大阪桐蔭が春夏連覇を飾った。連投のエース藤浪晋太郎投手( 3年)が強打の光星学院(青森)を 2安打に抑え、 2試合連続完封で栄冠を手にした。
大阪桐蔭は藤浪)が 2安打完封。直球が抜けることも多かったが、スライダーなどの変化球がコースに決まり、14三振を奪い、光星学院(青森)に 3- 0で勝ち、作新学院(栃木)、中京商(現中京大中京=愛知)、箕島(和歌山)、PL学園(大阪)、横浜(神奈川)、興南(沖縄)に続き、優勝候補にふさわしい戦いぶりで史上 7校目の春夏連覇を達成した。
光星学院(青森)の金沢は厳しいコースを見極められて四死球がかさんだ。粘り強く投げていたが、 5回の失策による失点が痛かった。記事をまとめてみました。
大阪桐蔭が史上 7校目の春夏連覇を達成した。 4回に先頭の 7番・白水の中越えソロで先制。さらに 5回無死 1、 2塁、相手がバント安打の処理で悪送球し 2点を追加し逃げ切った。エースの藤浪は、猛打の光星学院打線を 2安打完封。
大阪桐蔭は 3度目の全国制覇で、春夏合わせて 4度目の優勝。光星学院は 3季連続の準優勝となった。
力投する大阪桐蔭の藤浪晋太郎投手
大阪桐蔭が春夏連覇を飾った。連投のエース藤浪が強打の光星学院を 2安打に抑え、 2試合連続完封で栄冠を手にした。警戒していた田村、北條を 1安打に封じた藤浪は「あの 2人がキーマンだったので、しっかり抑えようと思っていきました。やってきたことが間違ってなかったと証明できました」と話した。西谷監督は「臆することなく、春夏連覇をとりにいこうと言ってました。藤浪は 3年間で最高の投球をしてくれました」とたたえた。
完封で春夏連覇を果たし、ガッツポーズで喜ぶ藤浪晋太郎投手と森の大阪桐蔭バッテリー
春は接戦を勝ち抜いた大阪桐蔭は、今大会は一度もリードを許さず、光星学院に 3- 0で勝ち、優勝候補にふさわしい戦いぶりで史上 7校目の春夏連覇を達成した。
作新学院、中京商、箕島、PL学園、横浜、興南に続き、優勝候補にふさわしい戦いぶりで史上 7校目の春夏連覇を達成した。大阪桐蔭は 3度目の全国制覇で、春夏合わせて 4度目の優勝。大阪勢は夏11度目、春夏合わせて20度目の甲子園制覇となった。光星学院は 3季連続の準優勝となった。
4回裏大阪桐蔭無死、白水が中越えに先制本塁打を放った。投手金沢
初めて偉業を成し遂げたのは1962年の作新学院。エース八木沢荘六(67・元ロッテオリオンズ)が夏の甲子園大会では赤痢で登板できなかったが、 2番手の加藤斌(かとう たけし・満20歳没・元中日ドラゴンズ )が準決勝、決勝で完封する快投を演じた。
1966年の中京商は決勝で、春は土佐(高知)、夏は松山商(愛媛)の四国勢を下し、甲子園大会通算10度目の優勝を遂げた。
1979年には尾藤監督率いる箕島が、夏の 3回戦で星稜(石川)との延長18回の死闘を乗り越えて栄冠を勝ち取った。公立校で春夏連覇を成し遂げたのは箕島だけ。
1987年のPL学園は立浪和義(46・元中日ドラゴンズ )、片岡篤史(43・元日本ハムファイターズ )、宮本慎也(41・元東京ヤクルトスワローズ)、野村弘樹(43・元横浜ベイスターズ)らその後プロで活躍する選手をそろえ、桑田真澄(44・元読売ジャイアンツ)、清原和博(45・元西武ライオンズ )の“KKコンビ”でも届かなかった快挙を達成した。
1998年の横浜もドラマチックだった。夏は準々決勝で延長17回の末にPL学園を振り切り、準決勝は 0- 6から 8、 9回に 7点を挙げて明徳義塾(高知)に逆転勝ち。さらに決勝では松坂大輔(31・元西武ライオンズ・現ボストン・レッドソックス)が無安打無得点試合を演じ、偉業に花を添えた。
2010年の興南は左腕島袋洋奨(現中央大學)の力投と強打線で勝ち進んだ。夏の決勝は13- 1で東海大相模(神奈川)に大勝し、深紅の大優勝旗が初めて沖縄に渡った。
4回裏、先制本塁打を放ちガッツポーズする大阪桐蔭・白水
大阪桐蔭は藤浪が 2安打完封。直球が抜けることも多かったが、スライダーなどの変化球がコースに決まり、14三振を奪った。気迫を前面に押し出して、光星学院の 4番北條には安打を許さなかった。攻撃では 4回、白水の中越え本塁打で先制すると、 5回には 3本の内野安打と相手の失策で 2点を追加してエースを援護し、藤浪が光星学院の 3番田村、 4番北條から 2三振ずつ奪うなど好投し、準決勝に続いて完封した。
光星学院の金沢は厳しいコースを見極められて四死球がかさんだ。粘り強く投げていたが、 5回の失策による失点が痛かった。
史上 7校目の春夏連覇を果たし、喜ぶ大阪桐蔭ナイン
光星学院は 3季連続で準優勝となった。同じ相手と戦った今春センバツ決勝の雪辱を期していたが、打線が 2安打に封じられ、完封負けを喫した。 4回にソロ本塁打で先制を許すと、 5回にはバント守備での悪送球で 2点を与えてしまった。
仲井宗基監督(42)は「完敗です。 3季連続で準優勝しても、もっともっとやらなくてはいけないということ。地力はついてきたと思うけど、最後に力が出ないのは、やってきたつもりということ。つもりではダメ。(相手エースの)藤浪君に力負け。プラス、自分たちのミスでほころびが出た」と唇をかんだ。
注目の 3番田村龍弘捕手( 3年)は 4打数 1安打、 4番北條史也内野手( 3年)は 4打数無安打。ともに 2三振を喫した。
▽大阪桐蔭・西谷監督の話:優勝はみんなの集中力のたまもの。藤浪は3年間で最高のピッチングを最後にやってくれた。選手にはよくやったと褒めてやりたい
▽光星学院・仲井監督の話:力負けした。自らほころんだ部分もあった。厳しい中で、自分たちの野球をやる強さが足りなかった
▽巨人・坂本勇人内野手(光星学院OB)の話:決勝まで進んだことは本当にすごいこと。レベルの高いところで決勝に行くのは、すごい努力をしたと思う。またチャンスがあると思うので、次は優勝してくれると思う。 3年生にはお疲れさまと言いたい。後輩に負けないように活躍して頑張りたいですね。
(ヤクルト―巨人17回戦は23日、神宮球場で行われ、首位の巨人が 4― 2と逆転勝ち、引き分けを挟んで 5連勝を飾り、貯金を今季最多の32とした。中日が阪神に敗れたため、リーグ優勝へ「マジックナンバー30」が点灯した。残り試合は36。)
▽日本ハム中田翔内野手(大阪桐蔭OB)の話:自分たちができなかった優勝を、春夏両方やってすごいなと思う。プロの世界で早く見たいなと思う。
▽<阪神 6- 3中日>◇23日◇倉敷で、中日平田良介外野手(24・大阪桐蔭OB)が先制点をたたき出した。 2回一死 3塁から、阪神岩田(大阪桐蔭OB)のカーブを右中間へ適時 2塁打。「ホームランを狙って思い切り行きました。いい感じで(打球が)上がりました」と納得のコメント。この日、母校の大阪桐蔭が春夏連覇の偉業を達成。後輩たちの活躍を少しだけテレビで観戦して刺激を受け、母校の先輩岩田を打った。
▽大阪が20度目栄冠
大阪勢の優勝回数が春夏通算20度(春 9、夏11)の大台に乗った。 2位は愛知の18度(春10、夏 8)、 3位は兵庫で13度(春 6、夏 7)。
▽ 4度優勝は 6位
大阪桐蔭は春夏合わせて 4度目の甲子園制覇。大体大浪商(大阪)、箕島(和歌山)などとともに歴代 6位に並んだ。 1位は中京大中京(愛知)の11度(春 4、夏 7)。
▽20年ぶりの快投
大阪桐蔭の藤浪がマークした準決勝、決勝の 2試合連続完封は第74回大会(1992年)の森尾(西日本短大付)以来20年ぶり。第25回大会(1939年)の嶋(海草中)は全 5試合を完封し、準決勝と決勝で無安打無得点試合を達成した。
▽56号は歴代 2位
今大会48試合で飛び交った本塁打は56本で、第88回大会(2006年)の60本に次ぐ史上 2位。光星学院の北條は 4本塁打を放ち、第67回大会(1985年)の清原(PL学園)が持つ 1大会最多記録にあと 1と迫った。
夏季五輪、夏季甲子園と終わり、ついに秋に突入しましたね。と言っても、「既に2013年だよ」と言っている一部阪神タイガース・ファンの人もいるみたいですが…。
ところで、箱根の関所を越え、海岸線なら勿来の関、山中を行くなら白河の関を越えられるか?と期待していた人も多かったのでは無いでしょうか。しかし、大阪桐蔭の方が春に優勝している分一枚も二枚も上手だった様で、「初めて深紅の優勝旗が越えるか」と思われていたのにも関わらず残念ながら越えられませんでした。
両校ナインには来年の春に今一度闘って貰い、今度こそ各関所を越えて貰いたいと思っています。 3年生の選手には最後の夏休みになってしまいましたが、本当にお疲れ様でした。君たちの夢は、次世代が必ず果たしてくれると信じていましょう。
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大阪桐蔭、春夏合わせ4度目V!藤浪14K 2安打完封!春夏連覇1校目は1962年作新学院
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