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緒方監督、三村元監督命日に悔し終戦…今季で引退の広島新井が代打登場、プロ野球人生に幕!

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広い肩幅で、極上のダークスーツをパリッと着こなす。真っ赤に染まったマツダスタジアムのマウンドへ、広島出身の歌手で俳優の吉川晃司氏(53)が大歓声を受けて向かった。少年時代はカープの帽子をかぶって通学した生粋の広島ファン。TBS系列のドラマ「下町ロケット」に帝国重工の財前部長役で出演中で、ドラマと同じスーツを脱げば、ベストの背中に「カープ坊や」が現れた。ワンバウンド始球式を苦笑いで振り返った。広島が最後に「日本一」になった1984年、19歳の吉川は大ヒットソング「モニカ」でデビューした。今季の開幕戦は広島出身の世良公則氏(62)が「君が代独唱」を行い、2016年のCSファイナルは奥田民生氏(53)が始球式に登場。今や「カープ芸人」の言葉も定着。アーティストを数多く輩出する土地柄で、そんな有名人たちからも熱烈に愛されるのが、広島ならではの光景になってきた。吉川は、父が原爆に被爆し「被爆2世」にあたる。2013年 8月 6日には背番号「8.6」のユニホームで始球式を行い、 5回終了時に「イマジン」を独唱。吉川がデビューした1984年に生まれた先発クリス・ジョンソン投手(34)は、 6回 2失点と好投した。初の「リーグ3連覇」で、「日本シリーズ」に進出。34年ぶりの夢はかなわなかったが、みんなきっと「♪Oh サンクス、サンクス、サンクス、サンクス、カープ♪」なんだ。

1塁側ベンチで背筋を伸ばした広島緒方孝市監督(49)は、最後まで表情を変えなかった。指揮官として 2年ぶり 2度目の挑戦となった「日本一」への道のりはまたもかなわず、本拠地Mazda Zoom-Zoom スタジアム広島(通称:「マツダスタジアム」)で涙をのんだ。王手をかけられて迎えた本拠地試合。攻めのタクトは空回りした。 1回、田中広輔内野手(29)の盗塁は 1度セーフと判定されるもリクエストの結果アウトに。続く 2回は二死 1、 3塁から、 2盗を狙って失敗。打順は下位の「8番」石原慶幸捕手(39)。 2ストライクというバッテリー有利なカウントからの盗塁死に、広島ベンチの空気は一気に重くなった。「8番」からの攻撃となった 3回を 3者凡退に抑えられると、以降は 2塁すら踏むことができなかった。この日、指揮官に大きな影響を与えた 1人、三村敏之元広島監督(61歳没)の命日だった。「3連敗」を喫した翌 2日の移動日前には、実家の佐賀・鳥栖市にある母の墓前で手を合わせた。同日も、父のいる実家には立ち寄らず、午前 8時過ぎには広島に戻った。「日本一」になってから報告するつもりだった。監督就任以来、 4年かけたチームでの「日本一」は自分だけでなく、選手、球団、ファンが願った夢。その道のりは険しく、厳しいものだとあらためて痛感させられた。

今季限りでの現役引退を表明している広島新井貴浩内野手(41)が 8回、先頭打者として代打で登場した。名前がコールされると、本拠地マツダスタジアムは大きな声援に包まれた。ソフトバンク武田翔太投手(25)の前に遊ゴロに倒れたが、 1塁へ全力疾走を見せた。崖っぷちに追い込まれ迎えた本拠地での一戦。 9回は 1塁の守りについた。最後まで勝利を信じ、 2点を追う 9回の攻撃もベンチの最前列で立って選手を鼓舞し続けた。敗戦が決まると、目に焼き付けるようにソフトバンクの胴上げを見つめた。「日本一」に届かないままユニホームを脱ぐことになった。今季限りでの現役引退を表明している広島新井貴浩内野手がプロ野球人生に幕を下ろした。「34年ぶり4度目の日本一」には届かず、最後の花道を飾ることはできなかった。

広島新井貴浩内野手が現役生活を終えた。 9月に今季限りでの引退を表明。以後も「日本シリーズ」まで登録を外れることなく、主に代打として、最後まで第一線で戦った。「リーグ3連覇」が置き土産になった。主力に20代の選手が多い中で、最年長の新井が模範になり、調整役にもなってきた。来年以降は違った形でのチームの成熟が求められる。今後のカープについて聞かれると願いを込めた。最後には30人近くいた報道陣 1人 1人を見渡すように何度も頭を下げ、笑顔を見せた。

「日本一」の夢がついえた瞬間、新井の20年の現役生活にも幕が降りた。笑顔でスタンドのファンに手を振ったあと、涙をこらえてグラウンドに深々と一礼した。試合後のロッカールームでは 1人 1人と握手をして感謝を伝えた。自身 3度目、最後の大舞台で頂点には届かなかったが、新井らしく元気に振り返った。忘れられない打席がある。2015年 3月27日のマツダスタジアムでのヤクルトとの開幕戦の 7回に代打で登場。盛大な歓声が心に響き残りの野球人生を捧げる決意をした。敗戦が決まると、目に焼き付けるようにソフトバンクの胴上げを見つめた。将来的に球団は指導者としての復帰を歓迎する意向を示しているが、一度グラウンドを離れて、野球評論家として活動する予定。広島出身でカープファンのみならず全国の野球ファンに愛された名打者が静かにバットを置く。

新井貴浩内野手が、20年間のプロ野球生活に幕を下ろした。「日本シリーズ」はソフトバンクに「1勝4敗1分け」で敗退し、新井の現役最後の試合となった。 8回、先頭打者の代打で登場し、本拠地の大歓声の中、遊ゴロ。「34年ぶり日本一」で花道を飾ることはできなかった。

丸佳浩外野手(29)は「日本シリーズ」終了後、取得しているFA権について「今のところ何も決まっていない。期間もあるので、しっかり考えたい」と話した。シーズン中から話し合いを重ねてきた球団は全力で慰留に努めるが、FA権行使も視野に入れながら検討を続ける。今季は「打率3割6厘」、ともにチームトップの「39本塁打、97打点」をマーク。 2年連続MVP有力の働きで「チーム3連覇」に貢献した。  同じくFA権を取得してる松山竜平外野手(33)は残留を基本線に熟考していく。試合後、丸は「日本シリーズ」では 6試合で「打率0.160、12三振」と不振だったが、巨人や丸の出身地・千葉が本拠地のロッテなどが獲得調査を続けている。

記事をまとめてみました。

 

 

 SMBC日本シリーズ2018<広島 0- 2ソフトバンク>◇第 6戦◇ソフトバンク 4勝 1敗 1分◇ 3日◇Mazda Zoom-Zoom スタジアム広島(通称:「マツダスタジアム」)

 広い肩幅で、極上のダークスーツをパリッと着こなす。真っ赤に染まったマツダスタジアムのマウンドへ、広島出身の歌手で俳優の吉川晃司が大歓声を受けて向かった。

 少年時代はカープの帽子をかぶって通学した生粋の広島ファン。TBS系列のドラマ「下町ロケット」に帝国重工の財前部長役で出演中で、ドラマと同じスーツを脱げば、ベストの背中に「カープ坊や」が現れた。「どこかにカープをつけておきたかった」と、ワンバウンド始球式を苦笑いで振り返った。

 広島が最後に「日本一」になった84年、19歳の吉川は大ヒットソング「モニカ」でデビューした。今季の開幕戦は広島出身の世良公則が「君が代独唱」を行い、16年のCSファイナルは奥田民生が始球式に登場。今や「カープ芸人」の言葉も定着。アーティストを数多く輩出する土地柄で、そんな有名人たちからも熱烈に愛されるのが、広島ならではの光景になってきた。

 始球式で投球した吉川晃司氏

 吉川は、父が原爆に被爆し「被爆2世」にあたる。13年 8月 6日には背番号「8.6」のユニホームで始球式を行い、 5回終了時に「イマジン」を独唱。忘れられない思い出は、広島が「初優勝」した75年、10歳の時に見た故郷の姿だった。

 「初めて『優勝』したパレードの時にね、皆さんご家族の遺影とかを持って並んでいたのを、すごく強烈に覚えてます。みんな『おめでとう』ではなく『ありがとう』って言ってました。カープはやっぱり戦後の復興のシンボル。市民の思いから生まれた球団で、そこは他の球団と違うところがあると思います」

 吉川がデビューした84年に生まれた先発ジョンソンは、 6回 2失点と好投した。初の「リーグ3連覇」で、「日本シリーズ」に進出。34年ぶりの夢はかなわなかったが、みんなきっと「♪Oh サンクス、サンクス、サンクス、サンクス、カープ♪」なんだ。

 

  1塁側ベンチで背筋を伸ばした広島緒方孝市監督は、最後まで表情を変えなかった。「勝つチャンスは十分にあった。力の差は感じていない。自分の力不足。期待に応えられずに本当に申し訳ない」。指揮官として 2年ぶり 2度目の挑戦となった「日本一」への道のりはまたもかなわず、本拠地マツダスタジアムで涙をのんだ。

 王手をかけられて迎えた本拠地試合。攻めのタクトは空回りした。 1回、田中の盗塁は 1度セーフと判定されるもリクエストの結果アウトに。続く 2回は二死 1、 3塁から、 2盗を狙って失敗。打順は下位の「8番」石原。 2ストライクというバッテリー有利なカウントからの盗塁死に、広島ベンチの空気は一気に重くなった。「8番」からの攻撃となった 3回を 3者凡退に抑えられると、以降は 2塁すら踏むことができなかった。

  5回表ソフトバンク二死、ユリスベル・グラシアル内野手の「左越えソロ本塁打」に厳しい表情の緒方孝市監督(左)=Mazda Zoom-Zoom スタジアム広島

 セ・リーグを圧倒した戦い方を貫くつもりだった。打力は太刀打ちできた。先発中継ぎの駒不足は差となって表れ、何より持ち味の足技がソフトバンクの守備力の前に封じられた。「選手はカープの野球を信じて最後まで戦ってくれた。ソフトバンクに隙がなかった」。シリーズ通して 9度狙った盗塁はすべて阻まれた。

 勝ちたかった。この日、指揮官に大きな影響を与えた 1人、三村元広島監督の命日だった。「3連敗」を喫した翌 2日の移動日前には、実家の佐賀・鳥栖市にある母の墓前で手を合わせた。同日も、父のいる実家には立ち寄らず、午前 8時過ぎには広島に戻った。「日本一」になってから報告するつもりだった。監督就任以来、 4年かけたチームでの「日本一」は自分だけでなく、選手、球団、ファンが願った夢。その道のりは険しく、厳しいものだとあらためて痛感させられた。

 代打に立った新井貴浩内野手は遊ゴロに倒れた=Mazda Zoom-Zoom スタジアム広島

 今季限りでの現役引退を表明している広島新井貴浩内野手が 8回、先頭打者として代打で登場した。名前がコールされると、本拠地マツダスタジアムは大きな声援に包まれた。ソフトバンク武田の前に遊ゴロに倒れたが、 1塁へ全力疾走を見せた。

 崖っぷちに追い込まれ迎えた本拠地での一戦。試合前は「ファンに喜んでもらえるような試合にしたい。自分のことで感傷的になるようなことはない」と話していた。

  8回裏広島無死、遊ゴロに倒れた代打新井貴浩内野手=Mazda Zoom-Zoom スタジアム広島

 今季限りでの現役引退を表明している広島新井貴浩内野手がプロ野球人生に幕を下ろした。「34年ぶり4度目の日本一」には届かず、最後の花道を飾ることはできなかった。

 崖っぷちに追い込まれ迎えた本拠地での一戦。 8回、先頭打者として代打で登場した。ソフトバンク武田の前に遊ゴロ。 1塁への全力疾走を見せた。 9回は 1塁の守りについた。最後まで勝利を信じ、 2点を追う 9回の攻撃もベンチの最前列で立って選手を鼓舞し続けた。敗戦が決まると、目に焼き付けるようにソフトバンクの胴上げを見つめた。

 試合前「ファンに喜んでもらえるような試合にしたい。自分のことで感傷的になるようなことはない」と話していた新井。勝利で終えることはできなかった。

 

 広島新井貴浩内野手が現役生活を終えた。 9月に今季限りでの引退を表明。以後も「日本シリーズ」まで登録を外れることなく、主に代打として、最後まで第一線で戦った。

 現役最終戦も代打だった。 0- 2の 8回先頭。武田の前に遊ゴロに倒れた。最後の打席になる可能性もあったが、まだ戦いの途中。場内の大きな拍手に対しても、少し笑みを浮かべただけだった。そのまま9回表の 1塁守備にもつき、試合終了の瞬間はベンチで迎えた。「日本一」に届かないままユニホームを脱ぐことになった。

 「もちろん悔しさもあるが、それ以上にみんなにありがとうという気持ちが強いです。本当に感謝したい。かわいい後輩たちに、ありがとうしかない。日本一には届かなかったけど、シリーズ中は選手みんなの必死さがすごく伝わってきた」と柔和な表情で話した。

 表彰式を終え、ファンにこたえながら笑顔で引き揚げる広島新井貴浩内野手=Mazda Zoom-Zoom スタジアム広島

 「リーグ3連覇」が置き土産になった。主力に20代の選手が多い中で、最年長の新井が模範になり、調整役にもなってきた。来年以降は違った形でのチームの成熟が求められる。今後のカープについて聞かれると「いつも言うけど、カープは家族のようなチームと思っている。今、すごく結束している。それを若い選手、 2軍で頑張っている選手、これから入って来る選手たちが引き継いでいってほしい」と願いを込めた。

 最後には30人近くいた報道陣 1人 1人を見渡すように「ありがとうございました」と何度も頭を下げ、笑顔を見せた。

 

 笑顔でファンに別れを告げる新井貴浩内野手。涙はなかった=Mazda Zoom-Zoom スタジアム広島

 「セ・リーグ3連覇」の広島は、「パ・リーグ2位」から勝ち上がったソフトバンクに 0- 2で敗れ、「34年ぶりの日本一」はならなかった。今季限りで現役を引退する新井貴浩内野手(41)は 8回に代打で出場し、遊ゴロに倒れたものの、いつも通りに全力疾走し、 1塁の守備にも就いた。有終の美は飾れなかったが、笑顔で手を振ってファンに別れを告げた。

 「日本一」の夢がついえた瞬間、新井の20年の現役生活にも幕が降りた。笑顔でスタンドのファンに手を振ったあと、涙をこらえてグラウンドに深々と一礼した。

 「悔しいけど、ホントにみんなにありがとうという思いが強い。長いようで短い20年。お世話になった方々、ファンの皆様にありがとうございますという気持ち」

  8回先頭で代打で登場=Mazda Zoom-Zoom スタジアム広島

 試合後のロッカールームでは 1人 1人と握手をして「ありがとう」と感謝を伝えた。自身 3度目、最後の大舞台で頂点には届かなかったが、新井らしく元気に振り返った。

  0- 2の 8回先頭に代打として登場。武田の速球を振り抜いたが、打球はボテボテの遊ゴロ。それでも信条の全力疾走で 1塁へ駆け抜けると球場から大きな拍手が沸き起こった。

 喜びと悲しみが入り交じった。2008年に広島から阪神へFA移籍すると、市民球場での試合時には大ブーイングが沸き起こった。そうした背景があるにもかかわらず、15年に阪神を自由契約になった後には、初めてFAでの出戻りを認めてくれた。ファンも温かく迎えてくれた。

 忘れられない打席がある。15年 3月27日のマツダスタジアムでのヤクルトとの開幕戦の 7回に代打で登場。「ブーイングだろうな」と覚悟したが、杞憂だった。盛大な歓声が心に響き「カープのために」残りの野球人生を捧げる決意をした。

 遊ゴロに倒れたがいつも通り全力疾走=Mazda Zoom-Zoom スタジアム広島

 後輩へのサポートを惜しまなかった。ロッカールーム、グラウンドでの声かけはもちろん、食事に誘って野球談義をしたりと精神的な支柱の役割を担った。新井が、投手野手、若手ベテランと分け隔てなく接したことで、チーム内のすべての“壁”を取っ払われた。家族のような結束が生まれ、全員野球で「球団史上3連覇」を手にした。

 「『日本一』には届かなかったけど、『日本シリーズ』中はみんなの必死さはすごく伝わった。カープは家族と思っている。すべての選手に頑張ってほしい」

 将来的に球団は指導者としての復帰を歓迎する意向を示しているが、一度グラウンドを離れて、野球評論家として活動する予定。広島出身でカープファンのみならず全国の野球ファンに愛された名打者が静かにバットを置く。

 

 ありがとう、新井さん-。広島新井貴浩内野手が、20年間のプロ野球生活に幕を下ろした。「日本シリーズ」はソフトバンクに「1勝4敗1分け」で敗退し、新井の現役最後の試合となった。 8回、先頭打者の代打で登場し、本拠地の大歓声の中、遊ゴロ。「34年ぶり日本一」で花道を飾ることはできなかった。

   ◇   ◇   ◇

 新井コールが幾重にも連なった。 8回、代打で 2- 2から武田の直球をフルスイングした。遊ゴロ。歯を食いしばって 1塁へ疾走。全力プレーを貫いた。家族が見守る中、これが最後の打席となった。 9回は守り慣れた 1塁に入り、終戦を迎えた。ベンチで腕組みし、ソフトバンクの胴上げを見つめた。

 「最後まであきらめていなかった。もちろん悔しさもあるが、それ以上にみんなにありがとうという気持ちが強い」。敗戦直後はチームメート 1人ずつと握手して感謝を伝えた。

 体力、技術の衰えは感じない。食欲もそう。よく同席する球団スタッフは変わらぬ食事量に驚く。動体視力の低下もないという。「よくベテランが真っすぐを捉えたと思って空振りとか言うでしょ。でも自分は去年、12球団で真っすぐをヒットにする確率が一番高かったんですよ」。今季は変化球で攻められ「それを狙い打った」。まだまだ現役でやれる。でも、惜しまれつつ、ユニホームを脱ぐ。「自分が決めたことだから」と後悔はしていない。

 金本前阪神監督とチームメートだった中堅時代、大目玉を食らった。チャンスで凡退し、悔しくてベンチにヘルメットを乱暴に置いた。試合後、尊敬する兄貴分から「あの行動は何や! 野球は 1人でやるんとちゃう。チームの雰囲気が悪くなる」と殴られかけた。怒りを示すより先にやることがあると教えられた。それが今も生きている。チームは家族同然なんだと。

 遊ゴロに倒れた代打新井貴浩内野手=Mazda Zoom-Zoom スタジアム広島

 今シリーズ第5戦は 7回に代打で登場。そのまま指名打者に入ったが、延長10回は代打曽根を送られた。「自分が代わったことじゃなくて、海成、頑張れと思っていた。頼むぞと。代打でバントってすごくプレッシャーがかかる。すごいよね。一発で決めるんだから」。悔しさよりも、後輩を全力応援。その姿勢が実に新井らしい。

 「カープは家族のようなチーム。今みんなすごく結束している。引き継いでいって欲しい」。果たせなかった「日本一」は後輩に託す。記録にも記憶にも残る希代のスター。ありがとう、新井さん。感謝を込めた歓声は、いつまでも続いた。

◆新井貴浩(あらい・たかひろ)

 1977年(昭52) 1月30日、広島県生まれ。広島工-駒大を経て1998年「ドラフト6位」で広島入団。2005年に球団タイの「6試合連続本塁打」。2007年オフにFAで阪神移籍。2008年北京五輪では日本代表の「4番」を打った。同年12月から2012年まで労組プロ野球選手会会長。  2014年オフ、阪神に自由契約を申し入れ広島復帰。通算「2000安打」を達成した2016年に「打率3割、101打点」でリーグMVP。2005年「本塁打王」、2011年「打点王」。「ベストナイン」 2度、「ゴールデングラブ賞」 1度。実働20年の通算成績は「2383試合、7934打数2203安打(打率2割7分8厘)、319本塁打、1303打点」。189センチ、102キロ。右投げ右打ち。

 

 広島丸佳浩外野手=Mazda Zoom-Zoom スタジアム広島 (2018年11月 3日撮影)

 広島丸佳浩外野手は「日本シリーズ」終了後、取得しているFA権について「今のところ何も決まっていない。今日のところはまだ日本シリーズが終わったばかりなので、あまり考えられない。でも期間もあるので、しっかり考えたい」と話した。

 シーズン中から話し合いを重ねてきた球団は全力で慰留に努めるが、FA権行使も視野に入れながら検討を続ける。今季は「打率3割6厘」、ともにチームトップの「39本塁打、97打点」をマーク。 2年連続MVP有力の働きで「チーム3連覇」に貢献した。

 同じくFA権を取得してる松山は「ちょっと時間があるので、しっかり考えて良い返事ができるように」と残留を基本線に熟考していく。

 広島丸佳浩外野手=Mazda Zoom-Zoom スタジアム広島 (2018年11月 3日撮影)

 広島・丸佳浩外野手が、国内フリーエージェント(FA)権を行使する可能性があることが 3日、分かった。

 球団幹部は「選手の権利。他球団の評価を聞きたいのなら、聞いてみてもいい。チームにとって大事な選手なので残ってほしい。出せる金額は限られているけど、誠意は尽くす」とFA宣言残留を認めて待つ姿勢であることを明かした。

 丸は昨季セ・リーグの最優秀選手に輝き、今季も 4月に右太ももを痛めて約 1カ月離脱したが「打率0.306、39本塁打、97打点」で「優勝」に貢献した。広島ではこれまで、FA権を行使しての宣言残留は基本的に認められていなかったが、欠かせない戦力であることから異例の対応を取る。

 試合後、丸は「今のところは何も決まっていない。期間もあるのでしっかり考えたい」と話すにとどめた。「日本シリーズ」では 6試合で「打率0.160、12三振」と不振だったが、巨人や丸の出身地・千葉が本拠地のロッテなどが獲得調査を続けている。

■丸佳浩外野手との残留交渉について広島・鈴木清明球団本部長

 「これまでも話はしてきた。これからも機会があれば話はします」

 

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