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日本400mリレー銀メダル!競歩荒井、失格→銅メダル!日本完全復活!シンクロ日本涙の銅メダル!

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18日=日本時間19日レスリング女子53キロ級決勝が行われ、女王が負けた-。五輪 4連覇を目指した53キロ級の吉田沙保里選手(33=フリー)は、決勝戦で過去 2戦 2勝のヘレン・マルーリス選手(24=米国)と対戦。 1- 4で敗れ、銀メダルに終わった。吉田選手の個人戦黒星は2001年の全日本選手権以来15年ぶり。連続世界一の記録は「16」で止まった。天国の父栄勝(えいかつ)さん(享年61)に金メダルを誓ったが、力の衰えは隠せず。日本協会の若返り策もあって、このまま第一線を退くことが濃厚になった。残り30秒、吉田選手は最後の力を振り絞ってマルーリス選手の右足をとらえた。逆転勝利を狙った。終了のブザーに両手で顔を覆って喜ぶマルーリス選手。その横でマットに顔をうずめて泣いた。吉田の時代が、終わった。泣いたままスタンドに歩み寄り、母幸代さん(61)に「お父さんに怒られる」と言った。「大丈夫、大丈夫、よく頑張ったよ」の声に、また泣いた。負けたことの悔しさとショック。15年ぶりに味わう敗戦の味に涙は止まらなかった。昨年12月、突然ALSOKを退社し「自由に活動できる」立場を手に入れた。テレビ番組やイベントに出て、大会前には芸能人を集めて派手な壮行会も開いた。「あれで、本当に勝てるのか」と心配する声もあった。「勝って引退」は栄チームリーダーとの約束。決勝にも「最後だな」の声で送り出された。昨年から負ける日が来ることを覚悟していた幸代さんも「沙保里をマットで見るのは最後だと思って応援した」と涙で話した。日本レスリング協会の福田会長も「ご苦労さま」と労をねぎらった。一夜明け会見で2020年東京五輪について聞かれ「出たい気持ちはある」と言ったが、その後は「分からない」と続けた。

19日=日本時間20日陸上男子 400メートルリレー決勝が行われ、日本が37秒60のアジア新記録で銀メダルを獲得した。ジャマイカが37秒27で 3連覇を果たし、 3位はカナダで37秒64だった。日本に続いて 3着でゴールした米国はバトンの受け渡しがリレーゾーンを越えたとして失格になった。日本のトラック種目でのメダルは、1928年アムステルダム大会女子 800メートルの人見絹枝選手の銀、2008年北京大会男子 400メートルリレーの銅に続き 3個目。史上最高成績に並ぶ銀メダルは88年ぶりの快挙となった。 1走の山県亮太選手(24=セイコーホールディングス)、 2走の飯塚翔太選手(25=ミズノ)、 3走の桐生祥秀選手(20=東洋大學)、アンカーのケンブリッジ飛鳥選手(23=ドーム)がそれぞれ持ち味を発揮して快走。アンカーで最初にバトンを受けたケンブリッジ選手はジャマイカのボルト選手に先行されたものの、米国の追走を 100分の 2秒かわしてゴールした。アンダーハンドによるバトンパスの巧みさを生かして銀メダルにつなげた。アンカーを務めたケンブリッジ選手が所属するドーム(東京・江東区)では社屋内でのパブリックビューイングで、社員やその家族ら約60人が声援を送った。この日はケンブリッジの同期である伏屋遼さん、神戸美緒さん(ともに24)がパブリックビューイングで観戦した。13人いる同期によるLINE(ライン)のチャットは、レース後大盛り上がり。

同、陸上男子50キロ競歩が行われ、荒井広宙(ひろおき)選手(28=自衛隊)が 3時間41分24秒の 3着でゴールした後に妨害行為があったとして失格になった問題で、日本陸連が国際陸連に抗議した結果、異議が認められて銅メダルを獲得した。銅メダルから失格の“悪夢”を乗り越えた日本競歩界初のメダルに喜びをかみ締めていた。競技終了後、 3着争いを繰り広げたダンフィー選手(カナダ)側が荒井選手が妨害したとして抗議。 1時間以上協議が続き、荒井選手は失格となった。だが、失格の判断に対して日本側が再抗議。改めて国際陸連の理事 5人が判断することになっていた。競歩の世界大会では、ゴール後に歩型違反 3回の失格処分が判明するケースがたびたびある。だが、競技者同士の接触での失格はレアケースだった。

同、シンクロナイズドスイミング・チームフリールーティン(FR)が行われ、テクニカルルーティン(TR)で 3位だった日本(乾選手、三井選手、中村選手、箱山選手、吉田選手、中牧選手、丸茂選手、小俣選手)が 95.4333点を出し、TRとの合計点を189.2056点とし、ロシア、中国に次ぐ銅メダルを獲得した。チームの五輪メダルは2004年アテネの銀以来 3大会ぶりで、2008年北京以来 2大会ぶりの銅を獲得したデュエットに続いた。銅メダルが確定した電光掲示板を見た選手たちの顔がゆがむ。猛特訓の日々は無駄ではなかった。井村雅代ヘッドコーチ(66、HC)が普段なかなか見せてくれない笑顔を向けてくれた。デュエットに続く、銅メダル。日本シンクロが低迷期から復活した。強引な指導に賛否があるのは事実。権利意識の高まる現代ではパワハラと紙一重の部分もあるが、井村式のスパルタ指導が、日本シンクロを復活に導いたことは間違いない。銅メダルが決まると、あでやかな水着を身にまとった 8人のマーメイドが、一斉に涙を流した。 2年半、井村雅代監督に必死についてきた日々が、この瞬間に報われた。。就任当初は何を言ってもポカンとする選手たちを「新人類」と称したが、この 2年半でたくましく成長。勝負どころで底力を発揮した。五輪競技に正式採用された1984年ロサンゼルス五輪以降、 7大会連続でメダルを獲得し続けるも、ロンドンでその歴史が途絶えた日本。 2種目でのメダル獲得で、お家芸といわれた日本シンクロ界に、再び光が差し始めた。記事をまとめてみました。

 

☆<リオデジャネイロ五輪第14日:レスリング>◇18日=日本時間19日◇女子53キロ級決勝◇カリオカアリーナ  女王が負けた-。五輪 4連覇を目指した53キロ級の吉田沙保里選手は、決勝戦で過去 2戦 2勝のヘレン・マルーリス選手と対戦。 1- 4で敗れ、銀メダルに終わった。吉田選手の個人戦黒星は2001年の全日本選手権以来15年ぶり。連勝は 206試合、13連覇中の世界選手権と五輪を合わせた連続世界一の記録は「16」で止まった。天国の父栄勝(えいかつ)さん(享年61)に金メダルを誓ったが、力の衰えは隠せず。日本協会の若返り策もあって、このまま第一線を退くことが濃厚になった。

マルーリス選手にポイントを奪われる吉田選手

 米国ヘレン・マルーリス選手(上)にポイントを奪われる吉田沙保里=リオデジャネイロ・カリオカアリーナ

 

 残り30秒、吉田選手は最後の力を振り絞ってマルーリス選手の右足をとらえた。 2年前に亡くなった栄勝さん直伝の高速タックルで、逆転勝利を狙った。日の丸の旗が揺れ、会場のブラジル人の大声援が飛んだ。それでもポイントは奪えない。時計だけが進んだ。終了のブザーに両手で顔を覆って喜ぶマルーリス選手。その横でマットに顔をうずめて泣いた。吉田の時代が、終わった。

 泣いたままスタンドに歩み寄り、母幸代さんに「お父さんに怒られる」と言った。「大丈夫、大丈夫、よく頑張ったよ」の声に、また泣いた。負けたことの悔しさとショック。15年ぶりに味わう敗戦の味に涙は止まらなかった。「力が出せなかった。応援してくれた人たちに、申し訳ない」。その声が震えた。

 

  吉田沙保里選手(左)は試合後にスタンドの母幸代さん(右)、兄栄利さんのところへ駆け寄り号泣リオデジャネイロ・カリオカアリーナ

 

 昨年の世界選手権前、吉田は弱気だった。「みんなが私を倒しにくる。負けるのが怖い。厳しいです」。体力の衰えも感じていた。決勝でマットソン選手(スウェーデン)を下して16回目の世界一は決めたが「次は勝てない」と思わせる内容だった。優勝して号泣する女王の姿は、時代の終焉(しゅうえん)が遠くないことを感じさせた。

 昨年12月、突然ALSOKを退社し「自由に活動できる」立場を手に入れた。テレビ番組やイベントに出て、大会前には芸能人を集めて派手な壮行会も開いた。「あれで、本当に勝てるのか」と心配する声もあった。今年に入ってからは一切試合に出ず、国内で調整した。相次ぐケガもあって「世界一」の練習量は減った。日本選手団主将の依頼は、二つ返事で引き受けた。とても「勝負に集中する」状態ではなかった。

 

決勝で敗れ涙を流す吉田沙保里選手

 レスリング女子フリースタイル53キロ級 決勝で敗れ涙を流す吉田沙保里選手=リオデジャネイロ・カリオカアリーナ

 

 それでも、前回のように本番になれば力が出せると思っていた。吉田が「ねえや」と慕い、食事の世話もしてもらう栄チームリーダーの怜那夫人は「何か達観したというか。これまでの沙保里とは違っていた」と話した。しかし、現実は残酷だ。打倒吉田だけを目指して努力を続けてきたマルーリス選手に勝てるほど、五輪は甘くなかった。

 今後については「考えていない」と言った。「勝って引退」は栄チームリーダーとの約束。決勝にも「最後だな」の声で送り出された。昨年から負ける日が来ることを覚悟していた幸代さんも「沙保里をマットで見るのは最後だと思って応援した」と涙で話した。日本レスリング協会の福田会長も「ご苦労さま」と労をねぎらった。一夜明け会見で2020年東京五輪について聞かれ「出たい気持ちはある」と言ったが、その後は「分からない」と続けた。

 

悔し涙が止まらなかった吉田沙保里選手

 レスリング女子53キロ級・メダルセレモニー 銀メダルを授与されたあとも悔し涙が止まらなかった吉田沙保里選手=リオデジャネイロ・カリオカアリーナ

 

 日本協会が来年の世界選手権にベテランを出さないことを決めているため、このまま一線を退 くことが濃厚だ。「レスリングだけでなく、いろいろなことに挑戦したい」と言い続けてきた吉田 選手が、新たな道を歩み出す。

◆吉田沙保里(よしだ・さおり):1982年(昭57)10月 5日、三重・津市生まれ。元レスリング選手の父栄勝さん(故人)の影響で 3歳からレスリングを始め、2002年世界選手権で初優勝。以来13大会連続で優勝している。五輪は初出場の2004年アテネ大会で金メダルを獲得、選手団旗手として臨んだ2012年ロンドン大会で 3連覇。三重・久居高校-中京女子大學(現至学館大學)からALSOKに進み、昨年12月に退社。家族は母と兄 2人。157センチ。

 

☆<リオデジャネイロ五輪第15日:陸上>◇19日=日本時間20日◇男子 400メートルリレー決勝◇五輪スタジアム

 日本が37秒60のアジア新記録で銀メダルを獲得した。ジャマイカが37秒27で 3連覇を果たし、 3位はカナダで37秒64だった。日本に続いて 3着でゴールした米国はバトンの受け渡しがリレーゾーンを越えたとして失格になった。

 日本のトラック種目でのメダルは、1928年アムステルダム大会女子 800メートルの人見絹枝選手の銀、2008年北京大会男子 400メートルリレーの銅に続き 3個目。史上最高成績に並ぶ銀メダルは88年ぶりの快挙となった。

 

 男子 400メートルリレー決勝 37秒60のアジア新でアジア新記録で銀メダルを獲得し喜びを爆発させる、左から山県亮太選手、飯塚翔太選手、桐生祥秀選手、ケンブリッジ飛鳥選手=リオデジャネイロ・五輪スタジアム

 

  1走の山県亮太選手、 2走の飯塚翔太選手、 3走の桐生祥秀選手、アンカーのケンブリッジ飛鳥選手がそれぞれ持ち味を発揮して快走。アンカーで最初にバトンを受けたケンブリッジ選手はジャマイカのボルト選手に先行されたものの、米国の追走を 100分の 2秒かわしてゴールした。日本は今大会で 100メートル決勝に進出した選手はいなかったが、アンダーハンドによるバトンパスの巧みさを生かして銀メダルにつなげた。

 各選手のコメントは以下の通り。

 

 男子 400メートルリレーで銀メダルを獲得し、駆け寄って喜び合う(左から)山県亮太選手、ケンブリッジ飛鳥選手、桐生祥秀選手=リオデジャネイロ・五輪スタジアム

 

▽山県亮太選手:メダル目指してやってきて、いざ取れると感慨深い。予選よりもいいスタートが切れた。(バトンは)絶対渡るという自信があったので、焦らずに飯塚さんが走ってくれた。歴史をつくれてうれしい。夢は実現できることを証明できた。

▽飯塚翔太選手:歓声が思ったよりすごくてアドレナリンが出た。山県が流れをもってきてくれた。桐生へ向けて突っ走った。ミスることは一切考えなかった。信頼できるチームです。次の東京五輪に向けてスタートできたと思うのでまた頑張ります。

▽桐生祥秀選手:最高の気分です。思い切り出てがむしゃらに走った。ケンブリッジさんに渡すことだけを考えていた。このメンバーで走れて本当に最高な日になった。

▽ケンブリッジ飛鳥選手: 3人が完璧な位置で持ってきてくれた。絶対メダルを取るぞという気持ちで走った。あんまり覚えていないが、最高でした。最後はちょっと硬くなったがしっかり 2番でゴールできてよかった。 4年後も今よりいいメダルを取れるように頑張りたい。

 

 男子 400メートルリレー決勝 ジャマイカに次いで 2位となった日本代表。左はウサイン・ボルト選手=リオデジャネイロ・五輪スタジアム・五輪スタジアム

 

 陸上男子 400メートルリレーの決勝を行い、予選と同じ山県亮太選手、飯塚翔太選手、桐生祥秀選手、ケンブリッジ飛鳥選手のオーダーで臨んだ日本は、37秒60の日本新&アジア新記録で銀メダル。銅だった2008年北京五輪以来、 2大会ぶりのメダルを獲得した。ジャマイカが37秒27で金メダルを手にした。  日本は自己ベストが桐生選手は10秒01、山県選手が10秒05、ケンブリッジ選手が10秒10で飯塚選手は10秒22。日本の五輪史上最強ともいえるカルテットだった。

 

 男子400メートルリレー決勝 レースを終えジャマイカのボルト選手と握手する(左から)山県亮太選手、桐生祥秀選手、ケンブリッジ選手飛鳥選手、飯塚翔太選手=リオデジャネイロ・五輪スタジアム

 

 日本陸連の苅部俊二・男子短距離部長のレース後の一問一答 --銀メダル 「みんな実力を発揮してくれて、個々にいい走りをして、それがメダルにつながった。全員がよかった。バトンもうまく渡った。予選で記録が出たけど、決勝も攻めたバトンをしなければならないと思った」 --勝因は 「個々で走力を上げることを冬からやった。山県が 1走のスペシャリストとしてやってくれた。個々の結果は悪く見られるかもしれないけど、山県は自己ベスト、ケンブリッジは準決勝進出、桐生と飯塚も走り自体は悪くなかった。リレーはいけると思った」 --不安点は 「不安があったのは 3走と 4走。山県と飯塚は修正するところがないぐらいしっかりとしたバトンだった。山県のリアクションタイムは全選手の中でトップクラスのスタートダッシュ。 1走として世界一じゃないか」 --さらに上にいくためには 「今回のメダルは選手が取るべくして取った。 9秒台の選手が一人もいなくてこの結果を出せている。改善できる点を見つけて、さらに上を目指せるようにしたい」

 

 ケンブリッジ飛鳥選手が所属するドームの社屋ではパブリックビューイングを実施

 

  1走から山県亮太選手、飯塚翔太選手、桐生祥秀選手、ケンブリッジ飛鳥選手のオーダーで臨んだ日本が37秒60のアジア新記録で史上最高位となる 2位に入り、銀メダルを獲得した。  アンカーを務めたケンブリッジ選手が所属するドーム(東京・江東区)では社屋内でのパブリックビューイングで、社員やその家族ら約60人が声援を送った。  ほぼ横一線の激戦でケンブリッジにバトンが渡ると、会場は大歓声に。銀メダル獲得がわかると、さらに大きくどよめきの声が上がった。  この日はケンブリッジの同期である伏屋遼さん、神戸美緒さんがパブリックビューイングで観戦した。13人いる同期によるLINE(ライン)のチャットは、レース後大盛り上がり。伏屋さんは「普段は気取らずわいわいやる同期。でも(リオに)行く前は『自信しかない。できるから大丈夫、(メダルを)とってくるわ』と言っていた。誇りに思う」。神戸さんは「ボルトと一緒に走っている姿はかっこよかった。いつも『いける』と言っていた。メダルを実現してすごい」とそろって祝福した。

 

☆<リオデジャネイロ五輪第15日:陸上>◇19日=日本時間20日◇男子50キロ競歩◇ポンタル周回コース

 陸上男子50キロ競歩で、荒井広宙(ひろおき、28=自衛隊)選手が 3時間41分24秒の 3着でゴールした後に妨害行為があったとして失格になった問題で、日本陸連が国際陸連に抗議した結果、異議が認められて銅メダルを獲得した。  ハラハラドキドキの銅メダルに荒井も安堵の様子だった。「お騒がせしてすいません。(相手に)当たらなければ良かったんですが…。(メダル確定の瞬間)うれしかったです」。銅メダルから失格の“悪夢”を乗り越えた日本競歩界初のメダルに喜びをかみ締めていた。

 

 陸上男子50キロ競歩 表彰式で銅メダルをかかげ笑顔を見せる荒井広宙選手=リオデジャネイロ・ポンタル周回コース

 

 陸上で今大会メダル 1号、 7位入賞が最高だった競歩で初のメダル獲得と思われたが、競技終了後、 3着争いを繰り広げたダンフィー選手(カナダ)側が荒井選手が妨害したとして抗議。 1時間以上協議が続き、荒井選手は失格となった。だが、失格の判断に対して日本側が再抗議。改めて国際陸連の理事 5人が判断することになっていた。

 荒井選手はレース終盤の残り 1.2キロ付近で、並歩していたカナダのダンフィー選手と上半身が接触。ダンフィ選手はバランスを崩して後退し、荒井選手は 3番手をキープしてゴールした。競歩の世界大会では、ゴール後に歩型違反 3回の失格処分が判明するケースがたびたびある。だが、競技者同士の接触での失格はレアケースだった。

 

 陸上競技 50キロ競歩決勝 3位でフィニシュするも失格扱いとされ、審議の結果再度 3位となり安堵する荒井広宙選手=リオデジャネイロ・ポンタル周回コース

 

 男子50キロ競歩で荒井広宙選手が 3時間41分24秒で銅メダルを獲得した。 3着でゴールしながら一度は他選手を妨害したとして失格に。しかし、日本陸連が国際陸連に抗議した結果、失格の判定が覆り、日本競歩初のメダル獲得となった。

 

 

 陸上競技 50キロ競歩決勝 カナダダンフィー選手と並走する荒井広宙選手=リオデジャネイロ・ポンタル周回コース

 

--上訴が認められた

「ゴールして銅メダル確定したと思ったけど、その後にカナダから抗議があって、一時期は失格になってしまうのではないかと思った。みなさんのおかげで銅メダルを獲得することができた」

--いつ連絡があった

「女子20キロをみんなで応援していて、陸連の方から銅メダル確定したよといわれ、みんなでワーとなった」

--報告を受けたときの思いは

「よかったと思った。自分は悪いことをしたとは思っていない。カナダの選手とたまたま会う機会があって、カナダの選手から「ソリー」と謝ってきて最後はハグした。選手同士では何も問題がなかった」

 

 男子50キロ競歩、 3位でフィニッシュした荒井広宙選手=リオデジャネイロ・ポンタル周回コース

 

--報告を受けるまでの時間は

「だめだったらどうしようかな、取れたらどうしようかな、右往左往した。結果としてメダルを取らせていただいた。陸連の方に感謝したい」

--カナダの抗議には

「何でかな。納得はできなかった。レース中にぶつかることは日常茶飯事。よくあること。トラッ ク種目でも1500メートルではよくぶかつる」

--失格のおそれもあった

「どちらでも、受け入れる準備はしていた。僕が決められることではない。従うしかない。何でという思いだった。上が決めたことだから、仕方ないのかな。陸連の方はあきらめてなくて対応してくれ、銅メダルを取ることができた」

--家族には 「日本に父がいるのでもしからしたらだめかもしれないといった。決まってすぐに電話したら喜んでくれた」

 

 

 男子50キロ競歩、 3位でフィニッシュし、地面に仰向けに倒れ込む荒井広宙選手=リオデジャネイロ・ポンタル周回コース

 

--日本競歩界初のメダル

「純粋にうれしい。銅メダルで満足するのではなくて、来年は世界選手権、 4年後は東京五輪があるので、もっと上を目指していきたい」

--さらに注目が集まるのでは

「まったくもって予想外の展開だった。とりあえずメダルが確定してよかった。今村強化部長をはじめとして日本の競歩を先輩たちが作ってきてくれた。銅メダルを取って少しは恩返しできた」

--銅メダルが確定するまでの心境は

「なるようにしかならないと思った。選手は待つしかない。 3番でゴールしたことには間違いない。例えメダルがなくても、次につながるレースになった。メダルをもらえることになったので、胸を張りたい」

--抗議を受けた動きについて

「余裕がなくて、お互いフラフラしてああなってしまった。団子状態だと手が当たったりひじが軽く入ったりするのは、そんなに珍しいことではない。正直、きつすぎてよく覚えていない。故意にはやっていない」

 

 陸上競技 50キロ競歩決勝 3位でフィニシュするも失格扱いとされ、審議の結果再度 3位となり再び国旗を掲げた荒井広宙選手=リオデジャネイロ・ポンタル周回コース

 

☆<リオデジャネイロ五輪第15日:シンクロナイズドスイミング>◇19日=日本時間20日◇チームフリールーティン(FR)◇マリア・レンク水泳センター  テクニカルルーティン(TR)で 3位だった日本(乾選手、三井選手、中村選手、箱山選手、吉田選手、中牧選手、丸茂選手、小俣選手)が 95.4333点を出し、TRとの合計点を189.2056点とし、ロシア、中国に次ぐ銅メダルを獲得した。チームの五輪メダルは2004年アテネの銀以来 3大会ぶりで、2008年北京以来 2大会ぶりの銅を獲得したデュエットに続いた。

 

 銀メダルを手に記念撮影するシンクロナイズドスイミング日本代表=リオデジャネイロ・マリア・レンク水泳センター

 

 銅メダルが確定した電光掲示板を見た選手たちの顔がゆがむ。猛特訓の日々は無駄ではなかった。井村雅代ヘッドコーチ(66、HC)が普段なかなか見せてくれない笑顔を向けてくれた。デュエットに続く、銅メダル。日本シンクロが低迷期から復活した。  18日のTRでライバルのウクライナに0.3310点のリードを奪った。 3月の五輪最終予選。チームの出場権は得たものの、ウクライナに0.0525差で敗れ 2位。以来、曲こそ変えていないものの、振り付け、動き方などを一から作り直した。練習場のボードには「0.0525点差」の文字。悔しさをメダルへの原動力に変え、確実な演技でTR 4位のウクライナの上を行った。

 

 チームフリールーティン 日本の演技=リオデジャネイロ・マリア・レンク水泳センター

 

 「選手たちの着ぐるみを脱がせてほしい」。2014年 4月、日本代表に10年ぶりに復帰した井村HCは、中国代表時代からコンビを組む浅岡良信トレーナー(41)に指令を出した。欧州はもちろん、中国に比べて、日本の足は圧倒的に短い。長い足に勝つためにはどうするか。「鉛筆の芯」のように鍛えあげ、切れがあり小技のきく足に変革することだった。  週 3回 3時間、多いときは 5時間の陸トレを敢行。腹筋は 1日2500回がノルマの肉体改造を続けた。過酷な陸トレの後に水中に入る。 1日12時間以上の練習は当たり前。休みも自主練習。2014年 4月にはチーム代表の吉田が「もう辞めます」と井村HCにたんかを切るように言った。何とか続行も、昨年 3月には 2人が離脱した。

 

 

 チームフリールーティン 日本の演技=リオデジャネイロ・マリア・レンク水泳センター

 

 日本代表が空中分解の危機になっても、井村HCは決して妥協しない。  井村HC:無理をしたら、もっと無理ができる。普通を上げる。10回が普通なら 200回はきつい。 200回が普通になったらいつも通り。自分の当たり前、普通を上げる。  耐え続けた選手たちは昨年世界選手権で、 4大会 8年ぶりにメダルを獲得。結果が出たことで、選手たちはより厳しい練習も耐えられるようになる。チーム平均の体脂肪率は23%から18%。特にお尻の筋肉も鍛え上げることで、お尻のたれた日本人体形から脱却。お尻を足の一部にすることで足は長くなる。外国勢ともひけをとらないような足になった。

 

 

 チームフリールーティン 日本のリフト=リオデジャネイロ・マリア・レンク水泳センター

 

 泣きながら練習するのは当たり前だったが、井村HCからは「泣いていいのは親が死んだときと、メダルを取ったとき。悲劇のヒロインになるな」と怒鳴られた。チームでは12年ぶりのメダル。この日ばかりは選手たちは井村HCと抱き合いながら、心行くまで涙を流した。強引な指導に賛否があるのは事実。権利意識の高まる現代ではパワハラと紙一重の部分もあるが、井村式のスパルタ指導が、日本シンクロを復活に導いたことは間違いない。

 

  3位に入った日本チームの演技=リオデジャネイロ・マリア・レンク水泳センター

 

  8人で演技するチームのフリールーティン(FR)で、日本(乾選手、三井選手、箱山選手、丸茂選手、中村選手、中牧選手、小俣選手、吉田選手)が 95.4333点をマークし、18日のテクニカルルーティン(TR)との合計189.2056点で 3位に入り、 3大会ぶりのメダルを獲得した。デュエットと合わせ、今大会は 2種目とも銅メダルとなった。

 銅メダルが決まると、あでやかな水着を身にまとった 8人のマーメイドが、一斉に涙を流した。 2年半、井村雅代監督に必死についてきた日々が、この瞬間に報われた。

 

 躍動する日本チーム。猛練習の成果が出た=リオデジャネイロ・マリア・レンク水泳センター

 

 大トリの 8番目に登場した日本。テーマは日本神話に出てくる天照大神(あまてらすおおみかみ)。日本の復活が幕を開け、さらに栄えるようにとの願いを込めて作られた。日本の武器でもある確かな技術力と強い脚で審判をひきつけ、最後は観客の拍手も後押し。チームとしては2004年アテネ大会以来、12年ぶりの表彰台に立った。

 「五輪に魔物はいない」。井村監督の口癖だ。シンクロは対人スポーツではなく採点競技。練習でできないことは本番でもできない。だからこそ練習から究極を求め、最後は「勇気を持って腹をくくれるか」にかけた。就任当初は何を言ってもポカンとする選手たちを「新人類」と称したが、この 2年半でたくましく成長。勝負どころで底力を発揮した。

 

 

 銅メダルを獲得し、井村監督と喜ぶ日本チーム。努力が報われた瞬間だ=リオデジャネイロ・マリア・レンク水泳センター

 

 メダル復活の鍵となったのは、水中動作。就任直後は「あまりにもレベルが低い」と基本的なことに終始したが、昨年 9月から、事あるごとに地下に潜った。プールサイド横の階段を降りた先に、水族館のように水中を見通せるガラス張りの空間がある。

 「水中の動きまで合わせてこそ見えている部分が合うし、列もスムーズに並べる」。地下から水中をにらみ、選手たちを罵倒。目には見えない細部までこだわり、お家芸復活を実現させた。

 五輪競技に正式採用された1984年ロサンゼルス五輪以降、 7大会連続でメダルを獲得し続けるも、ロンドンでその歴史が途絶えた日本。 2種目でのメダル獲得で、お家芸といわれた日本シンクロ界に、再び光が差し始めた。

 

 シンクロナイズドスイミング チームFR決勝  演技する日本チーム=リオデジャネイロ・マリア・レンク水泳センター

 

 良い結果が生まれている。これからもドンドン増えていくと思われている。いったい最後にはどの位のメダル数になるのでしょうね。ガンバレ!日本!我らのジャパン!勝利を掴め!

 

 

 

 

 

 

 

 

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