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浅田真央けがに苦しみ引退発表!12日にも引退会見!感動ありがとう!今後はプロスケーター転身へ!

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フィギュアスケート女子の「2010年バンクーバー五輪」銀メダリストの浅田真央選手(26=中京大學)が10日、自身のブログで現役引退を表明した。「2014年ソチ五輪」シーズン後に 1年間の休養。「2018年平昌五輪」を目指し、2015年10月に復帰したが、今季は左膝のけがもあり、不調に苦しんだ。関係者によると明日12日にも都内で記者会見を開く見通しだ。真央ちゃんがリンクを去る。浅田真央選手が10日午後10時51分、自身のブログを更新。衝撃的な引退発表が深夜の日本中を駆け巡った。12歳で世界の女子で数人しか跳べないトリプルアクセル( 3回転半ジャンプ、 3A)を習得。中学 3年だった2005年12月のグランプリ(GP)ファイナルで当時最強と言われたイリーナ・スルツカヤ(ロシア)を抑えて初出場Vを果たし、一気に注目を集めた。生まれたのが約 3カ月遅かったため、年齢制限から「2006年トリノ五輪」には出場できず、当時の小泉純一郎首相も「優秀な人が出た方が五輪も盛り上がる」と発言するなど、社会現象に発展した。初出場の「2010年バンクーバー五輪」で銀メダルを獲得。金ヨナ(キム・ヨナ、26=韓国)とのライバル対決に敗れ涙を流した。 3度の世界選手権優勝も達成。 6度の全日本女王に輝くなど、日本の女子フィギュアを引っ張ってきた。天真らんまんな少女が大技に挑みながら大人に成長する過程を日本中が見守った。2011年12月に最愛の母、匡子(きょうこ)さん(享年48)を亡くして悲しみに暮れたが、直後の全日本で 5度目の優勝。2014年の「ソチ五輪」は16位と出遅れたショートプログラムから圧巻の巻き返しを見せた。その年の世界選手権では自己最高得点で優勝。苦難に立ち向かう姿が人々の心を打った。2014年 5月に 1年間の休養を発表し、会見では現役続行の可能性に「ハーフハーフ」の名言を残すなど発言でも注目を浴びた。今後はプロスケーターに転身する見込みで近日中に会見を開き、心境を語る予定。 2枠に減った来年 2月の「平昌五輪」出場はならなかったが、氷上の舞いはファンの心にいつまでも残るはずだ。

プロスケーターでタレント、織田信成氏(30=第18代織田信長)が11日放送のTBS系情報番組「あさチャン!」(月~金曜前5:25)に生出演し、現役引退を発表したフィギュアスケート女子の浅田真央選手についてコメントした。織田は大阪から番組に中継で生出演。浅田の引退について番組の司会を務めるフリーアナウンサー、夏目三久さん(32)から問われると、カメラの前にもかかわらず号泣してしまった。番組の中で浅田の活躍をまとめたVTRが放送されている中でも涙が止まらず。改めてコメントを求められると浅田の功績を絶賛。

現役引退を発表したフィギュアスケート女子の浅田真央選手の姉で、プロフィギュアスケータ ーでタレントの浅田舞さん(28)が11日、自身のツイッターを更新。「ありがとう。そして本当にお 疲れ様」とねぎらった。記事をまとめてみました。

 

 フィギュアスケート女子の「2010年バンクーバー五輪」銀メダリストの浅田真央選手が10日、自身のブログで現役引退を表明した。

 「2014年ソチ五輪」シーズン後に 1年間の休養。「2018年平昌五輪」を目指し、2015年10月に復帰したが、今季は左膝のけがもあり、不調に苦しんだ。

 昨年末の日本選手権では、今季初めて最大の武器であるトリプルアクセル( 3回転半ジャンプ)に 2度挑んだが、失敗。その後「気力もなくなりました」と説明した。関係者によると明日12日にも都内で記者会見を開く見通しだ。

 ソチ五輪女子フリーで感極まり涙の浅田真央選手。この演技に世界も泣いた(2014年 2月20日撮影)

 ありがとう、真央ちゃん! フィギュアスケート女子で「2010年バンクーバー五輪」銀メダルの浅田真央選手が10日、自身のブログで現役引退を表明した。 6位だった「2014年ソチ五輪」のシーズン後に心身の疲労を理由に休養。 1年後の2015、2016年シーズンに復帰したが、痛みのある左膝の状態が思わしくなく、本来の演技ができない状態が続いていた。近日中に会見を開く。

 真央、いや真央ちゃんがリンクを去る。浅田真央選手が10日午後10時51分、自身のブログを更新。衝撃的な引退発表が深夜の日本中を駆け巡った。

 「突然ですが、私、浅田真央は、フィギュアスケート選手として終える決断を致しました。今まで、長くスケートができたのも、たくさんのことを乗り越えてこれたのも、多くの方からの支えや応援があったからだと思います」

 2014年 2月、ソチ五輪でフリーの演技を終え涙を浮かべる浅田真央選手

 12歳で世界の女子で数人しか跳べないトリプルアクセル( 3回転半ジャンプ、 3A)を習得。中学 3年だった2005年12月のグランプリ(GP)ファイナルで当時最強と言われたイリーナ・スルツカヤ(ロシア)を抑えて初出場Vを果たし、一気に注目を集めた。生まれたのが約 3カ月遅かったため、年齢制限から「2006年トリノ五輪」には出場できず、当時の小泉純一郎首相も「出てもらいたい。優秀な人が出た方が五輪も盛り上がる」と発言するなど、社会現象に発展した。

 初出場の「2010年バンクーバー五輪」で銀メダルを獲得。金ヨナ(キム・ヨナ)とのライバル対決に敗れ涙を流した。 3度の世界選手権優勝も達成。 6度の全日本女王に輝くなど、日本の女子フィギュアを引っ張ってきた。天真らんまんな少女が大技に挑みながら大人に成長する過程を日本中が見守った。26歳となった今も親しみを込めて「真央ちゃん」と呼ばれる。

 2011年12月に最愛の母、匡子(きょうこ)さん(享年48)を亡くして悲しみに暮れたが、直後の全日本で 5度目の優勝。2014年の「ソチ五輪」は16位と出遅れたショートプログラムから圧巻の巻き返しを見せた。その年の世界選手権では自己最高得点で優勝。苦難に立ち向かう姿が人々の心を打った。2014年 5月に 1年間の休養を発表し、会見では現役続行の可能性に「ハーフハーフ」の名言を残すなど発言でも注目を浴びた。

 キム・ヨナ選手と名勝負…2010年バンクーバー「銀」

 その翌シーズンに復帰。だが、 3Aの着地などで負担のかかる左膝に痛みがあり、思うような結果を残せない日々が続いた。昨季は 3Aを回避する試合が多く、GPファイナル出場はおろか、全日本でも自己ワーストの12位に終わった。

 「私のフィギュアスケート人生に悔いはありません。これは、自分にとって大きな決断でしたが、人生の中の 1つの通過点だと思っています。この先も新たな夢や目標を見つけて、笑顔を忘れずに、前進していきたいと思っています」などと感謝の気持ちをつづった。今後はプロスケーターに転身する見込みで近日中に会見を開き、心境を語る予定。 2枠に減った来年 2月の「平昌五輪」出場はならなかったが、氷上の舞いはファンの心にいつまでも残るはずだ。

★浅田真央選手・最終戦VTR

 昨年12月、世界選手権の代表選考会を兼ねた全日本選手権に出場。24日のSPではトリプルアクセルに挑戦するも 1回転半となり得点がつかず、 60.32点で 8位と出遅れる。続く翌日のフリーでもトリプルアクセルに果敢に挑戦するも回転不足で転倒。114.10点にとどまり、合計も174.42点で自己最低の12位に終わる。試合後、世界選手権の代表権は逃したものの、来季も現役続行する意思は示していた。

★佐藤信夫コーチの話

 「本当にご苦労さん、と思っている。あれだけ頑張ったのはすごい。ここまで真剣に一生懸命取り組んできたことに対して、一緒にできてとても良かった」

◇浅田 真央(あさだ・まお)

 1990(平成 2)年 9月25日生まれ、26歳。名古屋市出身。 5歳でスケートを始める。愛知・中京大中京高校から中京大學に進み、2015年に卒業。ジュニア時代の2005年に15歳でGPファイナル制覇。五輪は2010年バンクーバー大会銀、2014年ソチ大会 6位。世界選手権は 9度出場で、優勝は日本選手最多の 3度(2008、2010、2014年)。2014~2015年シーズンは休養した。GPファイナル 4度、全日本選手権 6度優勝。 1メートル63、49キロ。

 

 プロスケーターでタレント、織田信成氏が11日放送のTBS系情報番組「あさチャン!」(月~金曜前5:25)に生出演し、現役引退を発表したフィギュアスケート女子の浅田真央選手についてコメントした。

 織田は大阪から番組に中継で生出演。浅田の引退について番組の司会を務めるフリーアナウンサー、夏目三久さんから問われると「真央ちゃんがどんな決断をしても応援していこうと思っていたんですけど、やっぱり引退と聞いて、すごく寂しい」と語り、カメラの前にもかかわらず号泣してしまった。

 織田信成氏

 引退が発表された10日夜には「真央ちゃん本当にありがとう。お疲れ様でした。これからもずっと真央ちゃんのスケートが大好きです」と、自身のツイッターでねぎらいの言葉をかけていた織田。その後、番組の中で浅田の活躍をまとめたVTRが放送されている中でも涙が止まらず。改めてコメントを求められると「ここまでよく頑張ってくれたと思います。これだけスケートに熱い情熱を持って、長年フィギュアスケート界を引っ張ってくれたというのは、ものすごいこと」と浅田の功績を絶賛。「ブログの『私のフィギュアスケート人生に悔いはありません』という一文に、アスリートとしての真央ちゃんの潔さが見えたかなと思います」と、何度も涙を拭いながらやっとの思いで語った。

 

 浅田舞さん(左)と浅田真央選手

 現役引退を発表したフィギュアスケート女子の浅田真央選手の姉で、プロフィギュアスケーターでタレントの浅田舞さんが11日、自身のツイッターを更新。「ありがとう。そして本当にお疲れ様」とねぎらった。  さらに、真央への思いをつづった文章も掲載した。

 以下全文。

本当に彼女が引退する日がくるもんなんだと、今がその時なんだと、未だ私自身が信じる事が出来ていません。

フィギュアを初めてから21年間、長年トップ選手として活躍し続けていた中には喜びも葛藤もあったのでしょうが、それらを含め、生活の全てをスケート中心で考えてきた事に、ただ脱帽です。

彼女の競技生活からは学ばせてもらう事ばかりでした。

決断したばかりで次の目標を決める事は難しいと思いますが、今は自由な時間を楽しんでほしいと思います。

姉としても、ファンの1人としても、彼女の選手としての生活に心からお疲れ様。そそて本当に多くの感動をありがとう。

 浅田舞

(原文ママ)

 

 フィギュアスケートの浅田真央選手が10日夜、自身のブログで現役引退を発表しました。

ご報告いたします。

突然ですが、私、浅田真央は、フィギュアスケート選手として終える決断を致しました。

今まで、長くスケートが出来たのも、たくさんの事を乗り越えてこれたのも、多くの方からの支えや応援があったからだと思います。

ソチオリンピックシーズンの世界選手権は最高の演技と結果で終える事ができました。その時に選手生活を終えていたら、今も選手として復帰することを望んでいたかもしれません。実際に選手としてやってみなければ分からない事もたくさんありました。

復帰してからは、自分が望む演技や結果を出す事が出来ず、悩む事が多くなりました。

そして、去年の全日本選手権を終えた後、それまでの自分を支えてきた目標が消え、選手として続ける自分の気力もなくなりました。このような決断になりましたが、私のフィギュアスケート人生に悔いはありません。

これは、自分にとって大きな決断でしたが、人生の中の1つの通過点だと思っています。この先も新たな夢や目標を見つけて、笑顔を忘れずに、前進していきたいと思っています。

皆様、今までたくさんの応援、本当にありがとうございました。

浅田真央

(浅田真央さんのブログより 原文のまま)

 

 真央ちゃんがリンクを去る…。今までお疲れ様でした。これからの人生を楽しみにしています。

 

 

 

 

 

 

   

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