6月 2日(土)に、NPO・東京都ウオーキング協会主催のウォーキングミニウォーク「三河島界隈の歴史に触れる」に参加してきました。
この日は、土曜日と言う事も有り少々蒸し暑い日でした。どうして、週末になると雨は降らないけれど、その分蒸し暑いのでしょうね?
こちらが今回のコースマップですが、この地図に無い所ですが「北島商店(肉屋)」の近くも通る事になっていました。
集合場所となっている「西日暮里一丁目広場」をスタートして、最初に着いたのは「蛇塚」でした。
「蛇塚」と聞くと、何だか怖いイメージがありますが、「蛇塚弁財天」として祀られていて、昔は、田んぼの中に塚が有ったそうですが、現在は町の中に有ります。
「蛇塚」を離れて少し行くと、「道灌山通り」に出ると反対側に「北島商店(肉屋)」が有りました。
実はこのお店、オリンピック水泳選手で有名な北島康介選手(29)の実家なのです。
風に乗って、揚げ物の油の匂いがして来ました。時間が有ったら寄ってメンチカツサンドでも買いたいところでした。
北島商店の商品は、「日本橋高島屋(不定休)」「羽田空港第 2ターミナルANAギフトショップ「青い飛行機ANAの売店ANA FESTA」(メンチカツサンド)」でもお買い求めいただけます。
さらにメンチカツサンドが、 5月22日に、スカイツリーと同時にグランドオープンする「ソラマチ」内でも販売されることになった。
ソラマチのウエストヤード 2階に出店するフードマーケット「北野エース」が、販売する「きたじま商店メンチカツサンド」は、 1パック 680円で、グランドオープンから本格的に販売される予定。当面は、売り切れごめんで「 1日 200個ほど」を用意するという。
コリア商店街-藤の大滝-日暮里公園と進み、「袈裟塚耳無し不動」に到着しました。
三峰神社境内にある「袈裟塚耳無不動」は、仙光院住職第九世光慧(こうえ)の建造とされます。光慧と吉原の遊女との波乱に満ちた悲劇的情愛物語が地域に伝わっています。山東京伝の「三河島御不動之記」という黄表紙に別のお話としても登場します。
袈裟塚の上に建てられた不動明王は、耳の病などにご利益があると伝えられ、穴をあけたお椀を奉納する慣わしがあります。
写真に写っている湯飲み等には、皆穴があけてあるそうですが確認しませんでした。
町の中に有った素盞雄神社(すさのおじんじゃ)の「天王祭(てんのうさい)」のポスターです。
素盞雄神社は、東京都荒川区南千住にある神社である。地元では「天王様」と呼ばれ、南千住、三ノ輪、三河島、町屋など61町にも及ぶ広い区域の総鎮守で、「素盞雄大神(すさのおおおかみ)」と「飛鳥大神(あすかおおかみ)」を祭神とする旧郷社。
例祭「天王祭」は、都内でも珍しい二天棒の神輿で神輿振りをする事で知られている。
「天王祭」は、「牛頭天王(ごずてんのう)」を祀る「天王社」の祭である。「牛頭天王(ごずてんのう)」は日本の神仏習合における神で、日本の「素戔嗚尊」と習合し、日本各所にその伝説などが点在しており、その地方で行われていることが多い。
「牛頭天王(ごずてんのう)」は京都東山祇園や播磨国広峰山に鎮座する神であり、「蘇民将来説話」の「武塔天神」と同一視された。インドの釈迦の生誕地に因む祇園精舎の守護神とされ、「祇園神」という「祇園信仰」の神である。陰陽道では「天道神」と同一視された。神仏習合では「薬師如来」の垂迹であるとともに、「スサノオ」の本地とされた。現在の「八坂神社」にあたる「感神院祇園社」から勧請されて全国の「祇園社」、「天王社」で祀られた。
■素盞雄大神(スサノオ大神) 天王祭(てんのうさい) 6月 3日
天照大御神の御弟神です。八俣大蛇を退治し、その尾から天叢雲剣、後の三種の神器の一つ<草薙の剣>を取り出し、天照大御神に献上した勇敢な神様。また八俣大蛇から助けた櫛稲田姫との間に多くの御子神をもうけ、出雲国須賀という地で幸せな家庭を築いた神様として知られています。
「スサ」には「荒・清浄」の意味があり、罪・穢・災・厄など身に降りかかる悪しきこと諸々を、荒々しい程の強い力で祓い清める災厄除けの神様で、別名を牛頭天王(ごずてんのう)と言う為に通称を「お天王(てんのう)さま」」といいます。
■飛鳥大神(アスカ大神) 飛鳥祭(あすかさい) 9月15日
大国主神(だいこく様)の御子神です。別名を事代主神(ことしろぬしのかみ)・一言主神(ひとことぬしのかみ)といい、善悪を一言で判断し得る明智を持たれた神様。後世には福の神としての性格が強まり、商工業繁栄・商売繁昌の「えびす様」として崇敬されています
「江戸名所図会(えどめいしょずえ)」には、「飛鳥社小塚原天王宮(あすかのやしろこつかはらてんのうぐう)」とあります。
「荒川警察署」付近まで来ると、「天王太鼓」や御輿行列とぶつかりました。
この写真でも、このお祭りの凄さが分かると思います。
見ていたかったのですが、その様な時間が役員の為に有りませんでしたので、信号待ちの間だけ撮るようにしました。
「加藤屋敷跡」以降は案内板が残っているだけで、そこにそれらが有ったのだなと言う事しか分かりませんでした。
この写真は、上から「大関横丁」「大関屋敷跡」「宗屋敷跡」「三ノ輪橋」の案内です。
今回のウォーキングは、ここまでで終わりです。
暑くなってきましたので、日射病や熱中症に掛からないように注意しましょう。
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