●「第97回箱根駅伝」では、「新型コロナウイルス感染症対策」から、例年のような沿道での応援を自粛するよう、主催する「関東学生陸上競技連盟」から通達がなされていた。それでも、 2日間を通じて沿道で観戦する人の姿が多くみられた。箱根駅伝を生中継した日本テレビでは、画面に「沿道での観戦はお控えください」とテロップを出すなどして、「観戦自粛」への理解を呼びかけた。駒澤大學が残り 2キロで創価大學を「大逆転」し、13年ぶり 7度目の「総合優勝」を果たした。創価大學はリードを守れず初の「総合優勝」を逃し「準優勝」。往路で「12位」に沈んだ青山学院大學は「復路優勝」を果たした。駒澤大學、創価大學、東洋大學、青山学院大學、東海大學、早稲田大學、順天堂大學、帝京大學、国学院大學、東京国際大學が来年のシード権を得た。
●創価大學初の「総合優勝」は最終「10区」、残り 2キロでついえた。小野寺勇樹選手( 3年)は東京のど真ん中、鍛冶橋交差点付近で、この日エントリー変更の駒大・石川拓真( 3年)に一気に抜かれた。鶴見中継所では 3分19秒もあった貯金を、残りわずかで使い果たした。出場 4回目で「往路初優勝」を勝ち取り、この日は「9区」まで「首位」を守った。あと 2キロでついえた初の「総合優勝」は、この劇的な経験を受けて来年以降の夢へと託された。榎木和貴監督(46)は教え子たちをねぎらっていた。 4度目の出場で「総合準優勝」に輝いた創価大學の選手たちの健闘を、OBの公明党国会議員らがたたえた。佐々木さやか参院議員(39)はツイートした。 遠山清彦衆院議員(51)もツイッターでエールを送った。岡本三成衆院議員(55)は「感動しました!」と書き込んだ。
●「55年連続55度目」の出場を誇る名門・駒澤大學が、13年ぶり 7度目の「総合優勝」を土壇場の「大逆転」でつかんだ。10時間56分 5秒だった。最終「10区」、 3分19秒差で石川拓真選手( 3年=千葉・拓大紅陵)が創価大學を追った。アンカー勝負となった創価大學・小野寺勇樹選手( 3年=埼玉栄)との一騎打ち。前半から飛ばしてジリジリと差を詰めると、逆に失速する小野寺選手を残り 2キロのところで逆転。そのままフィニッシュテープを切った。「10区」での「逆転劇」は、1997年に順天堂大學が駒澤大學を逆転して以来、20年ぶり 9度目となった。大八木弘明監督(62)は「『区間賞』狙いでいけばいいとアドバイスした」。往路は創価大と 2分21秒差の「3位」。「9区」(23.1キロ)を終えた時点では、 3分19秒まで広がった。それでも「最終10区」(23.0キロ)を任されたアンカーの石川拓慎選手( 3年)が、創価大の小野寺勇樹選手( 3年)を抜き大逆転劇を演じた。日本陸連の瀬古利彦マラソン強化戦略プロジェクトリーダー(64)は大八木弘明監督をねぎらった。「新型コロナウイルス感染拡大」下の新様式での開催を象徴するように、胴上げも、メンバーの出迎えも自粛する静かな幕切れとなった。「9区」を終えた時点でトップだった創価大との差は 3分19秒。現実的には、ひっくり返すのは厳しいとみられる大差だったが、石川拓慎選手( 3年=千葉・拓大紅陵)が諦めない。20.9キロ地点で、失速してきた小野寺勇樹選手( 3年=埼玉栄)をとらえた。「箱根駅伝101年の歴史」上、今回で 9回目という、あまり例がない「最終10区」での「逆転V」。喜びを爆発させたいところだが、選手たちは自制した。アンカー石川はゴールの瞬間、両拳を握って広げ声を上げ、駆け寄ってきた神戸駿介主将( 4年=東京・松が谷高)と抱き合った後は、決して大げさには喜ばなかった。「新型コロナウイルス感染拡大防止」のため、本来であれば大手町で待つ、他区間の選手も大学の寮のテレビで見守った。
●東洋大學が「定位置」に返り咲いた。11時間57秒の「3位」で箱根路を走りきった。 2分14秒差の「2位」でのスタートから、一時は「4位」まで順位を落としたが、抜き返して「3位」でフィニッシュした。前年は「10位」に沈み、11年連続の「3位」以内が途切れた。逆襲にかけた大会だった。来年は「8年ぶりの『総合優勝』」を目指す。
●前回王者の青山学院大學が、復路で意地の逆襲を見せた。「復路12位」スタートから「総合4位」まで順位を上げてフィニッシュした。往路は連覇が絶望的となる「12位」。原晋監督(53)は目標を修正した。ただ直近 6年で「5度優勝」の王者として、このまま終わるわけにはいかない。原監督もゲキを飛ばした。「連覇」は逃したが「青学、強し」を印象づける復路の走りだった。青山学院大學が、 2年ぶり 6度目の「復路優勝」を果たした。原晋監督は昨年12月末に疲労骨折が判明し、予定していた「3区」に起用できなくなった神林主将に声を詰まらせ、エールを送っていた。
●往路「5位」から反攻を期した東海大學だが、順位を上げることはできず、「総合5位」でゴールした。往路に塩沢稀夕主将ら 4年生 3本柱と 1年生 2人を配し、往路を制して逃げ切り「総合優勝」のプランを描いたが空転。復路の 5人はすべてが箱根デビューの 2、 3年生という布陣で逆襲ならず。この経験と悔しさを来年に生かすことになる。
●早稲田大學は「往路11位」のシード圏外から「復路4位」と追い上げ、前回を 1つ上回る「総合6位」で終えた。しかし、相楽豊監督が掲げていたのは「総合3位以内」。11月の全日本は「首位」を走ることもあっただけに、消化不良が残る結果だ。
●「7位」順天堂大學の清水颯大主将が「6区」を「区間2位」で駆け下りた。 2人抜いて「5位」に浮上した。 4年連続の箱根で 3年連続の「6区」。 1週間前に 3度目の覚悟を固めた主将の意地が「7位」、シード奪回につながった。
●「8位」の帝京大學は 3年連続復路で順位を上げ、前回は同校最高位の「4位」。復路滑り出しの「6区」で三原魁人選手( 3年)が最下位の「区間20位」。総合でも「9位」に転落し、「4年連続シード権確保」もシードを守るのが精いっぱいだった。
●「シード権争い」は、東京国際大學が「10位」に滑り込んだ。東京国際大學の 2年連続の「シード権入り」は同校初。
●「12位」中央大學は「往路19位」から「復路3位」と巻き返し、「総合12位」までカムバック。「創部100周年」で「総合3位」を目指しながら、往路の不調が響いて 9年ぶりのシードには届かず。それでも、「優勝14回」を誇る名門復活の兆しが見えた。
●神奈川大學は「13位」だった。往路を「8位」で終え、 4年ぶりのシード入りも見えていた。「9区」の高橋銀河選手は区間最下位の「20位」と大ブレーキとなり「総合15位」にまで転落。 4年連続でシードを逃した。
●拓殖大學は「15位」だった。昨年の「13位」よりも後退し、 2年連続で「シード権」獲得を逃した。往路は「10位」だったが、「6区」佐々木が「区間18位」と失速し、一気に「14位」に後退。波に乗れなかった。
記事をまとめてみました。
<第97回箱根駅伝>◇ 3日◇復路◇箱根-東京( 5区間 109.6キロ)
「第97回箱根駅伝」では、「新型コロナウイルス感染症対策」から、例年のような沿道での応援を自粛するよう、主催する「関東学生陸上競技連盟」から通達がなされていた。それでも、 2日間を通じて沿道で観戦する人の姿が多くみられた。
特に最終区間の「10区」では、ゴールに向かって走っていくランナーを見ようと、大勢の人が重なり合ったり、沿道から身を乗り出すようにして応援する様子もみられた。
箱根駅伝を生中継した日本テレビでは、画面に「沿道での観戦はお控えください」とテロップを出すなどして、「観戦自粛」への理解を呼びかけた。
観客のいない小田原中継所=小田原市箱根湯本・鈴廣かまぼこ博物館前
駒大が残り 2キロで創価大を「大逆転」し、13年ぶり 7度目の「総合優勝」を果たした。創価大はリードを守れず初の「総合優勝」を逃し「準優勝」。往路で「12位」に沈んだ青学大は「復路優勝」を果たし、「総合4位」で意地を見せた。
駒大、創価大、東洋大、青学大、東海大、早大、順大、帝京大、国学院大、東京国際大が来年のシード権を得た。明大は「11位」でシード権を逃した。
戸塚中継所付近では沿道に観客が大勢集まる場面も見られた=横浜市・戸塚区
歴史に残る劇的なレースに心打たれた。ただ沿道に目を移すと、心が痛かった。例年のように、何の遠慮もなく、声援を送り、目立つかぶり物をする人もいた。選手の心情を推察する。ずっと支えてくれた家族、恩師。話を聞いた多くの選手が、世話になった人に「テレビ」の観戦をお願いしていた。本当は「生」で見てもらい、成長や恩返しを示したかった。だが、緊急事態宣言も再び出る可能性もある情勢。感染拡大を防ぐために、それはできないと受け入れていた。
ゴールに向かう駒澤大學「10区」石川拓真選手を見守る沿道の人々=東京・大手町
「関東学生陸上競技連盟」の発表によると、観客数は18万人。例年、観客は 100万人を超えており、その数字の大小の是非はともかく、選手としてはやるせない思いもあるはずだった。沿道は出た者勝ちの状況。中止が危惧されたレースが開催されたことに感謝の思いが強い選手は、不平を言わない。ファンの声援は、背中を押すが、誤解を恐れずに言えば、“他人”ばかり。心底から応援してもらいたい人は沿道に姿なく、家で我慢していたのだから。
「東京五輪開催」へ否定的な声は多い。その嫌悪感の一因には「密」を生み出すファンのモラルがあるようにも思えた。
鶴見中継所、創価大學「9区」石津佳晃選手(右)からタスキを受けて笑顔でスタートする「10区」小野寺勇樹選手=横浜市・鶴見区
創価大初の「総合優勝」は最終「10区」、残り 2キロでついえた。小野寺勇樹( 3年)は東京のど真ん中、鍛冶橋交差点付近で、この日エントリー変更の駒大・石川拓真( 3年)に一気に抜かれた。鶴見中継所では 3分19秒もあった貯金を、残りわずかで使い果たした。
小野寺は泣きそうな顔で、必死にゴールテープを切った。ゴール直後に倒れ込み、担架に乗せられ、係員に酸素吸入を受けた。初の「総合優勝」のプレッシャーを最終「10区」で一身に背負った結果だった。
出場 4回目で「往路初優勝」を勝ち取り、この日は「9区」まで「首位」を守った。あと 2キロでついえた初の「総合優勝」は、この劇的な経験を受けて来年以降の夢へと託された。
「2位」でゴールする創価大學「10区」小野寺勇樹選手=東京・大手町
関東の20校とオープン参加の関東学生連合を加えた21ームが参加して行われ、出場 4度目の創価大は「総合2位」だった。「最終10区」(23.0キロ)のアンカー小野寺勇樹( 3年)が大ブレーキ。残り 2キロで「首位」から陥落した。
榎木和貴監督は「選手たちはよく戦ってくれた。アンカーにしっかりと走られる選手を据えられなかったことは指導力不足。決して選手が悪いわけではない。また次の挑戦をしろということ。当初の目標をクリアしたので、前向きにとらえたい」と教え子たちをねぎらっていた。
「2位」でゴールし、チームメートに抱えられる創価大學「10区」小野寺勇樹選手=東京・大手町
「第97回箱根駅伝」で 4度目の出場で「総合準優勝」に輝いた創価大の選手たちの健闘を、OBの公明党国会議員らがたたえた。佐々木さやか参院議員は「箱根駅伝、母校創価大学が総合準優勝!! コロナ禍で厳しい状況だった一年を乗り越えての栄冠。選手の皆さんの努力に心から敬意を表します!」とツイートした。
遠山清彦衆院議員もツイッターで「後輩達の大健闘に心より感謝の拍手を送ります。二日間、世間をアッと驚かせる走りを最後まで続け、私も勇気をいただきました。また来年、頑張ってください!」とエールを送った。岡本三成衆院議員は「感動しました!負けじ魂ここにあり!」と書き込んだ。
「2位」でゴールし倒れ込む創価大學「10区」小野寺勇樹選手(下)=東京・大手町
初の「総合優勝」を目指した創価大が「最終10区」で逆転され、「2位」となった。
アンカーの小野寺勇樹( 3年)は顔をゆがめて苦しそうに走り、フィニッシュすると倒れ込んで担架で運ばれた。痛々しい場面だったが、テレビやラジオの実況が前向きにフォローし、悲劇を和らげた。
日本テレビの森圭介アナウンサーは、小野寺のゴールシーンを以下のように実況した。
「初めての『総合優勝』には届かなかった。目標は『総合3位』でした。目標達成とみればうれしい『準優勝』、ただ、悔しい『準優勝』となったか。『2位』で悔しいと思えるチームになった創価大学、準優勝! この悔しさを来年につなげます」
「2位」でゴールし、担架で運ばれる創価大學「10区」小野寺勇樹選手=東京・大手町
日本テレビは続いて、創価大の選手らが選手寮で喜んでいる様子を放送。小野寺は倒れ込んだが、森アナウンサーは、こう続けた。
「小野寺勇樹、すべての力を使い果たしました。すべてはこの日のために。前回は『10区』の付き添いでした、この小野寺。今年は全く違う景色が広がっていました。自分で走り、そして沿道の声援はなくても、タスキを先頭で受けました。ただこの悔しい思いは、来年きっと生きることでしょう」
ラジオ日本は、槇嶋範彦アナウンサーが伝えた。小野寺のフィニッシュの場面は「胸を張って欲しい。最後、腕を振ってフィニッシュ。力を出し切った創価大学」と健闘をたたえていた。
「55年連続55度目」の出場を誇る名門・駒大が、13年ぶり 7度目の「総合優勝」を土壇場の「大逆転」でつかんだ。10時間56分 5秒だった。
最終「10区」、 3分19秒差で石川拓真( 3年=千葉・拓大紅陵)が創価大を追った。アンカー勝負となった創価大・小野寺勇樹( 3年=埼玉栄)との一騎打ち。前半から飛ばしてジリジリと差を詰めると、逆に失速する小野寺を残り 2キロのところで逆転。そのままフィニッシュテープを切った。
勝利への執念を燃やす大八木監督の「男だろ!」のゲキに応え、「逆転の駒沢」と呼ばれる名門が、「新型コロナウイルス」で異例の新様式での大会となる中、「大どんでん返し」を演じた。
「10区」での「逆転劇」は、1997年に順大が駒大を逆転して以来、20年ぶり 9度目となった。
戸塚中継所から駆け出す駒澤大學「9区」山野力選手=横浜市・戸塚区
関東の20校とオープン参加の関東学生連合を加えた21チームが参加して行われ、駒大が逆転で13年ぶり 7度目の「総合優勝」を果たし、全日本大学駅伝との「2冠」を達成した。
大八木弘明監督は「『9区』終わった時点で無理かなという思いはあった。『区間賞』狙いでいけばいいとアドバイスした。諦めなければ何が起こるかわからないと感じた」
往路は創価大と 2分21秒差の「3位」。「9区」(23.1キロ)を終えた時点では、 3分19秒まで広がった。それでも「最終10区」(23.0キロ)を任されたアンカーの石川拓慎( 3年)が、創価大の小野寺勇樹( 3年)を抜き「大逆転劇」を演じた。
鶴見中継所、駒澤大學「10区」石川拓真選手(右)にタスキをつなぐ「9区」山野力選手=横浜市鶴見区・鶴見市場
関東の20校とオープン参加の関東学生連合を加えた21チームが参加して行われ、駒大が逆転で13年ぶり 7度目の「総合優勝」を果たし、全日本大学駅伝との「2冠」を達成した。
日本陸連の瀬古利彦マラソン強化戦略プロジェクトリーダーは「13年間、苦労したかいがあったね。神さまは見てるよ。本当によかった」と大八木弘明監督をねぎらった。
瀬古利彦マラソン強化戦略プロジェクトリーダー
「最終10区」で衝撃の逆転を演じた駒大(55年連続55度目)が、13年ぶり 7度目の「総合優勝」をつかんだ。
「新型コロナウイルス感染拡大」下の新様式での開催を象徴するように、胴上げも、メンバーの出迎えも自粛する静かな幕切れとなった。
「9区」を終えた時点でトップだった創価大との差は 3分19秒。現実的には、ひっくり返すのは厳しいとみられる大差だったが、石川拓慎( 3年=千葉・拓大紅陵)が諦めない。20.9キロ地点で、失速してきた小野寺勇樹( 3年=埼玉栄)をとらえた。
「箱根駅伝101年の歴史」上、今回で 9回目という、あまり例がない「最終10区」での「逆転V」。喜びを爆発させたいところだが、選手たちは自制した。アンカー石川はゴールの瞬間、両拳を握って広げ「っしゃー!」と声を上げ、駆け寄ってきた神戸駿介主将( 4年=東京・松が谷高)と抱き合った後は、決して大げさには喜ばなかった。
「新型コロナウイルス感染拡大防止」のため、本来であれば大手町で待つ、他区間の選手も大学の寮のテレビで見守った。皆で喜びを共有できるのは、復路6区で区間賞を獲得した花崎悠紀( 3年=富山商)が「『優勝』したら寮で監督を胴上げしたい」と話していた通りの瞬間になりそうだ。
駒澤大學・大八木弘明監督 (2019年12月17日撮影)
55年連続55度目の出場を誇る「逆転の駒大」が、13年ぶり 7度目の「総合優勝」をまさに「大逆転」でつかんだ。
「最終10区」。トップの創価大と 3分19秒差で石川拓真( 3年=千葉・拓大紅陵)が、たすきを受ける。小野寺勇樹( 3年=埼玉栄)を追い、失速した相手の走りと相まって20.9キロ地点でとらえた。一気のスパートで突き放し、両拳を握って広げながらフィニッシュテープを切った。
勝利への執念を燃やし続け、逆転の直後も、監督車から「お前は男だ!」と石川に叫んだ熱血漢、大八木弘明監督も驚く物語のエンディングだった。ゴール地点、東京・大手町で行われた代表インタビューの第一声が物語る。
「まあ『9区』が終わった時点で、もう 3分も離れてましたんで。ちょっと、あぁ無理かなという思いもありましたけど。石川には、自分のペースで、『区間賞』狙いで行けばいいんじゃないか、とアドバイスはしていました。ほんと、諦めなければ何か起きるか分からないんだな、と感じましたね」
「10区」残り 1キロで石川拓真選手(右)に車から声をかける駒澤大學・大八木弘明監督(中央)=東京・大手町
13年ぶりの「優勝」には「そうですね。本当にうれしいです。なかなか勝てなかったですからね。往路も、いい流れでやってくれたのが良かったのかなと思います」。シード落ちなども経験した、この間の苦しさを問われると「なかなかね、いいチームをつくるのに苦労した時でしたね」と、しみじみ振り返った。
ドラマチックな復活劇には「今の 1、 2年生、特に頑張ってくれてたんで。そこに今回、 3年生がしっかり役目を果たしてくれた。いつも 3年生には厳しく言ってたんですけど、本当に今回は 3年生に救われたような感じですね」と感謝した。
「6区」で区間賞を獲得した花崎悠紀( 3年=富山商)から「第2の父親」と慕われた大八木監督。「コロナ禍」の 1年を振り返り「こういう状況ですから、大変な寮生活もありましたんで、その中で選手たちがね、しっかり自分がやることをやってくれたので、この結果に結びついたのかなと思いますね」と最後は教え子たちをたたえ、喜びを分かち合った。
「総合優勝」のゴールテープを切る駒澤大學「10区」石川拓真選手=東京・大手町
55年連続55度目の出場を誇る駒大が、13年ぶり 7度目の「総合優勝」を「大逆転」でつかんだ。
最終「10区」、 3分19秒差で石川拓真( 3年=千葉・拓大紅陵)が創価大を追い、失速した小野寺勇樹( 3年=埼玉栄)を20.9キロ地点でとらえた。一気のスパートで突き放し、両拳を握って広げながらフィニッシュテープを切った。
「優勝」後、神戸駿介主将( 4年=東京・松が谷高)の代表インタビューは以下の通り。
--チームを「優勝」に導いた
チームメートがしっかり走ってくれて、応援だったんですけど、すごく感動させてもらいました。
--最後、石川選手を抱き留めた
そうですね。 3年生とはここまで長くやってきて、石川とはずっと一緒に走ってきたんで、最後、ゴールで見えた時に涙が出てきました。
--来年に、たすきを渡す
駒沢大学、まだまだ力のある選手がいますし、来年以降、下級生が力をつけてきて「2連覇」だったり、かかってくるチームになると思うので、本当に期待しかないです。
「総合優勝」し、ゴールテープを切る駒澤大學「10区」石川拓真選手=東京・大手町
駒大の大八木弘明監督が、チームを今季の「大学駅伝2冠」に導いた。 平成だけで21回も「大学3大駅伝」を制した名監督だが、08年の箱根を最後に勝てない時代が続き、09、18年には箱根の[シード権」を逃すなど、指導方針に悩んでいた。時代の流れに苦しみながら、選手との接し方を変えて、また新しい黄金時代を築こうとしている。
◇ ◇ ◇
時代の流れか-。昔のように、愛情を持ちながら、怒鳴っても、選手はついてこなくなった。大八木監督は「今は、昔のやり方ではやめてしまうから」と笑う。代名詞である「男だろ!」の喝で有名な闘将だが、コミュニケーションの取り方を変えてきた。
総合優勝のゴールテープを切る駒澤大學「10区」石川拓真選手=東京・大手町
昔は「怒る」と「褒める」の割合が「8・2ぐらい。今は5.5ぐらいになったかな」。焼けた肌に鋭い視線と迫力の声だが、最近は表情が柔らかくなった。緊張感は保ちながら、過度に萎縮をしないように心掛ける。「黄金時代」を築いた頃は選手から声をかけるのを待っていたが、それも違う。自ら積極的に「何があった?」「いい練習だったな」「元気がないな?」などと声をかける。
年齢の壁にも立ち向かった。若い時は朝練習に自転車で毎日、選手の走りについていったが、低迷した時はできてなかった。これでは熱意が伝わらないのでは-。そう深く反省した。最近は朝練習では自転車で選手の伴走をする大八木監督の姿がある。
選手からは「第2の父」と慕われ、選手のことは「息子たち」と呼ぶ。監督業は「子どもを育てているようなもの」と話す。LINEもアカウントは持っているが、「文字だけで状況が分からないから、そういうの好きな方じゃない。電話とか直接会って話をしたい。声のトーンとか話し方で察するものもある」。時代の変化とともに変わる姿勢もあるが、“息子”に対する愛情はずっと変わらない。62歳。「個人で日の丸を付ける選手を育てる」ことも目標。指導の意欲は衰えていない。
総合優勝しガッツポーズを作る駒澤大學・大八木弘明監督=東京・大手町
◆大八木弘明(おおやぎ・ひろあき)
1958年(昭33) 7月30日、福島県生まれ。会津工卒後、川崎市役所などを経て83年に24歳で駒大夜間部に入学。 1年で「5区区間賞」、 2年は「2区5位」、 3年で「2区区間賞」を獲得。 4年は年齢制限で出場できず。卒業後はヤクルトで活躍。95年に母校のコーチとなり、助監督を経て04年から監督に就任。主な教え子はマラソンの元日本記録保持者の藤田敦史、「東京五輪」代表の中村匠吾ら。
東洋大が昨年11年連続で途切れた「3位」以内に 1年で復帰した。下級生が奮闘した「往路2位」を受け、逆転には届かなかったが、復路は 4年の 3人も踏ん張った。
「最終10区」では 2年生の清野太雅( 2年)が青学大に抜かれるが、意地で抜き返して「3位」を死守。「 4年生がつないでくれたので『4位』で終わらせてはいけないと思った」と力強く語った。
鶴見中継所、東洋大學「10区」清野太雅選手にタスキをつないだ「9区」小田太賀選手=横浜市・鶴見区
東洋大が「定位置」に返り咲いた。11時間57秒の「3位」で箱根路を走りきった。
2分14秒差の「2位」でのスタートから、一時は「4位」まで順位を落としたが、「8区」の野口英希( 4年)の「区間2位」( 1時間 4分15秒)の快走などでたすきをつないだ。「10区」の清野太雅( 2年)は「3位」で大手町に向かい、一時は青学大にかわされて「4位」になったが、抜き返して「3位」でフィニッシュした。前年は「10位」に沈み、11年連続の「3位」以内が途切れた。逆襲にかけた大会だった。
「3位」でゴールする東洋大學「10区」清野太雅選手=東京・大手町
昨年は選手層の薄さを敗因と分析した。酒井俊幸監督が選手たちに強調したのは、「 1人 1人がまず自分の現状を考えて、自分で行う力を養っていくこと」。誰かに頼らずに全員がキーマンという自覚を促した。
チームは「新型コロナウイルス」の影響で 4月から 9月まで全体練習ができなかった。さらにその後も、寮の密を下げるために、寮で残ってトレーニングする選手と、自宅待機する選手と 2つに別れてトレーニングを積んできた。その中で選手おのおのが課題に向き合い、自立して練習に取り組んできていた。
来年は「8年ぶりの『総合優勝』」を目指す。
前回王者の青学大が、復路で意地の逆襲を見せた。「復路12位」スタートから「総合4位」まで順位を上げてフィニッシュした。
往路は連覇が絶望的となる「12位」。原監督は「『優勝』というのはうそになる。確実に『シード権』をとりにいきたい」と目標を修正した。ただ直近 6年で「5度優勝」の王者として、このまま終わるわけにはいかない。けがで出場できなかった主将の神林勇太( 4年)は、復路の選手が出発する際に「やれることをやってこい」と送り出したという。原監督も「『復路優勝』して意地を見せよう」とゲキを飛ばした。
鶴見中継所、青山学院大學「9区」飯田貴之選手(左)は「10区」中倉啓敦選手にタスキをつなぐ=横浜市・鶴見区
王者のプライドが選手たちの背中を押した。「6区」高橋勇輝( 3年)が「区間3位」で「10位」、「7区」近藤幸太郎( 2年)が区間「3区」で「7位」まで上げて、「シード権争い」から脱出した。
そして「8区」岩見秀哉( 4年)も区間「3位」の走りを見せた。14.5キロ地点では、給水係となった主将の神林から力水をもらって「5位」浮上。岩見と「背中を押してもらった。自身をもってレースに臨めた」と感謝。「9区」飯田貴之( 3年)は「区間2位」で「4位」まで上げた。
往路は「2、3、5区」で「区間2ケタ順位」となり、まさかの「12位」。「連覇」は逃したが「青学、強し」を印象づける復路の走りだった。
ゴール後、取材に応じる「総合4位」の青山学院大學・原晋監督=東京・大手町
往路で10年ぶりの「2桁順位」となる「12位」に沈んだ青学大が、 2年ぶり 6度目の「復路優勝」を果たした。
原晋監督)は「ぜいたくを言えば『3位』まであと一歩だった。東洋大が強かった。『復路優勝』できたのでこういうときもある。来年につながる走りをやってくれた。『12番』からのスタートで私自身、モチベーションが下がっていた。学生たちを見て、『この子たち強いな』と思った」とねぎらっていた。
原晋監督は昨年12月末に疲労骨折が判明し、予定していた「3区」に起用できなくなった神林主将に「走らせてあげたかった。彼がこのチームをまとめてくれた。スタートラインに立たせることができず、指導者として申し訳なく思っている。サラリーマンになって、カリスマ営業マンになってくれると思う」と声を詰まらせ、エールを送っていた。
小田原中継所で「7区」本間敬大選手(右)にたすきを渡す東海大學「6区」川上竜士選手=小田原市箱根湯本・鈴廣かまぼこ博物館前
東海大は「総合5位」で「往路5位」から浮上できなかった。「6区」川上勇士( 2年=市船橋(が「3位」に上がり、「7区」本間敬大( 3年=佐久長聖)も追ってきた東洋大エース西山を競り落としたが、その後粘れず後退した。
「1区2位」の塩沢稀夕( 4年=伊賀白鳳)主将はアンカー竹村拓真( 2年=秋田工)を出迎え「復路の 5人も信頼できる選手です。来年、頑張ってほしい」。復路全員と往路の 1年生 2人が「箱根デビュー戦」。今回の経験が来年へ力になる。
鶴見中継所、東海大學「9区」長田駿佑選手(左)は「10区」竹村拓真選手にタスキをつなぐ=横浜市・鶴見区
往路「5位」から反攻を期した東海大だが、順位を上げることはできず、「総合5位」でゴールした。
「6区」の山下りで川上竜士( 2年)が「区間5位」、 2人抜きの激走で「3位」に上がった。「7区」の本間敬大( 3年)が東洋大のエース西山和弥( 4年)に追撃をかわしてつないだが、「8区」浜地進之介( 2年)が「区間15位」、「9区」長田駿佑( 3年)が「区間9位」と振るわず、 1つずつ順位を落とした。
「総合5位」でゴールした東海大學「10区」竹村拓真選手(左)。右は「1区」の塩沢稀夕選手=東京・大手町
往路に塩沢稀夕主将ら 4年生 3本柱と 1年生 2人を配し、往路を制して逃げ切り「総合優勝」のプランを描いたが空転。復路の 5人はすべてが箱根デビューの 2、 3年生という布陣で逆襲ならず。この経験と悔しさを来年に生かすことになる。
戸塚中継所で早稲田大學「9区」小指卓也選手(右)は「8区」千明龍之佑選手からたすきを受け取る=横浜市・戸塚区
早大は「往路11位」のシード圏外から「復路4位」と追い上げ、前回を 1つ上回る「総合6位」で終えた。
しかし、相楽監督が掲げていたのは「総合3位以内」。11月の全日本は「首位」を走ることもあっただけに、消化不良が残る結果だ。この 2年課題だった「5区」の山登りで、今年も「区間19位」と失速したのが最後まで響いた。古豪復活には山が課題となる。
小田原中継所に到着する順天堂大學「6区」清水颯大主将=小田原市箱根湯本・鈴廣かまぼこ博物館前
「7位」順大の清水颯大主将が「6区」を「区間2位」で駆け下りた。「箱根には縁がないと…。チームの勢いを持ち上げられた」と 2人抜いて「5位」に浮上した。
4年連続の箱根で 3年連続の「6区」。過去 2年は「区間15位、12位」で長門監督に「もう( 6区は)いいです」と申し出たことも。 1週間前に 3度目の覚悟を固めた主将の意地が「7位」、シード奪回につながった。
「総合8位」でゴールした帝京大學「10区」山根昂希選手(右)。左は倒れ込む「同7位」の順天堂大學「10区」原田宗広選手=東京・大手町
「8位」の帝京大は 3年連続復路で順位を上げ、前回は同校最高位の「4位」。今年は、山登りの「5区」で細谷が「区間賞」を獲得し、「往路4位」で終えた時は、得意の復路での逆転も見えかけた。
しかし、復路滑り出しの「6区」で三原が最下位の「区間20位」。総合でも「9位」に転落し、「4年連続シード権確保」もシードを守るのが精いっぱいだった。
平塚中継所、笑顔でタスキをつなぐ東京国際大學「7区」佐伯涼選手=平塚市
「シード権争い」は、東京国際大が「10位」に滑り込んだ。
「往路6位」からのスタートだったが、「9区」加藤純平( 4年)が「区間14位」で、シード権ギリギリの「10位」まで沈んだ。だが「11位」から追いすがる明大を、最後は26秒差で振り切った。
東京国際大の 2年連続の「シード権入り」は同校初。
平塚中継所、タスキをつなぐ東京国際大學「7区」佐伯涼選手(左)と「8区」熊谷真澄選手=平塚市
東京国際大は7区の佐伯涼( 4年=須磨学園)が「区間賞」で現役ラストランを飾った。
小田原から平塚を 1時間 3分10秒で駆けて「全体7位」から「5位」に。「駅伝人生で初めて順位を上げられた。(昨年エースの伊藤)達彦さんや(前日「2区」で「区間新&14人抜き」の)ヴィンセントの感覚を味わえた」と完全燃焼した。
このリードを守って「総合10位」。昨年の「5位」には及ばなかったが、初の「2年連続シード権」を獲得した。
「総合12位:でゴールする中央大學「10区」川崎新太郎選手=東京・大手町
「12位」中大は「往路19位」から「復路3位」と巻き返し、「総合12位」までカムバック。
「7区」中沢、「10区」川崎の「5位」など全員が「区間7位」以上の安定した走りだった。「創部100周年」で「総合3位」を目指しながら、往路の不調が響いて 9年ぶりのシードには届かず。それでも10人中 7人が 3年生以下の若いメンバーで、「優勝14回」を誇る名門復活の兆しが見えた。
「13位」でゴールする神奈川大學「10区」佐々木亮輔選手=東京・大手町
神奈川大は「13位」だった。往路を「8位」で終え、 4年ぶりのシード入りも見えていた。
しかし、「7区」で落合が「区間17位」とつまずき、「総合11位」とシード圏外に。「9区」の高橋は区間最下位の「20位」と大ブレーキとなり「総合15位」にまで転落した。最後の「10区」のアンカー、佐々木が「区間2位」と好走したが、時すでに遅し。 4年連続でシードを逃した。
平塚中継所、タスキをつなぐ拓殖大學「7区」吉村陸選手(左)と「8区」江口清洋選手=平塚市
拓大は「15位」だった。昨年の「13位」よりも後退し、 2年連続で「シード権」獲得を逃した。
往路は「10位」だったが、「6区」佐々木が「区間18位」と失速し、一気に「14位」に後退。山下監督が「若いチーム。失敗を恐れずに」と話していた通り、 2年 4人、 3年 1人の復路で臨んだが、「区間1桁順位」に 1人も食い込めず、波に乗れなかった。
「総合15位」でゴールしチームメートと引き揚げる拓殖大學「10区」工藤翼選手(中央)=東京・大手町
復路順位
総合順位 (上位10位までがシード校)