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Channel: 阪神ファンの障碍(害)者アスリート・虎ちゃん77のスポーツ日記
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新宿区の笹寺(曹洞宗 長善寺),多武峯内藤神社を巡ってきました…

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 「於岩稲荷田宮神社」からあまり離れていない場所に、「笹寺(曹洞宗 長善寺)」が有りました。

阪神ファンのアスリート・虎ちゃん77のスポーツ日記-於岩稲荷田宮神社,笹寺,多武峯神社付近
 □の部分が、「於岩稲荷田宮神社」,「笹寺(曹洞宗 長善寺)」,「多武峯内藤神社」それぞれの場所です。

阪神ファンのアスリート・虎ちゃん77のスポーツ日記-笹寺
阪神ファンのアスリート・虎ちゃん77のスポーツ日記-笹寺
 「笹寺(曹洞宗 長善寺)」に到着しました。

$阪神ファンのアスリート・虎ちゃん77のスポーツ日記-笹寺
 「笹寺(曹洞宗 長善寺)」」は、天正 3年、『甲陽軍艦』の著者として知られる甲斐国(山梨県)武田氏の臣高坂弾正昌信の居所にむすばれた草庵から起こった。開山は文叟憐学和尚で、本尊の釈迦如来石像は元禄 3年(1690年) 7月に造られたものである。
 この寺は「笹寺」とも呼ばれているが、この名は、二代将軍徳川秀忠が鷹狩の途中ここに立ち寄り、境内に笹が茂っているのを見てつけたものだとも(『江戸名所図会』など)、それは三代将軍徳川家光が江戸巡覧をした時のことだとも(寺伝)いわれる。この二説には、いずれも確実な根拠があるわけでないから、どちらが正しいとは分からない。


$阪神ファンのアスリート・虎ちゃん77のスポーツ日記-笹寺
 「笹寺(曹洞宗 長善寺)」の宝物となっている「めのう観音」(区指定文化財)が秀忠の念持仏で、秀忠の死後に夫人の崇源院が寄贈したという伝えや(婦人の念持仏であるとの説もある)、開山の、文叟憐学和尚が寛永 9年(1632年)に没していること等を考え合わせると、将軍秀忠の時代のことと考える方が自然のようです。

$阪神ファンのアスリート・虎ちゃん77のスポーツ日記-笹寺
 「笹寺(曹洞宗 長善寺)」には「四谷勧進角力始祖」と刻まれた 3m程の石碑がある。これは力士明石志賀之助が寛永元年に境内で 6日間の相撲興行をしたのを、江戸の勧進相撲のはじめとして「東京角力協会」が建てたものです。

 続いて、「多武峯内藤神社」を巡ってきました。

阪神ファンのアスリート・虎ちゃん77のスポーツ日記-多武峯神社 - JR千駄ヶ谷駅付近
 □の部分が、「多武峯内藤神社」です。
 「新宿御苑」の隣にありますが、元々内藤新宿の一部でしたし、内藤清成公の広大な屋敷跡ですから当然の事でしょう。

阪神ファンのアスリート・虎ちゃん77のスポーツ日記-多武峯内藤神社
阪神ファンのアスリート・虎ちゃん77のスポーツ日記-多武峯内藤神社
阪神ファンのアスリート・虎ちゃん77のスポーツ日記-多武峯内藤神社
阪神ファンのアスリート・虎ちゃん77のスポーツ日記-多武峯内藤神社
 「多武峯内藤神社」」に到着しました。

阪神ファンのアスリート・虎ちゃん77のスポーツ日記-多武峯内藤神社
阪神ファンのアスリート・虎ちゃん77のスポーツ日記-多武峯内藤神社
阪神ファンのアスリート・虎ちゃん77のスポーツ日記-多武峯内藤神社
阪神ファンのアスリート・虎ちゃん77のスポーツ日記-多武峯内藤神社
 ここには、「伝説の駿馬塚」が有り塚の近くには馬小屋をかたどった祠が有りました。
 内藤清成公が広大な屋敷(現「新宿御苑)を拝領する「駿馬伝説」に登場する白馬の塚がこの塚だそうです。

阪神ファンのアスリート・虎ちゃん77のスポーツ日記-三菱鉛筆
阪神ファンのアスリート・虎ちゃん77のスポーツ日記-三菱鉛筆
 昔この地に「三菱鉛筆」の工場が有ったそうで、その記念に記念碑が有りました。

 この後、「千駄ヶ谷駅」方面に向かいました。









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