●新井良太2軍育成コーチ(35)が 5日、広島の兄貴浩内野手(41)が今季限りでの現役引退を表明したことを受け、球団を通じてコメントを発表した。兄への思いを言葉にした。福留孝介外野手(41)が 5日の試合前に取材に応じた。同日に 1学年上の広島新井貴浩内野手が今季限りでの引退を表明。 2006年WBCなどでも共にジャパンのユニホームに袖を通し、2013年、2014年は阪神で共にプレーした。福留も懸命にプレーする姿に心を打たれた 1人。金本知憲監督(50)が広島新井貴浩内野手の現役引退を惜しんだ。 5日、マツダスタジアムで行われる広島19回戦の試合前練習が行われる前に対応。金本監督にとって新井は広島時代に 4年間、同僚としてプレーし、阪神の主力として活躍すると、新井も後を追うように2008年に阪神へFA移籍。 5シーズン、チームメートとして奮闘した。縁の深い選手の引き際に接し「本当に弟みたいな存在」と振り返った。この日の朝、電話で引退する意志を伝えられたという。現役時代から新井を“弟”として、かわいがっていた金本知憲監督は 5日、マツダスタジアムで練習開始前に会見。率直な心境を語るとともに、今の常勝カープの礎にあるのは新井の存在だと強調した。ひたむきに、いつまでも泥臭く。今の虎にも、「新井2世」を求めていく。
記事をまとめてみました。
広島新井貴浩内野手が 5日、今季限りでの引退を発表した。同内野手のプロフィルは以下の通り。
◆新井貴浩(あらい・たかひろ)
1977年(昭52) 1月30日、広島県生まれ。広島工-駒大を経て1998年「ドラフト6位」で広島入団。
2007年オフにFAで阪神移籍。2008年北京五輪で日本代表の「4番」を打った。同年12月から2012年まで労組プロ野球選手会会長を務め、2011年の東日本大震災による開幕延期問題、2012年のWBC参加問題などで奔走。2014年オフ、阪神に自由契約を申し入れ広島に復帰。2005年本塁打王、2011年打点王。2016年に「2000安打」達成。「ベストナイン、ゴールデングラブ賞」各 1度。
今季はここまで49試合に出場し「打率2割2分2厘、4本塁打」。通算成績は「2369試合」に出場、「打率2割7分9厘、319本塁打、1299打点」。通算安打は「2200本」。
189センチ、102キロ。右投げ右打ち。今季推定年俸 1億1000万円。家族は夫人と 2男。弟良太(35)は昨季限りで引退し今季から阪神育成コーチを務める。
2016年 4月26日ヤクルト戦で「2000安打」を達成した広島新井貴浩内野手=明治神宮野球場
新井良太2軍育成コーチが 5日、広島の兄貴浩が今季限りでの現役引退を表明したことを受け、球団を通じてコメントを発表した。
「20年間、本当にお疲れさまでした。プロ野球界の先輩として、兄として、尊敬していますし誇りに思います。残り少ないシーズンですが、最後まで全力で駆け抜けてほしいです」と兄への思いを言葉にした。
阪神新井良太 2軍コーチ=阪神鳴尾浜球場
福留孝介外野手が 5日の試合前に取材に応じた。同日に 1学年上の広島新井貴浩内野手が今季限りでの引退を表明。
2006年WBCなどでも共にジャパンのユニホームに袖を通し、2013年、2014年は阪神で共にプレーした。福留は「 1つ上の先輩ですけど、同じの年代で、年も近い。新井さんの一生懸命やる姿を見て来たので、さみしい」と語った。同世代でしのぎを削った仲でもあり「あれだけの選手なので、下の者として、負けたくないと思ってやってきました」と振り返った。
福留も懸命にプレーする姿に心を打たれた 1人で「どんなときも、常に前を向いてやっている姿というのは、勉強になるし、やらないといけないことだと思います」。続けて「カープの若い選手だけじゃなくてね、うちの若い選手のなかにも、一緒にプレーさせてもらった選手もいる。感じてほしいというのはある」と語った。
福留孝介外野手=マツダスタジアム
金本知憲監督が広島新井貴浩内野手の現役引退を惜しんだ。
5日、マツダスタジアムで行われる広島19回戦の試合前練習が行われる前に対応。「もう少しプレーヤーとしてできる体力とか、まだあると思う。ちょっともったいないなというのが本音ですね」と話した。金本監督にとって新井は広島時代に 4年間、同僚としてプレーし、阪神の主力として活躍すると、新井も後を追うように2008年に阪神へFA移籍。 5シーズン、チームメートとして奮闘した。縁の深い選手の引き際に接し「本当に弟みたいな存在」と振り返った。この日の朝、電話で引退する意志を伝えられたという。「引き際はみんなそれぞれ違う。彼なりの決意した引き際だったでしょうね」と話した。
引退を表明した広島新井貴浩内野手についての思い出を語る金本知憲監督=マツダスタジアム
鉄人金本と新井は球界でも名物の師弟関係だった。広島市内のトレーニングクラブ「アスリート」でともに体を鍛え、新井が 1軍で活躍する前、練習を休もうとすると叱られ、なかば強制的に練習させられたこともあった。新井も「金本さんがいなかったら、いまの僕はない」と感謝したほどだ。金本が精神修養のため鹿児島最福寺で護摩行を行えば、新井もともに荒行に臨んだ。2005年は「本塁打王」を争い、43本で戴冠。金本が40本塁打を放ち、 3本差のハイレベルな戦いだった。阪神で同じユニホームを着ることになった2007年12月に「金本さんは僕を弟のように思ってくれている」と言うと「他人と思っている」と切り返されるなど 2人の周りには笑いもあふれた。
プロ20年目の決断に触れて、金本監督も「彼はカープで残した数字より、野球に対する姿勢というか、常にベンチで若い選手がやりやすい雰囲気を作ったり、勝ったときの喜び方とか、全力プレーや全力疾走とかをこの歳になっても続けていました。残した数字以上に姿勢がいまのカープを強くしたんじゃないのかなと。そういう貢献度は大いにあると思います」と拍手を送った。
2008年 4月12日、金本知憲外野手(左)が「2000安打」を達成した試合で、新井貴浩内野手も「1000安打」に到達=横浜スタジアム
広島・新井貴浩内野手は 5日、マツダスタジアムで会見し、今季限りでの引退を表明。
現役時代から新井を“弟”として、かわいがっていた阪神・金本知憲監督は 5日、マツダスタジアムで練習開始前に会見。「もったいない」と率直な心境を語るとともに、今の常勝カープの礎にあるのは新井の存在だと強調した。
まだ、できるやろ…。金本監督はときおり、口を真一文字に結び、視線を泳がせた。新井の決断を尊重したい。でも、やっぱり、寂しかった。
「もう少しプレーヤーとしてできる体力は、まだあると思うんです。もったいなというのが本音ですね。引き際はみんなそれぞれ違うんで…。彼なりの決意した引き際だったんでしょうね」
5回 ネクストバッターズサークルで打席を待つ広島・新井貴浩内野手=マツダスタジアム
スマートフォンが鳴ったのは、この日の朝。引退報告に「そうか…」と現実を受け止めた。広島では1999年から 4年ともにプレーし、自身が2003年に阪神にFA移籍すると、その背中を追って新井も2008年に虎へ。「4番」の鉄人とともに主軸を担い、2011年からは 3年連続で“後任”として「開幕4番」を務めた。2012年に引退するまでオフには広島市内のジム「アスリート」でともに汗を流し、鹿児島市内の最福寺で護摩行も敢行。2014年オフに古巣の広島に新井は復帰したが、 2人だけのホットラインは健在だった。
「弟みたいな存在ですね。タイガースにも僕を追うようにしてきてくれて。僕が監督に就任してからはチームの話はできなくなったんですが…」
食事に誘えば練習の大切さを説いた。2008年には 4月に「通算2000安打」を達成すると、その日に新井も「同1000安打」をマークするなど、不思議な縁もあった。「変な巡り合わせだなと感じましたね」。とにかく、かわいかった。阪神特有の重圧にも負けてほしくなかった。だから、ときにはイジった。新井のキマジメな性格を誰よりも知っているからこそ、この笑顔が自然と消えることが心配だった。
今シーズンでの引退を表明した広島・新井貴浩内野手=広島市のマツダスタジアム
「若いときはミスばかりして、いろいろ楽しませてくれました。ただ(阪神では)思うようには力を発揮できなかったですけど…。最後、広島に戻ってどうなるものかと見ていましたが…」
もう、苦笑いするしかなかった。「カープに戻っていい場面で打つようになってね。腹の立つ思いをしました(笑)」。打つわ、優勝するわ、前日 4日も代打で左前打。「こちらは敵将となってからは悔しい思いばかりさせられてね。 3年間、チクショウという思いがあります」。複雑な思いが交錯した。
「野球に対する姿勢、ベンチで若い選手がやりやすい雰囲気を作ったり、勝ったときの喜び方とか、全力プレー…。そういう姿勢が今のカープを強くした。彼の明るさ、キャラクターがカープの強さの根底にある」
ひたむきに、いつまでも泥臭く。今の虎にも、「新井2世」を求めていく。
今シーズンでの引退を表明した広島・新井貴浩内野手=広島市のマツダスタジアム
★「金本2000安打&新井1000安打」同日達成VTR
2008年 4月12日の横浜(現DeNA)戦(横浜)の 1回、まず新井が右翼線への 2塁打で「通算1000安打」に到達。 7回には新井が「1001本目」となる左中間フェンス直撃の「適時3塁打」で決勝点をたたきだした直後、金本が寺原から右前打。「2000安打」に王手をかけてから19打席目の達成だった。試合も 6- 3で勝利した。
今シーズンでの引退を表明した新井貴浩内野手=広島市のマツダスタジアム
◆鳥谷敬内野手:「一緒にやった方がやめるのはさみしい。残念としか言いようがない」
◆2013、2014年にチームメートだった福留孝介外野手:「すごく寂しいです。常に前を向いてやっている姿は勉強になる。見習わないといけない。カープだけでなくうちのメンバーも感じてほしい」
◆藤川球児投手:「ある程度の年齢になると、いつでもそういうこと(引退)と隣り合わせ。現状、十分にカープは強いし、新井さんのDNAが選手たちに伝わっていると思う」
◆実弟の新井良太育成コーチ:「20年間本当にお疲れ様でした。プロ野球界の先輩として、兄として、尊敬していますし、誇りに思います。残り少ないシーズンですが、最後まで全力で駆け抜けてほしいです」
今シーズンでの引退を表明した広島・新井貴浩内野手=広島市のマツダスタジアム
◆新井貴浩内野手がプロ入りしたときの広島監督だったソフトバンク・達川光男ヘッドコーチ 「どうしてプロに来たのかという選手だったけど、体は本当に強かった。素直でコーチにもかわいがられ、黙々とノックを受けてバットも一番振った。あんなに努力した人は見たことがない。礼儀正しく、ケチのつけようのない選手。よおやったのお。いい指導者になると思う。いろんな経験をしているから。新井以上に下手な選手を新井以上にするのが使命じゃないかな」
◆2005年まで一緒にプレーした野村謙二郎氏 「若いころから見てきた。たくさん練習をさせられて、怒られて、ばかにされても心は折れなかった。本当に努力をした。技術を練習で補ったという点では日本一じゃないかな」
◆山本浩二氏(1989-93年、2001-05年広島監督) 「私が監督のとき(03年)に4番に据えた。技術的には不器用で時間もかかった。練習の厳しさは今思うと想像を絶していたが、涙を流しても、心が折れることがなかった。ガッツがあった。本当にお疲れさまと言いたい」
◆2009年から 3年間監督だった真弓明信氏 「私が阪神監督のときは最初から新井を『4番』で使いたいと考えていた。プレッシャーもかけてしまったかもしれないね。とにかく体が強い選手だし、長く現役をやれるとは思っていたけど、広島に戻ってからの活躍はうれしかった。残り試合も頑張ってほしい。お疲れさま」
※アニヤン虎にも夢を見させてくれた、鯉にも夢を与えていた。本当にお疲れ様でした!今後、どの様な形でファンの前に帰ってくるのかは分からないけれど、必ず戻ってきて下さい!皆で待っています。
全身全霊を懸けて不屈の精神で立ち向かう。たとえ、どんなに苦しい局面になろうとも、最後の最後まで絶対に勝負を諦めない。
その精神を全員が強く持ち、タイガースが変革し続ける一年にしたい。そうした強い決意をスローガンとして表現しています。
※このスローガン・デザインは、2018年のシーズンロゴとしても展開して参ります。
2018年公式戦順位表
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2018年 公式戦 日程と結果(08月)
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