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羽賀龍之介が銅!日本男子全階級メダルつないだ!錦織圭が2大会連続8強!金藤理絵200平で金!

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11日=日本時間12日柔道男子 100キロ級 3位決定戦が行われ、羽賀龍之介選手(25=旭化成)がアルチョム・ブロシェンコ選手(31=ウクライナ)に寝技で一本勝ちし銅メダルを獲得した。この階級では2000年シドニー五輪の井上康生選手(38=現日本代表監督)以来のメダル獲得となった。日本男子はこの日までに行われた 6階級すべてでメダルを獲得している。まだ25歳。 4年後の東京五輪にリベンジのチャンスが残る。今回達成できなかった目標を再び掲げ、前を向いた。日本勢の同階級のメダルは2000年シドニー五輪を制した井上康生以来。日本柔道のメダルは金 3、銅 7の計10個っとなり、1992年バロセロナ五輪と2004年アテネ五輪の最多記録に並んだ。羽賀は準々決勝でルカシュ・クルパレク選手(25=チェコ)に優勢で敗れ、敗者復活戦に回ったが、ベカ・グビニアシビリ選手(20=ジョージア)に優勢勝ちし 3位決定戦に進んだ。
同、テニス男子シングルス 3回戦が行われ、世界ランキング 7位で今大会第 4シードの錦織圭選手(26=日清食品)が同 121位のアンドレイ・マルティン選手(26=スロバキア)を 6- 2、 6- 2のストレートで破り、 8強に進出した。錦織の 8強入りはロンドン大会に続き 2大会連続、メダル獲得となれば日本勢96年ぶり。準々決勝では第 6シードで同11位のガエル・モンフィス選手(フランス)と対戦する。
同、卓球男子シングルス 3位決定戦が行われ、男子シングルスの 3位決定戦が行われ、世界ランキング 6位の水谷隼選手(27=ビーコン・ラボ)が、 6大会連続出場で世界 9位のウラジーミル・サムソノフ選手(40=ベラルーシ)と対戦した。男子としては初のメダル獲得が懸かる。男子シングルスの 3位決定戦が行われ、世界ランキング 6位の水谷隼選手が、 6大会連続出場で世界 9位のウラジーミル・サムソノフ選手を 4- 1で破り、銅メダルを獲得した。シングルスのメダル獲得は日本史上初。団体や2004年大会まで行われたダブルスも含め、男子としては初のメダル獲得となった。 3大会連続出場の水谷は同日の準決勝で、昨年の世界選手権王者で世界ランキング 1位、第 1シードの馬龍選手(27=中国)に 2- 4で屈したが、 3位決定戦で日本卓球界の悲願を達成した。
同、体操女子個人総合決勝が行われ、寺本明日香選手(20=レジックスポーツ)が合計57.965点で 8位に入賞した。日本勢の入賞は1964年東京五輪の池田敬子選手( 6位)以来、52年ぶり。村上茉愛選手(20=日本体育大學)は56.665点で14位だった。優勝はシモーン・バイルス選手(19=米国)で52.198点だった。予選を12位で通過した寺本選手は、 3種目を終えて14位だったが、最終種目の跳馬で15.100点の高得点をマークし、一気に順位を上げた。
同、ゴルフが行われ、男子の第 1ラウンドが行われた。 112年ぶりに復活するゴルフは男子が11日にスタート。南大西洋沿岸に広がるレセルバ・マラペンディGC(7128ヤード、パー71)で 4日間、開催される。日本勢の池田勇太選手(30=日清食品)と片山晋呉選手(43=イーグルポイントGC)は10日、会場入りして練習ラウンド。片山選手は「ここまで来たらメダルを取りたい」と強い決意で臨む。

 日本勢の池田勇太選手と片山晋呉選手はともに74の 3オーバーと振るわず、50位と出遅れた。フレーザー選手(オーストラリア)が63をマークして、 8アンダーで単独トップに立った。 3打差の 2位に出場選手で世界ランキング最上位の 5位ステンソン(スウェーデン)とデュレット(カナダ)が並ぶ。
同、競泳男子 200メートル背泳ぎ決勝が行われ、入江陵介選手(26=イトマン東進)が 1分56秒36で 8位だった。ロンドン五輪では同種目で銀メダルに輝いたが、 2大会連続のメダル獲得はならなかった。 8日の 100メートル背泳ぎも 7位に終わっており、今大会個人種目でのメダルは逃した。今季は、 4月の日本選手権で全種目を含めて史上最長となる大会10連覇を達成し、リオ出場は順当に決めたが、思うようなタイムを出すことはできず、五輪直前になっても調子は上がっていなかった。
同、競泳女子 200メートル平泳ぎ決勝が行われ、金藤理絵選手(27=Jaked)が 2分20秒30で、金メダルを獲得した。同種目の金メダルは1992年バルセロナ五輪の岩崎恭子選手以来、24年ぶり。1936年ベルリン五輪の前畑秀子選手を含めて同種目 3人目の金メダルとなった。2012年ロンドン五輪で銀の鈴木聡美選手に続き、日本勢 2大会連続の表彰台となった。金藤は、2008年北京五輪同種目で 7位入賞を果たしたが、2012年ロンドン五輪は出場権を逃した。この 4年は毎年引退危機と闘ってきた。世界選手権でも 4度決勝に進みながらも、いずれも表彰台に上がることはできなかった。元サッカー日本女子代表「なでしこジャパン」の澤穂希さん似で知られるキャプテンが、悲願の金メダルを手にした。 8年ぶりの大舞台で大輪の花を咲かせた。
競泳の女子 200メートルバタフライで 2大会連続銅メダルの星奈津美選手(25=ミズノ)が、26歳の誕生日を迎える21日に会社員の国久雅樹さん(33)と結婚することが11日、分かった。国久さんが会場で声援を送る中、前回ロンドン大会後ではベストタイムの 2分 5秒20で銅メダルを獲得した。2014年11月にバセドー病の手術を受けるため入院。選手としての危機だったが、毎日病院に通う国久さんに支えられ、早期復帰につなげた。 2個目の銅メダルは、最愛のフィアンセに贈るプレゼントでもあった。
記事をまとめてみました。


☆<リオデジャネイロ五輪第 7日:柔道>◇11日=日本時間12日◇男子 100キロ級 3位決定戦◇カリオカアリーナ2
 羽賀龍之介選手がアルチョム・ブロシェンコ選手(ウクライナ)に寝技で一本勝ちし銅メダルを獲得した。この階級では2000年シドニー五輪の井上康生選手以来のメダル獲得となった。日本男子はこの日までに行われた 6階級すべてでメダルを獲得している。
 序盤は組み手争いになり、開始52秒で両者に指導が出た。その後は内股で攻め続け、 1分59秒で相手に消極的姿勢で指導が出てリードした。 3分すぎには大内刈りの連続で相手を倒し、そのまま寝技に。足で相手の上半身をがっちりとらえ、右腕もつかまえての三角絞めに相手がたまらず参ったの意思を示した。
 試合後、鈴木桂治コーチに肩を抱かれてねぎらわれると、悔しさと安堵の入り交じった涙を流した。「目標が金メダルだけだったので、そのモチベーションがなくなって苦しかったんですけど、メダルがあるとないとでは違うので、取れて良かったです。こうやって気持ちを切り替えられたのも、メダルを取らなきゃという思いと、色々な人の応援に応えたいと思ったから」と振り返った。それでも表彰式後は「やっぱり金が欲しかったです。オリンピックはオリンピックだし、今日勝った人がチャンピオンなんで」と金メダルを逃したことに悔しさをにじませた。


銅メダルを手にする羽賀龍之介選手
 男子 100キロ級の羽賀龍之介選手は銅メダルを手にする=リオデジャネイロ・カリオカアリーナ2


  3月、練習中に右膝内側側副靱帯(じんたい)を損傷。代表最終選考の全日本選抜体重別選手権も欠場するなど、直前の大会で調整することができなかった。さらに昨年の世界選手権制覇で切れ味を見せた内股は研究され、決めきることができなかった。「内股は分かられていてしんどかったんですけど、どんな形でも勝とうと思っていたので、寝技でしたが勝てて良かったです。」と、厳しい戦いの中でも結果を出すことができた。
 まだ25歳。 4年後の東京五輪にリベンジのチャンスが残る。「色は違いますけど、この銅メダルの経験を生かして、また、みなさんに応援してもらえるよう頑張りたいです。(相手の内股対策は)やる前から予想できたことなんで、もっともっと強くなって帰ってきたいです」。今回達成できなかった目標を再び掲げ、前を向いた。


銅メダルを胸にする羽賀龍之介選手
 男子 100キロ級で 3位となり、銅メダルを胸にする羽賀龍之介選手=リオデジャネイロ・カリオカアリーナ2


 男子 100キロ級で20155年世界選手権王者の羽賀龍之介選手が 3位決定戦で、アルチョム・ブロシェンコに選手寝技で一本勝ちで銅メダルを獲得した。
 両者、消極的な試合運びで指導を受けると、 1分59秒にブロシェンコ選手に再び指導。羽賀は 3分21秒、大内刈りでブロシェンコ選手を倒すと、これはポイントとならなかったが、すぐさま三角絞めを極め一本勝ちとなった。「目標が金メダルだけだったので、そのモチベーションなくなった時にすごい苦しかったんですけど、終わってみるとメダルがあると無いとでは大きいと思うので、銅メダルでも取れてよかった。勝てて本当によかった」と振り返った。
 日本勢の同階級のメダルは2000年シドニー五輪を制した井上康生選手以来。日本柔道のメダルは金 3、銅 7の計10個っとなり、1992年バロセロナ五輪と2004年アテネ五輪の最多記録に並んだ。
 羽賀
選手は準々決勝でルカシュ・クルパレク選手(チェコ)に優勢で敗れ、敗者復活戦に回ったが、ベカ・グビニアシビリ選手(ジョージア)に優勢勝ちし 3位決定戦に進んだ。

▽井上康生・男子監督「羽賀は負けた試合では(膝の)けがの影響が出てしまった。ただ敗者復活戦から最後まで闘い抜いた姿は立派だった。( 6人全員メダルに)死に物狂いで、死力を尽くして闘ってくれた。本当にたたえたい」


☆<リオデジャネイロ五輪第 7日:テニス>◇11日=日本時間12日◇男子シングルス 3回戦◇五輪テニスセンター
 世界ランキング 7位で今大会第 4シードの錦織圭選手が同 121位のアンドレイ・マルティン選手(スロバキア)を 6- 2、 6- 2のストレートで破り、 8強に進出した。
 錦織の 8強入りはロンドン大会に続き 2大会連続、メダル獲得となれば日本勢96年ぶり。
 準々決勝では第 6シードで同11位のガエル・モンフィス選手(フランス)と対戦する。


ガッツポーズを見せる錦織圭選手
 男子シングルス 3回戦でマルティン選手を下しガッツポーズを見せる錦織圭選手=リオデジャネイロ・五輪テニスセンター


 テニス男子シングル 3回戦で、世界ランク 7位の錦織圭選手は、同ランク 121位のアンドレイ・マルティン選手と対戦し、 6- 2、 6- 2のセットカウント 2- 0でストレート勝ち。ロンドン大会に続き 2大会連続の「ベスト8」進出を決めた。
 錦織は第 1セット、第 2ゲームでブレークを奪うと、うなずきながらガッツポーズ。直後の第 3ゲームでブレークバックされたが、第 6ゲームにマルティン選手がダブルフォルトを犯しブレークに成功。第 8ゲームは先にセットポイントを奪うと、相手のミスショットでブレークしこのセットを先取した。
 第 2セットは、風とマルティン選手の回転のかかっていないサーブに苦しむ場面もあったが、第 6ゲームでブレークを奪い 4- 2とすると、第 8ゲームもブレークし勝利を挙げた。

2大会連続でベスト8進出を決めた錦織圭選手
 男子シングルス 3回戦でストレート勝ちし、ガッツポーズの錦織圭選手。 2大会連続で「ベスト8」進出を決めた=リオデジャネイロ・五輪テニスセンター


▽錦織圭選手「今までで一番風が強くてやりにくかった。我慢してプレーすることを心掛けた。( 2大会連続 8強に)やっとここまできたかという感じ。次からが勝負になる」

☆<リオデジャネイロ五輪第 7日:卓球>◇11日=日本時間12日◇男子シングルス 3位決定戦◇リオ中央体育館
 男子シングルスの 3位決定戦が行われ、世界ランキング 6位の水谷隼選手が、 6大会連続出場で世界 9位のウラジーミル・サムソノフ選手(ベラルーシ)と対戦した。
 水谷選手は日本史上初となるシングルスのメダル獲得、団体や2004年大会まで行われたダブルスも含め、男子としては初のメダル獲得が懸かる。
 第 1ゲーム、水谷はフォアハンドからの積極的なプレーで開始から 3連続ポイント。 2ポイントを返された後も 4連続ポイントを挙げるなど主導権を握り続け、11- 4で先取。第 2ゲームも11- 9で奪った。

ガッツポーズの水谷隼選手
 男子シングルス 3位決定戦 ポイントを奪いガッツポーズの水谷隼選手=リオデジャネイロ・リオ中央体育会


 男子シングルスの 3位決定戦が行われ、世界ランキング 6位の水谷隼選手が、 6大会連続出場で世界 9位のウラジーミル・サムソノフ選手を 4- 1で破り、銅メダルを獲得した。
 シングルスのメダル獲得は日本史上初。団体や2004年大会まで行われたダブルスも含め、男子としては初のメダル獲得となった。
 第 1ゲーム、水谷選手はフォアハンドからの積極的なプレーで開始から 3連続ポイント。 2ポイントを返された後も 4連続ポイントを挙げるなど主導権を握り続け、11- 4で先取した。
 第 2ゲームは長いラリーの応酬を11- 9で制した。 8- 9からのラリーは48回を数えた。第 3ゲームは 4- 4から 4連続失点するなど 6-11で落とす。第 4ゲームも逆転で 9-10と追い詰められたがジュースに持ち込み、最後は14-12で奪った。


勝利の瞬間、倒れこむ水谷隼選手
 男子シングルス 3位決定戦 勝利の瞬間、倒れこむ水谷隼選手=リオデジャネイロ・リオ中央体育館


 第 5ゲームは 2点を先制された後に 5連続得点で逆転。受け身にならず積極的に詰め続け、11- 8で取ると、倒れ込んでガッツポーズ。喜びを爆発させた。
 水谷選手はメダル獲得について「僕が卓球を始めたときからの夢でした。かなえられて本当にうれしい。きょう負けたら一生後悔すると思った。死にたくなると思った。絶対に負けたくないという気持ちで頑張りました」と笑顔を浮かべ、「今度は団体戦でみなさんの夢をかなえたいです」と 2個目のメダルへと視線を向けた。
  3大会連続出場の水谷は同日の準決勝で、昨年の世界選手権王者で世界ランキング 1位、第 1シードの馬龍選手(中国)に 2- 4で屈したが、 3位決定戦で日本卓球界の悲願を達成した。


ガッツポーズを見せる寺本明日香選手
 女子個人総合決勝 跳馬の演技を終えガッツポーズを見せる寺本明日香選手=リオデジャネイロ・リオ五輪アリーナ


☆<リオデジャネイロ五輪第 7日:体操>◇11日=日本時間12日日◇女子個人総合決勝◇リオ五輪アリーナ
 寺本明日香選手が合計57.965点で 8位に入賞した。日本勢の入賞は1964年東京五輪の池田敬子選手( 6位)以来、52年ぶり。村上茉愛選手は56.665点で14位だった。優勝はシモーン・バイルス選手(19=米国)で52.198点だった。
 予選を12位で通過した寺本選手は、 3種目を終えて14位だったが、最終種目の跳馬で15.100点の高得点をマークし、一気に順位を上げた。


寺本明日香選手の段違い平行棒
 寺本明日香選手の段違い平行棒=リオデジャネイロ・リオ五輪アリーナ


[試合経過]※【】内は種目終了時点での順位
<1:段違い平行棒>
 寺本選手が14.566点、村上選手が13.766点でスタート。【寺本選手 9位、村上選手18位】
<2:平均台>
 寺本選手はミスなくこなし14.266点、村上選手は終盤でややバランスを崩し、13.900点。
【寺本選手10位、村上選手20位】


村上茉愛選手の段違い平行棒
 村上茉愛選手の段違い平行棒=リオデジャネイロ・リオ五輪アリーナ


<3:床運動>
 寺本選手は14.033。村上選手はシリバスを決めたものの、その後のシリーズ着地が大きく乱れ
るミスがあり、14.133と伸びず。【寺本選手14位、村上選手20位】
<4:跳馬>
 寺本選手は前方伸身宙返り 1回半ひねりをしっかりと着地まで決めガッツポーズ。15.100点と
この日初めての15点台。村上選手は14.866点。【寺本選手 8位、村上選手14位】
◆個人総合決勝 予選の上位24人が出場、6種目の合計点で争う。


寺本明日香選手の床運動
 寺本明日香選手の床運動=リオデジャネイロ・リオ五輪アリーナ


▽寺本明日香選手「(世界選手権で 9位だった)去年の屈辱をしっかり晴らせた。自分の演技をやり切れての結果で満足。堂々とできた」
▽村上茉愛選手「一番落ち着いてできた。点数や順位を気にせず、楽しく(寺本)明日香と回れたのはいい経験。強い選手を間近で見られたのも良かった」


村上茉愛選手の床運動
 村上茉愛選手の床運動=リオデジャネイロ・リオ五輪アリーナ


☆ 112年ぶりに復活するゴルフは男子が11日にスタート。南大西洋沿岸に広がるレセルバ・マラペンディGC(7128ヤード、パー71)で 4日間、開催される。日本勢の池田勇太選手と片山晋呉選手は10日、会場入りして練習ラウンド。片山選手は「ここまで来たらメダルを取りたい」と強い決意で臨む。
 第 1日は片山選手が午前 8時 3分(日本時間午後 8時 3分)、池田選手は午前 9時47分(同午後 9時47分)にいずれも 1番からティーオフする。女子は17日に始まる。

 <リオデジャネイロ五輪第 7日:ゴルフ>◇11日=日本時間12日日◇五輪ゴルフコース
 男子の第 1ラウンド(パー71)が行われ、日本勢の池田勇太選手と片山晋呉選手はともに74の 3オーバーと振るわず、50位と出遅れた。
 フレーザー選手(オーストラリア)が63をマークして、 8アンダーで単独トップに立った。 3打差の 2位に出場選手で世界ランキング最上位の 5位ステンソン(スウェーデン)とデュレット(カナダ)が並ぶ。
 60選手が 4日間72ホールで争い、予選落ちはない。


パーパットを外した片山晋呉選手
  2番でパーパットを外した片山晋呉選手=リオデジャネイロ・五輪ゴルフコース


▽片山晋呉「 2番くらいまでは今までにない緊張があって、わけが分からない感じだった。後半は風が出てきて、難しかった。自分もミスもあって残念」
▽池田勇太「不運も多く流れがこなかった。いいところについても入らなかった。(五輪の雰囲気は)普通の試合と変わらない感じだった。出遅れたので巻き返すつもりでやる」
▽丸山茂樹コーチ「風が強くグリーン周りで 1番影響した。パットも2人ともラッキーが一つもなく終わった。彼たちを助けるものが何もなかったのが今日のスコアを象徴している」


★<リオデジャネイロ五輪第 7日:競泳>◇11日=日本時間12日日◇男子 200メートル背泳ぎ決勝◇五輪水泳競技場
 入江陵介選手が 1分56秒36で 8位だった。ロンドン五輪では同種目で銀メダルに輝いたが、 2大会連続のメダル獲得はならなかった。 8日の 100メートル背泳ぎも 7位に終わっており、今大会個人種目でのメダルは逃した。
  100メートルを56秒79でターン。後半も伸びなかった。レース後は「悔しいの一言。苦しいの一言に尽きるかな。ロンドンからの 4年間が自分にとっても苦しかったですし、つらいことが多かった。正直、自分は賞味期限が切れた人間なのかなと思ったりもした時期も多かったですけど、明日、メドレーリレーがあるので切り替えたい。賞味期限切れでも消費期限は切れてないという気持ちを持って、あと 2日間日本チームで頑張りたい」と話した。
 入江は「悔しいの一言、苦しいの一言に尽きるかなと。ロンドンからの 4年間、つらいことが多かった。自分は賞味期限切れの人間なのかなと思うことも多かった。まだメドレーリレーがある。賞味期限切れでも消費期限は切れていないという気持ちで精いっぱい日本チームのために頑張りたい」と話した。
 今季は、 4月の日本選手権で全種目を含めて史上最長となる大会10連覇を達成し、リオ出場は順当に決めたが、思うようなタイムを出すことはできず、五輪直前になっても調子は上がっていなかった。


8位に終わった入江陵介選手
 男子 200メートル背泳ぎ決勝 8位に終わった入江陵介選手=リオデジャネイロ・五輪水泳競技場


 男子200メートル背泳ぎ決勝が行われ、入江陵介選手は 1分56秒36で 8位だった。


▽入江陵介選手「『悔しい』の一言に尽きる。ロンドン(五輪)からの 4年間は苦しく、つらいことが多かった。自分は賞味期限の切れた人間かと思う時期もあった。メドレーリレーもあるので切り替えたい」

◆入江陵介(いりえ・りょうすけ)選手:1990年(平 2) 1月24日、大阪市天王寺区生まれ。近畿大學付属高校-近畿大學。背泳ぎ。2008年北京五輪は 200メートルに出場し 5位。2009年世界選手権は 100メートル 4位、 200メートルで銀メダル。2011年世界選手権は 100メートルで銅メダル、 200メートルは銀メダル。2012年ロンドン五輪は 100メートル銅メダル、 200メートル銀メダル、 400メートルメドレーリレー銀メダル。自己ベストの 100メートル52秒24、 200メートル 1分52秒51は日本記録。 178センチ、64キロ。


☆<リオデジャネイロ五輪第 7日:競泳>◇11日=日本時間12日日◇女子 200メートル平泳ぎ決勝◇五輪水泳競技場
 金藤理絵選手が 2分20秒30で、金メダルを獲得した。同種目の金メダルは1992年バルセロナ五輪の岩崎恭子選手以来、24年ぶり。1936年ベルリン五輪の前畑秀子選手を含めて同種目 3人目の金メダルとなった。2012年ロンドン五輪で銀の鈴木聡美選手に続き、日本勢 2大会連続の表彰台となった。
 まずまずの入りを見せ、 100メートルのターンのあとトップに立った。得意の後半では、ぐんぐんと差を広げ、 2位に大差をつけての圧勝だった。「今は信じられないですが、加藤コーチのことを信じ続けてやってきて良かった。タイムは出なかったけど、最低限の目標は達成できたので良かった」。


優勝しガッツポーズを見せる金藤理絵選手
 女子 200メートル平泳ぎ決勝 優勝しガッツポーズを見せる金藤理絵選手=リオデジャネイロ・五輪水泳競技場


 金藤は、2008年北京五輪同種目で 7位入賞を果たしたが、2012年ロンドン五輪は出場権を逃した。この 4年は毎年引退危機と闘ってきた。世界選手権でも 4度決勝に進みながらも、いずれも表彰台に上がることはできなかった。だが、多くの人に支えられ、今年 2月の 3カ国対抗戦では、高速水着時代の2009年に自らが出した日本記録を 7年ぶりに更新。 4月の日本選手権でも 2分19秒65で日本記録を再更新し、今季世界ランク 1位で今大会に臨んでいた。「いろんなことがあった 8年間でしたが、加藤コーチだけでなく、一緒に練習してきた仲間や戦ってきた仲間、加藤コーチの家族にまで支えてもらって、頂点を狙ってやってこれた」。 8年ぶりの大舞台で大輪の花を咲かせた。

◆金藤理絵(かねとう・りえ):1988年(昭63) 9月 8日、広島・庄原市生まれ。三次高校 3年で総体優勝。東海大學に進み、 200メートル平泳ぎで2008年北京五輪 7位入賞。2013年世界選手権 4位、2014年パンパシフィック選手権銀メダル、2015年世界選手権 6位。東海大學大学院ではラグビー日本代表のリーチ・マイケル選手と同級生。女子サッカーのレジェンド澤穂希さんに似ていると言われている。リオ五輪では女子として初の競泳日本代表主将を務める。 175センチ、64キロ。


 女子 200メートル平泳ぎ決勝が行われ、金藤理絵選手が 2分20秒30をマーク。金メダルを獲得した。
 金藤選手は2008年北京五輪は 200メートル平泳ぎで 7位に入賞したが、前回ロンドン五輪は出場権を手にできなかった。しかし、 8年ぶりの大舞台では競泳日本代表チームの主将を務める。
 元サッカー日本女子代表「なでしこジャパン」の澤穂希さん似で知られるキャプテンが、悲願の金メダルを手にした。
 金藤選手は準決勝を 2分22秒86の 2位で通過していた。

▽金藤理絵選手「信じられない。加藤コーチを信じ続けてきて本当に良かった。家族だったり、加藤コーチの家族にも応援してもらった。だからこそ世界の頂点を狙って、やってこられた」


☆競泳の女子 200メートルバタフライで 2大会連続銅メダルの星奈津美選手が、26歳の誕生日を迎える21日に会社員の国久雅樹さんと結婚することが11日、分かった。国久さんが会場で声援を送る中、前回ロンドン大会後ではベストタイムの 2分 5秒20で銅メダルを獲得した。2014年11月にバセドー病の手術を受けるため入院。選手としての危機だったが、毎日病院に通う国久さんに支えられ、早期復帰につなげた。 2個目の銅メダルは、最愛のフィアンセに贈るプレゼントでもあった。
 自然と涙が出た。星は前回ロンドン大会で銅メダルも悔しさが消えず、金メダルを目指してから 4年。その間は不調、コーチ変更、バセドー病の手術など紆余(うよ)曲折があった。だからこそ、両親、平井コーチら周囲の人へ感謝の思いが脳裏に浮かぶ。その中の 1人に、21日に結婚する国久さんもいた。


銅メダルで表彰台に上がった星奈津美選手
 女子 200メートルバタフライ決勝 銅メダルで表彰台に上がる星奈津美選手=リオデジャネイロ・五輪水泳競技場


 もともと互いの母親同士が親友。幼なじみでもあった。ロンドン大会翌年の2013年 1月に再会すると意気投合。交際が始まった。ちょうどその頃は星がバセドー病を悪化させるなど不安定な状態だった。2014年11月に手術を受けた。国久さんは会社帰りに毎日見舞いに訪れ「一般人の自分の体なんてどうでもいい。代わってあげたい」と励ました。
 国久さんの支えもあり、星は約 3週間後に練習復帰。翌2015年 7月の世界選手権で金メダルを獲得した。テレビ観戦した国久さんは涙が止まらない。「もっと大事にしないと。本当に国の宝。すごい人なんだ」と実感した。世界選手権金メダルでリオ五輪代表に内定。すると国久さんにもスイッチが入り「転ぶなよ」「けがするなよ」と今まで以上に星の体を気遣うようになった。

スタンドに手を振る星奈津美選手
 銅メダルを獲得しスタンドに手を振る星奈津美選手=リオデジャネイロ・五輪水泳競技場


 「逆に自分が感謝しているんです」と国久さん。星がバセドー病の手術を受ける 2カ月前。国久さんの母が病を患った。トップアスリートの星に迷惑を掛けないよう見舞いを断ったが「わたしのお母さんでもある」。当時は自身のコンディションに不安がある中、練習前後に病院に来て、世話をしてくれた。国久さんは「アスリートとして、人間として尊敬できる」と話した。
 国久さんの応援を背に、星は 3大会連続出場の五輪で躍動した。決勝では前半から積極的なレースを展開。最後50メートルは誰よりも速いタイムで追い上げる。目標の頂点こそ逃したが、1936年ベルリン大会の前畑秀子選手、2008年北京大会の中村礼子選手に続き、競泳日本女子では史上 3人目の 2大会連続メダル。前回と同じ銅も「すべて出し切った。 4年前の悔しさはない」と星。国久さんは「苦しい過程も見てきたからうれしい。最高のプレゼントになりました」と笑顔を見せた。

◆星奈津美(ほし・なつみ):1990年(平 2) 8月21日、埼玉県生まれ。栄進中学校-春日部共栄高校-早稲田大學。ミズノ所属。2008年北京五輪代表、2012年ロンドン五輪銅メダル。世界選手権は2011年、2013年と 4位で、昨年は金メダル。 164センチ、56キロ。


 ゴルフ勢が振るわないが、これからエンジンをかけて頑張って貰いたいですね。これからもドンドン増えていくと思われている。いったい最後にはどの位のメダル数になるのでしょうね。ガンバレ!日本!我らのジャパン!勝利を掴め!






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