●21日阪神甲子園球場で全国高校野球選手権決勝:作新学院高校-北海高校が行われ、深紅の優勝旗が、半世紀の時を経て栃木に帰ってきた。作新学院高校(栃木)が、決勝で北海高校(南北海道)を下した。決勝の安打を放ったのは、エース今井を支えた鮎ケ瀬一也捕手( 3年)だった。好投した今井とは県予選からコンビを組んだ。ピンチでは何度も「いいボール投げてるから、頑張っていこう」と声を掛けた。この日もウイニングボールをミットに収め、本塁からマウンドに向かうつもりだった。だが、 7回。一死 3塁でダメ押し打を放った際、両足のふくらはぎがつってしまった。その裏、手当てを受け守備に就いたが、痛みは引かず、 8回から仲尾にマスクを譲った。「歓喜」という鎮痛剤で痛みは消えていた。マウンドに広がる輪。鮎ケ瀬はベンチを飛び出ると、両足を引きずりながらも、笑顔で飛び込んだ。作新学院高校にとって約半世紀ぶりの大優勝旗。鮎ケ瀬は最後に直立不動で語った。「全国制覇を目指してやってきたかいがあったなと思います」。その表情は実に晴れやかだった。
●「第98回全国高校野球選手権大会」第14日・決勝(作新学院 7- 1北海、21日、甲子園)作新学院高校を夏の甲子園制覇に導いた小針崇宏監督(33)は、好投手の今井を擁しながらも、攻撃型のチームで日本一の座を奪回した。 4回無死 1塁からも犠打のサインを出さず、敵失を絡めつつ、 5点を奪った。2006年秋に23歳の若さで母校の監督に就任してから、攻めの精神と自主性の重視を指導の基本にしている。
●「第98回全国高校野球選手権大会」で優勝した作新学院高校(栃木)のナインが一夜明けた22日、大阪市内で優勝の喜びを報告した。決勝の北海高校(南北海道)戦で 7安打 1失点完投し、計 5試合41イニング 616球を快投した今井達也投手( 3年)は、携帯電話に 300~ 400件の「LINE」が届いていた。 3戦連発の入江大生内野手( 3年)には1000件近いメッセージが届いた。昨夜は、仲間たちと存分に語り合い喜びをようやく実感できたようだ。
●「第98回全国高校野球選手権大会」で54年ぶり 2度目の優勝を果たした作新学院高校の選手たちが22日、宇都宮市にある同校に凱旋し、報告会で主将の山本拳輝選手が「優勝旗の重さに、全国の球児の思いを感じた」と話した。
●「第98回全国高校野球選手権大会」第14日・決勝(作新学院 7- 1北海、21日、甲子園)1962年の甲子園優勝時の作新学院メンバーで、1963年卒の八木沢荘六氏(71)は埼玉県内の自宅でテレビ観戦。自身は1962年の夏の甲子園は赤痢のため、登板できなかっただけに、後輩たちの奮闘を喜んだ。
●次こそ大旗だ。夏甲子園初の決勝に進出した北海高校(南北海道)は作新学院高校(栃木)に敗れたが、 2年生コンビが大舞台で堂々の戦いを見せた。左腕、多間隼介投手はエース大西に代わり、 4回途中から甲子園初登板。 6回 2失点の粘投を見せた。 9番鈴木大和中堅手は先制打を放った。悲願の全国優勝へ、夢の続きは彼ら下級生たちに託された。背番号「11」の左腕、北海高校・多間は初めて立った聖地のマウンドで力を出し切った。全国の頂点に立った作新学院打線を相手に勝負はできた。負けた悔しさもあったが、納得した表情を浮かべた。 3年生との甲子園最後の試合。ベンチではバトンを引き継いだエース大西に首をアイシングしてもらいながら毎回マウンドに向かった。創部 116年目、全国最多37度目の出場、長い歴史に初めて夏の準優勝の文字を刻んだ。ベンチ入り18人中 2年生は 7人。決勝の舞台で戦った自信を胸に、全国で最も遅いスタートをきる新チームが再び日本一へ挑戦する。
●「第98回全国高校野球選手権大会」で準優勝した北海高校(南北海道)ナインは一夜明けた22日、大阪・池田市の宿舎から空路、帰路についた。「V6岡田准一」似で話題を呼んだエース大西健斗主将( 3年)の姿を一目見ようと、宿舎前には神戸市から駆けつけた女子小中学生のファンの姿も。北海道ではすでに新学期が始まっており「友だちに早く会いたい」と笑顔で話した。記事をまとめてみました。
<全国高校野球選手権:作新学院 7- 1北海>◇21日◇決勝◇阪神甲子園球場
深紅の優勝旗が、半世紀の時を経て栃木に帰ってきた。作新学院高校(栃木)が、決勝で北海高校(南北海道)を下した。決勝の安打を放ったのは、エース今井を支えた鮎ケ瀬一也捕手( 3年)だった。
「歓喜」という鎮痛剤で痛みは消えていた。マウンドに広がる輪。鮎ケ瀬はベンチを飛び出ると、両足を引きずりながらも、笑顔で飛び込んだ。
「いやもう、最高にうれしいですね。この夏、今井と 2人でやってこれて良かったです」
4回、中前適時打を放った作新学院高校・鮎ケ瀬一也捕手=阪神甲子園球場
好投した今井とは県予選からコンビを組んだ。ピンチでは何度も「いいボール投げてるから、頑張っていこう」と声を掛けた。この日もウイニングボールをミットに収め、本塁からマウンドに向かうつもりだった。だが、 7回。一死 3塁でダメ押し打を放った際、両足のふくらはぎがつってしまった。その裏、手当てを受け守備に就いたが、痛みは引かず、 8回から仲尾にマスクを譲った。「(試合には)最後まで出たかったんですけど、足がついてこなかった」。歓喜の瞬間はベンチから見守ったが「あいつならできるって信頼してました」と優勝を決めた仲尾の三塁送球に賛辞を贈った。
北海高校に1点を先制されマウンドで話す鮎ケ瀬一也捕手(左)と今井達也投手=阪神甲子園球場
この試合、勝負を決めたのは鮎ケ瀬のバットだった。 4回無死満塁。相手エース大西は、失策から同点に追いつかれ浮足立っていた。そんな一瞬の隙を逃さない。初球、真ん中に入った甘い直球を捉え中前に運んだ。「チャンスだったんで初球から。変化球を待っていたんですけど、直球に反応して打てました」。決勝点となる適時打でチームに勢いをつけた。
4回、作新学院高校・鮎ケ瀬一也捕手が適時打を放った。投手は北海高校・大西=阪神甲子園球場
毎年、夏大会前に行う恒例行事、強化合宿が選手を強くした。前年まで 4週間行っていた合宿は、今年は 6週間に延長。早朝 5時半に学校のトラックに集合し、1500メートル、 800メートル、 400メートルを走り込み体力強化に努めてきた。制限時間内に走破できなければ、次のメニューに進むことができない。「自分たちは弱いと言われ続けて。秋も春も県で勝てないくらい弱くて」。常勝軍団になるために、鮎ケ瀬も死にものぐるいで練習に取り組み、自信がついた。合宿後、小針監督の言葉が変わった。「お前らは日本一になれるチームだ-」。自信が確信になった瞬間だった。
作新学院高校にとって約半世紀ぶりの大優勝旗。鮎ケ瀬は最後に直立不動で語った。「全国制覇を目指してやってきたかいがあったなと思います」。その表情は実に晴れやかだった。
夏の甲子園・ブランク優勝5傑
「第98回全国高校野球選手権大会」第14日・決勝(作新学院 7- 1北海、21日、甲子園)作新学院高校を夏の甲子園制覇に導いた小針崇宏監督は、好投手の今井を擁しながらも、攻撃型のチームで日本一の座を奪回した。 4回無死 1塁からも犠打のサインを出さず、敵失を絡めつつ、 5点を奪った。 「打つことだけでなく、グラブを持って攻める、投げて攻める、ですね。やらされる 1時間の練習より、自分でやる30分が大事」
小針崇宏監督は選手たちの手で胴上げされ、会心の笑みを浮かべた=阪神甲子園球場
2006年秋に23歳の若さで母校の監督に就任してから、攻めの精神と自主性の重視を指導の基本にしている。趣味は「野球」で研究熱心。サンケイスポーツ専属評論家の野村克也氏による連載「ノムラのすべて」を愛読し、今井らにも「勉強するように」と伝えて、教科書代わりにして指導した。私生活では、夫人と、昨年 5月に誕生した長女と暮らしているが「オフの使い方が下手」と自嘲する。
趣味は長渕剛のDVDを見ることで、「栃木大会で球場に行くバスでは、40曲を選手に聞かせてモチベーションを高めさせていました」と明かした。大好きな“長渕魂”で勝ち取った優勝でもあった。
小針崇宏監督(左)は今井達也投手の手を握り、ねぎらった=阪神甲子園球場
「全国高校野球選手権」に54年ぶり 2度目の優勝を飾った作新学院高校の小針崇宏監督は22日、決勝から一夜明け会見した。優勝決定後に携帯電話に多くのお祝いメッセージが届いているのを確認し、「まだ、(優勝した)実感はないが、こんなにたくさんの方々が応援してくれているのだと思った。来年、栃木大会に 7年連続で優勝できて、甲子園に来られたら優勝を狙いたい」と話した。
優勝から一夜明け、宿舎をあとにする今井達也投手(前から 2人目)ら作新学院高校ナイン=大阪市淀川区内の宿舎
▽小針崇宏(こばり・たかひろ)監督
1983(昭和58)年 6月22日生まれ、33歳。栃木県出身。作新学院高校では、 2年春にセンバツに 2塁手で出場し 8強。 3年夏は主将を務め、栃木大会決勝で敗れた。筑波大學に進み、野球部で 4年時は主将。2006年に母校の保健体育科教員となりコーチ、 9月に監督に就任。甲子園は夏 7度、春 1度指揮。家族は夫人と一女。
▽作新学院(さくしんがくいん)高校
1885(明治18)年に下野英学校として創立。トップ英進・英進部、総合進学部、情報科学部からなる私立共学校で、生徒数は3447人(うち女子1475人)。野球部創部は1902年で部員数は99人。甲子園出場は春 9度、夏12度。同優勝は春 1度、夏 2度。主なOBは八木沢荘六投手(元ロッテ)、江川卓投手(元巨人)、岡田幸文外野手(ロッテ)、萩野公介選手(競泳)。所在地は栃木県宇都宮市一の沢1の1の41。船田元校長。
優勝から一夜明け、大優勝旗を持って宿泊先を出る作新学院高校・今井達也投手
「第98回全国高校野球選手権大会」で優勝した作新学院高校(栃木)のナインが一夜明けた22日、大阪市内で優勝の喜びを報告した。
決勝の北海高校(南北海道)戦で 7安打 1失点完投し、計 5試合41イニング 616球を快投した今井達也投手( 3年)は、携帯電話に 300~ 400件の「LINE」が届いていた。「日本一おめでとうという言葉を中心に、たくさん来ていました。今までで 1番多いです。まだ全部返し切れていません」と驚きを隠せなかった。 3戦連発の入江大生内野手( 3年)には1000件近いメッセージが届いた。昨夜は、仲間たちと存分に語り合い喜びをようやく実感できたようだ。
全国高校野球選手権大会で54年ぶり2度目の優勝を果たし、母校に凱旋した作新学院高校の選手たち=宇都宮市・作新学院高校
「第98回全国高校野球選手権大会」で54年ぶり 2度目の優勝を果たした作新学院高校の選手たちが22日、宇都宮市にある同校に凱旋し、報告会で主将の山本拳輝選手が「優勝旗の重さに、全国の球児の思いを感じた」と話した。
台風の影響で登校日ではなくなったが、保護者や生徒ら約 300人が駆け付け、午後 5時前に優勝旗などを持って会場のホールへ入ってきたナインらを拍手で出迎えた。
小針崇宏監督は「普通のチームが応援で勇気をもらい、普段できないようなプレーができた」とあいさつ。快速球を武器に活躍したエースの今井達也選手は報道陣の取材に「昨年ベンチ入りできなかったので、強い思いを持って練習してきた。甲子園では試合を重ねるごとに成長できた」と充実した様子で話した。
OBの八木沢荘六氏は優勝の価値を力説した。写真は1962年 8月に撮影=阪神甲子園球場
「第98回全国高校野球選手権大会」第14日・決勝(作新学院 7- 1北海、21日、甲子園)1962年 の甲子園優勝時の作新学院メンバーで、1963年卒の八木沢荘六氏(71)は埼玉県内の自宅でテレビ観戦。自身は1962年の夏の甲子園は赤痢のため、登板できなかっただけに、後輩たちの奮闘を喜んだ。
「54年ぶりですが、優勝というのは簡単なことではないのです。私のとき(1962年のセンバツ優勝)は、打線が60イニングで計11点しか取ってくれなかったので、失点 4でやっと勝てた。投げたらノーミスでないと駄目という感じでした」と自身の経験を踏まえて力説した。
「今井君は、胴上げ投手にふさわしい活躍をしました。プロは先発、中継ぎ、抑えという分業システムがあるが、高校生では今井君のように投げ切る姿がいい。この後、国体も優勝してほしい。春夏、甲子園で勝った年の国体で、北海に負けていた。きょうはリベンジしてもらった。 2冠を頼みたい」と後輩にさらなる夢を託した。
▽作新学院・1962年春夏連覇VTR センバツでは、のちにロッテで活躍したエース・八木沢荘六が準々決勝の延長18回引き分け再試合、準決勝の延長16回など 5試合すべて完投し、35回連続無失点を記録するなど、圧倒的な投球で初優勝に貢献。だが夏は開会式直後、八木沢が赤痢で強制隔離されて欠場。だが地方大会から急成長した 1メートル80の長身サイドハンド、加藤斌(たけし)が準決勝、決勝と連続完封。史上初の春夏連覇を達成した。加藤は中日に入団したが、1965年 1月、交通事故のため20歳で亡くなった。
▽八木沢 荘六(やぎさわ・そうろく) 1944(昭和19)年12月 1日生まれ、71歳。栃木県出身。作新学院高では1962年春にエースとして甲子園優勝に貢献。夏は赤痢のため出場できなかった(チームは優勝)。早稲田大學を経て1967年 2次ドラフト 1位で東京(現ロッテ)入団。1973年10月10日の太平洋戦(ダブルヘッダー第 1試合、仙台)で完全試合。同年に最高勝率( 0.875)。1979年に現役引退。通算成績は 394試合で71勝66敗 8S、防御率3.32。1992-1994年にロッテの監督を務め、巨人、ヤクルトなどでコーチを歴任した。右投げ右打ち。
次こそ大旗だ。夏甲子園初の決勝に進出した北海高校(南北海道)は作新学院高校(栃木)に敗れたが、 2年生コンビが大舞台で堂々の戦いを見せた。左腕、多間隼介投手はエース大西に代わり、 4回途中から甲子園初登板。 6回 2失点の粘投を見せた。 9番鈴木大和中堅手は先制打を放った。悲願の全国優勝へ、夢の続きは彼ら下級生たちに託された。
背番号「11」の左腕、北海高校・多間は初めて立った聖地のマウンドで力を出し切った。 1- 3と逆転された 4回無死満塁のピンチで出番はやって来た。「怖さもあったけど全国に通用するか知りたいというのもあった」。最初の打者に 2塁打を浴びると「逆に吹っ切れた」。回を重ねていくごとに調子を上げた。球場全体も味方につけ、好投のたびに拍手で背中を押された。「変化球でも直球でも三振が取れた」と、全国の頂点に立った作新学院打線を相手に勝負はできた。負けた悔しさもあったが、納得した表情を浮かべた。
2番手で登板した北海高校・多間隼介投手=阪神甲子園球場
応えたかった。 3年生との甲子園最後の試合。ベンチではバトンを引き継いだエース大西に首をアイシングしてもらいながら毎回マウンドに向かった。「大西さんのために、自分のために投げた」。初戦から準決勝まで 1人で投げ抜いた先輩が自分のために尽くしてくれる。打撃では「たまたまです」と謙遜するが、全 3打席で安打を放って反撃を狙った。大阪入り後はずっと打撃投手を務め、自身の打撃練習はバントしかしてこなかったが、思いが打球に宿っていた。 9番鈴木も切り込んだ。 2回二死 1、 2塁。「 3年生でベンチに入れていない人たちの分も」と、左翼線への適時打で先制点を奪った。
創部 116年目、全国最多37度目の出場、長い歴史に初めて夏の準優勝の文字を刻んだ。ベンチ入り18人中 2年生は 7人。多間は「エースになるって気持ちでいく。来年戻って来て、優勝旗を取るしかない」と誓う。決勝の舞台で戦った自信を胸に、全国で最も遅いスタートをきる新チームが再び日本一へ挑戦する。
宿舎前で記念撮影に応じる北海高校のエース大西健斗主将=大阪・池田市
「第98回全国高校野球選手権大会」で準優勝した北海高校(南北海道)ナインは一夜明けた22日、大阪・池田市の宿舎から空路、帰路についた。
「V6岡田准一」似で話題を呼んだエース大西健斗主将( 3年)の姿を一目見ようと、宿舎前には神戸市から駆けつけた女子小中学生のファンの姿も。初戦から5戦連続で先発マウンドに上がった右腕は「メダルを見て、甲子園で戦ったんだなと実感した」。北海道ではすでに新学期が始まっており「友だちに早く会いたい」と笑顔で話した。
第98回全国高校野球選手権大会 組み合わせ
まるでオリンピックの陰に隠れて、忘れられていた様な今年の大会だったが、そこには高校生達の青春が戦い合っていた事を忘れてはいけない。優勝した作新学院高校、優勝まで手が届かなかった高校と様々な青春の一ページを見せてくれた。どの高校生も皆全力で頑張った事を忘れてはならないだろう。
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