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天国に吉報!急逝から19年!針の穴も通す様な正確さを誇った「炎のストッパー」津田恒実さん殿堂入り

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 針の穴も通す様な正確さを誇った炎のストッパー、殿堂入り――。
 野球殿堂入りを決める野球体育博物館の表彰委員会は13日、競技者表彰のプレーヤー部門で元広島の津田恒実投手(享年32)北別府学氏(54)を選出した。津田氏は闘志あふれる投球スタイルで抑えとして活躍。しかし1993年 7月20日、脳腫瘍のため志半ばでこの世を去った。会見には夫人の晃代(てるよ)さん(48)と一人息子の大毅さん(23=会社員)が出席。故人の思い出を語り、受賞を喜んだ。
 特別表彰では元全日本アマチュア野球連盟会長の故・長船騏郎氏、バット素材の研究に従事した故・大本修氏(ともに享年83歳)が選ばれた。殿堂入りは計 177人となった。
 津田氏の19度目の命日にあたる 7月20日の球宴第 1戦(京セラドーム大阪)の試合前、表彰式が行われる。記事をまとめてみました。

$阪神ファンのアスリート・虎ちゃん77のスポーツ日記-津田恒実さんを顕彰するプレート

 炎のストッパー津田恒実の名が、野球殿堂に永遠に刻まれることになった。会見には、夫人・晃代さん、同時選出となった当時のエース・北別府学氏、すでに殿堂入りしている元監督の古葉竹識、山本浩二両氏が並んだ。座右の銘は「弱気は最大の敵」。
 まさに記憶に残る投手だった。代名詞だった 150キロ超の剛球のように、あっという間に駆け抜けた野球人生だった。太く短い野球人生。津田氏は右手中指の血行障害を患い、脳腫瘍に侵され、現役生活は10年で終わった。記録面では野球殿堂入りした先人に大きく劣る。しかし得票は昨年の 212票から 237票へと伸びた。
 「カープが最後に優勝したのは1991年。津田が入院した年なんです。誰もが津田を思い、ポケットにお守りを忍ばせながらプレーした。だから、優勝できたのは津田のおかげなんです…」
 山本氏が、何度も言葉を詰まらせながら、天国の津田さんに感謝の言葉を贈る。「本人の言葉を私が代弁させていただけるなら『自分が抑えで投げられたのも周りの選手が活躍してくれたから』と言うと思います」。晃代さんも目頭を押さえた。


$阪神ファンのアスリート・虎ちゃん77のスポーツ日記-涙を流す晃代夫人
 元広島監督・山本浩二氏の挨拶を聞き、涙を流す津田恒実氏夫人の津田晃代さん

 「マウンドで首を振ったら必ず真っすぐ。味方にも敵にも分かった。それでも真っすぐ勝負にこだわった」。1991年に津田氏とダブルストッパーを務めた広島・大野チーフ投手コーチは振り返る。1986年 5月 8日の阪神戦(甲子園)では、 9回一死満塁で弘田、バースをオール直球で 2者連続 3球三振。同年 9月24日の巨人戦(後楽園)では、直球をファウルした原(現巨人監督)が左手首を骨折した。1991年 4月14日の巨人戦(広島)で、最後の相手となったのがその原。北別府氏の後を受けて 8回から登板も、無死 2、 3塁から同点の左前打を浴びた。そして降板。これが津田氏の生涯最後のマウンドだった。
 10年間で49勝90セーブ。数字だけならば、津田恒実より野球殿堂に近い選手がいるかもしれない。しかし、誰よりも鮮烈な記憶を残して、まさに「炎」のように、その短い人生を燃やし尽くした男。それが津田さんだった。


$阪神ファンのアスリート・虎ちゃん77のスポーツ日記-“炎のストッパー”津田恒実
 記憶に残る大投手だった“炎のストッパー”の異名をとった津田恒実さん。

 1981年にドラフト 1位で広島に入団し、 1年目の1982年にに11勝 6敗で新人王。そこからは苦難との闘いだった。まずは1984年、世界で初めて右手中指の血行障害の手術を受けた。1986年に救援に転向 150キロを超える伸び上がる直球とカーブで、 4勝22セーブでリーグ制覇に貢献し胴上げ投手に。右肩痛を克服した1989年にも12勝28セーブで最優秀救援投手に輝いた。「炎のストッパー」と呼ばれた男の野球人生が、1981年春、暗転した。「頭が痛い…」。開幕前から何度も漏らしていた。 4月14日の巨人戦(広島)の 8回、 1点リードで登板するもわずか 9球で“KO”された。翌日に出場選手登録を抹消され、精密検査で手術不可能な脳腫瘍が見つかった。志半ばでの現役引退。 2年間の闘病中、現役復帰も夢見た。だが1993年 7月20日、帰らぬ人となった。

$阪神ファンのアスリート・虎ちゃん77のスポーツ日記-炎のストッパー、殿堂入り
 北別府学氏、古葉竹識氏、津田氏の長男大毅さん、夫人の晃代さん、山本浩二氏

 普段はひょうきんで明るく、誰からも愛される好青年。マウンドでの激しい投球スタイルとは対照的だったという。「主人は、自分なんかが、と恐縮していると思います」と晃代さん。故郷の山口・周南市に眠る最愛の夫には「よかったね、と伝えたい」と、穏やかな笑みを見せた。
 反応を想像してみると、天国で控えめに喜ぶ夫の顔が浮かんだ。津田氏の晃代夫人は「一番驚いているのは津田本人だと思う。主人はきっと『自分なんかが』と恐縮していると思います」と、本人の思いを代弁した。予想していなかった殿堂入り。熊本に住む夫人は、山口県にある墓前への報告をする暇もなく、上京してきたという。「北別府さんと一緒に選ばれ、本人は感慨深く受け止めていると思います」と、深々と頭を下げた。


$阪神ファンのアスリート・虎ちゃん77のスポーツ日記-思いを代弁した晃代夫人
 会見で津田さんの思いを代弁した晃代夫人

 同時殿堂入りとなった北別府氏は担当スカウトが同じだった縁で、津田さんを弟のようにかわいがった。1986年10月12日、ヤクルト戦(神宮)。北別府→津田のリレーでリーグ優勝を決めた試合だ。この試合、大量リードで 8回をスイスイと投げ終えた北別府氏は、胴上げ投手をあっさり津田に譲った。「今シーズンの優勝は津田のおかげだから」と…。
 「巨人戦は体調が悪いのは分かっていた。つらかったですね」。晃代夫人は自宅テレビで観戦。翌15日に広島市内の病院で精密検査を受け、脳腫瘍と診断された。「ツネ(津田)のためにも優勝しよう」。当時の山本監督やナインはポケットにお守りを忍ばせ、一丸となって優勝を果たした。
 精神面の弱さを克服するため、津田氏は「弱気は最大の敵」「一球入魂」と書いたボールを持ち歩き、マウンドでは阿修羅のごとく振る舞った。しかしユニホームを脱ぐと一転。冗談好きで「優しい人」(晃代さん)になった。ファンの脳裏に今も鮮烈に刻まれる「炎のストッパー」。時空を超えて、その勇姿がよみがえった。


$阪神ファンのアスリート・虎ちゃん77のスポーツ日記-表彰状を受け取る津田晃代夫人
 表彰状を受け取る元広島・津田恒実氏夫人の津田晃代さん(左)

 元気であれば、記憶だけではなく、記録にも残る名ストッパーとして語り継がれるはずだった。入団時の広島監督だった古葉竹識氏(75=東京国際大監督)は「一番の長所はマウンド上でガンガン向かっていく姿勢。投手には最も大事。学生たちにもそう教えています」と、往年の「炎のストッパー」を懐かしんだ。「野球選手として、これからという時だった。最低でもまだ 7、 8年は抑え投手として活躍できたと思う。記録的にも、もっと評価される投手になっていたはず」と、夢半ばで球界を去った才能を、あらためて惜しんでいた。
 津田氏の長男・大毅さん(東京国際大時代に古葉監督の指導を受ける)は、「父の投げる姿はテレビやビデオでしか見たことがない。愛されていたんだな、と改めて感じた。とてもうれしいが、これが本当に自分の父なのか、こんなにすごい人だったのか、と思うと実感が湧かないですね」と語った。


◆津田恒実(つだ・つねみ):1960年 8月 1日、山口県生まれ。南陽工高では1978年に春夏連続で甲子園出場。協和発酵を経て、1981年ドラフト 1位で広島入団。1982年には先発として11勝 6敗をマークし、球団初の新人王を獲得。1985年に「恒美」から改名。右手中指の血行障害などを克服してストッパーに転向。1986年には 4勝22セーブを挙げてチームをリーグ優勝に導き、カムバック賞を受賞。1989年にも最優秀救援投手に輝いた。1991年に脳腫瘍が判明し、現役引退。1993年 7月20日に逝去。享年32歳。通算49勝41敗90セーブ。右投右打。

◆野球殿堂:正式名称は野球体育博物館。1959年に開館。プロで功績を残した人が対象の競技者表彰、アマを含めて野球界に貢献した人が対象の特別表彰があり、今年で競技者表彰は80人、特別表彰は97人の計 177人。競技者表彰は選手経験者が対象の「プレーヤー表彰」、指導者らも対象の「エキスパート表彰」に分かれる。プレーヤー表彰はプロ野球取材経験15年以上の記者が最大 7人連記で投票、有効投票数の 75%以上で選出。エキスパート表彰と特別表彰は、それぞれの選出委員の 75%以上の投票数を獲得した人が選ばれる。表彰者はレリーフ(ブロンズ製胸像額)が殿堂ホールに飾られる。

 津田恒実さんは、虎ちゃんにとっても忘れられない投手の一人でした。虎ちゃんが阪神を応援し始めたのは、忘れられない大投手「村山実投手」を応援するのがきっかけだったが、それに匹敵する程の大投手だと思っています。
 津田恒実さんが巨人相手に投げた時は、「やれ!やれ!東京に戻れない様にしてやれ~!」と応援し、我が阪神を相手にする時には「津田の球は、思っているよりも遅いぞ!一発頼むぞ~!」と応援したものでした。そんな人が、殿堂入りできて良かったと思っています。










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