●平昌五輪(ピョンチャンオリンピック)スピードスケート女子 500メートルで日本女子初の金メダルを獲得した小平奈緒選手(31=相沢病院)が26日、韓国から帰国し、都内で日本代表選手団帰国時記者会見に出席した。選手団主将の小平は、女子1000メートルでも銀メダルを獲得した。目にうっすら涙を浮かべながら、切々と訴えた。報道陣に心からの感謝の言葉を口にした。となりの葛西紀明選手(45=土屋ホーム)を見つめた。平昌冬季五輪のスピードスケート女子 500メートルで金メダルを獲得した小平奈緒選手が所属する相沢病院(長野県松本市)の相沢孝夫理事長(70)は26日、記者団の取材に応じ、笑顔で語った。相沢氏は試合を現地で直接観戦していた。小平選手は2009年から同病院所属。病院側はスケートに専念できるよう支援を続けた。
●女子団体追い抜きで金メダル、女子 500メートルで銀メダル、1000メートルで銅メダルを獲得した高木美帆選手(23=日体大助手)が26日、韓国から帰国し、都内で日本代表選手団帰国時記者会見に出席した。スピードスケート女子団体追い抜きなどで金、銀、銅のメダルを獲得した高木美帆選手は、「ソチ五輪に出場できなかった強い思いをぶつけたいと思った。スケート人生をかける思いで挑んだ。不安や恐怖はあったが、友人や家族からたくさんのメッセージをいただいて、勇気をもらった。感謝の気持ちでいっぱい。東京五輪に向けて勇気を届けられれば」と話した。
●スピードスケート女子団体追い抜きとマススタートで「金メダル2個」を獲得した高木菜那選手(25=日本電産サンキョー)が26日、韓国から帰国し、都内で日本代表選手団帰国時記者会見に出席した。高木菜は感謝した。スピーチの最後には報道陣にまで感謝の思いを伝えた。「史上最多13個のメダル」を獲得した日本選手団。日本オリンピック委員会(JOC)と競技団体からの報奨金を合わせると、「金メダル2個」の高木菜那は2000万円に達する。報奨金の額は、JOCは金で 500万円、銀で 200万円、銅で 100万円。日本スケート連盟は今大会に向けて金を 300万円から 500万円に増額し、銀は 200万円、銅は 100万円となっている。高木菜の妹の高木美帆は金、銀、銅の 3個で1600万円。日本スケート連盟幹部は「予算を取っておいて良かった」と喜んだ。
●平昌五輪に出場した日本選手団の本隊が26日、韓国・襄陽(ヤンヤン)空港発のチャーター便で帰国した。フィギュアスケート男子個人で、男子66年ぶりの連覇を達成した羽生結弦(23=ANA)が26日、夜に東京都内で開いたメダリストたちの帰国会見で、羽生は感慨深げに感謝の気持ちを口にした。都内で行われた日本代表選手団帰国時記者会見の質疑応答の中で「解禁するものは?」と聞かれ「これから解禁しなくちゃいけないのは、治療の方だと思っている」と即答した。当面は右足首の治療が優先で、 3月21~24日の世界選手権(イタリア・ミラノ)出場には慎重な姿勢。メダリスト勢は東京都内で帰国会見に臨み、フィギュアスケート男子で66年ぶりの「五輪2連覇」を果たした羽生結弦は早くも2022年北京五輪へ意欲を示した。27日にはファンも観覧できる報告会や会見の予定がめじろ押し。生まれ故郷・宮城県の村井嘉浩知事(57)はこの日、祝賀パレード開催に向けて県や仙台市などによる実行委員会を設立する考えを明かした。羽生フィーバーはまだまだ続く。帰国して一転、一気に多忙になる。27日は午前 9時30分からの解団式に始まり、同10時半からは東京・赤坂の東京ミッドタウンでファンも無料で観覧(先着順)することができる「平昌五輪日本選手団帰国報告会」に他のメダリストらと出席する。羽生を一目見ようと、六本木駅にほど近い同所付近がファンでごった返す可能性もある。22年北京五輪での主将就任について聞かれると「もし任されるなら光栄ですが、れまでに成績を残さないと指名されない」。27歳で迎える 3度目の五輪へ、早くも意欲を示した。
記事をまとめてみました。
平昌五輪(ピョンチャンオリンピック)スピードスケート女子 500メートルで日本女子初の金メダルを獲得した小平奈緒が26日、韓国から帰国し、都内で日本代表選手団帰国時記者会見に出席した。
選手団主将の小平は、女子1000メートルでも銀メダルを獲得した。「当初、五輪が開かれる前に、主将として私なりの目標として『日本選手団の百花繚乱(りょうらん)』という言葉を掲げました。今回の五輪ではたくさんのメダルを獲得することが出来たのですが、やはり 1番、重要なことは五輪に出場した選手みんなが、それぞれの舞台で、それぞれの思いを胸に、力強く最後まで戦い抜いたことを、やはり私は皆さんに見ていただきたかったなと思います」と、目にうっすら涙を浮かべながら、切々と訴えた。
その上で「皆さん、きれいな花を咲かせてくださったので、今度はその花たち…メダルを、輝かせることが出来るような、そんな競技生活を、今後もみんなで送っていけたらいいなぁと思います」と気持ちをあらたにした。
そして「私たちが、どんなに一生懸命な姿を見せても、やはり皆さんの伝える力がなければ、日本の国民の皆さんに届かなかったという思いもあるので、皆さん忙しい中、本当に私たちの思いと姿を伝えてくださってありがとうございました」と報道陣に心からの感謝の言葉を口にした。
平昌五輪帰国会見で、笑顔で質問に答える小平奈緒主将=26日午後、東京都内のホテル
スピーチの最後に、小平は「後に行われるパラリンピックと20年に行われる東京五輪の選手にバトンタッチできるよう、また私たちも次のチャレンジに向かって頑張っていきたいと思います」とあいさつした。
質疑応答では「五輪前は『出来ることなら主将は務めたくないな』という話もあった。終わってみれば、自身も金、銀、日本選手団も史上最多13のメダル。主将の役割を十分、果たしたのでは?」と問いかけられた。小平は「全ての選手が、自分が主役だと思って臨んでくれたことが結果につながった。葛西さんが、ソチ五輪の時に主将で銀メダルを取ってくださったので、主将がメダルが取れるということに変わっていけるんじゃないか」と言い、となりの葛西紀明を見つめた。
葛西は「そうですね。報道では主将、旗手はメダルが取れないというところもあった。今回は主将が 2つ取っていただいたので、ジンクスはなくなったと思いますし、次も誰が主将になるか分かりませんが、もっともっとメダルを取ってくれると思う」と返し、笑みを浮かべた。
取材に応じる相沢病院の相沢孝夫理事長=26日午後、長野県松本市
平昌冬季五輪のスピードスケート女子 500メートルで金メダルを獲得した小平奈緒選手が所属する相沢病院(長野県松本市)の相沢孝夫理事長は26日、記者団の取材に応じ、「メダル獲得の瞬間に(自分自身を)連れてきてくれたことに心から感謝したい」と笑顔で語った。相沢氏は試合を現地で直接観戦していた。
金メダルが決まった時は「小平とコーチの名前を呼び、『ありがとう、おめでとう』と叫んだ」と振り返った。「小平自身がスケートを極めたと思えるまで、二人三脚で歩きたい」とも話し、サポートを続ける考えを示した。小平選手は前回ソチ冬季五輪後にオランダで武者修行したが、相沢氏は「帰ってきた時、吹っ切れたようにたくましくなった」と成長を喜んだ。
小平選手は2009年から同病院所属。病院側はスケートに専念できるよう支援を続けた。
平昌五輪日本代表選手団帰国時記者会見に出席した高木美帆選手(奥)=26日午後、東京都内のホテル
平昌五輪(ピョンチャンオリンピック)女子団体追い抜きで金メダル、女子 500メートルで銀メダル、1000メートルで銅メダルを獲得した高木美帆(23=日体大助手)が26日、韓国から帰国し、都内で日本代表選手団帰国時記者会見に出席した。
高木は「ソチ五輪に出られなかった思いを胸に、スケート人生をぶつけようと思った。不安、恐怖があったんですけど、日本国民の友人、家族から多くのメッセージをいただいて、一緒に戦っているんだと勇気を持てた。最後の最後まで強い気持ちでレースに臨めた。自分たちのレースで勇気をお返しし、届けたいと思った。少しでも出来たのかなと思うとうれしい気持ち」と語った。
スピードスケート女子で獲得した三つのメダルを胸に記者会見する高木美帆選手=26日午後、東京都内のホテル
平昌五輪の日本選手団が26日、チャーター機で成田空港に帰国した。日本は「金4、銀5、銅4の13個」と、1998年長野五輪の「10個」を上回る冬季五輪史上最多のメダルを獲得。メダリストらは同日、東京都内で記者会見した。
スピードスケート女子団体追い抜きなどで金、銀、銅のメダルを獲得した高木美帆は、「ソチ五輪に出場できなかった強い思いをぶつけたいと思った。スケート人生をかける思いで挑んだ。不安や恐怖はあったが、友人や家族からたくさんのメッセージをいただいて、勇気をもらった。最後の最後まで、強い気持ちでレースに臨んだ。自分たちのレースで勇気を届けたいと思っていた。少しでもそれができたと思うとうれしい。たくさんの方々の力があって、結果につなげられた。感謝の気持ちでいっぱい。東京五輪に向けて勇気を届けられれば」と話した。
記念撮影に臨む高木菜那選手(左)と羽生結弦選手=26日午後、東京都内のホテル
平昌五輪(ピョンチャンオリンピック)スピードスケート女子団体追い抜きとマススタートで「金メダル2個」を獲得した高木菜那が26日、韓国から帰国し、都内で日本代表選手団帰国時記者会見に出席した。
高木菜は「レースは五輪の終盤に大切な試合が残っていたのですが、気持ちを五輪に集中して向けてこられたのは、ここにいるメダルを取った方々や日本人の選手の、本当に思いが詰まった試合やレースや演技があったからこそ、刺激があって最後まで集中して臨めたと思います」と選手団の選手全員に感謝した。
そして「今まで支えてくれた方々や、応援してくれていた方々の応援があったからこそ、自分の力になって最後まで滑り抜くことが出来たんだと思います。チームJAPANの力があってこその金メダルだったと思います。本当に応援、ありがとうございます」とあいさつした。
スピーチの最後には「伝えてくださったメディアの方々にも、本当に感謝の気持ちでいっぱいです」と報道陣にまで感謝の思いを伝えた。
スピードスケート女子で獲得した二つの金メダルを手に記念撮影する高木菜那選手=26日午後、東京都内のホテル
25日に閉幕した平昌五輪の日本選手団が26日に帰国し、夕方から東京都内で帰国記者会見を開いた。
「史上最多13個のメダル」を獲得した日本選手団。日本オリンピック委員会(JOC)と競技団体からの報奨金を合わせると、「金メダル2個」の高木菜那は2000万円に達する。総監督を務めた日本スケート連盟の伊東秀仁フィギュア委員長は「うれしい悲鳴です」と笑顔で話した。
報奨金の額は、JOCは金で 500万円、銀で 200万円、銅で 100万円。日本スケート連盟は「モチベーションを高めてほしい」と今大会に向けて金を 300万円から 500万円に増額し、銀は 200万円、銅は 100万円となっている。
高木菜の妹の高木美帆は金、銀、銅の 3個で1600万円。日本スケート連盟幹部は「予算を取っておいて良かった」と喜んだ。
記者会見で金メダルを手に記念写真に納まる(左から)高木美帆選手、菊池彩花選手、佐藤綾乃選手、高木菜那選手のスピードスケート女子団体追い抜きの 4選手=26日午後、東京都内のホテル
平昌五輪(ピョンチャンオリンピック)フィギュアスケート男子個人で、男子66年ぶりの連覇を達成した羽生結弦が26日、都内で行われた日本代表選手団帰国時記者会見の質疑応答の中で「解禁するものは?」と聞かれ「これから解禁しなくちゃいけないのは、治療の方だと思っている」と即答した。
羽生は「これから、また治療だとかリハビリ、基礎のところで、すごくつらい時期だと思いますし、これからいろいろな競技を見ていく中で、何で自分は出来ないんだろうとか、落ち込むこともあるかも知れない。つらい時期、苦しい時期を乗り越えて、また次のことに向かって前に進んで行けたらいいなと今は思っています」と答えた。
五輪連覇のご褒美は? と聞かれると「ご褒美は金メダルだけで十分。皆さんが祝福し、喜んでくれて、この場にいる…すべてがご褒美だと思っているので、これ以上は望んでいません」とも語った。
スピーチの中で「どうなるか分かりませんけれども、これからまたいろいろなことに挑戦」と語ったことを受けて「次の22年北京五輪主将は?」と聞かれる一幕もあった。羽生は「ふふっ…そういう意味でチャレンジと言ったわけじゃないので、ふられてどうしたらいいのか分からないですけど。もし主将を任されたら光栄だと思いますし、行き着くまでに成績を積んでいないと、そういうことは言われない。成績を残さないと、と気を引き締められたし、後ろから火を付けられた」と笑いながら語った。
平昌五輪帰国会見で、金メダルを手に笑顔で記念撮影する羽生結弦選手=26日午後、東京都内のホテル
平昌五輪に出場した日本選手団の本隊が26日、韓国・襄陽(ヤンヤン)空港発のチャーター便で帰国した。メダリスト勢は東京都内で帰国会見に臨み、フィギュアスケート男子で66年ぶりの「五輪2連覇」を果たした羽生結弦は早くも2022年北京五輪へ意欲を示した。27日にはファンも観覧できる報告会や会見の予定がめじろ押し。地元・仙台では 2度目のパレードが計画中で、羽生フィーバーはまだまだ続く。
「きゃー!!」。成田空港の到着ロビーに歓声が響いた。金メダルを下げた羽生が現れた。羽生のイラスト入り横断幕、「くまのプーさん」のぬいぐるみを振ってみせるファン…約1000人が大興奮だ。その主役に向けて、報道陣のカメラのフラッシュが一斉にたかれた。
「小さい頃から応援してくれた方から、今回初めて演技を見てくれた人までが、たくさんの気持ちを飛ばしてくれた。『五輪2連覇』は大変だったけど、応援とともに取れたことが(金メダルの)価値を上げてくれた」
この日夜に東京都内で開いたメダリストたちの帰国会見で、羽生は感慨深げに感謝の気持ちを口にした。
17日に男子フィギュアで66年ぶりの「五輪2連覇」という偉業を成し遂げて以降、前日25日のエキシビションへ向けた練習などをしながら、他競技も観戦した。「カーリングやショートトラック、(スピードスケートの)マススタートとかがおもしろかった」。つかの間のリラックスした日々を過ごした。
帰国して一転、一気に多忙になる。27日は午前 9時30分からの解団式に始まり、同10時半からは東京・赤坂の東京ミッドタウンでファンも無料で観覧(先着順)することができる「平昌五輪日本選手団帰国報告会」に他のメダリストらと出席する。羽生を一目見ようと、六本木駅にほど近い同所付近がファンでごった返す可能性もある。
帰国した羽生結弦選手(左)と宇野昌磨選手。成田空港には約1000人が出迎えた
その後はスポーツ庁への帰国報告にもメダリストの一員として参加し、個人として日本外国特派員協会と日本記者クラブでの記者会見に立て続けに臨む。他に非公表のイベントもあり、まさに引っ張りだこだ。
「2度目の栄誉」も待っている。生まれ故郷・宮城県の村井嘉浩知事はこの日、祝賀パレード開催に向けて県や仙台市などによる実行委員会を設立する考えを明かした。既に同県では県民栄誉賞授与の検討に入っており、実現すればどちらも2014年ソチ五輪後に続く 2度目となる。
4年前のパレードは五輪から約 2カ月後の 4月26日に仙台市中心部で行われ、主催者発表で約 9万2000人が集まった。同時期の実施が見込まれる今回は、羽生人気の高まりから海外からを含むより多くの人出が予想され、10万人を突破するのは確実。コースの延長なども検討されることになりそうだ。
当面は右足首の治療が優先で、 3月21~24日の世界選手権(イタリア・ミラノ)出場には慎重な姿勢。「リハビリはつらいし落ち込むこともあると思うが、前に進んでいけたら」と前向きだ。
22年北京五輪での主将就任について聞かれると「もし任されるなら光栄ですが、それまでに成績を残さないと指名されない」。27歳で迎える 3度目の五輪へ、早くも意欲を示した。