●ジャスティン・ボーア内野手(31)が21日、「新型コロナウイルス」による自粛生活が続くファンに向けてオンライン交流での「夢プラン」をぶち上げた。甲子園で自主練習に参加しオンライン取材に応じた。活動休止中にはオープン戦で不調だった打撃フォームを見直す時間をつくり、オンラインゲームでストレスを解消。虎党との対戦も歓迎した。実現すれば、前代未聞のファンサービスだ。「4番」候補のボーアが甲子園で自主練習に参加。フリー打撃で25スイング 3本の柵越えを放つなど約 3時間、汗を流した。オンライン取材ではチーム活動休止中の生活を明かした。ストレス発散法については、米国にいる、いとことリフレッシュしていた。自他ともに認めるゲーマーだ。春季キャンプにも特注ケースでゲーム機を持ち込むほど。いとことは主に「コールオブデューティー」や「スター・ウォーズ」という人気対戦型オンラインゲームで交流していたという。
●岩貞祐太投手(28)が21日、甲子園の自主練習再開後、初めてブルペン入りした。坂本誠志郎捕手(26)を相手にスライダー、フォークなど変化球もまじえながら約30球。球団広報を通じて振り返った。意識したのはコントロール。久しぶりに投げた感覚についても充実の表情だった。今後も定期的にブルペンで投球練習を行っていく予定だ。投球練習後もウエートトレーニングやランニングなどを行い、トータル約 2時間半、体を動かし汗を流した。
●秋山拓巳投手(28)が21日、甲子園で自主練習後、オンライン取材でブルペン投球を再開したことを明かした。この日はウエートトレ、ランニング、キャッチボールで汗を流した後、坂本を相手に活動再開後初めてブルペン入りし、直球のみ約40球を投げた。チームは 3選手が「新型コロナウイルス」に感染したことで、 3月27日から 4月14日まで活動を停止。自宅でトレーニングを続けながら料理にも挑戦しようと試みた。活動休止期間中は、SNSを通じてファンへ積極的に発信した。最近では星野源氏(39)「うちで踊ろう」やソフトバンク・松田宣浩内野手(36)の「熱男リレー」など、おうち時間を活用する動画がSNSで配信されている。甲子園のブルペンで直球のみ30球投じた。2017年に自己最多の「12勝」を挙げた右腕が、気合を入れた。
●阪神電鉄元会長で球団オーナーだった手塚昌利氏が18日に心不全のため神戸市内の病院で亡くなったことが21日、分かった。阪神電鉄が発表した。89歳だった。葬儀・告別式はすでに行っており、後日お別れの会を開催する予定だが、日時などは未定。1992年(平 4)に本社社長に就いた手塚氏にとっての苦難は、95年 1月17日に起きた阪神・淡路大震災だった。架線、車庫は壊滅的、甲子園球場周辺を含めて沿線は大打撃を受けた。ホテル阪神に寝泊まりし、 6月に全線復旧するまで陣頭指揮をとり続ける姿は印象的だった。久万俊二郎(くま・しゅんじろう)氏に代わって球団オーナーに就いたのは04年11月。物柔らかな性格だが、学生時代は水泳部に所属し、勝負に対するこだわりは強かった。オーナー就任会見で、 2年目の岡田監督にいきなり発した号令には闘志がにじんだ。その言葉通り、翌05年にチームは 2年ぶり 5度目の「リーグ優勝」( 1リーグ時代を含めると 9度目)を果たし、就任 1年目から強運を見せつけた。 9月29日の巨人戦(甲子園)で「優勝」した瞬間を見守った後、ビール掛けの祝勝会にも参加して祝福した。その05年は「リーグ優勝」が増収効果をもたらした一方、阪神電鉄筆頭株主になった村上ファンドの買収問題が起きて厳しい立場に立たされた。手塚氏は阪神が阪急ホールディングスと経営統合した06年に会長から相談役になって、オーナー職からも退いた。
記事をまとめてみました。
ジャスティン・ボーア内野手(31)が21日、「新型コロナウイルス」による自粛生活が続くファンに向けてオンライン交流での「夢プラン」をぶち上げた。甲子園で自主練習に参加しオンライン取材に応じた。活動休止中にはオープン戦で不調だった打撃フォームを見直す時間をつくり、オンラインゲームでストレスを解消。虎党との対戦も歓迎した。
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実現すれば、前代未聞のファンサービスだ。「4番」候補のボーアが甲子園で自主練習に参加。フリー打撃で25スイング 3本の柵越えを放つなど約 3時間、汗を流した。オンライン取材ではチーム活動休止中の生活を明かした。ストレス発散法については「限られた時間を見つけて、オンラインゲームもしていたよ」。米国にいる、いとことリフレッシュしていた。
打撃練習をして汗を流すジャスティン・ボーア内野手=阪神甲子園球場 (阪神タイガース提供)
自他ともに認めるゲーマーだ。春季キャンプにも特注ケースでゲーム機を持ち込むほど。いとことは主に「コールオブデューティー」や「スター・ウォーズ」という人気対戦型オンラインゲームで交流していたという。オンラインゲームによるファンとの交流については「そうなると最高! いいね」と乗り気だった。米国ではNBAやMLBが選手同士のゲーム対戦を放送している例もある。「あんまり負けたくないので、そこまでうまい人とは…」と負けず嫌いな一面を見せながら、夢のファンサービスに笑顔でうなずいた。
待たれる開幕に向けては、映像で打撃フォームの見直しを行った。「メジャー92発」の「大型4番候補」として期待されたが、対外試合では15試合で「打率1割8分9厘、39打席ノーアーチ」と不調を極めた。「昔のスイングを見た。いいバッティングができていた時のシーズン、逆に苦しんだシーズンのスイングも見直しました。その辺を含め、今年は何がいいかというのは今後、時間をかけて調整していきたい」。この日のフリー打撃は「打撃自体はそれほど、何かを失ったわけでもない」と好感触を口にした。
甲子園球場で自主トレするジャスティン・ボーア内野手=阪神甲子園球場 (阪神タイガース提供)
3月下旬に来日したヘイリー夫人と昨年 8月に生まれた長男ジミーくんも心強い支えとなった。「赤ちゃんのオムツも毎日のようにたくさん替え、家族と楽しい時間を過ごせた」。「新型コロナウイルスの感染拡大」で在日米大使館は日本滞在中の米国人に対し、帰国勧告していた。それでもボーアは「日本でのシーズンが始まる可能性が少しでもある限り、帰る理由がない。残るべきだと思った」と断言した。
開幕を待ち望むファンへは「自分もファンの皆さんと同じくらい、シーズンが始まるのを楽しみにしている。今は我慢の時だと思います。一緒にこの危機を乗り越えていきましょう。(シーズンでは)いいパフォーマンスができるようにするので、よろしくお願いします」と、メッセージを送った。
◆オンラインゲーム
インターネットなどのネットワークに接続してプレーするゲームの総称。遠隔地のプレーヤー同士での対戦や協力などのゲームを楽しむことができる。「コールオブデューティー」は戦争をテーマとした対戦型シューティングゲームの人気シリーズ。「スター・ウォーズ」は映画世界がリアルにグラフィック化され、ストーリーに沿ったミッションをクリアしていくモードなどがある。
ジャスティン・ボーア内野手が21日、甲子園で自主練習に参加しオンライン取材に応じた。
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-今はどんな気持ちで練習
チーム全体としては練習できていないですけど、家にいるのではなく外に出て自主練習という形でグラウンドで打撃なり守備なりトレーニングなりをさせてもらっている。非常に気持ちいいというか、うれしく思います。
-屋外での打撃練習
気持ち良かったですね。投手とタイミングを合わせることは長らくしていないので、時間がかかると思いますけど。スイングとか打撃の感じ自体は久しぶりに打って気持ちよかったし、悪くなかったと思っています。
甲子園球場で自主トレするジャスティン・ボーア内野手=阪神甲子園球場 (阪神タイガース提供)
-来日 1年目で非常事態
来日 1年目でいろんなことが楽しみでした。日本という国で野球するのも非常に楽しみでした。非常にワクワクだったので、非常に残念。ですけど、個人的なことではなく世界中の人が我慢しないといけない、戦わないといけないことだと思っています。これは仕方がないこと。自分で大きくコントロールできることではない。我慢の時だと思っています。
-米国の家族や友人の健康状態
米国にいる家族などは元気にしています。できるだけ外出を控えて、家で時間を過ごすようにしていますし。今のところ体調の異常もなく、元気にしています。
-自宅ではどんなトレーニングをしていた
ジムとかには行けなかった。外でのトレーニングも満足にはできなかった。少し、野球というかトレーニングから1歩下がって。それまでにしっかりトレーニングしてきたので、体をしっかり休めるということをしていた。気持ちの面で切らさずに自分の状況をしっかり考えて。野球を頭の中で考え、準備はしていました。
甲子園球場で自主トレするジャスティン・ボーア内野手=阪神甲子園球場 (阪神タイガース提供)
-この期間での新たな発見
この時間を利用して、自分の昔のビデオなどは少し見ました。自分がどんなスイング、どんな打撃をしていたのかを振り返る時間には使えました。それを見て、これから調整していかないといけないこともあると思います。でも、それもそこまで考え込んでいたわけではない。メインは家族との時間を過ごせたので、非常にありがたいことでした。
-休止中に体や食事で気を使ったこと
体重などはほぼ変わらずですね。食事の面では運動量が少ない分、気をつけた部分はあります。もちろんこれから、体の方はさらにキレとかを作っていかなければいけない部分ではある。体の状態としてはほぼ、変わらずに過ごせました。
-日本語の練習
今は先生が来てのレッスンはストップしていますが、オンラインで自分で勉強はしています。日本語勉強中です。(最近学んだ日本語は)「アナタノトコロデ」「ナニカ」。
岩貞祐太投手が21日、甲子園の自主練習再開後、初めてブルペン入りした。坂本を相手にスライダー、フォークなど変化球もまじえながら約30球。球団広報を通じて「素直に楽しかったですし、(坂本)誠志郎が受けてくれて、気持ちよく投げることが出来ました」と振り返った。
「真っすぐも変化球もコーナーに決めることが出来て、ある程度自分の中でも充実した内容だったと思います」と意識したのはコントロール。久しぶりに投げた感覚についても「 8割くらいの力で投げましたが、思ったよりもいい感覚で投げることが出来ました」と充実の表情だった。
ウエートトレーニングやランニングも含め、約 2時間半汗を流した。
甲子園球場で自主トレする岩貞祐太投手=阪神甲子園球場 (阪神タイガース提供)
岩貞祐太投手が21日、甲子園で自主練習を行い、自主練習再開後初めてブルペンで投球練習を行った。
「素直に楽しかったし、(坂本)誠志郎が(球を)受けてくれて気持ちよく投げることができた。 8割くらいの力で投げたが、思ったよりもいい感覚で投げることができた」
ウエートトレーニングやキャッチボールをした後、ブルペンへ。捕手を座らせ、フォークやスライダーなどを交えて30球を投げた。
「コントロールを意識して投げた。自分の意識通り、コースに投げ分けることができていたのでよかった。真っすぐも変化球もコーナーに決めることができて、ある程度自分の中でも充実した内容だった」と振り返った。
今後も定期的にブルペンで投球練習を行っていく予定だ。投球練習後もランニングなどを行い、トータル約 2時間半、体を動かした。
秋山拓巳投手が21日、甲子園で自主練習後、オンライン取材でブルペン投球を再開したことを明かした。
この日はウエートトレ、ランニング、キャッチボールで汗を流した後、坂本を相手に活動再開後初めてブルペン入りし、直球のみ約40球を投げた。
「 3週間(ブルペン投球が)空いていたんですけど、しっかりできることはやっていたので。(坂本が)思ったよりいい球だったとは言ってくれた。しっかり開幕に向けて責任を持って練習に取り組んでいきたいと思っています」と力を込めた。
オンライン取材を受ける秋山拓巳投手=阪神甲子園球場 (阪神タイガース提供)
チームは 3選手が「新型コロナウイルス」に感染したことで、 3月27日から 4月14日まで活動を停止。自宅でトレーニングを続けながら料理にも挑戦しようと試みたが、「冷蔵庫を開けてみたら何もなくて諦めました」と照れ笑い。「掃除をよくやっていました。床も雑巾でやったり、部屋がきれいだとなんとなく気分が良かった」と振り返った。
活動休止期間中は、SNSを通じてファンへ積極的に発信した。「野球界でいえば、松田さんとかがリレーとかで、皆さんを少しでも元気にさせるようなことをやっていたり、芸能界でもすごいそういう活動が多く見られていて」と、「熱男リレー」を始めたソフトバンク松田宣らの発信力に刺激を受けた様子だった。
秋山拓巳投手は甲子園で汗を流した。好発進で発信力アップだ=阪神甲子園球場 (阪神タイガース提供)
秋山拓巳投手は21日、シンガー・ソングライターで俳優の星野源を目指すことを誓った。
「(SNSなどで)もっといい影響を与えられるような選手になりたいなと、松田(宣)さんとか星野源さん(の動画)とかを見て思った」
チームが活動休止中、インスタグラムでライブ配信をしてきたが「自分には、まだ発信力もない」と実感したという。
最近では星野源「うちで踊ろう」やソフトバンク・松田宣の「熱男リレー」など、おうち時間を活用する動画がSNSで配信されている。甲子園のブルペンで直球のみ30球投じた後「長い間、一線で活躍し続けるのが一番」と力を込めた。
「しっかり開幕に向けて責任を持って練習に取り組んでいきたい」
2017年に自己最多の「12勝」を挙げた右腕が、気合を入れた。
阪神電鉄元会長で球団オーナーだった手塚昌利氏が18日に心不全のため神戸市内の病院で亡くなったことが21日、分かった。阪神電鉄が発表した。89歳だった。葬儀・告別式はすでに行っており、後日お別れの会を開催する予定だが、日時などは未定。
1992年(平 4)に本社社長に就いた手塚氏にとっての苦難は、95年 1月17日に起きた阪神・淡路大震災だった。架線、車庫は壊滅的、甲子園球場周辺を含めて沿線は大打撃を受けた。ホテル阪神に寝泊まりし、 6月に全線復旧するまで陣頭指揮をとり続ける姿は印象的だった。
久万俊二郎氏に代わって球団オーナーに就いたのは04年11月。物柔らかな性格だが、学生時代は水泳部に所属し、勝負に対するこだわりは強かった。オーナー就任会見で、 2年目の岡田監督に「優勝しろと厳命したい」といきなり発した号令には闘志がにじんだ。
その言葉通り、翌05年にチームは 2年ぶり 5度目の「リーグ優勝」( 1リーグ時代を含めると 9度目)を果たし、就任 1年目から強運を見せつけた。 9月29日の巨人戦(甲子園)で「優勝」した瞬間を見守った後、ビール掛けの祝勝会にも参加して祝福した。
亡くなった元球団オーナーの手塚昌利氏 (2005年 3月25日撮影)
その05年は「リーグ優勝」が増収効果をもたらした一方、阪神電鉄筆頭株主になった村上ファンドの買収問題が起きて厳しい立場に立たされた。手塚氏は阪神が阪急ホールディングスと経営統合した06年に会長から相談役になって、オーナー職からも退いた。
チームが低迷した当時は球団売却の話が浮上したが「全く考えたこともない」と一蹴。激動を過ごした手塚氏は「タイガースは阪神グループだけのものじゃないから」といった上で「鉄道会社の本来の使命は街づくり。球団と電鉄が一体となって追求します」と語っていた。
◆手塚昌利(てづか・まさとし)
1931年(昭 6) 3月 8日生まれ、徳島県鳴門市出身。旧制市岡中(現大阪府立市岡高)から京都大法学部を経て53年阪神電気鉄道株式会社に入社。主に運輸・不動産部門を担当し、阪神・淡路大震災からの復興や西梅田地区再開発などに尽力。81年取締役、86年常務、89年専務・阪神球団取締役、92年代表取締役社長、98年阪神球団オーナー代行、04年代表取締役会長、阪神球団第7代オーナー就任。06年 6月、阪急との経営統合に伴い、村上ファンド問題での引責もあり、電鉄会長、球団オーナーを退任した。
2005セ・リーグ優勝祝賀会 優勝祝賀会で劇団四季の出演メンバーから花束を受け取る左から岡田彰布監督、阪神・手塚昌利オーナー、今岡誠内野手
阪神は21日、阪神電鉄元会長で、球団オーナーも務めた手塚昌利氏が18日、心不全のため神戸市内の病院で死去したことを発表した。89歳だった。久万俊二郎オーナーの後任として2004年10月から就任。05年の「リーグ優勝」や村上ファンド問題など、激動の時代を率いた。葬儀・告別式はすでに執り行われ、後日、お別れの会を開く。
「新型コロナウイルス感染拡大」で世界中が揺れる中、阪神の激動の時代を生きた元球団オーナーが息を引き取った。手塚氏が18日、神戸市内の病院で、心不全のため死去していたことがわかった。
手塚氏は1953年に京大法学部から阪神電鉄に入社。2004年、明大・一場靖弘投手をめぐるスカウト活動の裏金問題が発覚し、当時の久万オーナーが辞任。 7代目のオーナーに就任した。
同年10月に行われた就任会見。いきなりの猛ゲキで話題となった。就任 1年目で「4位」に終わった岡田彰布監督に「優勝しろ」と厳命。理想の監督像として「やはり星野(仙一)さんじゃないですか」と前任の星野仙一オーナー付シニアディレクター(SD)の名前を挙げ、尻に火をつけた。
岡田阪神は05年に 2年ぶりの「リーグ優勝」を果たした。そのときは優勝祝勝会にも駆けつけ、チームとともにビールかけを楽しんだ。日本シリーズではロッテに敗れたが「日本シリーズの『優勝』が宿題として残ったが、まさに、今が『常勝タイガース』のスタートと思っている」と壇上から熱っぽく語る場面もあった。どこか飄々としながらも、勝利への情熱は人一倍だった。
2006年 2月、手塚昌利オーナー(右)がキャンプ地の安芸を訪問。岡田彰布監督を激励した=沖縄県宜野座・かりゆしホテルズボールパーク宜野座
ところが、好事魔多し…。同年秋には阪神電鉄の筆頭株主となった村上ファンドによる買収問題が発生。対応が後手後手にまわり、阪神電鉄は阪急ホールディングスとの経営統合となった。手塚氏は株主総会で阪急との統合が決議された06年 6月、電鉄本社会長から相談役に退き、同時に球団オーナー職を辞任した。
総帥として務めたのは2シーズンにも満たない。しかし野球にも精通しており、星野SDとも馬があった。何より、平成の虎の天地を味わった数少ない男でもあった。
コロナ禍で、開幕はまだ不透明となっている。天国にいってしまった手塚氏はどう思うのか。今だからこそ、聞きたい。
◆手塚 昌利(てづか・まさとし)
1931年 3月 8日、徳島・鳴門市出身。旧制市岡中学校、第四高等学校を経て、京大法学部。卒業した53年に阪神電鉄入社。運輸部長、不動産事業本部長、常務取締役、専務取締役などを歴任し、92年に社長に就任。2004年から06年まで会長、05年から06年途中までは「第7代球団オーナー」を務めた。08年に「旭日重光章」を受章。
阪神は21日、阪神電鉄元会長で球団オーナーも務めた手塚昌利氏が18日に心不全のため神戸市内の病院で亡くなったことを発表した。89歳だった。 葬儀・告別式はすでに行っており、後日お別れの会を開催する予定だが日時などは未定。
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85年阪神日本一監督・吉田義男氏(日刊スポーツ客員評論家)
手塚さんはわたしが 3度目の監督だった際の本社社長で、物静かな方でしたが、よく激励されたのを思い出します。その後オーナーとして優勝も経験されました。ご冥福をお祈りいたします。
吉田義男氏(2018年8月18日撮影
阪神電鉄元会長で球団オーナーだった手塚昌利氏が18日に心不全のため神戸市内の病院で亡くなったことが21日、分かった。阪神電鉄が発表した。89歳だった。葬儀・告別式はすでに行っており、後日お別れの会を開催する予定だが、日時などは未定。
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阪神矢野燿大監督
突然の訃報に驚いています。手塚オーナーとは、やはり05年「優勝」のビールかけが一番の思い出として心に残っています。まだ今シーズンの開幕も見えていない現状ですが、天国の手塚さんに良い報告ができるように、目の前のことに全力を尽くしていきます。故人のご冥福を心よりお祈りいたします。
矢野耀大監督=阪神甲子園球場 (2020年 3月 4日撮影)
阪神電鉄元会長で球団オーナーだった手塚昌利氏が18日に心不全のため神戸市内の病院で亡くなったことが21日、分かった。阪神電鉄が発表した。89歳だった。葬儀・告別式はすでに行っており、後日お別れの会を開催する予定だが、日時などは未定。
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阪神藤原崇起球団オーナー
突然の悲報に接し、痛惜の念に堪えません。オーナーとしての在任中に、岡田監督とともに05年の「リーグ優勝」を成し遂げられ、その後の常勝チームの礎を築いていただきました。手塚元オーナーの飽くなき勝利への意思を引き継ぎ、必ずや阪神タイガース「優勝・日本一」を成し遂げられるよう、チーム・フロント一丸となって戦ってまいります。心よりご冥福をお祈りいたします。
ガンバレ!阪神!我らのタイガース!勝利を掴め!
多くの方と話をする中で、"楽しむからこそ実力が発揮できる"そして"笑うということには大きなパワーがある"ということを教えてもらいました。
これからの1年はグラウンドで苦しい時こそ笑って、楽しいときはもっと楽しく、でもしっかり勝つようなチームを作っていきます。
そして、僕たちが勝つことでファンの皆さんにも思いっきり笑ってもらい、思いっきり喜んでもらえるようなシーズンにすべく、「It's 勝笑 Time!オレがヤル」というスローガンにしました。
2020年 オープン戦 最終順位表
2020年 公式戦 日程と 結果 (04月)
2020年 CS日程と 結果 (05月)
◇公式戦全試合実況速報 公式戦全試合をテキスト速報!タイガース迂遠実 況で 応援気分を盛り上げます。ほかにも対戦中の選手の成績が」一目で分かる「観戦モード」も必見!
◇現場からお届け!トラ番LIVEニュース 主催試合時は、現場から直接ニュ ース を配信! タイガース情報をどこよりもはやく、そうして細やかに。「生」の情報もお届けします!!