●日本記録保持者の大迫傑(すぐる)選手(28=ナイキ)が、東京五輪代表へ大きく前進した。自らの日本記録 2時間 5分50秒を更新する 2時間 5分29秒でフィニッシュ。日本人トップの「4位」に入り、「五輪代表3枠目」の最有力候補になった。レース後のインタビューでは「マラソン・グランド・チャンピオンシップ(MGC)」で「3位」となってからここまでを振り返り、涙で声を詰まらせるシーンもあった。 8日のびわ湖毎日マラソンで記録を破られなければ、「東京五輪代表」に内定する。ビルハヌ・レゲセ選手(25=エチオピア)が 2時間 4分15秒で「2連覇」を達成した。「3強」の井上大仁選手(27=MHPS)は積極的にレースを進めたが終盤遅れ、 2時間 9分41秒の「27位」、設楽悠太選手(28=ホンダ)は序盤から第 2集団につけ 2時間 7分45秒で「16位」だった。スタート時は気温約12度。ナイキの新厚底シューズ「エアズームアルファフライネクスト%」を履いた大迫はその中で、スタートから 2時間 3分台を狙う先頭集団で果敢に攻めた。集団の中でも前の方で戦った。中間点も 1時間 2分 1秒で通過の超ハイペース。中間点を超えると、大迫が先頭集団から離れた。先頭集団の背中は遠くなった。井上大仁とは大きく離れた。しかし、そこから粘った。難しい単独走でも、32キロすぎ、井上を含む集団に追いついた。32.7キロで井上の顔色をうかがった。苦しそうな表情を見ると、集団を引き離した。すでに昨年 9月の「マラソン・グランド・チャンピオンシップ(MGC)」で、「1位」の中村匠吾選手(27=富士通)と「2位」の服部勇馬選手(26=トヨタ自動車)が「東京五輪代表」に内定している。自らの力で、東京五輪の代表にも大きく前進した。
●レース後、大迫は涙し、言葉を詰まらせた。
●大迫傑が、「日本新記録」の 2時間 5分29秒で「4位」に入った。レース後には「日本新記録ボーナス」の贈呈式が行われた。まず東京マラソン財団から今大会で設定された「日本新記録ボーナス」として 500万円の目録が贈呈された。また同大会では「4位」に賞金 100万円が設定されており、これも加えて、大迫は 600万円を手にする。
●日本陸連の瀬古利彦マラソン強化戦略プロジェクトリーダー(63)は評価していた。
● 2年前の今大会で日本記録(当時)をマークした設楽悠太は、 2時間 7分45秒(速報値)で「16位」だった。逆転での「東京五輪代表」を狙ったが、及ばなかった。昨年 9月のMGCとは異なる位置取りになった。MGCでは序盤から飛ばして独走態勢を築いたものの、終盤に大きく失速して「14位」。この日は海外勢に混じって第 1集団でレースを進めた井上、大迫に対し、設楽悠は第 2集団に控えた。それでもハーフ通過時点では自信も日本記録を上回るペースで追いかけ、虎視眈々(たんたん)と逆転を狙っていたが、前につけた大迫が止まらなかった。今後は海外のレースを転戦する構想を示していた。
●自己記録 2時間 6分54秒の井上大仁は 2時間 9分34秒で「26位」となり、「東京五輪代表」の座を逃した。一時は日本人トップを走ったが、終盤に失速した。井上は 2月28日の有力選手会見で目標タイムを「 2時間 4分30秒」を掲げた。日本勢では大迫と 2人で先頭集団についた。昨秋の「マラソン・グランドチャンピオンシップ(MGC)」では完走した選手の中で最下位の「27位」に沈んだ。それでも周囲から励ましの声が届いたという。今大会前はニュージランド合宿を敢行。さらにナイキの新厚底シューズ「エアズームアルファフライネクスト%」を装備した。井上は、20キロまで 2時間 3分台のペースで先頭グループで走った。25キロ手前で先頭から少し遅れたが、「5位集団」の中で、ペースを刻んだ。30キロ過ぎから表情が険しくなり、32キロ過ぎで大迫に追いつかれて、抜かれた。逆転する力は残っておらず、最後はペースを緩めてフィニッシュした。
記事をまとめてみました。
東京マラソンのスタートをした右中央から大迫傑選手(黒い帽子)、設楽悠太選手(白いシャッツ)、その後方は井上大仁選手=東京新宿・都庁前
<陸上:東京マラソン兼東京五輪代表選考レース>◇ 1日◇東京都庁前~東京駅前 (42.195キロ)
日本記録保持者の大迫傑(28=ナイキ)が、東京五輪代表へ大きく前進した。
自らの日本記録 2時間 5分50秒を更新する 2時間 5分29秒でフィニッシュ。日本人トップの「4位」に入り、「五輪代表3枠目」の最有力候補になった。レース後のインタビューでは「苦しい戦いだった」とNGCで「3位」となってからここまでを振り返り、涙で声を詰まらせるシーンもあった。 8日のびわ湖毎日マラソンで記録を破られなければ、「東京五輪代表」に内定する。
ガッツポーズを見せながらゴールに向かう大迫傑選手=東京駅前
ビルハヌ・レゲセ(エチオピア)が 2時間 4分15秒で「2連覇」を達成した。
「3強」の井上大仁(MHPS)は積極的にレースを進めたが終盤遅れ、 2時間 9分41秒の「27位」、設楽悠太(ホンダ)は序盤から第 2集団につけ 2時間 7分45秒で「16位」だった。
日本人トップでゴールした大迫傑選手=東京駅前
日本記録保持者の大迫傑(すぐる、ナイキ)が、「東京オリンピック(五輪)代表」へ大きく前進した。
自らの日本記録 2時間 5分50秒を更新する 2時間 5分29秒でフィニッシュ。日本人トップの「4位」に入り、「五輪代表3枠目」の最有力候補になった。 8日のびわ湖毎日マラソンで記録を破られなければ、「東京五輪代表」に内定する。
すでに昨年 9月の「マラソン・グランド・チャンピオンシップ(MGC)」で、「1位」の中村匠吾と「2位」の服部勇馬が「東京五輪代表」に内定している。
「16位」でゴールし、肩を落とす設楽悠太選手=東京駅前
大迫は2018年10月のシカゴマラソンに続く「日本新記録」となり、日本実業団連合から報奨金 1億円を再び贈られる。
「優勝」は 2時間 4分15秒のビルハヌ・レゲセ(エチオピア)。日本の「3強」と言われた設楽悠太は 2時間 7分45秒で「26位」、井上大仁は 2時間 9分34秒で「26位」だった。
「26位」でゴールし、膝から崩れ落ちる井上大仁選手=東京駅前
日本記録保持者の大迫傑が、「東京五輪代表」へ大きく前進した。自らの日本記録 2時間 5分50秒を更新する 2時間 5分29秒でフィニッシュ。日本人トップの「4位」に入り、「五輪代表3枠目」の最有力候補になった。 8日のびわ湖毎日マラソンで記録を破られなければ、東京五輪代表に内定する。
雷門前を通過する大迫傑選手=浅草・浅草寺前
スタート時は気温約12度。ナイキの新厚底シューズ「エアズームアルファフライネクスト%」を履いた大迫はその中で、スタートから 2時間 3分台を狙う先頭集団で果敢に攻めた。集団の中でも前の方で戦った。中間点も 1時間 2分 1秒で通過の超ハイペース。中間点を超えると、大迫が先頭集団から離れた。先頭集団の背中は遠くなった。井上大仁とは大きく離れた。
日本人トップでゴールした大迫傑選手=東京駅前
しかし、そこから粘った。難しい単独走でも、32キロすぎ、井上を含む集団に追いついた。32.7キロで井上の顔色をうかがった。苦しそうな表情を見ると、集団を引き離した。
MGCでは「2位」の服部勇馬とは 5秒差で、五輪の代表内定を逃した。自信はあった。それなのに、まさかの「3位」。足りなかった。残りの選考レースで自らの日本記録を破られなければ、のちに「五輪切符」をつかめる可能性はあった。
2時間 5分29秒の「日本新記録」をマークして「4位」に入り、インタビュー中に感極まる大迫傑選手=東京駅前
しかし、待つことはせず、東京マラソン参戦を決めた。自分を変えるために、今までにない挑戦に挑んだ。約 2カ月半のケニア合宿。標高約2300メートルの高地で、ケニア人のランナーと一緒に練習した。「彼より質の高い練習ができるんだと自信になった」。新たな刺激を受けて、成長を遂げた。
自らの力で、「東京五輪」の代表にも大きく前進した。
日本記録保持者の大迫傑が、「東京五輪代表」へ大きく前進した。
自らの日本記録 2時間 5分50秒を更新する 2時間 5分29秒でゴール。日本人トップの「4位」に入り、「五輪代表3枠目」の最有力候補になった。
レース後、大迫は「ずっと狙っていた大会だった。まだ内定は出ていないが来週次第だが、次につながる走りが出来たかなと思う。 9月に(MGCで)『3番』になってから 1人苦しい戦いだった。しっかり走れてよかった」と涙し、言葉を詰まらせた。
日本人トップでゴールする大迫傑選手=東京駅前
涙をぬぐいながら「(ケニアでの苦しい練習は)勝ちたい気持ちだけでやって来た。自分に挑戦ということで負けないようにチャレンジできたので次につながる。『東京オリンピック』が決まれば、そこでまた元気な走りが出来るように、少し休んで練習していきたい」と話した。
「(後半の立て直しは)自分のキャパシティー以上を走ってしまうとそこからつぶれてしまうと思ったので、うまく体と対話しながら走れた。(家族の応援は) 2カ月半会えなかったが、力になった。自分自身を超えるという意味でチャレンジ出来たことは、次につながる大きなチャレンジだった。(「五輪代表3枠目」の候補に)後は待つだけ。ベストは尽くせたので、しっかり待ちたい」と語った。
日本記録を更新し、 500万円の報奨金のボードを手に記念撮影する大迫傑選手=東京駅前
大迫傑が、「日本新記録」の 2時間 5分29秒で「4位」に入った。レース後には「日本新記録ボーナス」の贈呈式が行われた。
まず東京マラソン財団から今大会で設定された「日本新記録ボーナス」として 500万円の目録が贈呈された。また同大会では「4位」に賞金 100万円が設定されており、これも加えて、大迫は 600万円を手にする。
表彰式で目録を手に記念撮影する大迫傑選手=東京駅前
続いて、日本実業団連合が定めた「日本新記録ボーナス1億円」の目録も贈呈された。大迫は18年のシカゴマラソンで当時の日本記録 2時間 5分50秒を出して 1億円を手にしている。これで 2度目の 1億円となった。
日本実業団連合の「日本新1億円ボーナス」は18年 2月の東京マラソンでも設楽悠が 2時間 6分11秒で獲得している。これで同ボーナスは 3度目の贈呈となった。
瀬古利彦氏
東京五輪代表の残り 1枠を懸けて行われ、大迫傑が自身の記録を21秒更新する 2時間 5分29秒の「日本新記録」で「4位」に入り、「東京五輪代表」の座を確実にした。
日本陸連の瀬古利彦マラソン強化戦略プロジェクトリーダーは「大迫の日本記録よりうれしいのは、MGCファイナルチャレンジをやって( 2時間) 6分台が 2人、 7分台が 6人、 8分台が 5人、 9分台が 4人と高いレベルになった」と評価していた。
蔵前橋を通過する設楽悠太選手(中央)=東京両国
2年前の今大会で日本記録(当時)をマークした設楽悠太は、 2時間 7分45秒(速報値)で「16位」だった。逆転での「東京五輪代表」を狙ったが、及ばなかった。
昨年 9月のMGCとは異なる位置取りになった。MGCでは序盤から飛ばして独走態勢を築いたものの、終盤に大きく失速して「14位」。この日は海外勢に混じって第 1集団でレースを進めた井上、大迫に対し、設楽悠は第 2集団に控えた。それでもハーフ通過時点では自信も日本記録を上回るペースで追いかけ、虎視眈々(たんたん)と逆転を狙っていたが、前につけた大迫が止まらなかった。
1月の宮崎合宿では、「(東京マラソンで日本記録を破って選ばれても、 2時間 4分台じゃなければ『東京五輪』で走る資格はないと思っている。 2時間 5分なら辞退すると思う」と仰天発言。「(五輪出場は)もう正直、どうでもいいと思っている。日本で走るのは今回の東京マラソンがたぶん最後」とも話し、今後は海外のレースを転戦する構想を示していた。
蔵前橋を通過する井上大仁選手(中央)=東京両国
自己記録 2時間 6分54秒の井上大仁は 2時間 9分34秒で「26位」となり、「東京五輪代表」の座を逃した。一時は日本人トップを走ったが、終盤に失速した。
井上は 2月28日の有力選手会見で目標タイムを「 2時間 4分30秒」を掲げた。その理由を「世界で戦う基準として、頭にいれておくべきタイム」と説明した。その言葉通りに、スタートから 2時間 3分台がフィニッシュタイムのペースメーカーについてレースを展開。日本勢では大迫と 2人で先頭集団についた。
昨秋の「マラソン・グランドチャンピオンシップ(MGC)」では完走した選手の中で最下位の「27位」に沈んだ。「自分の弱さがすべて出た」。それでも周囲から励ましの声が届いたという。「どんな結果でも『頑張って』といってもらえる。同じ思いをさせたくない。また頑張ろうと思えた」。今大会前はニュージランド合宿を敢行。さらにナイキの新厚底シューズ「エアズームアルファフライネクスト%」を装備した。
大迫傑選手、設楽悠太選手が装備したナイキが発表した厚底シューズの新モデル「エアズームアルファフライネクスト%」
エリート街道を歩んできたわけじゃない。大迫、設楽悠について「高校ぐらいから 2人は雑誌で見ていた存在、その姿を追い続けて、ここにいることができている」。長崎で過ごした中高時代は父正文さん(53)の仕事を手伝って、新聞配達を日課としていた。アップダウンのきついコースを毎朝1時間かけて配ってきた。大学もケニア人留学生と毎日一緒に練習できる山梨学院大に進学した。
金メダルを獲得した18年ジャカルタ・アジア大会では、エルアバシ(バーレーン)と並んだまま、最後の競技場に入った。トラック勝負で激しく競り合った。ラスト 100メートルではスパート合戦の最中で、内側から強引に抜こうとしたエルアバシと接触した。それでもバランスを崩さず、トップでゴールを駆け抜けた。日本人がトラック勝負で海外勢に競り勝つという、刺激的な幕切れ。日本勢32年ぶりの「金メダル」をつかんだ。
井上は、20キロまで 2時間 3分台のペースで先頭グループで走った。25キロ手前で先頭から少し遅れたが、「5位集団」の中で、ペースを刻んだ。30キロ過ぎから表情が険しくなり、32キロ過ぎで大迫に追いつかれて、抜かれた。逆転する力は残っておらず、最後はペースを緩めてフィニッシュした。