よく晴れた日のウォーキングでした。
JR中央線・総武線千駄ヶ谷駅前には、東京体育館が有ります。行った当日は「柔道グランドスラム・東京 2011」が行われる日になっていました。
東京体育館の前には、お店が出ていて人も沢山出ていました。
北海道の品物を販売していたお店です。
こちらは、和歌山県関係のお店です。
さらに廻ると、被災地・宮城県のお店が有りました。「ひとくち牛タンジャーキー」が美味しそうなので買ってから、千駄ヶ谷の富士塚で有名な「鳩森八幡神社」に向かいました。
「鳩森八幡神社」に到着!
「鳩森八幡神社」はJR中央線千駄ヶ谷駅の南約400m、明治神宮と国立競技場の中間に鎮座しています。道路を挟んで将棋会館があり、都内の神社にしては鎮守の杜が残された、静かな佇まいの落ち着いた神社です。此処には都内で唯一「ほぼ原型で残っている」富士塚があります。
平成21年11月27日新社務所が竣工いたしました。地下1階地上4階建のモダンと和の調和を計った建物です。社務所の周りには、四季折々に参詣の皆様の目を楽しませる木々や草花を配置しています。
鳥居をくぐって中に入りました。
将棋堂です。中には、高さ120センチもある将棋の大駒が奉納されています。
千駄ヶ谷の富士塚です。かなり高く作られていました。
『この富士塚は寛政元年(一七八九)の築造といわれ、円墳形に土を盛り上げ、黒ばく(富士山の熔岩)は頂上近くのみ配されている。山腹には要所要所に丸石を配置しており、土の露出している部分には熊笹が植えられている。頂上には奥宮を安置し、山裾の向かって左側に木造の里宮の建物がある。
頂上に至る登山道は正面に「く」の字形に設けられ、自然石を用いて階段としている。七合目には洞窟がつくられ、その中には身禄像が安置されている。塚の前面には池があるが、この池は塚築造のため土を採掘した跡を利用したもので、円墳状の盛り土、前方の池という形は江戸築造の富士塚の基本様式を示している。
この富士塚は大正12年(一九二三)の関東大震災後に修復されているが、築造当時の旧態をよく留めており、東京都内に現存するものではもっとも古く、江戸中期以降、江戸市中を中心に広く庶民の間で信仰されていた富士信仰の在り方を理解する上で貴重な資料である。
昭和五十七年三月三十一日 建設 東京都教育委員会』
と説明文に書かれてています。
拝殿です。拝殿の横には、社務所が有りました。(かすかに左側に写っています)
こちらが、社務所です。
鳩森八幡神の御祭神は、応神天皇・神功皇后です。
鳩森八幡神社縁起によると、
『江戸名所図会』によると大昔、此の地の林の中にはめでたいことが起こる前兆の瑞雲(ずいうん)がたびたび現れ、ある日青空より白雲が降りてきたので不思議に思った村人が林の中に入っていくと、突然白鳩が数多、西に向かって飛び去った。この霊瑞(れいずい)に依り 神様が宿る小さな祠(ほこら)を営み鳩森『はとのもり』と名付けた。貞観 2年( 860年)、慈覚大師(円仁)が関東巡錫の途中、鳩森のご神体を求める村民の強い願いにより、山城国石清水(男山ともいう)八幡宮に宇佐八幡宮を遷座し給うた故事にのっとり、神功皇后・応神天皇の御尊像を作り添えて、正八幡宮とし尊敬し奉ったと伝えられている。』と有りました。
この後明治神宮外苑に向かい家に帰りました。
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東京体育館-鳩森八幡神社と廻ってきました…
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