督が指揮し、1999年にダイエーとして「初優勝、日本一」。2000年も「優勝」したが、長嶋茂雄監督率いる巨人との“ONシリーズ”で敗れた。2005年からソフトバンクとなり2011、2014、2015、2017、2018年に「日本一」。「リーグ優勝」は前身を含め「18度(1リーグ時代からは20度)」。「日本一」は9度目。孫正義オーナー。
トロフィーを受け取ったソフトバンク・工藤公康監督=Mazda Zoom-Zoom スタジアム広島
◇工藤 公康(くどう・きみやす)
1963(昭和38)年 5月 5日生まれ、55歳。愛知県出身。名古屋電気(現愛工大名電)高から1982年「ドラフト6位」で西武入団。1995年にFAでダイエー(現ソフトバンク)へ移籍。巨人、横浜(現DeNA)を経て2010年に復帰した西武で戦力外となり、所属がないまま2011年に引退。通算成績は 635試合に登板、「224勝142敗3S、防御率3.45」。2015年からソフトバンクの監督を務め、「リーグ優勝」 2度、「日本一」 3度。2016年に野球殿堂入り。 1メートル75、85キロ。左投げ左打ち。既婚。年俸 1億円。背番号「81」。
◇データBOX◇
〔1〕ソフトバンクが昨年に続く通算「9度目(前身球団を含む)の日本シリーズ制覇」。 9度は巨人の22度、西武の13度に次ぐ 3番目。元号が平成となった1989年以降、 7度目の「シリーズ制覇」となり、巨人の 6度を上回り最多回数となった。
〔2〕シーズン勝率が「2位」以下(1973-1982年の前後期制は前後期の通算勝率)の球団がシリーズを制したのは、1975年の阪急(2位)、1982年の西武(同)、2004年の西武(同)、2005年のロッテ(同)、2007年の中日(同)、2010年のロッテ(3位)に次いで 8年ぶり 7度目で、ソフトバンクは初めての“下克上”となった。
〔3〕工藤監督は 3度目(2015、2017、2018年)の「日本一」。監督 1年目から 4年間で「3度日本一」は、巨人・水原茂(1950年就任、日本一1951-1953年)、阪急・上田利治(1974年就任、日本一1975-1977年)、西武・森祇晶(1986年就任、日本一1986-1988年)に次いで 4人目。
〔4〕シリーズを 3度以上制した監督は10人目で、 3度は原辰徳、野村克也らに並ぶ「5番目」。投手出身では藤田元司の「2度」を抜く最多。
〔5〕選手でも「11度日本一」。選手と監督を合わせて通算「14度」は森の「17度8選手11、監督6)」、川上哲治の「15度(選手4、監督11)」に次いで「3番目」。王貞治の「13度(選手11、監督2)」を抜いた。
◇データBOX◇
〔1〕ソフトバンクは2003年から出場「6連続で日本一」。パ・リーグ球団では西武(1986-1988、1990-1992年)と並ぶ最多(セは巨人の11連続=1961、1963、1965-1973年)。2013年の楽天からパの球団が「6年連続で日本一」。同一リーグの球団が「6年以上」続けてシリーズを制したのは、1965-1973年のセ(巨人の9連覇)以来45年ぶり「2度目」。
〔2〕ソフトバンクが広島とのシリーズに勝利し、セ 6球団から勝利(阪神 3、中日 2、巨人、ヤクルト、DeNA、広島各 1)。「6球団制覇」は巨人(ソフトバンク 9、オリックス 5、北海道日本ハム、西武各 3、ロッテ、近鉄各 1)と並ぶ最多記録で、パの球団では初。
〔3〕バンデンハークの「シリーズ2桁奪三振」は昨年第 6戦のDeNA・今永昇太(11個)以来、21人目(24度目)。ソフトバンクでは1999年第 1戦の工藤公康(133個)以来19年ぶり 2人目。
ソフトバンクが「4連勝」で、広島を下し通算「4勝1敗1分け」で「2年連続9度目の日本一」に輝いた。広島は34年ぶり「4度目の日本一」はならなかった。
「シーズン2位」から下克上で、パ・リーグ球団では史上初となる「セ・リーグ6球団制覇」を達成した。
工藤監督は 2年連続 3度目の頂点。選手時代に11度、監督 3度で計14度の「日本一」は、王会長の13度(選手11度、監督2度)を抜き「単独3位」となった。
試合はソフトバンクが先手を取った。 4回、先頭柳田が四球で出塁すると中村晃が左前で続き無死 1、 2塁。内川が 2戦連続となる犠打を決め一死 2、 3塁とし、続く西田のスクイズで先制した。
4回表ソフトバンク一死 2、 3塁、先制スクイズを決める西田哲朗内野手=Mazda Zoom-Zoom スタジアム広島
続く 5回二死走者なしからグラシアルが、広島先発ジョンソンから「左越えに日本シリーズ初となるソロアーチ」で加点した。
先発バンデンハークは 6回を 4安打無失点、10奪三振の好投。先発マスクの甲斐も初回に「日本シリーズ新記録」となる「5連続盗塁」を阻止。 2回にも 2盗を阻止し 6連続と記録を更新し先発バンデンハークを強力サポートした。
7回からは武田、嘉弥真、 9回は守護神・森とつなぎ完封リレーで頂点をつかんだ。
「2年連続9度目の日本一」に輝いたソフトバンクの優勝記念会見が試合後に行われた。工藤監督、柳田悠岐外野手、甲斐拓也捕手の 3人が壇上に並び喜びを口にした。
工藤監督に続き、ナインに胴上げされた広島出身の柳田は「夜空がきれいで心地よく、先輩方にも上げていただいて感謝の気持ちでいっぱいです」と故郷の空を万感の思いで見つめていた。「ドラフトのときも上げていただいて、それ以来(胴上げは) 8年ぶりでしたけど、いい思い出ができました」と話した。
第 6戦は 3打数無安打に終わったが、第 5戦では延長10回に「サヨナラ本塁打」を放ちチームに勢いをつけた。しかし、第 1、 2戦では厳しい内角攻めに苦しむなど苦戦したとあり、広島の印象について「(投手の)球も強いしコントロールも良かった。打つのは難しいと思ったけど前打者がチャンスを作ってくれて楽に打席に入って打点をつけることができた。塁に出れば後ろが返してくれた。チームメートのおかげで『日本一』になれた」と感謝の言葉をつづった。
日本一となり胴上げされる柳田悠岐外野手=Mazda Zoom-Zoom スタジアム広島
大好きな街、生まれ育った広島で、“カープ男子”柳田が宙に舞った。7度も。ギータ・スマイルがはじけた。
「気持ちよかったですね。広島で胴上げ。幸せでした。空がきれいでしたよ。胴上げなんて、ドラフトの時以来かな」
選手会長の仕事を全うした 年。公式戦は悔しい「2位」だったが、「打率0.352」で 3年ぶりの「首位打者」。CSはMVPでチームを「日本シリーズ」に導き、頂上決戦は第 5戦でサヨナラ弾を放って王手をかけた。そして優秀選手賞に。この日も四回先頭で四球を選ぶと、西田のスクイズで先制のホームに滑り込んだ。
「めちゃくちゃいい時期はないけど、修正しながらできた」と振り返る今季。土台に主力打者の自覚がある。「コーチも忙しいし、全部みられるわけではない。自分で何とかできることはしないと」。ときには、まるで受験生のように資料室に食事を持ち込んで自習。「自分の形で打てているか。それができれば凡打も納得できる」。自身の映像に目を血眼にした。
「『打っているときはこう、このタイプの投手のときはこの形で打っている』とか、スコアラーさんが映像解析もしながら説明してくれるので参考になります」
自主トレは濱涯打撃投手に同行を依頼。「いつも投げてくれている人なら普段との違いも聞きやすい」。シーズン中は練習後に関本データ分析担当ディレクターの元を訪れるのが日課になった。
関本氏はもともと、データ分析のIT化のためにスコアラーに加わったシステムエンジニアだ。今季は「現場にいるのなら、選手のことを近くで見ようと思った。ファンのように、ただ見ているだけです。教えられるわけではないので」と春季キャンプからグラウンドに出ていた。
その視線に気が付いた背番号「9」。いまでは、よき相談役だ。「けっこう細かい部分もみてくれているんですよ」。どんな“目”も味方。規格外のフルスイングに自主性とスタッフとの輪で進化する最強打者は、チームに関わる全員と喜びを分かち合った。
「みんなのおかげで、ここまできました」
広島ファンだった少年は、誰もが認める「日本一の4番打者」になった。
チームメートにビールをかけられるソフトバンク柳田悠岐外野手=広島市内の特設会場
ソフトバンク柳田悠岐外野手が優勝会見に臨んだ。
-選手会長で日本一の味はどうですか
柳田 苦しいシーズンだったが、「日本一」という結果にホッとしてます。
-胴上げの気分は
柳田 夜空がきれいで、心地よく、先輩方に上げてもらって感謝の気持ちでいっぱいです。
-広島の地でした
柳田 ドラフトの時に上げてもらって以来、 8年ぶりでいい思い出ができました
-広島から厳しい攻めを受けました
柳田 球もコントロールもよかった。打つのは難しいが、前の打者がチャンスをつくってくれて、楽に打席に入って点がとれた。また自分が塁に出れば後ろが打ってくれた。チームメートのおかげです。
-苦しい時期を乗り越えた
柳田 監督と選手みんなで食事にいって、選手が思っていること、監督が思っていること、いろいろ話し合った。楽しく食事できた。それでチーム一丸というか、いい波が来ました。チームの勢いが乗ってないなかで、どうしたらいい方向にいくか、選手みんなが思い思いのことを言って、監督さんも受け入れてくれた。ありがたかったし選手もそんな監督を勝たせたいと思った結果だった。
-サヨナラホームランもありました
柳田 あそこだけでした。いい感じにできたのは。でも試合を決める 1本が「4勝」分の 1回で出て良かった。微々たる貢献ですけど良かった。
-内川選手がバントしたときなど、いい雰囲気でした
柳田 内川さんほどの打者でもチーム打撃に徹してくれて、良くなった。松田さんもロッカーで打撃のことを考えていた。そんな姿を見てましたが、ゲームでは選手たちを鼓舞してくれた。自分たちもやらないといけないなと思った。
-選手会長としてチームの強さは
柳田 ガムシャラに、チームが束になっていけるところです。
-広島の印象は
柳田 元気がよくて走攻守もいい。チーム一丸というのは、うちと同じスタイルと感じた。
-福岡のファンにメッセージを
柳田 1年間、熱い声援をいただいた。そのおかげで日本一を取れたし、感謝してます。ファン感謝祭でお返しをしたいと思います。
※ソフトバンク記録的下克上日本一!柳田故郷で万感胴上げ!MVP甲斐、優秀は森ら、敢闘に誠也!-2に続く!