東京都文京区本郷に有る「東京都水道歴史館」に行って来ました。
「東京都水道歴史館」は、天正18年(1590年)、徳川家康の江戸入府と同時に、良質な飲料水を得るために上水が造られたと伝えられています。家康は江戸の街づくりの第一歩として、何よりもまず飲料水の確保に目を向けたのです。
この上水は、やがて神田上水へと発展し、そして承応 3年(1654年)には玉川上水が完成。世界有数の 100万都市江戸の人々の暮らしを支えて来ました。
明治時代に入ると、コレラの大流行などが近代水道の建設を促した。明治31年(1898年)には淀橋浄水場が通水を開始し、東京近代水道の始まりとなりました。
江戸・東京の発展の歴史は、すなわち水道の成長の歴史でもある。いかに水を確保するか、というたゆまぬ努力は昔も今も変わらないという事を展示している「東京都水道局」が運営するPR施設です。
入館料は無料です。
建物を囲む柵の側には、「江戸の上水井戸」「江戸の水売り」「江戸の長屋の台所」等の絵が有りました。
これを見ると、昔の生活がどんな感じだったのかな?と想像が膨らみますね。
建物の中には、これらに関係する物が展示されていました。
建物に入ると、「展示は 2階からご覧ください」と有りましたので即 2階へエレベーターで上りました。
2階に上がって中でも目に着いたのは、これらの説明でした。
「江戸上水史」では、江戸の上水の発展が分かりますね。
「江戸に水を配る」は、どうやって江戸の市中に水が配られていたのかが分かります。赤い所には、地下に張り巡らせた当時の水道管の分離をする場所です。当時の水道管は現在と違って木製でした。木と木を繋ぐのに船に使う水漏れ防止剤を利用していたと言うことです。
昔は、今みたいに洋服では無く和服でしたのでこの様にして着物を洗濯して干した物でした。そう言えば、虎ちゃんのお婆さんや母親等は和服をこの様にして洗濯していました。
昔の井戸端です。ここではかつて昔洗濯をしたり野菜を洗ったりしたものでした。
近づくと、どこからとも無く井戸端会議の音声が始まりました。
これらは、昔(多分江戸時代)の民家の模様です。こちらも場所に寄っては豆腐売り等の声の音声が流れました。
昔は長屋が多かった為に、長屋風にセットが組まれていました。
さらに進むと、「長屋の井戸端風景(模型)」が有りました。
地下を通る水道管から井戸で水を汲み上げている風景や、物干し竿を使って洗濯物を干す姿が見えます。また、奥からは物売りのおじさんがこちらに向かって歩いて来ている風景が見えました。何を売っているのでしょうね?
「神田上水」「玉川上水」「千川上水」がどの様に流れているのか、このモニターで分かるようになっています。
「玉川上水」の物語が人形劇と後のモニターで説明されていました。
これと上のモニターは電動していて、物語の進行に従ってランプが着く仕組みになっていました。
1階に下りると、そこは 2階展示物以降の現代までのコーナーになっていました。
エントランスから 1階展示場の方を見ると、ドームの中が展示室の様になっている感じがしました。
また、左側には滝の絵と小さな水場が有りました。水場では、滝を表現したのでしょう。水が流れていました。この写真では流れているが分かりにくかったですね。
「水圧計」「消火栓」の模型です。模型としましたが、もしかすると昔実際に使われていた物かも知れません。
それらには、「東京市(東京都)」のマークがついています。
こうやってみると、「東京都のマーク」は昔からのまま使われている事が分かります。
「馬水槽」です。
この「馬水槽」は、「ロンドン」の牛馬給水槽協会から「東京市」に寄贈されたもので、明治39年(1906年)東京府庁舎前に設置され、市設共用栓として給水されていました。
この他にも「聴音機」の模型や見所は有りましたが、今回はここまでで終わりとします。
※東京市:旧東京府東部に1889年(明治22年)から1943年(昭和18年) 6月までの間に存在していた市。東京23区または東京特別区とも呼ばれる現在の東京都区部に相当する。
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