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長嶋、松井両氏に国民栄誉賞!長嶋氏「驚いておりますが光栄です」松井氏「ただただ恐縮しております」

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 政府は 1日、プロ野球元巨人監督の長嶋茂雄(77)、巨人や米大リーグのヤンキースで活躍した松井秀喜(38)両氏に、プロ野球の発展に貢献したなどとして国民栄誉賞を授与する方針を固めた。記事をまとめてみました。

 政府は 1日、プロ野球元巨人監督の長嶋茂雄、巨人や米大リーグのヤンキースで活躍した松井秀喜両氏に、プロ野球の発展に貢献したなどとして国民栄誉賞を授与する方針を固めた。異例の同時授与となる見通しだ。
 長嶋氏は野球界にとどまらず、戦後日本を代表する国民的スーパースターとして「ミスタープロ野球」などと呼ばれた。菅義偉官房長官は 1日の記者会見で「社会に夢と希望を与えた。野球界の発展に貢献した」と理由を説明。同時に「事務当局に検討を指示した。関係者の意見を聞いて最終判断する」と語った。
 長嶋氏は1958年に立教大から巨人入り。1959年に天皇、皇后両陛下を迎えての初の「天覧試合」で本塁打を放った。1974年に「巨人軍は永久に不滅です」の言葉を残し現役を引退した。
 松井氏は石川・星稜高から1993年にドラフト 1位で巨人に入団。10年間プレーした後、2003年にヤンキースに移籍し、エンゼルス、アスレチックス、レイズと合わせて10年間プレー。ヤンキースでプレーした2009年にはワールドシリーズ制覇に貢献し、同シリーズの最優秀選手(MVP)に選出された。
 菅氏は松井氏への授与に関し「日米の多くの国民に親しまれ、感動や喜びを与えた」と述べた。
 国民栄誉賞は1977年に野球の本塁打世界記録を達成したプロ野球の王貞治選手(当時)の功績をたたえるため創設された。安倍政権になった今年 2月、大相撲で史上最多32回の優勝を記録した元横綱大鵬の故納谷幸喜氏が受賞。プロ野球選手への授与は1987年の衣笠祥雄氏以来となる。

 巨人長嶋茂雄終身名誉監督のコメント。(官房長官会見で国民栄誉賞授与を検討との発言があったことを受けて)
 「国民栄誉賞のお話には驚いておりますが、受賞が決まれば本当に光栄です。まして、監督と選手として苦楽をともにしてきた松井君と一緒にいただけるということであれば、これ以上の喜びはありません。 5月 5日には、その松井君の引退セレモニーが東京ドームで行われ、私たちが最も濃密な時間を過ごした場所で、彼の姿をまぶたに焼き付けることができるということで、今からとても楽しみです」。


$阪神ファンのアスリート・虎ちゃん77のスポーツ日記-嶋監督退任セレモニーで握手する松井秀喜氏
 2001年、長嶋監督退任セレモニーで花束を渡し握手する松井秀喜氏

 政府が国民栄誉賞を授与する方針を固めたことを受け、米ニューヨークにいる松井秀喜氏は関係者を通じてコメントを発表した。
 「ただただ恐縮しております。長嶋監督の受賞は日本中の方々が納得されると思いますが、私は監督に愛情を注いで頂き、20年間プレーすることができました。ですから、この賞もひとえに監督のおかげです。正直、現時点で私が頂いてもいいのか、という迷いもありますが、今後、数十年の時間をかけて、この賞を頂いても失礼ではなかったと証明できるよう、これからも努力していきたいと思います」。

 史上 8人目の国民栄誉賞を受賞した大相撲の九重親方(57=元横綱千代の富士)が 1日、長嶋茂雄氏、松井秀喜氏の受賞を祝福した。
  2人とは一緒にゴルフをした経験もあり、「おめでたいことです。長嶋さんは当然のこと。第 1号の王さんと同じ時代で活躍しただけに、遅いくらい。松井くんも大リーグで頑張っていたので値する。亡くなってからでなく、元気なうちにもらえるのはうれしいこと」と喜んだ。自身は1989年 9月28日の現役時代に受賞。「私もよっしゃ、頑張るぞとなれました。大きな価値がありました」と話した。

 長嶋、松井両氏へ国民栄誉賞が授与される方針が伝えられると、プロ野球界からは祝福の言葉が続いた。
 ソフトバンクの王貞治球団会長は、長嶋氏と「ON」として日本シリーズ 9連覇を達成し、巨人の黄金時代を支えた。1977年に初の国民栄誉賞を受賞した“先輩”でもあり「長嶋さんに授与されていないこと自体、不思議に思っていた。松井君にも授与の方針ということは、野球界にとどまらず、スポーツ界にとっても励みになる」と歓迎した。
 楽天の星野仙一監督は、選手、監督時代にライバルとして長嶋氏に対した。「どれだけの人がテレビの前、お茶の間に引きつけられたか。涙が出るくらいうれしい。遅すぎたくらい」と感激の様子だ。
 巨人の原辰徳監督は、2002年に長嶋氏から巨人監督の任を引き継ぎ、現役時代の晩年には若手だった松井氏とともにプレーした。「野球人として最も尊敬する先輩と後輩の 2人に、大変名誉ある賞の授与が検討されていると聞き、わがことのようにうれしく、感動しています。今後の野球界の発展のためにも、極めて意義深いものになるでしょう」と喜んだ。
 DeNAの中畑清監督は「ミスターほど国民栄誉賞にふさわしい人はいない。若くして受賞したゴジ(松井氏)には、おめでとうという言葉を伝えたいし、ミスターの受賞には、遅すぎたという思いがしている」と心境を述べた。


<関係者の祝福コメント>
▽衣笠祥雄氏(元プロ野球選手、1987年に国民栄誉賞受賞)の話:長嶋さんについては、いつか、いつかという期待感が強かった。受賞されてうれしい限りです。その長嶋さんが育てた松井選手が海を渡り、ワールドシリーズのMVPを獲得した。これらが認められ、同時受賞となったのでしょう。おめでとうございます。

▽巨人白石興二郎オーナーの話:記録にも記憶にも残る希代のアスリートであり、まさに師弟とも言うべきお二人そろっての受賞の喜びは、いかばかりかと拝察致します。今後も球界のみならず、日本の明るい未来のためのご活躍をお祈り致します。

▽阪神南信男球団社長の話:おめでたいこと。(長嶋さんは)私らの世代では憧れる人ばかり。野球界の発展にもつながるでしょう。

▽オリックス森脇浩司監督の話: 2人が偉大なのは言うまでもなく、素晴らしいニュース。スポーツ界に与える影響も大きい。

▽阪神和田豊監督の話:長嶋さんは郷土の大先輩であり、私は長嶋さんに憧れて野球を始めた一人。野球界からの受賞はわれわれ野球人としての誇りですし、大変うれしく思っております。

▽ヤクルト小川淳司監督の話:野球界の発展に貢献されたお二人の受賞は、われわれ野球界に身を置く人間としても大変誇りに思うと同時に、心からお祝い申し上げます。

▽中日山本昌投手の話:野球関係者から選んでいただいたことはうれしい。それだけのことをしてきた方々。野球界から一気に2人というのは僕らにとってもうれしい。


$阪神ファンのアスリート・虎ちゃん77のスポーツ日記-長嶋氏と笑顔で握手する松井氏
 松井氏(右)は試合前、ヤンキースタジアムを訪れた長嶋氏と笑顔で握手(2003年 4月)

 巨人は 1日、昨年末に引退した松井秀喜氏の引退セレモニーを 5月 5日の広島戦(東京ドーム)の試合前に行うことを発表した。
 松井氏が入団時の監督を務めた恩師にあたる長嶋茂雄終身名誉監督もセレモニーに同席する予定。当日は松井氏が巨人のユニホームに袖を通し、始球式を務めることなどを球団は計画している。松井氏は「尊敬する名誉監督の前でファンのみなさんにあいさつする機会ができたことをうれしく思います。久しぶりの東京ドームが今から楽しみです」とコメントした。
 長嶋氏は「松井君の姿をまぶたに焼き付けることができるとは感無量です」とコメントした。
 桃井恒和球団社長は「長嶋さんにも(ユニホームを)着てもらって、 3番と55番が並ぶ姿を(ファンも)見たいと思う。球団からお願いしようと思う」と語った。また、巨人から他チームに移籍した選手の引退セレモニーを開催することに「(今までに)ないんじゃないか」と話した。

 日本が世界に羽ばたいた時代、アンチもシンパも関係なかった。「ミスタージャイアンツ」「ミスタープロ野球」と呼ばれ、そして「ミスター」の称号だけで長嶋茂雄氏を指すようになった。「昭和」の野球界を支えたのが同氏なら、弟子の松井秀喜氏は「平成」を代表する野球人だった。
 長嶋氏は1958年に 4連続三振でプロデビューし、1974年限りで現役を引退した。時代は高度経済成長期。1964年に東海道新幹線が開通し、アジアで初となる東京五輪が開催された。王貞治氏とのON砲で、巨人を1965年から 9年連続の日本一に導いた。その間、1970年には大阪万博もあった。
 1974年に「巨人軍は永久に不滅です」のせりふを残してバットを置いた。この年の 6月、松井氏が生まれた。長嶋氏は1975年に巨人監督に就き、リーグ連覇も果たしたが1980年に解任された。世の中がバブル景気に浮かれた時期は、浪人と称して充電期間に充てた。
 1992年オフ、巨人監督に復帰した。バブル崩壊後の時代が要求したかのような復帰だった。直後にドラフト 1位で松井氏を引き当てた。希代の高校生スラッガーは夏の甲子園で 5連続敬遠され、賛否両論の社会問題にも発展していた。
 松井氏は「ゴジラ」の愛称で親しまれた。豪快な本塁打でファンを熱狂させ、1993年のサッカーJリーグ発足による野球人気下降にストップをかけた。長嶋監督を師と仰いで成長し、 3度の日本一に貢献した。
 2003年に米大リーグ、ヤンキースに移籍した。2009年のワールドシリーズで 3本塁打を放ち、日本選手初の最優秀選手に選ばれた。衆院選で民主党が圧勝し、政権交代があった年だった。太平洋を股に掛け、日米の野球ファンを魅了した。


 国民栄誉賞が授与される方針となった元巨人監督の長嶋茂雄、元大リーガーの松井秀喜両氏の略歴。
◆長嶋茂雄氏(ながしま・しげお):千葉・佐倉一高(現佐倉高)から立教大を経て1958年に巨人入り。天覧試合での劇的なサヨナラ本塁打などで勝負強さを発揮し「燃える男」の異名を取った。ソフトバンク球団会長の王貞治氏との「ONコンビ」で巨人の 9年連続日本シリーズ制覇に貢献し「ミスタープロ野球」と呼ばれた。17年間で首位打者 6度、本塁打王 2度、打点王 5度。セ・リーグ最優秀選手(MVP)にも 5度選ばれた。巨人の監督も通算15シーズン務めリーグ優勝 5度、日本一 2度。77歳。千葉県出身。

◆松井秀喜氏(まつい・ひでき):石川・星稜高から1993年にドラフト 1位で巨人に入団。右投げ左打ちの外野手として活躍し、10年間で首位打者 1度、本塁打王 3度、打点王 3度を獲得。セ・リーグ最優秀選手(MVP)に 3度選ばれた。「ゴジラ」の愛称で幅広いファン層に支持された。2003年に米大リーグ、ヤンキースに移籍し、2009年のワールドシリーズでは 3本塁打を放って日本選手初のMVPに輝いた。2010年はエンゼルス、2011年はアスレチックスでプレー。2012年はレイズでプレーし、12月に現役引退を表明した。38歳。石川県出身。


 「ミスター(プロ野球)」の他に「チョウさん」というニックネームも有った(その為に、東映フライヤーズ(当時は日拓ホームフライヤーズになっていた。現在の北海道日本ハムファイターズの前身)から移籍してきた張本勲氏のニックネームが「チョウさん」だったために「ダブル・チョウさん」となってしまうために「ハリさん」に変更したという事まで有った)長島氏と、ゴジラ・松井が揃って国民栄誉賞を受賞なんて素晴らしいですね。
 「ミスター」は、G軍を除いての11球団でも皆が応援する程の国民的な選手だった。虎ちゃんも、長島氏が出てきたらホームランを打たれても嬉しかった一人でした。そんな長島氏にとっては、遅すぎた受賞だと言えるのでは無いでしょうか。
 後に続く現役選手も頑張って、貰える様になると良いですね。







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