鶴屋南北の「東海道四谷怪談」で知られる「於岩さん」が信心したお稲荷さんを祀ったと言われる「於岩稲荷田宮神社」と「於岩稲荷霊神」を祀る縁結びのお寺「陽運寺」に行ってきました。
□の場所が、「於岩稲荷田宮神社」と「於岩稲荷霊神」を祀る縁結びのお寺「陽運寺」の場所です。
「陽運寺」に到着しました。入口には、「於岩稲荷霊神」の幟旗が出ていました。
入口を入ると小さなお稲荷さんの祠が有りましたが、ここが御本殿(お岩稲荷霊堂)では有りません。
奥に進むと、「お岩稲荷霊堂再建記念碑」が有りました。
「お岩稲荷霊堂再建記念碑」の先には、「水かけ福寿菩薩」様がいらっしゃいました。
その隣には、「お岩さま縁の井戸」が有りました。お岩様がこの井戸を使ったのでしょうね。
こちらが、「お岩稲荷霊堂」です。
「陽運寺」の反対側に有るのが、「於岩稲荷田宮神社」です。
ここ「於岩稲荷田宮神社」は、もともとは「田宮家」の屋敷社で、岩という女性が江戸時代初期に稲荷神社を勧請したことが由来といわれています。
「於岩さん」については、様々なバリエーションが有ります。どれが本当なのかは分かりません。また、元になったとされる人物にもいくつもの説がが有ります。
元禄時代の少し前の事、四谷左門町と言う所に田宮伊衛門と於岩という夫婦が住んでいました。於岩の顔は顔が醜く腫れ上がっていましたが、気立てはよく、夫婦仲むつまじく暮らしていました。
田宮伊衛門の上役に伊東喜兵衛という老人がいました。伊東喜兵衛の若い妾おことが妊娠したことを知り、困った伊東喜兵衛は以前からおことに惚れていた田宮伊衛門に話しを持ちかけ、田宮伊衛門は上役とおことへのおべっかという色と欲に目がくらみ、わざと家財道具を売り払って酒代に換えたりして於岩さんが愛想をつかす様に仕向け、於岩さんは旗本の元に奉公に出ます。
そうすると、田宮伊衛門はおことをすぐに屋敷に迎え入れてしまいました。それを知った於岩さんは逆上して、町中を半狂乱になって廻った末に、行方不明になってしまいました。
人々は「むごいことよ」と噂しました。
その後、田宮家・伊東家には怪しいことばかりが続き、伊東喜兵衛は変死、おことは殺され、田宮伊衛門も狂死したそうです。田宮家は、お家断絶となりました。
これは、当時の俗説をまとめて奉行所に提出された「書上」に見られる話しです。
これを下書きにして書かれたのが、鶴屋南北の「東海道四谷怪談」なのです。
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「東海道四谷怪談」で知られる、「於岩さん」に関する「於岩稲荷田宮神社」に行ってきました…
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