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車いすラグビー日本、初の銅!エース池崎「東京で金」/日本、メダル総数は前回より8増の24個!

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18日=日本時間19日リオデジャネイロリオ・パラリンピック最終日、12日間の戦いで日本は金メダルを獲得できなかった。初めて参加した1964年東京大会以来、連続して獲得してきた伝統が途絶えた。今大会、柔道は男子60キロ級の広瀬誠選手(愛知県立名古屋盲学校教)しか決勝へ進めず、 100キロ超級で 2連覇を狙った正木健人選手(エイベックス)は銅。競泳男子でメダル 4個を稼いだ木村敬一選手(東京ガス)も得意種目で勝ちきれなかった。陸上男子走り幅跳び(切断などT42)の山本篤選手(スズキ浜松AC)は自己ベストに並ぶ跳躍だったが 2位だった。日本選手団の大槻洋也団長(至学館大学教授)は「金メダル10個、金メダル国別ランキング10位」と、 5個だった前回大会からの倍増を目標に掲げていたが、数字の根拠は不明瞭。期待が高まる 4年後は、より精密な戦力分析と目標設定が求められそうだ。日本選手団のメダルは銀「10」、銅「14」の計 「24」で前回ロンドン大会の「16」を上回ったが、「10」を目指した金メダルは初参加した1964年東京大会以来初のゼロ。2020年東京大会へ、収穫とともに課題が残った。中国が金「107」個を稼いで、2004年アテネ大会から 4大会連続のトップ。競泳だけで「37個」の金を量産。陸上も「32個」、お家芸の卓球でも「13個」と他を圧倒。銀、銅を合わせた総数は「239個」で表彰台を席巻した。

18日=日本時間19日リオデジャネイロリオ・パラリンピック最終日、車いすラグビー 3位決定戦が行われ、車いすラグビーの日本は 3位決定戦で前回銀のカナダを52-50で下し、初のメダルとなる銅を獲得した。12人の選手と 8人のスタッフが、コート上で歓喜を爆発させた。試合開始直後からカナダに襲いかかった。第 1Pで 4点差をつけて試合をコントロール。準決勝のオーストラリア戦では球際の争いで勝てなかったが、「何が何でもメダルを」という気迫で序盤から圧倒 した。エースの目から涙があふれた。試合終了のブザーが鳴ると、日本代表の選手たちが抱き合 った。その中心に池崎選手がいた。気迫を前面に出し、前からの積極的な守備でボールを奪った。 司令塔で主将の池透暢(ゆきのぶ)選手(36)とともに得点を重ね、52得点のうちチーム最多の19得点。エースの役割を果たし、車いすラグビー発祥国のカナダを破った。日本の全 272得点のうち 107得点を稼ぎ、今大会の得点ランクは 5位( 1位はカナダのマデル選手= 172得点)。今や、世界屈指のポイントゲッターだ。気持ちは早くも 4年後の母国大会へ。新たな歴史を刻む立役者となった池崎の闘志はさらに高まった。

18日=日本時間19日リオデジャネイロリオ・パラリンピック最終日、陸上女子マラソン(視覚障害)が行われ、道下美里選手(39=三井住友海上)が銀メダルに輝いた。序盤は出遅れたが、30キロ手前で 2位に浮上し、 3時間 6分52秒でゴール。 2人の伴走者と多くの「チーム道下」に支えられ、今大会で初採用の種目で表彰台に立った。ガイドランナーに助けられ、 144センチの小さな体で駆け抜けた。スタート直後こそ遅れたが、20キロ手前で 3位に上がり、30キロ手前で 2位に立った。目標の金メダルこそ逃したが、銀メダル獲得に笑顔をみせた。最大の武器は笑顔だった。中 2の時に右目を失明し、25歳の時には左目も0.01以下になった。2014年の防府マラソンでは非公認ながら 2時間59分21秒の当時世界最高で走った。リオでは、堀内規生(ほりうちのりたか)氏と青山由佳氏がガイドランナーを務めた。「絆」と呼ぶ42センチの赤いロープを頼りに走った。 1分間 240のピッチは同じピッチ走法で知られる高橋尚子選手の200を上回る。さらに大会に備えて歩幅を伸ばす挑戦もした。体力の消耗をなるべく抑えた走りで、42.195キロを駆け抜けた。

18日=日本時間19日リオデジャネイロリオ・パラリンピック最終日、陸上男子マラソン(視覚障害)が行われ、岡村正広選手(46=RUNWEB)は 2時間33分59秒で銅メダルを獲得した。前回届かなかった表彰台に立ち胸を張った。視野が狭くなる症状が進行し、わずかに残る視力を頼りにガイドを伴わず、走り抜いた。

18日=日本時間19日リオデジャネイロリオ・パラリンピック最終日、マラカナン競技場で閉会式が行われ、南米初開催だった障害者スポーツ最大の祭典が閉幕した。開会式に続いて車いすテニス女子の22歳、上地選手が旗手を務めた。今大会は単で目標とした優勝こそ逃したが、銅メダルを獲得して旗手の面目を保った。小池百合子東京都知事(64)は18日夜(日本時間19日午前)、マラカナン競技場で行われたリオパラリンピックの閉会式で、先月の五輪に続き、「フラッグ・ハンドオーバーセレモニー」に出席した。五輪閉会式では、「日本の勝負服」として着物姿で臨んだが、この日は、自身の勝負カラー「百合子グリーン」の、マント風ジャケットを着用。五輪閉会式での着物と同じく、鶴の模様が描かれ、日本らしさもアピールした。小池氏は、国際パラリンピック(IPC)のクレイバン会長から受けたパラリンピック旗を、左右に 6回振り、次期開催都市・東京をアピールした。終盤は、ピチカートファイブの代表曲「東京は夜の七時」が流れる中、東京パラリンピックへの期待を高めるパフォーマンスとなった。小池氏と、引き継がれたパラリンピック旗は、21日に帰国する予定。

リオデジャネイロ・パラリンピック日本選手団は19日=日本時間20日、リオデジャネイロ市内で解団式を行い、日本パラリンピック委員会(JPC)の鳥原光憲会長はねぎらった。解団式の前には日本選手団の大槻洋也団長が記者会見。 4年後の東京大会に向けて、引き続き金メダル「22個」以上の獲得で金メダルランキング 7位を目指す方針を明言した。選手団の主将を務めた車いすバスケットボール男子の藤本怜央選手(SUS)は気持ちを新たにしていた。記事をまとめてみました。

 

 

☆<リオデジャネイロリオ・パラリンピック最終日>◇18日=日本時間19日

 12日間の戦いで日本は金メダルを獲得できなかった。初めて参加した1964年東京大会以来、連続して獲得してきた伝統が途絶えた。

 陸上、競泳、柔道が誤算だった。日本はこれまで最多の金「17個」を獲得した1988年ソウル大会と2004年アテネ大会など、 5大会で金メダル数を 2桁に乗せた。いずれも個人競技で数字を伸ばした。

 

 陸上男子 400Mリレーが銅!五輪銀から「勇気もらった」=リオデジャネイロ

 

 今大会、柔道は男子60キロ級の広瀬誠選手(愛知県立名古屋盲学校教)しか決勝へ進めず、 100キロ超級で 2連覇を狙った正木健人選手(エイベックス)は銅。競泳男子でメダル 4個を稼いだ木村敬一選手(東京ガス)も得意種目で勝ちきれなかった。陸上男子走り幅跳び(切断などT42)の山本篤選手(スズキ浜松AC)は自己ベストに並ぶ跳躍だったが 2位だった。

 

 陸上・女子 400M銅メダルの辻選手「いろんなことを犠牲にしたけど…」=リオデジャネイロ

 

 銅の車いすラグビーなど団体競技、種目で健闘はあったものの、金の数を増やすには個人競技での躍進が必須だ。日本選手団の大槻洋也団長(至学館大学教授)は「金メダル10個、金メダル国別ランキング10位」と、 5個だった前回大会からの倍増を目標に掲げていたが、数字の根拠は不明瞭。期待が高まる 4年後は、より精密な戦力分析と目標設定が求められそうだ。

 

 JPC会長、金メダルゼロに2020年東京へ強化見直し明言

 

 南米初開催だった障害者スポーツ最大の祭典が閉幕。日本選手団のメダルは銀「10」、銅「14」の計「24」で前回ロンドン大会の「16」を上回ったが、「10」を目指した金メダルは初参加した1964年東京大会以来初のゼロ。2020年東京大会へ、収穫とともに課題が残った。

 

 東京組織委の武藤事務総長、「次はわれわれの番」と決意

 

 2020年東京大会へ弾みをつけようとロンドン大会から倍増の金メダル「10個」を目標に掲げた日本は、パラリンピックで初めて 1種目も頂点に立てなかった。総数は前回より「8」増の「24個」だった。中国が金「107」個を稼いで、2004年アテネ大会から 4大会連続のトップ。競泳だけで「37個」の金を量産。陸上も「32個」、お家芸の卓球でも「13個」と他を圧倒。銀、銅を合わせた総数は「239個」で表彰台を席巻した。

 

☆<リオデジャネイロ・パラリンピック最終日:車いすラグビー>◇18日=日本時間19日◇ 3位決定戦

 車いすラグビーの日本は 3位決定戦で前回銀のカナダを52-50で下し、初のメダルとなる銅を獲得した。

 新しい歴史を作ると、エース池崎は司令塔の池と抱き合った。12人の選手と 8人のスタッフが、コート上で歓喜を爆発させた。「成長させてくれた人に感謝したい」と池が言えば、池崎も「ここで結果を出さなければと思った」と続けた。初出場の2004年アテネ大会から 8位、 7位、 4位でようやくメダル。乗松は「最高の気分です」と笑った。

 

 

 カナダを破り銅メダルを決め日の丸を掲げる日本の菅野選手ら=リオデジャネイロ

 

 試合開始直後からカナダに襲いかかった。第 1Pで 4点差をつけて試合をコントロール。準決勝のオーストラリア戦では球際の争いで勝てなかったが、「何が何でもメダルを」という気迫で序盤から圧倒した。

 手足の筋肉が徐々に低下する難病を抱える池崎選手のスピード、交通事故で左足を切断して全身の70%にやけどを負った池選手のパス。日本の誇る「イケイケ」コンビが躍動した。障害の程度に応じて持ち点があり、出場 4人の合計が決まっている競技。主力 2人を若山選手や今井選手、乗松選手ら障害の重い「ローポインター」が助けた。チーム一丸だった。

 次の目標は頂点。「ブロンズ(銅)が今の限界。もっと強いチームを作っていきたい」と、池崎選手は 4年後の東京大会での金メダル獲得を目指して言った。

 

 

 銅メダルを勝ち取った3位決定戦の後、閉会式に参加した車いすラグビー日本代表の池崎選手 (奥)と荻野監督=リオデジャネイロ

 

 世界ランキング 3位の日本は 3位決定戦で同 4位のカナダに52-50で競り勝った。 4度目の出場で初のメダルとなる銅を獲得した。夜にはマラカナン競技場で閉会式が行われ、南米初開催だった障害者スポーツ最大の祭典が閉幕。日本選手団のメダルは銀「10」、銅「14」の計「24」で前回ロンドン大会の「16」を上回ったが、「10」を目指した金メダルは初参加した1964年東京大会以来初のゼロ。2020年東京大会へ、収穫とともに課題が残った。

 エースの目から涙があふれた。試合終了のブザーが鳴ると、日本代表の選手たちが抱き合った。その中心に池崎選手がいた。

 「 4年間の思いがつまった試合だった」

 気迫を前面に出し、前からの積極的な守備でボールを奪った。司令塔で主将の池透暢(ゆきのぶ)選手とともに得点を重ね、52得点のうちチーム最多の19得点。エースの役割を果たし、車いすラグビー発祥国のカナダを破った。

 

 

 獲得した銅メダルを胸に歓声に応える(左から)乗松選手、池選手、山口選手、岸選手=リオデジャネイロ

 

  6歳で全身の筋肉が衰えていく遺伝性末端神経障害の「シャルコー・マリー・トゥース病」を発症した。歩行も困難になり、高校 2年から車いすバスケットボールを始める。だが、握力も低下し、プレーが難しくなった。悩んでいた時、四肢に障害のある選手の競技と聞き、車いすラグビーに30歳で転向した。

 転向から 2年で代表入りし、2012年ロンドン大会は 4位。力をつけるために無給で米国、カナダ、豪州のクラブチームに武者修行。経験を積んできた。タックルで当たり負けしない強さを身につけるため、走り込みや筋力強化に 1日 7時間を費やした。

 日本の全 272得点のうち 107得点を稼ぎ、今大会の得点ランクは 5位( 1位はカナダのマデル選手= 172得点)。今や、世界屈指のポイントゲッターだ。

 実力アップに比例するよう個人遠征や代表合宿で家族と離れる時間は増えた。だが、札幌市内の自宅で長女・ななちゃん( 4)、長男・一(はじめ)くん( 2)と過ごすつかの間の休息が、何よりの癒やしだった。

 「東京では、『今度こそ金メダル』と思ってもらえる日本代表になりたい」。気持ちは早くも 4年後の母国大会へ。新たな歴史を刻む立役者となった池崎の闘志はさらに高まった。

 

▽荻野晃一監督 「選手が落ち着いていたのがすごく良かった。初代のメダリストになる、このチームならなれると 話し、準備をした。すごくいいメンバー」

▽池透暢選手 「(準決勝で敗れ)金メダルが絶たれた後に立て直し、チーム力が銅メダルにつながった」

 

★車いすラグビー

 1977年にカナダで考案。パラリンピックでは1996年アトランタ大会で公開競技、2000年シドニー大会から正式種目となった。 1チーム 4人でバスケットボール用のコートを使用。公式専用球は楕円(だえん)ではなく、バレーボールに近い。前方へのパスが可能で、ボールを膝の上に置いて運ぶ場合は10秒以内にドリブルを行う。ボール保持者が相手側ゴールラインに達するか通過すれば 1得点。車いすの衝突が認められており、「マーダーボール」(殺人球技)とも呼ばれる。

★池崎 大輔(いけざき・だいすけ)

 1978(昭和53)年 1月23日生まれ、38歳。北海道・函館市出身。 6歳の時に手足の筋力が低下する難病を発症。岩見沢高等養護学校 2年で車いすバスケットボールを始め、30歳で車いすラグビーに転向。2010年に日本代表入り。2012年ロンドン・パラリンピック 4位。今年 7月に三菱商事に入社した。北海道Big Dippers所属。

 

 女子マラソン(視覚障害) 力走する「チーム道下」の宮下美里選手(右)と伴奏者の堀内規生氏=リオデジャネイロ

 

☆<リオデジャネイロ・パラリンピック:陸上>◇18日=日本時間19日◇女子マラソン(視覚障害)

 女子マラソン(視覚障害)で道下美里選手(三井住友海上)が銀メダルに輝いた。序盤は出遅れたが、30キロ手前で 2位に浮上し、 3時間 6分52秒でゴール。 2人の伴走者と多くの「チーム道下」に支えられ、今大会で初採用の種目で表彰台に立った。

 道下選手の驚異的なピッチは最後まで落ちなかった。ガイドランナーに助けられ、 144センチの小さな体で駆け抜けた。スタート直後こそ遅れたが、20キロ手前で 3位に上がり、30キロ手前で 2位に立った。目標の金メダルこそ逃したが、銀メダル獲得に笑顔をみせた。

 

 

 女子マラソン(T11、12) 力走する「チーム宮下」の道下美里選手(左から 2人目)と伴走者の青山由佳氏=リオデジャネイロ

 

 最大の武器は笑顔だった。中 2の時に右目を失明し、25歳の時には左目も0.01以下になった。山口県立盲学校に入学し「ダイエット」に走り始めた。マラソン転向で才能が開花。2014年の防府マラソンでは非公認ながら 2時間59分21秒の当時世界最高で走った。

 道下を支えたのは「チーム道下」だった。毎日の練習は曜日ごとに10人の伴走者と取り組む。メンタル、フィジカルトレーナー、給水サポーター、遠征の資金集めも頼った。「目が見えずに心は落ち込んだけれど無理して笑った。続けていたら人が集まってくれた」。

 

 

 女子マラソン(視覚障害)で銀メダルを獲得し、母親(右)の前で満面の笑みを見せる道下美里選手=リオデジャネイロ

 

 リオでは、堀内規生氏と青山由佳氏がガイドランナーを務めた。「絆」と呼ぶ42センチの赤いロープを頼りに走った。 1分間 240のピッチは同じピッチ走法で知られる高橋尚子選手の 200を上回る。 さらに大会に備えて歩幅を伸ばす挑戦もした。「仲間と一緒に勝ちたい」と話した道下が、最高の チームメートとともに輝いた。

 

 

 陸上マラソンT12 銀メダルを獲得しスタンドの声援に応える道下美里選手=リオデジャネイロ

 

 初実施の女子マラソン(視覚障害)で道下美里選手が 3時間 6分52秒で銀メダル。体力の消耗をなるべく抑えた走りで、42.195キロを駆け抜けた。かつては1500メートルなどでパラリンピックを目指したが、参加することもできなかった。それだけに「銀メダルをもらえてうれしい。中距離では果たせなかったパラの舞台でメダル。あきらめず続けてきてよかった」と感慨に浸った。

 

☆<リオデジャネイロ・パラリンピック:陸上>◇18日=日本時間19日◇男子マラソン(視覚障害)

 岡村正広選手(RUNWEB)は 2時間33分59秒で銅メダルを獲得した。前回届かなかった表彰台に立ち「ロンドンは 4位で悔しかった。それをばねに頑張ってきた」と胸を張った。2008年北京大会はガイドランナーとして参加、視野が狭くなる症状が進行し、前回から選手として出場。わずかに残る視力を頼りにガイドを伴わず、走り抜いた。

 

 

 陸上マラソンT12 銅メダルを口にくわえる岡村正広選手=リオデジャネイロ

 

◎<リオデジャネイロ・パラリンピック:閉会式>◇18日=日本時間19日◇マラカナン競技場

 リオデジャネイロ・パラリンピック最終日(18日)夜にはマラカナン競技場で閉会式が行われ、南米初開催だった障害者スポーツ最大の祭典が閉幕。

 

 閉会式で(左から)陸上の大西選手、辻選手、(1人おいて)山本選手は打ち上げられた花火を見る=リオデジャネイロ・マラカナン競技場

 

 開会式に続いて車いすテニス女子の22歳、上地選手が旗手を務めた。正装だった開会式とは打って変わり、選手団の赤のジャージー姿。リラックスした表情で「幸せ。とても光栄」と大役をこなした。今大会は単で目標とした優勝こそ逃したが、銅メダルを獲得して旗手の面目を保った。

 

 

 リオ市のパエス市長(左端)からIPCのクレーブン会長(左から 3人目)を経て小池百合子東京都知事に手渡されたパラリンピック旗=リオデジャネイロ・マラカナン競技場

 

 東京都の小池百合子知事は18日夜(日本時間19日午前)、マラカナン競技場で行われたリオパラリンピックの閉会式で、先月の五輪に続き、「フラッグ・ハンドオーバーセレモニー」に出席した。 五輪閉会式では、「日本の勝負服」として着物姿で臨んだが、この日は、自身の勝負カラー「百合子グリーン」の、マント風ジャケットを着用。五輪閉会式での着物と同じく、鶴の模様が描かれ、日本らしさもアピールした。

 

 手渡されたパラリンピック旗を振る小池百合子東京都知事=リオデジャネイロ・マラカナン競技場

 

 小池氏は、国際パラリンピック(IPC)のクレイバン会長から受けたパラリンピック旗を、左右に 6回振り、次期開催都市・東京をアピールした。

 五輪閉会式では雨の中の閉会式だったが、今回のハンドオーバーセレモニーの間は、雨は降らなかった。

 セレモニー後は、東京をPRするパフォーマンスが行われ、義足モデルのGIMICO、左足を切断したダンサー大前光市、視覚障がい者への理解を深める活動をする檜山晃が、ダンサーとともに、幻想的なパフォーマンスを披露した。

 

 20200年東京パラリンピックを紹介するセレモニーに登場したGIMICOさん(左)と檜山晃さん=リオデジャネイロ・マラカナン競技場

 

 終盤は、ピチカートファイブの代表曲「東京は夜の七時」が流れる中、東京パラリンピックへの期待を高めるパフォーマンスとなった。

 小池氏と、引き継がれたパラリンピック旗は、21日に帰国する予定。

 

 

 引き継がれたパラリンピック旗を振る小池百合子東京都知事=リオデジャネイロ・マラカナン競技場

 

 

◎<リオデジャネイロ・パラリンピック>◇19日=日本時間20日

 リオデジャネイロ・パラリンピック日本選手団は19日、リオデジャネイロ市内で解団式を行い、日本パラリンピック委員会(JPC)の鳥原光憲会長は「精いっぱい頑張ってくれた。新しい種目でメダルを取り、若い選手の活躍も目立った」とねぎらった。

 日本選手団は金メダル「10個」獲得の目標を掲げて今大会に臨んだが、金は史上初めてゼロに終わった。ただ、銀「10」、銅「14」の計「24個」を手にし、前回ロンドン大会の合計16個から 8個増えた。鳥原会長は「大いに希望の持てる結果」と評価した。

 

 

 選手団が解団式…藤本主将「日本の強さ出せた」=リオデジャネイロ

 

 解団式の前には日本選手団の大槻洋也団長が記者会見。 4年後の東京大会に向けて「今回の結果を踏まえ、各競技団体は客観的に今回の結果を分析して強化につなげたい」とし、引き続き金メダル「22個」以上の獲得で金メダルランキング 7位を目指す方針を明言した。

 選手団の主将を務めた車いすバスケットボール男子の藤本怜央選手(SUS)は「このリオのゴールが次のスタートと自覚し、結果を受け止めて次のステージに進みたい」と気持ちを新たにしていた。

 

 記者会見する日本選手団の藤本怜央主将=リオデジャネイロ

 

 ついに2016年のオリンピック関係が終了した。既に、2020年のオリンピック関係はスタートしている!ファン皆が待ち望むメダルに向かっての前進だ!  ガンバレ!日本!勝利を掴め!  

 

 

 

 

 

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