●阪神が11日、次期監督として矢野燿大(あきひろ) 2軍監督(49)に就任を要請する方針を固めた。 金本知憲監督(50)が17年ぶり「最下位」の責任を取って、就任 3年目の今季限りで辞任すると表明。球団は急きょ後任の選定を進め、2016年から 2年間はコーチを務め、今季は就任 1年目でファームを「日本一」に導いた金本監督の盟友に再建を託す方向となった。阪神は金本監督の辞任を受けて、急ピッチで来季新監督の選定作業を行った。前日10日DeNA戦の試合後に同監督から辞意を伝えられた揚塩健治球団社長(57)は、兵庫・西宮市内の球団事務所で応対。頭を下げた。後任監督の絞り込みについては、理想像を問われても言葉少なだったが、速やかに候補を矢野 2軍監督に一本化した模様だ。矢野 2軍監督は、金本監督が推し進めた野球をもっとも熟知する盟友だ。昨季までの 2年間は 1軍で作戦面を担当する参謀として指揮官を支えた。 2軍監督を任された今季は失敗をとがめない「超積極的」をスローガンに掲げ、ウエスタン・リーグ新記録の「チーム163盗塁」を記録するなど、就任 1年目から「日本一」に導いた。金本監督続投の場合は、来季は 1軍ヘッドコーチ格を要請される方向だった。若手からベテランまで現状を把握しており、後任の適任者といえる。球団側は今後、矢野 2軍監督に就任要請する方向だ。課題が山積するなか、チーム再建に向けて、速やかに新体制を固めていく。阪神・金本知憲監督が11日、今季限りでの辞任を表明した。前日10日のDeNA戦(甲子園)の後に揚塩健治球団社長と会談し、辞任勧告に近い形で身を退くことを決断した。次期監督は来季ヘッド格就任が内定していた矢野燿大 2軍監督が最有力。坂井信也オーナー(70=電鉄相談役)は辞任した。「最下位」まで落ち、本拠地での観客動員数が昨年より約13万5000人減。ファン離れは顕著で来季に向けての期待感を醸成しにくい現状を踏まえた上での会談だった。今季から新たに 3年契約を結んでいた金本監督は、試合前の辞任の意向については「なかったです」と否定。関係者によると、試合後の面談は事実上の“辞任勧告”ともとれる状況で、無言の外圧を感じて自ら終止符を打つことを決断したというのが真相だ。
●阪神坂井信也オーナーが11日、大阪市内の電鉄本社で今季限りでのオーナー交代を明かした。任期は11月30日まで。新オーナーには藤原崇起氏(たかおき、66=阪神電鉄代表取締役会長)が12月 1日付で就任予定。次期監督の人選も主導権を握り、16日に会見を行う。金本監督の電撃辞任の衝撃も覚めやらぬ夕刻の電鉄本社。今度は10年の長期にわたってトップの座に座り続けてきた坂井オーナーが、自らの口で辞任を発表した。「最下位」の責任を取る形。オーナー、監督が同時に引責辞任するという“異常事態”だ。年齢的な面(70歳)、オーナー在籍が長期にわたっていたことなどで、シーズン当初から「今季限り」を予定はしていた。ただ、その年に思わぬ「最下位」転落。金本監督の辞意を聞いたのは、前日10日の午後だったという。かなわなかった夢は、後を任せた藤原新オーナーと、新監督、そしてタテジマの戦士たちに託す。
●阪神は今後、矢野 2軍監督への新監督就任要請に向かうが、交渉が難航した場合に備えて前 2軍監督の掛布雅之オーナー付シニアエグゼクティブアドバイザー(63)、経験豊富な05年優勝監督の岡田彰布氏(60)らも候補に挙げる。
●阪神が、片岡篤史ヘッド兼打撃コーチ(49)と来季の契約を結ばない方針であることが11日、分かった。同コーチは2016年から打撃コーチを務め、今季からはヘッドコーチを兼ねていた。
●広島新井貴浩内野手(41)が11日、阪神金本知憲監督辞任の一報に驚きを隠せなかった。広島・新井貴浩内野手が11日、マツダスタジアムに隣接する室内練習場での全体練習に参加。新井は 9月に今季限りでの現役引退を表明。くしくも兄貴分の金本監督と同じタイミングでユニホームを脱ぐことになり、驚きを隠せなかった。兄貴の「辞任劇」は、約 300キロ離れた広島でも衝撃が走った。室内練習場での練習中の新井は金本監督辞任のニュースを報道陣から伝え聞いて、「エッ!!」と驚いた。新井は金本監督を慕ってきた。広島入団 1年目の1999年に弟子入りし、金本監督がFAで阪神へ移籍する2002年までプレー。2008年に新井が兄貴を追って阪神へ移籍し、 5年間タテジマでプレーした。師弟関係にある 2人は、2016年からは広島の選手、阪神の監督として球界を盛り上げた。一蓮托生の運命にあった 2人。2008年 4月12日に金本監督が通算「2000安打」を達成すると、その日に新井も同「1000安打」をマーク。そろってヒーローインタビューを受けた。オフには、同じジムで筋トレに励み、護摩行で精神を鍛え合った。兄貴の気持ちはよく分かる。くしくも同じタイミングでの“引退”。プロ20年間の集大成になる17日開幕のクライマックスシリーズ・ファイナルステージでは感謝の気持ちを込める。
記事をまとめてみました。
阪神が11日、次期監督として矢野燿大(あきひろ) 2軍監督に就任を要請する方針を固めた。
金本知憲監督が17年ぶり「最下位」の責任を取って、就任 3年目の今季限りで辞任すると表明。球団は急きょ後任の選定を進め、16年から 2年間はコーチを務め、今季は就任 1年目でファームを「日本一」に導いた金本監督の盟友に再建を託す方向となった。
阪神は金本監督の辞任を受けて、急ピッチで来季新監督の選定作業を行った。前日10日DeNA戦の試合後に同監督から辞意を伝えられた揚塩球団社長は、兵庫・西宮市内の球団事務所で応対。慌てたかと問われると「もちろん、そうです」と言い、「期待していただいたファンには本当につらい 1年だったと思います。申し訳なく思っております」と頭を下げた。
来季に向けて揚塩社長は「なぜ勝てなかったのかしっかりと分析して課題を持って来季にあたるようにフロント、現場が一体となって取り組んでまいります。イチから出直します」と話した。後任監督の絞り込みについては「これから早急に」と話すにとどめ、理想像を問われても「それもこれから」と言葉少なだったが、速やかに候補を矢野 2軍監督に一本化した模様だ。
みやざきフェニックス・リーグ・ハンファ戦 勝利したナインをハイタッチで迎える阪神矢野2軍監督=西都原運動公園野球場
矢野 2軍監督は、金本監督が推し進めた野球をもっとも熟知する盟友だ。昨季までの 2年間は 1軍で作戦面を担当する参謀として指揮官を支えた。 2軍監督を任された今季は失敗をとがめない「超積極的」をスローガンに掲げ、ウエスタン・リーグ新記録の「チーム163盗塁」を記録するなど、就任 1年目から「日本一」に導いた。金本監督続投の場合は、来季は 1軍ヘッドコーチ格を要請される方向だった。若手からベテランまで現状を把握しており、後任の適任者といえる。
この日、矢野 2軍監督はフェニックスリーグ開催中の宮崎で、共に戦った金本監督の辞任を悔しがった。「大学も一緒にやったし、現役時代もタイガースで一緒にやってきた。現場でも一緒にやろうという形で、オレも力になりたいし、球団にもファンにも、恩返しがしたいと思ってやってきた。オレも悔しい」。事前に金本監督から連絡を受けていたと明かし「オレらがどうこう言えるものじゃない監督の気持ちもあるから」と思いやった。人事については「球団がやること。何とも言いようがない」と話すにとどめた。
球団側は今後、矢野 2軍監督に就任要請する方向だ。課題が山積するなか、チーム再建に向けて、速やかに新体制を固めていく。
辞任会見を終え、険しい表情で車に乗り込んだ金本知憲監督。球団側の意をくんでの決断だった=阪神球団事務所
電撃辞任劇! 阪神・金本知憲監督が11日、今季限りでの辞任を表明した。前日10日のDeNA戦(甲子園)の後に揚塩健治球団社長と会談し、辞任勧告に近い形で身を退くことを決断した。次期監督は来季ヘッド格就任が内定していた矢野燿大 2軍監督が最有力。坂井信也オーナー(電鉄相談役)は辞任した。
17年ぶりの「最下位」となった阪神を大激震が襲った。金本監督、電撃辞任-。午後 1時、西宮市内の球団事務所で会見を開いた金本監督は苦悩の 3年間を振り返り、自ら身を引くに至った経緯を説明。どこか吹っ切れたような表情だった。
「やり残したというのは多々ありますけど、結果の世界ですから。成績不振です。何より最下位というね。(揚塩球団社長から)『もう少し、頑張ってみてよ』ということは言われましたけど、僕の意思も固かった」
“解任”の側面が色濃い退陣劇だった。複数の関係者の話を総合すると、前日10日には谷本球団副社長兼本部長らがフェニックス・リーグが行われている宮崎に飛び、金本続投を大前提に来季組閣に着手。その一方で揚塩社長は電鉄本社に呼ばれ、今後の監督人事について意見交換を重ねていた。甲子園でのDeNA戦後、揚塩社長はクラブハウス内で金本監督を呼び出した。
「最下位」まで落ち、本拠地での観客動員数が昨年より約13万5000人減。ファン離れは顕著で来季に向けての期待感を醸成しにくい現状を踏まえた上での会談だった。今季から新たに 3年契約を結んでいた金本監督は、試合前の辞任の意向については「なかったです」と否定。関係者によると、試合後の面談は事実上の“辞任勧告”ともとれる状況で、無言の外圧を感じて自ら終止符を打つことを決断したというのが真相だ。
次期監督最有力の矢野 2軍監督。ヘッド昇格が内定していたが…=西都原運動公園野球場
「しんどかったというのが一番ですね。でも若い選手がいい成績を残してくれたときとかは本当にうれしかったし、逆に僕の方がワクワクしてね。『このままよくなってくれよ』とか。そういう楽しい思いもあった」
「超変革」から始まった金本阪神。今季は「これまでのチームでは一番強い」と期待しながら、目指す「積極的な攻撃」は最後までできなかった。若手が伸び悩み、打線も下降の一途。甲子園では借金「18」の屈辱。「俺の人生で一番ぐらいにきついわ…。ちょっとこの経験はない」とも漏らしていた。
一つの転機は 8日のヤクルト戦(神宮)で敗れ、「最下位」が確定したとき。巨人・高橋監督が 3年連続で「V逸」し、辞任したことも「結果を問われるのが巨人と阪神。そこは一緒」とだぶらせた。本拠地最終戦だった10日のDeNA後には「私の力足らず」とファンに謝罪。自らの進退については触れていなかった。
次期監督には電鉄本社と球団の総意で、来季ヘッド格就任が内定していた矢野 2軍監督の内部昇格が最有力。今後、正式に就任要請を行う見通しだが、盟友の辞任はあまりに衝撃的。あまりの急展開に受諾までスムーズに進むか、楽観視はできない。
「超変革」「挑む」「執念」の 3年間が水の泡と消えた。坂井オーナーも辞任。ゼロから作り直し。“世紀の解任劇”から、光を灯せるのか。
フェニックス・リーグで指揮を執る矢野 2軍監督。ヘッド昇格から一転、 1軍監督を受諾するのか…=西都原運動公園野球場
1軍監督受諾する? 阪神・金本知憲監督が11日に辞任表明したことを受け、宮崎でのフェニックス・リーグに参戦中の矢野燿大 2軍監督は「一緒に指導者として戻ってきたから、俺も悔しい」と、解任に近い形に唇を噛んだ。自身は来季 1軍ヘッド格が内定していたが、次期監督の最有力となり「球団がやること。俺はどうしようもない」と困惑をしながら、明言を避けた。
金本監督辞任という突然の知らせに南国の地・宮崎でフェニックス・リーグに参加していた虎 2軍にも衝撃が走った。辞任の発表中に行われていた韓国・ハンファ戦(日向)との試合後、矢野 2軍監督は驚きと戸惑いを隠せない様子だった。
「球団にもタイガースファンにも恩返ししたいということで、(金本監督と)一緒に指導者として戻ってきたから、俺も悔しいし、かといって俺らがどうこう言えるところ(立場)じゃない。監督のなかの気持ちっていうのもあるから…」
前日10日夜には谷本球団本部長と嶌村副本部長が宮崎市内にあるチーム宿舎を訪れ、来季の 1軍ヘッドコーチ就任の要請を受けたもよう。その数時間後、その指揮官から辞任の連絡が来たとみられる。急展開で次期監督の最有力候補となったが「俺がどうこう言われへん。それはもう球団がやることじゃないの? 俺はどうしようもないしさ、何とも言えない」と明言を避けた。
1浪で入学した金本監督は東北福祉大の 1年後輩になるが、同い年。「かねもっちゃん」と呼び、阪神でも2003年から 7年間をともに過ごしてきた深い間柄だ。16年からはそれぞれ 1軍監督、作戦兼バッテリーコーチとして 2人そろって虎に復帰。「リーグV、日本一」という同じ志を持ち、 3年間ともに指導してきた。
◆金本監督と矢野 2軍監督 同じ昭和43年生まれだが、金本監督が 1浪で入学した東北福祉大學では先輩と後輩の関係。信頼関係は厚く「カネ」「ヤノ」と呼び合う。ともに他球団から阪神に移籍して2003、2005年には「優勝」を経験した。矢野 2軍監督が作戦兼バッテリーコーチに就任することが決まった2015年秋に、金本監督は「間違ったことは言ってくれと」と話していた。
◇矢野燿大(やの・あきひろ)
本名・矢野輝弘。1968年(昭43)12月 6日、大阪府生まれ。大阪市立桜宮高校-東北福祉大學を経て1990年「ドラフト2位」で中日入団。1997年オフに交換トレードで阪神移籍。「ベストナイン」 3度、「ゴールデングラブ賞」 2度。2010年に引退し、2016年コーチで阪神復帰。今年は 2軍監督を務め、「ウエスタン・リーグV」、「ファーム日本一」。 通算1669試合に出場、「打率0.274、112本塁打、570打点」。2008年「北京五輪日本代表」。右投げ右打ち。 1メートル81、78キロ。
◇金本 知憲(かねもと・ともあき)
1968(昭和43)年 4月 3日生まれ、50歳。広島県出身。広陵高校、東北福祉大學を経て1992年「ドラフト4位」で広島入団。2000年に「トリプルスリー」を達成。2002年オフにFAで阪神に移籍すると、主軸として2003、2005年の「リーグ優勝」に貢献。2012年に現役引退。通算2578試合、「打率0.285、476本塁打、2539安打、1521打点」。2005年「MVP」、2004年「打点王」、「ベストナイン」 7度。「連続フルイニング出場1492試合は世界記録」。2016年から阪神監督。 1メートル80、86キロ。右投げ左打ち。背番号「6」。
阪神坂井信也オーナー=阪神球団事務所
阪神坂井信也オーナーが11日、大阪市内の電鉄本社で今季限りでのオーナー交代を明かした。
「今シーズンをもちまして、オーナーを交代させていただきます」と発表。「平成19年に宮崎オーナーから引き継いで、それから『優勝』できずにファンの皆さん、関係者の皆さんに申し訳ない気持ちでいっぱいです。特に今シーズンは17年ぶりの『最下位』ということで、非常に私自身も、私が反省してどうなるものかも分かりませんけれど、反省し、ファンの皆さんに申し訳ない気持ちでいっぱいです。また新たなチームになって、新しいオーナーのもとで強いチームを作っていっていただきたいと思っています」と続けた。
任期は11月30日まで。次期オーナーは阪神電鉄・藤原崇起会長(阪神球団オーナー代行)が務める。
金本知憲監督とベンチで談笑する坂井信也オーナー(左)。ともに優勝できないまま無念の辞任となった=阪神甲子園球場
阪神・坂井信也オーナーが11日、大阪・福島区の電鉄本社で、オーナー職を任期が切れる11月30日付で辞することを自ら発表。「金本監督を支えられなかった」と無念の思いを明かした。新オーナーには藤原崇起氏(たかおき、阪神電鉄代表取締役会長)が12月 1日付で就任予定。次期監督の人選も主導権を握り、16日に会見を行う。
金本監督の電撃辞任の衝撃も覚めやらぬ夕刻の電鉄本社。今度は10年の長期にわたってトップの座に座り続けてきた坂井オーナーが、自らの口で辞任を発表した。「最下位」の責任を取る形。オーナー、監督が同時に引責辞任するという“異常事態”だ。
「今シーズンをもちましてオーナーを交代させて頂きます。平成19年に宮崎オーナーから引き継いで10年、優勝できずに申し訳ない気持ちでいっぱいです。特に今シーズンは17年ぶりの『最下位』ということで、反省しております」
努めて明るく振る舞おうとしたが、やはり表情の端々に無念さがにじみ出る。歴代の中でも屈指の野球好きオーナーは、本拠地では時間が許せばほぼ毎日、観戦した。ビジターにも年に何度も足を運び、 2軍戦にもたびたび顔を出した。ただ、その情熱も、結果に結びつかない厳しい現実の前では…。
年齢的な面(70歳)、オーナー在籍が長期にわたっていたことなどで、シーズン当初から「今季限り」を予定はしていた。ただ、その年に思わぬ「最下位」転落。金本監督の辞意を聞いたのは、前日10日の午後だったという。
辞任を発表した坂井信也オーナーは、険しい表情で車に乗り込んだ=阪神球団事務所
「追い込んだのも私の責任。(最下位の)責任を取ったというふうにご理解されるのであれば、それはそうですし、金本監督を支えられずに、本当に申し訳ないと思っております」
「優勝」という夢を果たせずに去る悔しさは、懸命に胸に秘め、謝罪の言葉を並べ続けた。辞任と同時に、阪神電鉄代表取締役会長の藤原氏が新オーナーに就任することも公表した。
「(次期監督は)新しいシーズンのことですから、次のオーナーとフロントに任せます。新しいオーナーのもとで、新しい強いチームを作ってもらいたいです。もっとやれる選手はいっぱいいます。全員に頑張ってもらいたいです」
かなわなかった夢は、後を任せた藤原新オーナーと、新監督、そしてタテジマの戦士たちに託す。
◆阪神・坂井信也オーナーの辞任について広島・松田元オーナー
「仲が良かった。ショックが大きい。(オーナー会議のときには)よく野球の話を一緒にした」
◇坂井 信也(さかい・しんや)
1948(昭和23)年 2月 9日、神戸市生まれ、70歳。神戸大から1970年阪神電鉄入社。経理部長など管理部門を歩み、2005年常務取締役。2006年 6月代表取締役社長、2006年10月-2017年 6月阪急阪神ホールディングス代表取締役。2008年 6月から阪神球団オーナー。2011年 4月阪神電鉄代表取締役会長。2017年 4月阪神電鉄取締役相談役。
掛布雅之氏と岡田彰布氏 掛布雅之氏(右)と岡田彰布氏 阪神は今後、矢野 2軍監督への新監督就任要請に向かうが、交渉が難航した場合に備えて前 2軍監督の掛布雅之オーナー付シニアエグゼクティブアドバイザー、経験豊富な05年優勝監督の岡田彰布氏らも候補に挙げる。
掛布氏と岡田氏の略歴は、以下の通り。
◆掛布雅之(かけふ・まさゆき)
1955年(昭30) 5月 9日生まれ、千葉県出身。習志野から1973年「ドラフト6位」で阪神入団。「本塁打王」 3度、「打点王」 1度、「ベストナイン」 7度、「ダイヤモンドグラブ賞(現ゴールデングラブ賞)」 6度。1988年引退後は解説者を務め、2013年オフに阪神GM付育成&打撃コーディネーター就任。2016、2017年阪神 2軍監督。現役時代は 175センチ、77キロ。右投げ左打ち。
◆岡田彰布(おかだ・あきのぶ)
1957年(昭32)11月25日、大阪府生まれ。関西大学北陽高等学校-早稲田大學を経て1979年「ドラフト1位」で阪神入団。1980年「新人王」。1985年「ベストナイン、ダイヤモンドグラブ賞(現ゴールデングラブ賞)」。1994年オリックスへ移り、1995年引退。1998年阪神復帰し、 2軍監督などを歴任。2004年から 1軍を率い、2005年「リーグV」。2010~2012年オリックス監督。現役時代は 175センチ、77キロ。右投げ右打ち。
阪神片岡篤史ヘッド兼打撃コーチ=阪神甲子園球場
阪神が、片岡篤史ヘッド兼打撃コーチと来季の契約を結ばない方針であることが11日、分かった。
同コーチは16年から打撃コーチを務め、今季からはヘッドコーチを兼ねていた。今季は攻撃陣が不調でチーム打率は「リーグ5位」の「2割5分3厘」に終わっていた。
広島新井貴浩内野手が11日、阪神金本知憲監督辞任の一報に驚きを隠せなかった。
全体練習後に報道陣に囲まれると「突然のことでびっくりしています。自分が言うことではないかもしれませんが、野球人生の中でも一番苦しかったんじゃないかなと思います」と話した。
広島新井貴浩内野手=Mazda Zoom-Zoom スタジアム広島 (2018年6月27日撮影)
広島・新井貴浩内野手が11日、マツダスタジアムに隣接する室内練習場での全体練習に参加。練習後、師弟関係の阪神・金本知憲監督の辞任表明について「野球人生の中でも一番苦しかったんじゃないかな」と話した。新井は 9月に今季限りでの現役引退を表明。くしくも兄貴分の金本監督と同じタイミングでユニホームを脱ぐことになり、驚きを隠せなかった。
兄貴の「辞任劇」は、約 300キロ離れた広島でも衝撃が走った。室内練習場での練習中の新井は金本監督辞任のニュースを報道陣から伝え聞いて、「エッ!!」と驚いた。
「突然のことでビックリしています…」
新井は金本監督を慕ってきた。広島入団 1年目の1999年に弟子入りし、金本監督がFAで阪神へ移籍する2002年までプレー。08年に新井が兄貴を追って阪神へ移籍し、 5年間タテジマでプレーした。師弟関係にある 2人は、16年からは広島の選手、阪神の監督として球界を盛り上げた。
2016年の球宴で金本知憲監督と談笑する新井貴浩内野手。弟分として心情を察した
先月 5日、新井が今季限りでの現役引退を表明した際、金本監督は「もう少しプレーヤーとしてできる体力は、まだあると思うんです。もったいなというのが本音ですね」と話した。新井は広島に復帰してから「リーグ3連覇」。そんな弟分の活躍に「腹の立つ思いをしました。こちらは敵将となってからは悔しい思いばかりさせられてね。 3年間、チクショウという思いがあります」と笑いながら振り返っていた。
一蓮托生の運命にあった 2人。2008年 4月12日に金本監督が通算「2000安打」を達成すると、その日に新井も同「1000安打」をマーク。そろってヒーローインタビューを受けた。オフには、同じジムで筋トレに励み、護摩行で精神を鍛え合った。
「野球人生で一番苦しかったんじゃないかなと思います」と新井。兄貴の気持ちはよく分かる。くしくも同じタイミングでの“引退”。プロ20年間の集大成になる17日開幕のクライマックスシリーズ・ファイナルステージでは感謝の気持ちを込める。
アニキ金本及びオーナーが退任、片岡コーチがクビとなると、今年のブラック・タイガースは喪服だったのかも知れないですね。片岡コーチがクビになったのは、指導が下手で打撃が不振だった事にもあるので、当然の事だと思います。来季は、誰が指揮を振るか分からないが、良い成績で終われるように期待しましょう!
全身全霊を懸けて不屈の精神で立ち向かう。たとえ、どんなに苦しい局面になろうとも、最後の最後まで絶対に勝負を諦めない。
その精神を全員が強く持ち、タイガースが変革し続ける一年にしたい。そうした強い決意をスローガンとして表現しています。
※このスローガン・デザインは、2018年のシーズンロゴとしても展開して参ります。
2018年公式戦順位表
2018年交流戦順位表
2018年CSシリーズ開催日程
2018年 公式戦 日程と結果(09月)
2018年 公式戦 日程と結果(10月)