●「令和の大波乱」が起こった。出場 4回目の創価大學が、 5時間28分 8秒で初の「往路優勝」を果たした。「4区」の嶋津雄大選手( 3年)が後続と 1分42秒差をつけるトップに立ち、流れを呼び込んだ。昨春から休学し、 9月に復帰したばかり。失明の可能性もある「網膜色素変性症」を抱えるランナーが、榎木和貴監督(46)も「予想してなかった」という初出場から 6年目の歓喜の立役者になった。ダークホースが作った「2位」東洋大學との差は、 2分14秒。嶋津だけでなく、走った全員が「区間6位」以上。その「6位」は「2区」の留学生フィリップ・ムルワ選手( 2年)だったことが、チーム力を物語る。平成以降、 2分以上の復路の「逆転V」は 2校のみ。先頭は第 1中継車を風よけにもできる。昨年 9位に続く大会のスローガン「もう一花咲か創価(そうか)!」。浴びる脚光を力とし、大輪の花を咲かせる。
●神奈川大學が17年大会の「往路6位」以来のシード権内、「8位」で往路を終えた。目標の「10位」以内の「シード権獲得」に、安定した力を発揮した。
●「連覇」がかかる青学大學が、まさかの「往路12位」に沈んだ。主将の神林勇太選手( 4年)はレース 5日前に右足疲労骨折が判明。予定の「3区」で起用できずに精神的な支柱を欠いた。「2、3、5区」が「区間2ケタ順位」となる不発。青学大の往路シード圏外は11年「16位」以来10年ぶりとなった。原晋監督(53)は目標を「10位」以内に軌道修正した。酸いも甘いもかみ分けた原監督は、現実を見据えた。連覇が絶望的になる往路「12位」。今大会の目標を聞かれて、下方修正した。復路を残して、事実上の“敗北宣言”。トップ創価大と 7分35秒差を考えれば、希望的観測はできない。「優勝」 5度の名将は、すぱっと現実路線に切り替えた。「2区」中村唯翔選手( 2年)、「3区」湯原慶吾選手( 3年)は「区間14位」。留年して“5年生”で山登りの「5区」にかけた期待の竹石尚人選手( 4年)にはアクシデント。両足がつりかけてストレッチを 2度行った。同じ症状を起こした 2年前の悪夢が再燃。山は高く険しかった。
●オープン参加の関東学生連合は「20位」相当だった。「1区」の難波天(麗沢大學= 4年)が「10位」相当も、その後は順位を下げた。「コロナ禍」で全員が集まれたのは合同練習と筑波での 2泊 3日合宿の 2回だけ。「5区」を走った杉浦慧(慶應大學= 3年)がオンラインミーティングで主将に立候補し、「連合は箱根に必要」をスローガンに結束を高めた。筑波大の弘山勉監督は復路を見据えた。
●日本テレビで解説を務めた日本陸連の瀬古利彦マラソン強化戦略プロジェクトリーダー(64)は、「想像つかなかった。『優勝候補ナンバーワン』にしていた。創価大の走りがみんなの走りを狂わせた感じ。伏兵が走った」と驚いていた。
●前回大会を席巻したナイキ社の「厚底シューズ」は今回も大半の選手が採用。鮮やかな色彩で目を引く“本家”の人気は変わらない。 この 1年で他メーカーも追随して「厚底モデル」を発表。創価大學の嶋津は前回「10区」で「区間新記録」を打ち立てた際と同じミズノ社の、やや底の薄い真っ白なものを履いてトップに上がり、再び目立った。
記事をまとめてみました。
<第97回箱根駅伝>◇ 2日◇往路◇東京-箱根( 5区間 107.5キロ)
「令和の大波乱」が起こった。出場 4回目の創価大が、 5時間28分 8秒で初の「往路優勝」を果たした。
「4区」の嶋津雄大( 3年)が後続と 1分42秒差をつけるトップに立ち、流れを呼び込んだ。昨春から休学し、 9月に復帰したばかり。失明の可能性もある「網膜色素変性症」を抱えるランナーが、榎木和貴監督(46)も「予想してなかった」という初出場から 6年目の歓喜の立役者になった。創価大は「2位」の東洋大に 2分14秒の大差をつけ、 3日の復路に臨む。
◇ ◇ ◇
何もかもが異例だった2020年を象徴するかのような、サプライズが起きた。初出場から6年で、今回が 4回目、最高順位は「総合9位」。「大学3大駅伝」は、出雲も全日本も出場したことすらない。その創価大が、いつもと違う閑散とする芦ノ湖に最初にやってきた。史上19校目の「往路優勝」を遂げた榎木監督は「往路優勝は予想してなかった。本当に頼もしい」。選手をたたえながら、目を丸くした。
「4区」、タスキを握り力走する創価大學・嶋津雄大選手=平塚-小田原間
流れを手繰り寄せたのは4区の嶋津だった。「優勝候補・東海大」を34秒差で追う「2番手」で走りだす。差は広がるかと思われた前評判を裏切っていく。 5.6キロ。背中を捉え、すぐに前に出て追い抜いた。あとは 1人旅。最後はつりそうになる左足を、拳でたたきながら、気力で進んだ。タスキを渡し、コースに一礼すると、左足が伸びたまま倒れ込んだ。その苦悶(くもん)が終わると、「『1位』でタスキを渡せたのがうれしい。自分の役目を果たせた」と笑顔だった。
スポットライトを浴びる快走の裏で、失明の可能性もある網膜色素変性症とも闘う。強い紫外線は視力を妨げるため、レースでキャップは手放せない。検査では「前より少し進行しているかな」と言う。まだ根本的な治療が見つかっていない病と向き合う青年がヒーローになった。
ただ、心が不安定な時期もあった。前回も「10区」で「区間新」を出し、小説家を志していることでも注目された。急な環境の変化もあり、昨春後から休学した。復帰したのは 9月。「0からのスタートだった」。 1人で合宿を積んだ当初は10キロも走れない。「 1キロ 5分が全力疾走。 1キロ 8分でも心拍数が 170~ 180」と言うほど体力は落ちた。そこから月 800キロ走り込み、持ち直した。休学期間は外から客観視することで、走る喜びも再確認した。以前は難しかった、仲間の成長を素直に喜べる精神的な余裕も生まれた。
小田原中継所で「5区」三上(左)にトップでたすきを渡す創価大學「4区]嶋津雄大選手=小田原市
ダークホースが作った「2位」東洋大との差は、 2分14秒。嶋津だけでなく、走った全員が「区間6位」以上。その「6位」は「2区」の留学生フィリップ・ムルワ( 2年)だったことが、チーム力を物語る。指揮官は「先頭を走る喜びを楽しみながら、残り 5区間の選手が走ってくれれば」。平成以降、 2分以上の復路の「逆転V」は 2校のみ。先頭は第 1中継車を風よけにもできる。昨年 9位に続く大会のスローガン「もう一花咲か創価(そうか)!」。浴びる脚光を力とし、大輪の花を咲かせる。
◆創価大學
「宗教法人創価学会」の会長だった池田大作氏によって1971年(昭46)に創設。当初は文系のみの大学だったが、91年に工学部、13年に看護学部、14年に国際教養学部が設置されるなど、文理 8学部10学科の総合大学となった。本部は東京都八王子市。主な卒業生にプロ野球小川泰弘(ヤクルト)、小谷野栄一(オリックスコーチ)、元国土交通大臣の北側一雄氏ら。
「箱根駅伝往路優勝」のゴールテープを切る創価大學「5区」三上雄太選手=箱根・芦ノ湖
◆嶋津雄大(しまづ・ゆうだい)
2000年(平12) 3月28日、東京都町田市生まれ。中学入学後に陸上長距離を始め、都立若葉総合高時代に「都駅伝1区」で「2年連続区間賞」。「青梅マラソン優勝」。自己ベストは5000メートル14分 3秒65、 1万メートル29分 1秒84。趣味は音楽、アニメ鑑賞。文学部人間学科 3年。 170センチ、55キロ。
◆網膜色素変性症
目の奥にある網膜という薄い膜に異常が起こり、光を感知しづらくなる。ほとんどが遺伝による発病で、数千人に 1人の割合とされる。進行性で、多くは暗い場所が見えにくくなることにはじまり、視野狭窄(きょうさく)、視力低下などに進行し、失明の場合もある。まだ根本的な治療は見つかっていない。
小田原中継所で「5区」北崎拓矢選手(右)にたすきを渡す神奈川大學「4区」西方大珠選手=小田原市・箱根湯本
神奈川大が17年大会の「往路6位」以来のシード権内、「8位」で往路を終えた。
「1区」の呑村が「4位」の好スタート。「4区」から「5区」の小田原中継所で、「4区」の西方が、たすきを渡す直前に転倒した。しかし、前転するようにして起き、「5区」の北崎にたすきをつなぎ、事なきを得た。目標の「10位」以内の「シード権獲得」に、安定した力を発揮した。
「連覇」がかかる青学大が、まさかの「往路12位」に沈んだ。主将の神林勇太( 4年)はレース 5日前に右足疲労骨折が判明。予定の「3区」で起用できずに精神的な支柱を欠いた。「2、3、5区」が「区間2ケタ順位」となる不発。青学大の往路シード圏外は11年「16位」以来10年ぶりとなった。原晋監督は目標を「10位」以内に軌道修正した。
◇ ◇ ◇
酸いも甘いもかみ分けた原監督は、現実を見据えた。連覇が絶望的になる往路12位。今大会の目標を聞かれて、下方修正した。
原監督 ゲームオーバーという形。「優勝」というのはうそになる。確実にシード権(10位以内)をとりにいきたい。プライドは忘れることなく、攻めのレースをして、自分の能力を 100%発揮できるレースプランで、走ってもらいたい。
戸塚中継所で青山学院大學「2区」中村唯翔選手(左)は「3区」湯原慶吾選手にたすきを渡す=横浜市・戸塚
復路を残して、事実上の“敗北宣言”。トップ創価大と 7分35秒差を考えれば、希望的観測はできない。「優勝」 5度の名将は、すぱっと現実路線に切り替えた。
異変はレース 5日前に起こった。当日変更で「3区」を予定した神林の「右足疲労骨折」が判明。前回大会「2区」で快走して「往路V」をよんだ岸本大紀( 2年)もケガで不在。「急きょ『3区』に湯原を起用したが、うまく流れに乗れなかった」と指揮官。
「2区」中村、「3区」湯原は「区間14位」。留年して“5年生”で山登りの「5区」にかけた期待の竹石にはアクシデント。両足がつりかけてストレッチを 2度行った。同じ症状を起こした 2年前の悪夢が再燃。竹石は「なかなか体が動かずに中盤以降でけいれんしてしまった。意識と走りが一致しなかった」。山は高く険しかった。
「往路12位」でゴールする青山学院大學「5区」竹石尚人選手(右)=箱根・芦ノ湖
原監督が「何かあれば、俺が前面に出る」と「コロナ禍」でも全員が選手寮に残った。「風邪をひいて『コロナ』以外で病院のお世話になるのは避けたい」と練習量は 3割カット。「感染症対策」を徹底すると、部員も自主的に「不要不急の外出」を控えた。それでも練習する姿を見て、朝の 5時半に「自粛警察」から「マスクもせずに、お前ら何考えているんだ」と電話もあった。指揮官は「でもノーリスクの世界はない」と「コロナ」との共存を掲げて、鍛錬してきた。
ただいくら名将でも「コロナ禍」で大会自体がなくなることはいかんともし難い。原監督は「ガチンコレースというか、勝負を決める大会が少なかった分、強さという尺度で判断する機会が少なかった。神林にすべてを頼っていたところがあったかなと。それが往路を終えての反省です」と潔く言った。「優勝」は見えなくても、復路で前回王者のプライドを見せる。
▽「1区区間6位」の吉田圭太選手
最後に少し離れて悔しいが、最低限の結果だと思う。今の力は出せた。
「往路12位」となり、厳しい表情の青山学院大學・原晋監督(右)=箱根・芦ノ湖
▽「2区区間14位」の中村唯翔選手
チームの皆に迷惑をかけた。他大学のエースに比べて力がなかったのが現実。
▽4区区間4位」の佐藤一世選手
「100点満点」で「50点」。前半はいいペースだったが、後半に粘れなくて悔しい。
<青学大の往路>
1区 吉田圭太( 4年) 区間6位 1時間 3分18秒 「総合6位」 総合記録- トップ法大と18秒差
2区 中村唯翔( 2年) 区間14位 1時間 8分29秒 「総合13位」 総合記録 2時間11分47秒 トップ東京国際大と 2分13秒差
3区 湯原慶吾( 3年) 区間14位 1時間 4分48秒 「総合11位」 総合記録 3時間16分35秒 トップ東海大と 3分55秒差
4区 佐藤一世( 1年) 区間4位 1時間 3分 9秒 「総合10位」 総合記録 4時間19分44秒 トップ創価大と 3分41秒差
5区 竹石尚人( 4年) 区間17位 1時間15分59秒 「総合12位」 総合記録 5時間35分43秒 トップ創価大と 7分35秒差
青山学院大學・原晋監督
青学大は「12位」に沈み、創価大との差は 7分35秒差で「総合連覇」が厳しくなった。原晋監督は「『4区』で佐藤が盛り返したけど、『5区』で竹石が大きく後退し、ゲームオーバーという形になった」と完敗を認めた。「確実にシード権を取りにいきたい。ただ、プライドは捨てず、攻めのレースをしたい。自分の走りができるプランでいきたい」と復路での巻き返しを誓っていた。
「関東学連選抜1区」麗沢大學・難波天選手(左)からタスキを受けて駆け出す「2区」亜細亜大學・河村悠選手=横浜市・鶴見中継所
オープン参加の関東学生連合は「20位」相当だった。「1区」の難波(麗沢大)が「10位」相当も、その後は順位を下げた。
「コロナ禍」で全員が集まれたのは合同練習と筑波での 2泊 3日合宿の 2回だけ。「5区」を走った杉浦(慶大)がオンラインミーティングで主将に立候補し、「連合は箱根に必要」をスローガンに結束を高めた。筑波大の弘山勉監督は「一斉スタートから何とか勝負に加わって少しでもいいレースをしたい」と復路を見据えた。
瀬古利彦マラソン強化戦略プロジェクトリーダー
青学大は「12位」に沈み、創価大との差は 7分35秒差で「総合連覇」が厳しくなった。日本テレビで解説を務めた日本陸連の瀬古利彦マラソン強化戦略プロジェクトリーダーは、「想像つかなかった。『優勝候補ナンバーワン』にしていた。創価大の走りがみんなの走りを狂わせた感じ。伏兵が走った」と驚いていた。
「第97回東京箱根間往復大学駅伝」第 1日は 2日、東京・大手町から神奈川県箱根町までの 5区間、 107.5キロに関東の20校とオープン参加の関東学生連合を加えた21チームが参加して行われ、創価大が初の「往路優勝」を飾った。
前回大会を席巻したナイキ社の「厚底シューズ」は今回も大半の選手が採用。鮮やかな色彩で目を引く“本家”の人気は変わらない。
この 1年で他メーカーも追随して「厚底モデル」を発表。創価大の嶋津は前回「10区」で「区間新記録」を打ち立てた際と同じミズノ社の、やや底の薄い真っ白なものを履いてトップに上がり、再び目立った。
この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図(国土基本情報20万)を使用しました。(承認番号 平29情使、第744号)