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Channel: 阪神ファンの障碍(害)者アスリート・虎ちゃん77のスポーツ日記
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ミニウォーク「鎌倉駅西口会話の歴史に触れる」に参加してきました(2)

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 ミニウォーク「鎌倉駅西口会話の歴史に触れる」に参加してきました(1)からの続きです。
 プロ野球記事は、 8日, 9日新潟で広島相手に行われる為に休業日となっているので、今日はウォーキング記事だけになりました。広島には、絶対勝って欲しいですよね。
 では、続きをお楽しみください。

$阪神ファンのアスリート・虎ちゃん77のスポーツ日記-鎌倉
 「海蔵寺」に到着しました。
 この寺は臨済宗建長寺派の寺で、建長 5年(1253)に鎌倉幕府六代将軍宗尊親王の命によって、藤原仲能(道知禅師)が願主となって、七堂伽藍の大寺を建立したが元弘 3年(1333) 5月、鎌倉滅亡の際の兵火によって全焼してしまった。室町時代の応永元年(1394)になって、関東菅領・足利氏満の命により執事の山内上杉憲定が再興。薬師如来を本尊とする大寺で盛時には谷戸一帯に塔頭が立ち並ぶ程であったが、今はことごとく廃絶してしまった。本尊は薬師如来(胎内に啼薬師を納めている)

阪神ファンのアスリート・虎ちゃん77のスポーツ日記-鎌倉
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 「底脱の井」です。
 新編鎌倉志によると、「底脱の井」は海蔵寺の総門の外、右手の方にあります。 言伝えによると、昔上杉家の尼が参禅した際に、この井戸
の水を汲んだ際に悟りを開き歌を詠みました。 「賎の女が戴く桶の底ぬけて、ひた身にかかる有明の月」
このような事から「底脱の井」といわれているとの説があります。
 又の説に金沢顕時の妻が後に尼となり、無著禅尼と号して仏光禅師に参禅しました。 無著禅尼の悟りの歌に、石碑にる「千代能がいただく桶の底脱けて、 水たまらねば月もやどらじ」より「底脱の井」と名前がつけられましたといわれております。 海蔵寺の略縁起にはこの後者の説を名前のいわれと説明しています。

阪神ファンのアスリート・虎ちゃん77のスポーツ日記-鎌倉
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 急な階段を登ると、そこに山門が有りました。山門の扁額には、山号が書かれていました。

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 御本堂です。立派な建物ですね。

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 薬師三尊像が有りました。
 薬師如来は仏殿の本尊で別名・啼(なき)薬師または児護薬師ともいわれ、胎内には土中から発掘されたという古い仏面を収めているそうです。

 この後、「銭洗い辨天(銭洗弁財天宇賀福神社)」に行きました。

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 境内解説板参照によると、「源頼朝が、1185年(文治 元年)巳の年、巳の月、巳の日、夢の中に宇賀福神が現われ、『この水を汲んで神仏を供養すれば天下は平和に栄えるであろう』とお告げを受けたので、早速この地におまつりしたといわれています。 その後、「北条時頼がこの霊水で銭を洗い、一家繁栄を祈ったのが今日の銭洗信仰の始まりだといわれています。

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 こちらでお線香とロウソクを買ってから、ザルを受け取ってから「いざ銭洗いへ」となっていました。

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 だが、いざ銭洗いへと向かうと、まるで正月の明治神宮か有名な神社の様にごった返していて洗うどころの問題ではないという状態になっていました。
 虎ちゃんは、銭洗いに来たのに洗えないのでガッカリしてしまいました…。

 ここまで来れば、次は最終ポイント「佐助稲荷神社」へ行ってからゴールに向かう事になっていました。

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 「佐助稲荷神社」へ到着しました。
 「源頼朝が伊豆の蛭が小島にいる時、「宇迦御魂命(ウカノミタマ)」が翁の姿で夢枕に立ち、平家討伐の挙兵をするのは、今だ! 勝利は間違いないであろう、というお告げがあった。そして頼朝は冶永四年(1180)8月17日に挙兵し、平家討伐を果たした。「源頼朝」は幕府を開いて、初期の目的を達成したお礼として、「畠山重忠」に命じて、建久年間(1190)に、ここを霊地と定めて稲荷の社殿を造営させた。「源頼朝」は若い時、兵衛佐であったので佐殿と言われていた。その佐殿を助けた神と言うことで「佐助稲荷」と言われた。境内には、 100本鳥居と呼ばれる沢山の朱塗りの鳥居が並んでいる。
 今でも佐助と言う名前は、地名として「佐助稲荷」を中心として残っています。

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 こちらが 100本鳥居ですが、本当にそんなに有るのかな?という感じでした。
 この写真は上りの時に撮ったものですが、下りてくる途中で「後どの位上るのですか?」と聞かれたのですが。その地点はほぼ真ん中よりも上でしたので、「直ぐに行けますよ」と答えておきました。

阪神ファンのアスリート・虎ちゃん77のスポーツ日記-鎌倉
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 鳥居を越えると、奥の院が有りました。その側には御由緒の説明文が有りました。

 今回のウォーキングは、ここまでで終わりです。
 次回のウオーキング関係の記事は、19日のJR東日本の駅からハイキング&ウォーキング「都心の史蹟と花々を巡って」に参加を予定しています。














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