●今シーズン限りで現役を退く中日・岩瀬仁紀投手(43)が28日、ナゴヤドームで行われた阪神22回戦の 9回に登板し、通算登板試合数を史上初の「1000」とした。プロ20年目、数々の記録を樹立してきた救援左腕が、また 1つ勲章を手に入れた。伝家の宝刀、スライダーで糸井嘉男外野手(37)を遊ゴロに仕留めた瞬間、岩瀬の目に涙がにじんだ。前人未踏の「1000試合登板」-。通算「407セーブ」目(歴代1位)で飾った。昨年 8月の巨人戦で歴代単独最多となる「950試合登板」を達成。2007年の北海道日本ハム戦、「3勝1敗」と王手をかけた第 5戦。先発の山井大介投手(40)が 8回まで走者を一人も許さなかったが、 9回に落合博満監督(64)は岩瀬をマウンドへ。打者 3人を抑えて完全試合リレーとなった。現役最年長の43歳、岩瀬は新人だった1999年 4月 2日の広島戦(ナゴヤドーム)で初登板。 1年目から15年続けて50試合以上で投げ、2010年に「名球会」入りの条件となる通算「250セーブ」を達成した。20年目の今季は「3セーブ」を挙げ、自身が持つ最多記録を「407」に更新した。中日では 5度の「リーグ優勝」と2007年の「日本一」に貢献。「最優秀中継ぎ投手」を 3度、「最多セーブ」を 5度獲得した。五輪にも2004年アテネ、2008年北京と 2度出場した。会見では大粒の涙をこぼして声を震わせた。 4- 3の 9回に登板し、 1死球で無失点。一死 2塁では元同僚で1999年のドラフト同期入団、福留(「1位」、岩瀬が「2位」)を内角球で詰まらせ、マウンドで感極まった。人前では涙を見せたことがなかった男が、また涙…。真っ先に脳裏に浮かんだのは、今年 1月に70歳で逝去した恩師・星野仙一氏の顔だった。 1年目から15年連続50試合以上に登板。 5度の「リーグV(日本一 1度)」に貢献するなど中日黄金期を支えた。2014年夏に左肘を痛めたが、いつも電話で励ましてくれた一人が、星野氏だ。“敗戦処理”なら退く-。勝利のために投げてきたプライドだった。ナゴヤドームでは29、30日と、あと 2試合。「1000試合登板」は通過点だ。最後は恩師の仙一(センイチ)を取って「1001試合登板」で、野球人生を締めくくる。
●中日は 3試合を残し、 6年連続でクライマックスシリーズ(CS)進出を逃した。森繁和監督(63)は若手の奮起を期待した。
●中日のダヤン・ビシエド内野手(29)が 3回に適時打を放った。二死 1塁から高めの速球を思い切り良く振り抜くと、打球は右翼フェンスを直撃。 5回無死 1塁では遊撃内野安打で好機を拡大させた。今季「178安打」目とし、首位打者に加えて最多安打のタイトルにまた一歩前進した。
●今季限りで現役を引退する中日の荒木雅博内野手(41)が 6回、代打で出場した。そのまま 2塁手の守備に就き、 8回の打席でも中前打。岩瀬の「1000試合登板」に花を添えた。
●中日・白井文吾オーナー(90=中日新聞社会長)は28日、森監督の去就については改めて白紙を強調。
記事をまとめてみました。
<中日 4- 3阪神>◇22回戦◇阪神 9勝13敗 0分◇28日◇ナゴヤドーム
今シーズン限りで現役を退く中日・岩瀬仁紀投手が28日、ナゴヤドームで行われた阪神22回戦の 9回に登板し、通算登板試合数を史上初の「1000」とした。昨年 8月の巨人戦で歴代単独最多となる「950試合登板」を達成。岩瀬は一番思い出に残った試合を「日本シリーズの最後の場面でしょう」と即答した。2007年の北海道日本ハム戦、「3勝1敗」と王手をかけた第 5戦。先発の山井が 8回まで走者を一人も許さなかったが、 9回に落合監督は岩瀬をマウンドへ。打者 3人を抑えて完全試合リレーとなった。「でも、あの試合は『1000』にカウントされないんですね」と、笑わせた。
「1000試合登板」を祝う花束を贈られた中日・岩瀬仁紀投手=ナゴヤドーム
今シーズン限りで現役を退く中日の岩瀬仁紀投手が28日、ナゴヤドームで行われた阪神22回戦の 9回に登板し、通算登板試合数を史上初の「1000」とした。現役最年長の43歳、岩瀬は新人だった1999年 4月 2日の広島戦(ナゴヤドーム)で初登板。 1年目から15年続けて50試合以上で投げ、2010年に「名球会」入りの条件となる通算「250セーブ」を達成した。
2015年は左肘を痛めて登板がなかったが復帰し、昨年 8月の巨人戦で歴代単独最多となる「950試合登板」を達成。20年目の今季は「3セーブ」を挙げ、自身が持つ最多記録を「407」に更新した。中日では 5度の「リーグ優勝」と2007年の「日本一」に貢献。「最優秀中継ぎ投手」を 3度、「最多セーブ」を 5度獲得した。五輪にも2004年アテネ、2008年北京と 2度出場した。
通算「1000試合登板」を達成し、お立ち台にあがって涙ながらにインタビューに答える中日・岩瀬仁紀投手=ナゴヤドーム
◆谷繁元信氏(前中日監督)の話
「岩瀬はプロとしての“日常”に一切妥協しなかった。人間はどこかで楽をしたいと思ってしまう。勝つために自分に対する厳しさを持ち続け、準備し続ける。岩瀬は『1000回』マウンドに立つために、どれだけ肩をつくってきたか。決して表に表れないが、この仕事を忘れてはいけない。 ロッカーにいても、いるのかいないのか分からない存在感のなさ。そんな男がマウンドに立つと輝く。“日常”を積み重ねて来たからこそ、本人は『こんなに投げたんだ』と感じたと思う。それが岩瀬だ」
◆広島・緒方孝市監督の話
「記録は塗り替えられるものだが、この記録は塗り替えられない。信じられない記録。自分も(現役時に)あまり打っているイメージはない」
今季限りの現役引退が判明している中日岩瀬仁紀投手が、前人未到の金字塔を打ち立てた。
阪神22回戦(ナゴヤドーム)に「7番手」で登板。通算「1000試合登板」を達成した。 1点リードの 9回にマウンドへ。勝利をたぐり寄せる今季「3セーブ」目で通算「407セーブ」目を挙げた。プロ20年目、数々の記録を樹立してきた救援左腕が、また 1つ勲章を手に入れた。
更新が難しそうな通算記録
◆「1000試合登板」は今後誕生するか?
「1000試合登板」を達成するには、シーズン50試合ならば20年、60試合でも17年かかる。シーズン50試合以上の回数は岩瀬の16度が最多で、「2位」が米田(近鉄)金田(巨人)宮西(北海道日本ハム)の11度。10度以上はこの 4人しかいない。60試合以上の最多回数は山口鉄(巨人)の 9度で、こちらの「2位」は秋山(大洋)稲尾(西鉄)の6度。60試合を10度記録した投手はおらず、「60試合×17年」はかなり難しい。現役投手を見ると、「2位」の五十嵐(ソフトバンク)は39歳で776試合、「3位」の藤川(阪神)は38歳で「707試合」だから、 2人とも高齢で厳しそう。33歳で「628試合」の宮西(北海道日本ハム)がいるが、来年から50試合を 7年、60試合を 6年続けても「1000試合」にはまだ届かない。
◆大リーグでは
通算「1000試合」以上登板は16人。最多は46歳まで投げた左腕ジェシー・オロスコ(1979~2003年メッツほか)の「1252試合」。
ついに「1000試合」に到達した岩瀬仁紀投手。セーブで自ら花を添えた=ナゴヤドーム
未踏の領域を歩いてきた鉄腕が、ついに-。今シーズン限りで現役を退く中日・岩瀬仁紀投手が28日、ナゴヤドームで行われた阪神22回戦の 9回に登板し、通算登板試合数を史上初の「1000」とした。昨年 8月の巨人戦で歴代単独最多となる「950試合登板」を達成。この日は自身が持つ最多セーブ記録も「407」に更新した。
伝家の宝刀、スライダーで糸井を遊ゴロに仕留めた瞬間、岩瀬の目に涙がにじんだ。前人未踏の「1000試合登板」-。通算「407セーブ」目(歴代1位)で飾った。
「 1点差で( 9回を)投げるのは、今年初めてだったので。抑えたいと思った。久しぶりに足が震えた」
会見では大粒の涙をこぼして声を震わせた。 4- 3の 9回に登板し、 1死球で無失点。一死 2塁では元同僚で1999年のドラフト同期入団、福留(「1位」、岩瀬が「2位」)を内角球で詰まらせ、マウンドで感極まった。
「孝介(福留)とはいいときも悪いときもいっしょにやってきたので、思うところはあった。打ちとれてよかった」
マウンドで感極まった表情の岩瀬仁紀投手(中央)にナインが駆け寄った=ナゴヤドーム
人前では涙を見せたことがなかった男が、また涙…。真っ先に脳裏に浮かんだのは、今年 1月に70歳で逝去した恩師・星野仙一氏の顔だった。
「 1年目の監督が、星野さんでなかったら、 2軍にいて、ここまで数字を重ねられなかった」
1999年 4月 2日。プロ初登板は広島との開幕戦(ナゴヤドーム)だった。 1点リードの 6回に中軸に 3連打を浴び、一死も奪えず降板。しかし闘将は 2日後の同カードで 9回に再びチャンスをくれた。「星野さんには感謝してもしきれない」。 1回を無失点。そこが岩瀬の原点だ。
1年目から15年連続50試合以上に登板。 5度の「リーグV(日本一 1度)」に貢献するなど中日黄金期を支えた。2014年夏に左肘を痛めたが、いつも電話で励ましてくれた一人が、星野氏だ。
昨年は 3年ぶりの「50試合登板」で「カムバック賞」に輝き、今年も開幕から 1軍。球団から「来季も貴重な戦力として考えている」と打診されたが、引退を決意した。「僕は、ただ数字を積み重ねるために投げるだけではダメ。若手のチャンスを奪うだけ。リードした展開で投げないと」。シーズン前にこう話していた。“敗戦処理”なら退く-。勝利のために投げてきたプライドだった。
ナゴヤドームでは29、30日と、あと 2試合。「1000試合登板」は通過点だ。最後は恩師の仙一(センイチ)を取って「1001試合登板」で、野球人生を締めくくる。
通算「1000試合登板」を達成し、お立ち台にあがる中日・岩瀬仁紀投手=ナゴヤドーム
◆中日・松坂大輔投手
「ただただ、すごい。たくさんの試合を投げてきて。僕には『1000』という数字は想像つかない」
◆前中日監督でバッテリーも組んだ谷繁元信氏
「岩瀬はプロとしての“日常”に一切妥協しなかった。勝つために自分に対する厳しさを持ち続け、準備し続ける。岩瀬は『1000回』マウンドに立つために、どれだけ肩をつくってきたか。決して表に表れないが、この仕事を忘れてはいけない」
◇岩瀬 仁紀(いわせ・ひとき)
1974(昭和49)年11月10日生まれ、43歳。愛知県出身。西尾東高-愛知大からNTT東海(当時)を経て199年「ドラフト2位」で入団。 1年目から救援で活躍し、2005年にシーズン「46セーブ」のプロ野球記録(当時)を樹立。2013年には15年連続「50試合以上登板」、 9年連続「30セーブ」以上を記録。通算「1000試合登板、59勝51敗407S、防御率2.31」。 1メートル81、84キロ。左投げ左打ち。年俸7500万円。背番号「13」。
中日は 3試合を残し、 6年連続でクライマックスシリーズ(CS)進出を逃した。森監督は「ここまでに勝たないといけない試合に勝てなかった悔しさが、みんなあると思う」とコメントした。この日は岩瀬が大記録を達成。指揮官は「こういう感動のある試合を見て、若い連中がどう感じるか」と若手の奮起を期待した。
3回、適時打を放った中日・ダヤン・ビシエド内野手=ナゴヤドーム
中日のビシエドが 3回に適時打を放った。二死 1塁から高めの速球を思い切り良く振り抜くと、打球は右翼フェンスを直撃。「二死から大島が塁に出てくれたので思い切って積極的にいこうと思っていた。いいスイングができた」と喜んだ。
5回無死 1塁では遊撃内野安打で好機を拡大させた。今季「178安打」目とし、首位打者に加えて最多安打のタイトルにまた一歩前進した。
6回 2塁打を放った中日・荒木雅博内野手=ナゴヤドーム
今季限りで現役を引退する中日の荒木が 6回、代打で出場した。先頭で勝ち越し点の足掛かりとなる 2塁打を左翼線へ放った。そのまま 2塁手の守備に就き、 8回の打席でも中前打。岩瀬の「1000試合登板」に花を添えた。
中日・白井文吾オーナーは28日、 6年連続Bクラスが決まったチームについて「改革はやらないといけないと思っている」と話した。森監督の去就については「いろいろ改革したいが(すぐに監督を)代えることではない。やり方だな」と改めて白紙を強調。「いつまでも考えていると時機を逸する。思っているほど簡単ではないんだ」と話した。
※ 9月29日の予告先発は、阪神・藤浪晋太郎投手(24)ー中日・オネルキ・ガルシア投手(29)です。
2018年公式戦順位表
セ・「3位」争いライン
2018年交流戦順位表