橘高淳(旧名は橘高敦)球審は、滋賀県立瀬田工業高等学校時代の1980年夏、全国高校野球選手権大会に出場しチームはベスト 4の成績を残す。翌年、ドラフト外で阪神タイガースに入団するも 1軍出場のないまま1983年に戦力外通告を受け、現役引退。ブルペン捕手となるものの、 1年で退団し、1985年、ブリンクマン審判学校を経て、セントラル・リーグ審判部入局。現在はクルーチーフを勤める。
現役時代の背番号は65、ブルペン捕手時代の背番号は92。審判員袖番号は 9(1988年の初採用から)。
関西審判部の中堅として長年審判員を務めており、日本シリーズには4度出場している。2000年頃に判定をめぐるトラブルが多く、写真週刊誌にトラブルの多い審判として 2ページ割かれて紹介されたことがある。審判としての資質を問う専門家の声も多い。球審を務める際、ストライクのジェスチャーに特徴がある。
2012年8月31日、阪神 - 広島戦(阪神甲子園球場)で、またまた審判の誤審が発生した。
〈橘高審判絡みのトラブル〉
・1998年 7月31日、阪神 - 巨人戦(阪神甲子園球場)
巨人のバルビーノ・ガルベス投手が本塁打を打たれた際に球審の橘高の判定を不服として(直前に際どいコースの投球をボールと判定されていた)、橘高にボールを投げつけたとされる。本人はボールボーイに返球しただけと主張し、橘高の方へはバウンドしたボールが転がっただけで橘高には当たらなかったが、ガルベスはそのシーズンの残り試合出場停止処分となった。
1999年 6月 1日、中日 - 巨人戦(ナゴヤドーム)
4対3と巨人の1点リードの 6回裏、中日の攻撃。無死満塁から打者・渡邉博幸の打球は左足に当たったかと思われたが、橘高は当たっていないと判定し、その打球は捕手が処理して併殺打になった。この判定に中日・星野仙一監督(現楽天監督)が 7分間に渡る猛抗議をしたが、判定は変わらず、試合もそのまま巨人が勝利した。
・2000年 5月 6日、中日 - 横浜戦(ナゴヤドーム)
7回裏、中日の攻撃。打者・立浪和義への内角球を、橘高はストライクと判定した。判定に不満を示した立浪が橘高の胸を突いたとして退場処分にした直後、中日・星野仙一監督が橘高に体当たりし、中日ベンチから選手・コーチが一斉に橘高のもとに詰め寄った。その際、大西崇之が橘高の胸付近を殴り、橘高は右肋骨骨折と左肩、背中などの軽傷と診断された。なお橘高は、立浪には「二流の選手が文句を言うな!」と一喝し、さらに大西には「この若造が!」と発言したとされる。最終的に立浪、星野、大西の 3人が退場処分を受けた。星野監督には 5日間の出場停止と50万円の罰金、立浪に 5日間、大西に10日間の出場停止と10万円の罰金がそれぞれ科された。その後、星野監督、立浪、大西の3人に対しては、それぞれ別地域に住む一般人 2名が傷害罪で名古屋地方検察庁に刑事告発(刑事告発は誰でもできる)を行ったが、橘高本人から被害届が出ておらず、また連盟から制裁も課されているという理由から、 3者とも書類送検された後に起訴猶予処分となった。
・2000年 6月 7日、巨人 - 阪神戦(東京ドーム)
打席を3回外した阪神・和田豊に対し、巨人のダレル・メイ投手は和田の頭めがけて故意にボールを投げつけた。ボールは和田の頭部付近を通ったが、球審の橘高はその時点では処置をしなかった。しかし試合後メイが「to him」と発言したため、メイは後日連盟より、出場停止10日間、罰金50万円の処分を受けた(後日、巨人の母体である読売新聞には「at him」では「打者を狙って投げた」ということになるが、「to him」なので「打者に対して投げた」に過ぎないので誤解である」という記事が掲載された)。その際、また審判団は本来ならば投球時点で確認を行い厳正な処分を行うべきであるとして、連盟より厳重戒告の処分を受けた。誰も傷つけていない自分と上記の審判の肋骨を骨折させた大西とを比較して、処分の重さに不満を述べている。
・2004年10月16日、中日 - 西武戦(2004年の日本シリーズ第1戦、ナゴヤドーム)
5回裏中日の攻撃で一死 1塁。打者・谷繁元信の打球は捕手前のゴロとなった。西武の野田浩輔捕手がこれを処理し直ちに谷繁に触球を試みた。球審の橘高は野田が打者走者の谷繁に触球したと判定し、アウトを宣告した。続いて野田は 2塁へ送球。橘高のアウトの宣告が聞こえていなかったのか、 2塁塁審の杉永政信は 1塁走者のオマール・リナレスにフォースアウトを宣告した。この判定を受け、中島裕之遊撃手は 1塁に送球。西武側は併殺したと判断し、ベンチに引き上げた。すると中日の落合博満監督は審判団に、「打者走者に対する触球によってアウトが宣告されたのなら、 2塁はタッグプレイになる。 1塁走者はアウトではない」と主張した。確かに橘高が打者走者のアウトを先に宣告しているので、 1塁走者のフォースの状態は解除されているから、リナレスはタッグされなければアウトにならない。そのため、審判団は協議の上、杉永 2塁塁審のフォースアウトの判定を取り消し、二死 2塁からの再開を決めた。すると西武の伊東勤監督がこれに対して「一度審判員がアウトと言ったのだから…」とこの決定に対して異議を唱える。橘高は「野田選手のプレイについて伊東監督に説明していますので、しばらくお待ちください」という旨の場内アナウンスを行う。この間49分試合が中断、最後はこの試合の責任審判であった友寄正人と、橘高が場内アナウンスで謝罪するという異例の事態となった。この件で審判団はコミッショナーから厳重注意を受けた。
・2005年 9月 7日、中日 - 阪神戦(ナゴヤドーム)
9回表の阪神の攻撃では、中村豊の本塁突入の際のクロスプレイを巡って阪神の岡田彰布監督らの抗議で試合が一時中断した。さらに 9回裏中日の攻撃、無死 2・ 3塁の場面で、打者・谷繁の打球は 2塁方向へのゴロで、関本健太郎 2塁手はスタートを切った 3塁走者のアレックス・オチョアをアウトにしようと本塁に送球したが、球審の橘高はセーフと判定した。阪神の平田勝男ヘッドコーチはこれを不服としてベンチから飛び出し、橘高に暴力行為を働いたため、橘高は平田に退場を宣告した。岡田が選手全員を一旦ベンチに引き上げさせ、試合は18分間中断した。
・2011年10月 2日、埼玉西武 - 福岡ソフトバンク戦(西武ドーム)
9回裏の西武の攻撃、打者・栗山巧のハーフスイングを 3塁塁審の橘高はスイングと判定、空振り三振で試合が終了した。橘高は自身に向かって来た西武の渡辺久信監督にハーフスイングの抗議は禁じられていることを伝えようとしたが、「ガタガタ言うな」と言いかけてしまい渡辺を激怒させた。橘高は発言をすぐに取り消したが渡辺の怒りは収まらず、約 5分間猛抗議を受けることになってしまった。
この様に問題ばかり起こしているプロ野球審判員の橘高淳に対して、やってはいけない行為を広島・野村謙二郎監督は行ってしまった。その為に、阪神を有利にしてしまった 8月31日の試合だった。 9月 1日のブログ「鳥谷、 6戦ぶりマルチ安打!「何とか打ちたかった」、大和が右投手打ちマルチ安打に納得打!」を参照してください。
・2012年8月31日、阪神 - 広島戦(阪神甲子園球場)
6回裏阪神の攻撃で一死 2・ 3塁の状況で、打者・能見篤史のスクイズに投手・ブライアン・バリントンはウエストしたが、能見のバット付近で急にボールの軌道が変わり、捕手・倉義和が捕球できずにボールがバックネット方向に転がった。球審の橘高が空振りストライクの判定をしたため、 3塁走者・平野恵一がホームインし得点が認められた(公式記録は平野の本盗)。なお、打者・能見、 3塁走者・平野ともに当初はファウルと認識していたような行動をとっており、 2塁走者・藤井彰人は、 3塁付近まで行っていたものの帰塁している。この橘高の判定に対し、広島・野村謙二郎監督はファウルではないかと猛抗議したが認められず、 5分を越えた時点で遅延行為として退場処分を受けた。ちなみに複数のテレビカメラでボールがバットに当たっていることが確認でき、塁審も「当たったのでは?」と具申をしている。橘高の判定の根拠「一番近くで見ていた」が最大のネックとなった誤審である。
(ウィキペデイア調べ)
阪神ファンに取ってはありがたい審判の判定だったが、キチンと審判ができない様な審判員を置いておいて良いのだろうか…。それが、クルーチーフを行っている人だから尚更問題が大きいと思う。
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橘高淳球審がまた誤審…
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