第94回全国高校野球選手権・第 7日(15日、秋田商 8- 3福井工大福井、甲子園) 2回戦 4試合を行い、東北勢 3校が登場し、仙台育英(宮城)、秋田商(秋田)、倉敷商(岡山)、明徳義塾(高知)が勝って 3回戦に進んだ。49代表の最後に登場した秋田商は、 1回に 2点を先制されたが、相手投手の制球の乱れをついてすぐに 4- 2と逆転。 8- 3で福井工大福井を下し、太田直監督(33)がヤクルト・石川とバッテリーを組んでいた1997年以来、夏15年ぶりの勝利を飾った。16強入りは32年ぶり。記事をまとめてみました。
東北勢 3校が登場し、秋田商(秋田)と仙台育英(宮城)が 3回戦進出を決めた。49代表校の最後に登場した秋田商は、 9安打 8得点で福井工大福井に逆転勝ち。太田直監督(33)がヤクルト・石川とバッテリーを組んでいた1997年以来、15年ぶりの夏 1勝で16強入りは32年ぶり。酒田南(山形)はエース右腕・会田隆一郎( 3年)が投打に奮闘も、明徳義塾(高知)に惜敗した。
秋田商のエース近藤は 6回 3失点。秋田大会準決勝でバントした際、ボールとバットの間に右人さし指が挟まり、決勝後に 9針縫った。本格的に投球を再開したのは 5日の組み合わせ抽選会後。代表49校で最後の登場となったことで治す時間が得られたため「最後のくじを引いた主将のおかげ」とバッテリーを組む三浦健に感謝した。
いまも黒ずんだかさぶたが残るものの投球に影響はなかったという。 185センチの長身から力のある直球を投げ下ろして試合をつくった。「次はもっといい投球をして仲間を助けたい」と威勢が良かった。
秋田商エース近藤卓也
秋田商が相手投手の乱調で得た好機を逃さなかった。 1回は 1- 2とした後、 3連続四死球で同点。さらに三浦健の 2点適時打でこの回 4点を挙げた。 3回は 3四球で無死満塁としスクイズなどで 2点を加え、投げては近藤、阿部のリレーで反撃をかわした。
福井工大福井は先発・菅原の制球難から主導権を失い、打線もつながりを欠いた。
圧倒的不利とされるしんがり校がダークホースへと躍り出た。49代表の最後に登場した秋田商が、開幕戦で勝利した福井工大福井を逆転で撃破。太田監督は「勝ったことのないことにとらわれず、勝ちを意識させなかった」と無欲を強調し、15年ぶりに夏の聖地に校歌をとどろかせた。
待ちに待った聖地で、生き生きとプレーした。秋田商が49代表の最後に登場。地方大会のチーム打率 2割 2分 6厘も49代表の最後、いや最低だったが一か八かの賭けに出た。“奇策”を駆使して勝利をつかんだ。
「ホッとしています。生徒がよく頑張ってくれました」と太田監督。満面の笑みで選手をたたえた。
2回、左越え本塁打を放った秋田商・大関
相手先発・菅原はナックルカーブを武器に常葉学園橘との 1回戦で10三振を奪った。右腕を攻略するのは容易ではないと思われた。初回にいきなり 2失点したが、指揮官の狙いは明快だった。指揮官は、ボールになる変化球を振らせていただけと見破り相手のナックルカーブ右腕・菅原秀を攻略するために出した指令は「追い込まれてもいい。 2ストライクまで待て」と指示。 2ストライクまで徹底的に見送った。普通にやったら勝てない―。弱者の兵法が当たった。三振覚悟の待球作戦が、 1回の 5四死球からの 4得点につながった。 3回までに 8四死球で自滅を誘って 7得点した。
対戦相手が福井工大福井に決まってから、午前と夜にミーティングを行った。「ここまで相手を研究したことはない」と 2番手で投げた阿部が振り返る。勝利への執念が実った。
逆境をはね返す根性は15年前と変わらない。太田監督は、ヤクルト・石川雅規とのバッテリーで1997年に逆転サヨナラ勝ちで夏 1勝を挙げた際の主将だ。秋田商の白星は、太田監督がヤクルト・石川とバッテリーを組んで出場した1997年以来だ。秋田大会前、当時のことを取り上げた新聞記事を基にミーティング。「諦めない大切さを知ってほしかった」。注入した“秋商魂”は 9回二死から 2点差を逆転した秋田大会決勝(対能代商)、そしてマンモスで確かにきらめいた。
2回無死、秋田商・大関(中央)の左越えソロでベンチのナインは大喜び
石川は選手のあこがれの存在で、部室にはヤクルトで通算 100勝を挙げた記念のユニホームとグラブが飾られてある。頻繁に「頑張れ」と激励のメッセージをくれる先輩に勝利で応えた。
「太田先生のとき以来の勝利。うれしいです」と主将の三浦健。秋田商ナインに15年ぶりの笑顔がはじけた。
長期戦の難しさも乗り越えた。初陣までの長い期間を利用し、10日は神戸港の遊覧船で観光した。しかし翌日の練習で移動中に寝る者がいた。「オフの翌日は気が緩むのは普段と一緒。だらしない!」と一喝。49代表制になって以降、しんがり校は昨年まで 7勝27敗 1分けというデータを覆した。32年ぶりに16強入りし、指揮官は「甲子園は何が起こるか分からない」と不敵にほほ笑む。メンバー18人全員が県内出身者の“秋田の雄”に警戒せよ。
3回裏秋田商一死満塁、スクイズバントを成功させた柳田
★燕・石川雅規、練習中も試合チェック
秋田商で太田監督とバッテリーを組み、青学大野球部でも同期だったヤクルト・石川は戸田での練習中も試合をチェック。「すごく落ち着いていて、後輩たちが頼もしく感じた。久々に母校の校歌を聞いて、当時を思いだした。今のチームで戦えるのは最後。悔いを残さないようにしてもらいたい」と母校の勝利に喜びの声をあげた。大会前にはミズノ社を通じてボール40ダース、ジャージーなど約 100万円分を寄付。現在石川は 2軍で調整中、数日前に太田監督に「頑張れ」とメールすると「お前も頑張れ」と励まされたという。
【戦評】
秋田商が相手投手の乱調で得た好機を逃さなかった。 1回は 1- 2とした後、 3連続四死球で同点。さらに三浦健の 2点適時打でこの回 4点を挙げた。 3回は 3四球で無死満塁としスクイズなどで 2点を加え、投げては近藤、阿部のリレーで反撃をかわした。
福井工大福井は先発・菅原の制球難から主導権を失い、打線もつながりを欠いた。
ヤクルト石川雅規投手 2011年(明治神宮野球場)
▽ヤクルト・石川 雅規(いしかわ まさのり、1980年1月22日生まれ、32歳):公称167cmの小柄な体格から、「小さな巨人」といったキャッチフレーズが用いられている。
秋田市立秋田商業高等学校ではエースとして、第79回全国高等学校野球選手権大会に出場した。 1回戦の対島根県立浜田高等学校戦では、和田毅との投げ合いを制して完投勝利を挙げた。続く 2回戦の対沖縄県立浦添商業高等学校戦では完投するも8失点を許し、チームは敗退した。同年代の藤田太陽、仁部智、後松重栄と共に秋田県内では注目される存在だった。
1998年に青山学院大学へ進学。スクリューボールを習得し、東都大学リーグではエースとして活躍した。対創価大学戦では延長18回を完投した。大学 3年生でシドニーオリンピックに出場。予選では、後にヤクルトスワローズで同僚となる古田敦也とバッテリーを組んだ。大学時代の通算記録は、51試合23勝 8敗、防御率1.63、 284奪三振。最高殊勲選手 1回( 2年生春)、最優秀投手 3回( 2年生春・秋、 4年生春)、ベストナイン 3回( 2年生春・秋、 4年生春)を受賞した。
2001年、自由獲得枠でヤクルトスワローズに入団。 ちなみに秋田北中で 1年先輩だった鎌田祐哉も前年度ヤクルトに入団している。
ヤクルトでは球団史上初、セ・ リーグでは堀内恒夫・江夏豊に次ぐ 3人目の、入団から 5年連続の2桁勝利を達成した。
地方大会のチーム打率 2割 2分 6厘も49代表の中仲で最低だろうが何だろうが、勝てば良いのだ。弱者でも勝てるという試合を行えば必ず勝てるという試合をするだけだろう。
先日の済々黌 3- 1鳴門でも済々黌が見せてくれた。強い物だけが勝ち残るのでは無い。弱者にもそれなりに路は有るんだという試合が行われてこそ、高校野球の楽しみでは無いだろうか。
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夏の甲子園、秋田商15年ぶり夏勝った!32年ぶりの16強入り!
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