ロンドン五輪第12日( 7日)卓球女子団体決勝を行い、五輪で男女を通じて初のメダルが確定していた福原愛(23=ANA)、石川佳純(19=全農)、平野早矢香(27=ミキハウス)の卓球 3姉妹の日本は 0- 3で日本は前回北京大会優勝の中国にストレートで敗れた。第 1試合のシングルスで福原愛が李暁霞に 1― 3で敗れ、第 2試合は石川佳純が世界ランキング 1位の丁寧に 0― 3。石川と平野早矢香が組んだ第 3試合のダブルスでも平野、石川組が郭躍、李暁霞組に 1- 3で押し切られ勝てず日本卓球史上初めての五輪メダルは銀となった。
以前の 3人は仲間意識よりもライバル心が強かった。女子の村上恭和監督(54)は「仲良し 3人組で強くなれるわけがない。対抗意識があったからこそ成長した」と言う。
火の鳥が、“不死鳥”になった。女子バレーが準々決勝を行い、世界ランキング 5位の日本は同 3位で北京五輪銅メダルの中国に 3- 2で勝利。1988年ソウル大会以来24年ぶりとなるベスト 4進出を決めた。木村沙織(25=東レ)と江畑幸子(22=日立)がともに33得点と活躍した。日本女子が五輪で中国を破ったのは 6度目の対戦で初めて。 5セットいずれも 2点差という大接戦をものにし、1984年ロサンゼルス大会銅メダル以来、28年ぶりのメダルへあと 1勝とした。 9日(日本時間10日未明)の準決勝でロシア-ブラジルの勝者と対戦する。
ロンドン五輪第12日( 7日)シンクロナイズドスイミングのデュエット決勝のフリールーティン(FR)が行われ、乾友紀子、小林千紗組(井村シンクロワ)は93.540点。 5日のテクニカルルーティン(TR)との合計 186.740点で 5位に終わった。記事をまとめてみました。
ロンドン五輪第12日( 7日)卓球女子団体決勝を行い、五輪で男女を通じて初のメダルが確定していた福原愛、石川佳純、平野早矢香の日本は 0- 3で日本は前回北京大会優勝の中国にストレートで敗れた。第 1試合のシングルスで福原愛が李暁霞に 1― 3で敗れ、第 2試合は石川佳純が世界ランキング 1位の丁寧に 0― 3。石川と平野早矢香が組んだ第 3試合のダブルスでも平野、石川組が郭躍、李暁霞組に 1- 3で押し切られ勝てず日本卓球史上初めての五輪メダルは銀となった。
中国の壁は、やはり高かった。日本卓球界にとって歴史に残る初の五輪決勝は、力及ばず完敗。それでも、表彰式で首にかけられた五輪メダルは鮮やかな銀色に輝いていた。 3人の笑顔も同じように輝いていた。そして福原は感慨に浸った。
喜びと充実感が体を包み込んだ。表彰台で銀メダルを首から下げた日本の 3人娘は、満面の笑みをたたえて手を取り合った。福原が 3人の気持ちを代弁した。
「メダルは決まっていたけど、実感は湧いていなかった。表彰台でメダルをかけてもらって、夢じゃないんだな、、夢がかなったと思いました。メダル自体もかなり重いけど、ここまで来るのに支えてきてくれた人や、応援してもらった人の思いがたくさん詰まったメダルなので、もっと重く感じます」
銀メダルを手に笑顔の(左から)福原愛、平野早矢香、石川佳純
日本卓球史上初の決勝の舞台は、観客席で赤い中国旗が揺れ「加油(頑張れ)!!」の大合唱。北京五輪の会場かと思ってしまうほど完全アウェーの雰囲気の中、福原は第 1試合の単に登場し、今大会の単を制した李暁霞に 1- 3で敗れた。単 2人目の石川、続く複も敗れて金メダルの夢は消えたが、村上恭和監督は「福原は第 2ゲームを逆転で奪い、石川、平野もよく頑張った。銀メダルにふさわしいチーム」と健闘をたたえた。
第 1試合の福原が流れをつくりかけた。シングルス金メダルの李暁霞に第 1ゲームを落として迎えた第 2ゲーム。 5― 9からの 6連続得点で奪取した。だが、そこまで。その後の 2ゲームを連取された。続く石川はシングルス銀メダルの丁寧に第 2ゲームでジュースまで持ち込む場面もあったがストレート負け。最年長の平野と組んだダブルスでも 1ゲームを奪うのがやっとだった。
男女通じて日本卓球初のメダル獲得。ここまでの道のりは平たんではなかった。福原は昨夏、右肘痛で休養を余儀なくされ、石川も今年 2月に腰痛で大会を欠場。平野はせきに悩まされ、 6月は 2週間も練習ができなかった。今はラケットを力いっぱい振れる。その喜びを感じながら、 3人が全力で戦い抜いた。
ポイントを奪ってガッツポーズの石川佳純(左)と平野早矢香
以前の 3人は仲間意識よりもライバル心が強かった。女子の村上恭和監督は「仲良し 3人組で強くなれるわけがない。対抗意識があったからこそ成長した」と言う。五輪シングルスのシード争いを続けた福原と石川は国際大会の遠征先で言葉を交わさないこともあった。一枚岩でなかった 3人は今春の世界選手権団体で 6大会ぶりにメダルを逃した。チームは崩壊寸前だった。
だが 3人が代表に決まると合宿などで一緒の時間を共有し、絆は深まった。まとめ役は最年長の平野。準決勝の前夜は福原と深夜まで語り合い、石川には対戦選手の情報を細かく伝えた。福原は平野に「お互い頼って頼られる信頼関係がある。私の性格を一番知り尽くしている」と感謝する。福原はおっとりした性格ながらプレーは速攻が武器。石川は左利きで大胆なプレーが持ち味。平野は真面目な性格で粘りが身上だ。認め合い、競い合った3つの個性が心を一つにして戦い抜いた五輪。メダルの色は「銀」でも、その輝きが消えることはない。
決勝で敗れはしたが、1988年ソウル五輪から採用された卓球競技で日本史上初のメダル獲得は、歴史を変えた。村上恭和監督は「初めて大舞台の決勝に上がり、ひるむことなくよく戦った」と選手たちをたたえた。
サーブを放つ福原愛
福原は 3歳で卓球を始め、「天才少女」として早くから全国で知られた。15歳だった青森山田高 1年時に2004年アテネ五輪に初出場したが、周囲に五輪のメダルを取りたいと言ったことは一度もなかった。座右の銘は「一意専心」。次の試合に向け、毎日コツコツ練習してきた。
変化があったのは昨年 5月。ロッテルダム世界選手権の混複で銅メダルを獲得し、東日本大震災で被災した仙台市を慰問に訪れた。生まれてから小 4まで過ごした思い出の地には地震や津波の爪痕が生々しく残り、街の姿は変わり果てていた。
避難所で家や家族を失った子どもたちと一緒に卓球をすると、子どもたちが笑顔になるのがわかった。そして、強い決意が芽生えた。「被災地の子どもたちのためにも五輪でメダルを取る」。仙台から戻り、母・千代さん(61)に伝えた。千代さんがそんなことを聞いたのは初めてだった。
震災直後の昨年3月末には、段ボール 600箱に及ぶ救援物資を手配。遠征などで海外にいることも多かったが、心はいつも被災地とともにあった。「少しでも元気になってもらえたら」との思いで戦い、初めて手にした五輪のメダル。「支えてもらった人の思いも詰まっていると思う」。その重さをかみしめながら、再び被災地を訪れるつもりだ。
福原は「昨年の世界選手権の混合ダブルスで銅メダルを取って、被災地に持って行ったら本当に喜んでいただけた。次はロンドンで五輪のメダルを取って帰ると決めていたので、とてもうれしい」と、涙はなく、笑顔を見せた。
次は打倒王者が目標になってくる。石川は「技術的にも精神的にも強くなって、 4年後はもっと実力を上げて、中国に挑戦できる実力をつけたい」と誓った。
火の鳥が、“不死鳥”になった。女子準々決勝で、 1次リーグA組 3位の日本は同B組 2位の中国をフルセットの大接戦の末に 3― 2で下し、1988年ソウル五輪以来24年ぶりの 4強入りを果たした。木村沙織と江畑幸子がともに33得点と活躍した。五輪の中国戦は 6戦目で初勝利。1984年ロサンゼルス五輪の銅メダル以来28年ぶりのメダル獲得に王手をかけた。 9日(日本時間10日午前 3時30分)の準決勝ではロシア―ブラジルの勝者と対戦する。
5セットとも 2点差決着の死闘。 2度目のマッチポイントで最後は中道瞳(26=東レ)のサーブが相手のレシーブをを乱した。泣き崩れる中国選手。反対側のコートでは火の鳥ニッポンの歓喜の輪が広がった。 2時間13分のフルセットの大接戦を制し五輪で初の中国撃破。日本選手たちは、観衆にスタンディングオベーションで称えられた。
24年ぶりのベスト 4が決まると、エース木村沙織はメンバー11人とコート上で重なり合った。
五輪 6度目の対戦で初めて中国を破り、24年ぶりの 4強入りを果たした真鍋ジャパン。寝転がる木村(中央下18番)ら選手たちは、コートの上に重なり合って大喜びだ
エース木村は「この一戦に勝つためにやってきた。本当に凄い得点の凄い試合になったけれど、勝つ強い気持ちを最後まで持ってた。すべて出し切れた。勝ててよかった」と言って、目を真っ赤にして喜んだ。拾って、拾いまくる日本バレーの神髄を見せつけた。竹下は体をなげうって、片手で拾う好レシーブを連発。新鍋はコートサイドのボードに激突した。コートにいる 6人が全力で拾った。そして、つないだボールを決めたのがエースの 2人だった。
ボールを拾いまくるニッポンバレーの真骨頂が発揮された。中国とは五輪で過去 5度対戦し 1セットも奪えず完敗。平均身長では約 9センチも下回った。データ的には絶対的不利な状況で、試合中に多機能端末「iPad」を駆使する真鍋政義監督'48)のIDバレーが奇跡を起こす。木村と江畑幸子(22=日立)の両エースがそろって両軍最多33得点と、大車輪の活躍だった。
第 1セット、ボールに飛びつく江畑幸子(手前)、新鍋理沙
木村にとって 3度目の正直だった。アテネ、北京大会とも準々決勝で敗れ 5位。背水の陣で臨む今大会前、大きな決断を下した。東京・下北沢成徳高卒業後から 7年間在籍した東レを 9月いっぱいで退団。10月にトルコの強豪ワクフバンクへ移籍すると表明した。
オファーは 5月の五輪最終予選前に届いた。 1位通過を目指した大会でまさかの 4位。ギリギリでのロンドン切符に、世界との実力差を痛感。迷いは消え、初の海外挑戦を決めた。長時間のフライトは苦手で、大好きな長風呂にもつかれなくなる。“マイペース”なサオリンが、真のエースとして覚醒しつつある。
日本―中国の第 3セット、ポイントを奪い喜ぶ荒木( 5)、木村(18)ら
第 1セット、先にセットポイントを奪われた22―24のピンチの場面で、木村が強打で流れを変えた。27―26からはバックアタックを強引に押し込み五輪で中国から初めてセットを奪取。第 2セットは23―25で落とした。
先発選手の平均身長が 1メートル86.8で日本より約10センチ高い北京五輪 3位の中国の高さに苦しんだ。それでも、第 3セットになると、今度はもう一人のエース江畑がエンジン全開。スパイクを次々と叩き込んで、255―23で奪い返した。第 4セットは再び23―25。最終セットは14―15と先に中国にマッチポイントを握られたが、このピンチを江畑が決めてしのいだ。江畑は「最高にうれしい。チームメートを信じて、思い切り打とうと思った」と笑顔ではしゃいだ。
中国との接戦を制して喜ぶ竹下佳江ら(右から 2人目)
木村と江畑はともに33得点。 2人でチームの得点の69%を占めた。真鍋政義監督は「身長の低い日本が勝つには拾いまくるしかない。最後はハートの勝負だった。大一番で木村と江畑の両エースがよく打ってくれた」と 2人を称えた。
2004年アテネ、2008年北京も準々決勝敗退。大きな壁を打ち破った。 3度目の五輪の木村は「凄く大きな 1勝。目標のメダルにつながってよかった」と言った。目標のメダル獲得まであと 1勝。日本女子バレー28年ぶりの悲願に大きく前進した。
28年ぶりのメダルまであと 1勝。相手はロシア-ブラジルの勝者ブラジルだ。かつてのお家芸復活へ、真鍋ジャパンが一丸となって“新・東洋の魔女”を襲名する。
シンクロナイズドスイミングデュエット・フリールーティン決勝 5位になった乾(右)、小林組の演技
ロンドン五輪第12日( 7日)シンクロナイズドスイミングのデュエット決勝のフリールーティン(FR)が行われ、乾友紀子、小林千紗組は93.540点。 5日のテクニカルルーティン(TR)との合計 186.740点で 5位に終わった。正式種目となった1984年のロサンゼルス五輪でシンクロが採用されて以来、日本は初めてこの種目でメダルを逃した。
イーシェンコ、ロマシナ組が合計 197.100点で優勝し、ロシア勢が 4連覇。カルボネル、フエンテス組(スペイン)が 2位、黄雪辰、劉鴎組(中国)が 3位だった。日本ペアはTRで93.200点の 5位につけていた。
決勝は予選上位12組で争い、乾、小林組は最終12番目に演技した。
日本卓球の福原愛、石川佳純、平野早矢香 3姉妹は、全力を出しての銀メダルだったが、今まで経験していなかった 3位迄に入れただけでも良かったですね。これからの日本女子卓球を引っ張っていって欲しいと思います。
火の鳥が、“不死鳥(フェニクス)”になった!火の鳥が火の中に飛び込み、一度死ぬと“不死鳥(フェニクス)”となって蘇ってくる。これを行ったのが、今回の女子バレーボールだった。24年ぶりの 4強入りを果たしたが、それよりも48年ぶりの記録塗り替えをして欲しいですね。
残念だったのが、シンクロナイズドスイミングだった。FRとTRの合計 186.740点で 5位に終わったが、全力投球しての成績ならまだまだ力を付ける事で前進できる。頑張って行って欲しいですね。
まだまだ決勝まで日にちが残っている日本チーム陣には、現地できるトレーニングで良い成績を残して貰いたい。悔いのない結果で帰ってきて欲しいですね。
ガンバレ!日本!
ロンドン五輪競技日程表
「公益財団法人日本オリンピック委員会」のサイトは、次のURLになります。
http://www.joc.or.jp/games/olympic/london/
こちらでは、会場マップ.実施競技・種目比較.日本の大会参加状況等ロンドン五輪情報関係がご覧頂けます。
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日本卓球 3姉妹は銀 中国に完敗も日本卓球史上初メダル!火の鳥が“不死鳥”になった!
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