●横田慎太郎外野手(24)が22日、西宮市の球団事務所で会見し、現役引退を表明した。2017年に脳腫瘍を患い、復帰に向けてトレーニングを続けてきたが、再び実戦出場することはかなわず、ユニホームを脱ぐことを決断した。悔いはない-。それでも、これまでの 6年間を思い出すと、横田は言葉につまった。波瀾万丈の野球人生だった。高卒 4年目の2016年、金本政権の 1年目の開幕スタメンに抜擢された。大型外野手として期待されたが、17年に脳腫瘍を患い、約半年間の闘病生活を送った。復帰後は実戦出場に向け、トレーニングに励んできたが、思うようにできなかった。両親と“三人四脚”で乗り越えた闘病生活について問われると、感情があふれ出た。涙を拭った。ファンの温かい声援や千羽鶴、仲間の励ましにも力をもらった。断腸の思いでユニホームを脱ぐが、言葉に力がこもる。横田が夢と勇気を与えるため、次のステージで羽ばたいていく。引退を決断した横田について、谷本修副社長兼球団本部長(54)はねぎらった。すでにセカンドキャリアとして球団スタッフへの転身も打診しているが詳細は伏せた。引退試合についても、開催する方向で調整していることも明かした。
●鳥谷敬内野手(38)が 5回のチャンスに代打で登場し、左前へ先制打を放ち、「2連勝」を呼び込んだ。「3位・広島」と「1.5ゲーム」差と再接近。残り 4試合。今季限りで退団する男の意地が、「逆転クライマックスシリーズ(CS)」へ上昇ムードに変えた。割れんばかりの声援を背に受けて、背番号「1」が打席に立つ。鳥谷が 3遊間を一閃すると、さらにボルテージが上がった。今季初の決勝打を放ったヒーローが「鳥谷コール」を受けて、今季初のお立ち台へ。帽子を取って大歓声に応えた。両者無得点と緊迫した空気に風穴を開けた。 5回一死 1、 2塁で代打で登場すると、先発・エディソン・バリオス投手(30)の甘く入った真っすぐを華麗に流し打ち。先制左前打で勝利を呼び込んだ。出場 4試合ぶりの安打&打点を記録で、通算「822打点」目。元監督の岡田彰布(61)に並ぶ「球団歴代4位」となった。この日、脳腫瘍からの復帰を目指していた横田が引退会見を行った。横田が開幕スタメンを果たした16年に鳥谷は野手のキャプテンとして牽引。ともにプレーした弟分と試合前にあいさつを交わした。新たなステージへ羽ばたく若虎から刺激も受けた。それでもお立ち台で笑顔はなかった。 8月末に球団からの引退勧告を受け、今季限りでの退団も決定。阪神のユニホームを着て 1試合でも長くグラウンドに立つために、バットで勝利に貢献することしかない。「3位・広島」とは「1.5ゲーム」差。逆転での「CS進出」へ。鳥谷の不屈の闘志が虎を勝利へと突き動かす。
●試合終了から 1時間以上が経っても、甲子園には長蛇の列が出来ていた。お目当ては、試合で活躍した選手がデザインされた「イチオシ缶バッチ」。この日は決勝打を放ち、お立ち台にも立った鳥谷敬内野手のデザインだった。 1塁側の5号門付近から始まった列は伸びに伸び、最長でバックスクリーンも越えた左翼席側の18号門まで続いたという。あまりのフィーバーだったため、本来なら販売は当日の試合後のみだが、異例の長蛇の列が出来たことを受けて、 9月25日の午前10時から午後11時59分まで公式オンラインショップ「T-shop」で販売することが決定した。鳥谷は今季限りでの退団を表明。改めて絶大な人気ぶりを感じさせた。
記事をまとめてみました。
横田慎太郎外野手(24)が22日、西宮市の球団事務所で会見し、現役引退を表明した。2017年に脳腫瘍を患い、復帰に向けてトレーニングを続けてきたが、再び実戦出場することはかなわず、ユニホームを脱ぐことを決断した。
悔いはない-。それでも、これまでの 6年間を思い出すと、横田は言葉につまった。
「この 2年半すごく苦しかったですけど、まったく悔いはありません」
波瀾万丈の野球人生だった。高卒 4年目の2016年、金本政権の 1年目の開幕スタメンに抜擢された。大型外野手として期待されたが、17年に脳腫瘍を患い、約半年間の闘病生活を送った。復帰後は実戦出場に向け、トレーニングに励んできたが、思うようにできなかった。
2016年開幕戦でプロ初盗塁 2盗を決めた横田慎太郎外野手。足が震えるほど緊張していたという=阪神球団事務所
「一番に、目のことが大きいです。自分で打った打球もまったく見えず、ピッチャーに投げてもらった球も二重に見えたり、守備の際もボールが二重で飛んできたり」
両親と“三人四脚”で乗り越えた闘病生活について問われると、感情があふれ出た。「僕が治療中、髪が全部抜けた際にもお父さんが鹿児島から(来て)丸坊主にしてくれて。両親が帰ったときは一人大泣きした」と涙を拭った。手術後も食事やトイレの際にいつもサポートしてくれた 2人に「野球できたのは、本当にすばらしい両親のおかげなので、感謝の気持ちしかありません」。
引退会見で涙を拭う横田慎太郎外野手。悩み抜いた決断だった=阪神球団事務所
ファンの温かい声援や千羽鶴、仲間の励ましにも力をもらった。実戦復帰こそかなわなかったが、闘病していたときから「人に夢を与えたい」と何度も口にしていた。
「そこは今でも変わっていません。これからも絶対変わることなく、今苦しんでいる方がたくさんいると思うので、何かの形で少しでもいいところ見せられるようにこれからの人生頑張っていきたいと思います」
断腸の思いでユニホームを脱ぐが、言葉に力がこもる。横田が夢と勇気を与えるため、次のステージで羽ばたいていく。
記者の質問に涙する横田慎太郎外野手=阪神球団事務所
■原口文仁捕手
「僕も(大腸がんの手術を受けた後)いっしょにリハビリをやっていたが、いつも前向きにやっていたのは見ていた。横田の一生懸命さには、誰もが見習うべきだと思う。(プロ野球人生が) 6年というのは、本人にとって短かったと思うが…。横田自身が悩んで考えて出した結論。お疲れ様という思いです」
◇横田 慎太郎(よこた・しんたろう)
1995(平成 7)年 6月 9日生まれ、24歳。鹿児島県出身。鹿児島実高から2014年「ドラフト2位」で阪神入団。16年の中日との開幕戦に「2番・中堅」で先発出場し、 1軍デビュー。17年オフに育成選手となる。通算成績は38試合に出場、「打率0.190、0本塁打、4打点」。 1メートル87、89キロ。左投げ左打ち。年俸 670万円。背番号「124」。
記者の質問に答える横田慎太郎外野手=阪神球団事務所
脳腫瘍からの復帰を目指していた横田慎太郎外野手が22日、西宮市内の球団事務所で会見し、今季限りでの引退を表明した。矢野燿大監督や阪神ナインが引退を惜しんだ。
◇ ◇ ◇
▽矢野燿大監督
「去年 2軍監督やってるときも、早く出てきて自分でやれることを目いっぱいやって、グラウンドでは一番誰よりも声出して、なんとか戻りたいっていう気持ちでやってる姿もずっと見ていた。『自分が頑張ることで(周囲の)励みにもなる』」という思いが、あいつを突き動かしていたと思う」
▽平田勝男 2軍監督
「横田は悔しい気持ちでいっぱいだと思うよ。(入団年に)姫路で 3発打ったり、入ってきた時のあいさつが九州弁でなまってたり…。思い出がいっぱいあるよ。鍛えがいがあったね。(復帰後は)早く来てブルペンでバット振ってたり、若い子たちは手本にしないと。試合中はベンチでも声出して、外野でも率先してキャッチボールしたり、目配り気配りが出来る選手だった。昨日は横田の顔が見られなかったよ」
▽新井良太 2軍打撃コーチ
「試合に出なくてもユニホームを着て野球が出来ることが復活だよ、と話をしていた。あのひたむきな姿勢を見ていて、一緒に野球をしていて、自分自身初心にかえらせてもらえた。ポテンシャルもあったけど、やっぱりあいつの人間力じゃないかと思う。ここからの方がさらに大事だけど、あいつなら大丈夫だと思う」
引退会見を終え記者団の質問で感極まり涙する横田慎太郎外野手=阪神球団事務所
▽福留孝介外野手
「まずは自分の体があってこそ、というのが第一だと思う。今まで助けてくれたご両親にちゃんと感謝して。自分の口から『ありがとう』という言葉を伝えなさいよ、と彼にも言った。どういう道に進もうと、僕は応援することは変わりないし。かわいい後輩というのも変わりない」
▽梅野隆太郎捕手
「担当スカウトも一緒だし、同期入団。病気と闘って、命から救われたというのが一番。九州の同じところから来て、自分は大卒であいつは高卒で、弟分っぽいかわいい後輩だった。寂しい気持ちはありますけど、今後も同じような付き合いをしていけたら」
▽原口文仁捕手(自らも大腸がん手術を経験し、横田の闘病の思いを知る)
「横田自身、 1人で悩んで考えて出した結論。今年、僕もリハビリをしてて一緒に(練習を)やっていた。横田の一生懸命さは、誰もが見習うべきところだと思う。少し残念ですけど『お疲れさま』という気持ちです」
▽高山俊外野手(16年開幕戦で横田と「1、2番コンビ」)
「寂しいですね。いつか一緒に、と思っていたんですが…。残念です。僕がいた寮の 2年間はずっと一緒で部屋も近かったので、散々部屋を荒らしに行ったりしました(笑い)。一番横田らしいなと思ったのは、開幕戦の時にめちゃくちゃ緊張していて、子供に渡すサインボールを試合前の(自分との)キャッチボールの時に投げてきて(笑い)。プライベートでは今までどおり仲良くしていきたい」
引退会見を終えた横田慎太郎外野手(中央)と記念写真に納まる、サプライズで駆けつけた北條史也内野手(左)と高山俊外野手=阪神球団事務所
▽北條史也内野手
「僕の 1人目の後輩だったので一緒にいる時間も長かったし、いろんな思い出もあります。本当にずっと一緒にいたという感覚。リハビリをしっかりして頑張っている姿を見て、僕自身も励まされました。あいつの分まで頑張ります」
▽阪神高橋遥人投手
「ものすごくいい人で、愛される理由が分かる。同級生ですけど、見習うところもいっぱいある。同じ時間に同じルーティンをしていて、朝もめちゃめちゃ早い。オフの時も朝起きたら、ヨコがもう動いていたりする。過ごしたのは2年ですけど、ひたむきさとか継続力とか本当にすごいと思う。寂しいです」
▽熊谷敬宥内野手
「同級生としてすごく悲しい。僕が結果が出ない時、最初に声を掛けてくれた。プレーできない中でも、気遣いを率先してできる人でした」 横田慎太郎選手が現役を引退 22日(日)、横田慎太郎選手が今シーズン限りで現役を引退することを発表、同日引退会見を行いました。 横田選手コメント(会見より) 私、横田慎太郎は今シーズンをもちまして、ユニフォームを脱ぐことを決めました。
22日(日)、横田慎太郎選手が今シーズン限りで現役を引退することを発表、同日引退会見を行いました。
横田選手コメント(会見より)
私、横田慎太郎は今シーズンをもちまして、ユニフォームを脱ぐことを決めました。
会見する横田慎太郎選手=阪神球団事務所
─ 引退会見に臨まれた今の心境をお聞かせください。 自分で決めた決断ですので、まったく後悔はありません。 ─ 引退はいつ頃、どういった経緯で決められましたか。
一番に目の影響が大きいです。自分で打った打球が全く見えず、ピッチャーに投げてもらった球も二重に見えたり、守備の際もボールが二重に飛んでみえたり、目がぼやけるということが多かったので、来シーズン続けても厳しいかなと思い、決断しました。
─ リハビリをして、実践復帰を目指してやって来られて、ここに至るまでご自身の中での葛藤はありましたか。
この 2年間半本当に苦しかったですが、自分が野球をやりたいと思ってした決断でしたので、全く悔いはありません。
会見する横田慎太郎選手=阪神球団事務所
─ どなたかに相談はされましたか。
両親に少し相談しましたが、自分の意志が強かったので、自分で決めました。父からは「今まで本当にお疲れさん」と言ってもらいました。
─ 脳腫瘍という診断があってから、今まで本当にさまざまな思いがあったかと思いますが、改めて当時の思いをお聞かせいただけますか
脳腫瘍と言われた瞬間、本当に頭が真っ白になり、今後野球が出来るのか不安ではありましたが、これまでたくさんの方に支えられてここまで来ることができたので、皆さんには本当に心の底から感謝の気持ちしかありません。
─ 復帰への思い、それを支えたものは何ですか
練習をしていたら、毎日たくさんのファンの方が来られていて、試合にも出ていないのにも関わらず、僕の応援をたくさんしていただいて、一番励みになりました。
会見する横田慎太郎選手=阪神球団事務所
─ ファンの方から掛けられた言葉で印象に残っているものはありますか
「 1日でも早く試合に出て、そして『24』番を取り返してください」といわれた瞬間は本当に、自分もその気持ちでやってきました。
─ プロ野球の 6年間の人生の中で、一番思い出に残っていることは何ですか
開幕スタメンで試合に出れたこともですが、病気になってこの 2年間半、すごく自分の中でもがいて、苦しんで、色んなことを思って野球をできた方がすごく良い思い出です。
─ 一軍では 109打席、バッターボックスに立ちました、一番印象に残っている打席は何ですか
ジャイアンツの菅野投手の球が本当にすごいボールだなというのは今でも覚えています。
〔阪神タイガース公式サイトより〕
横田慎太郎外野手が22日、西宮市の球団事務所で会見し、現役引退を表明した。
引退を決断した横田について、谷本副社長兼球団本部長は「人知れず苦しんでいたこともわかりました」とねぎらった。すでにセカンドキャリアとして球団スタッフへの転身も打診しているが「本人がまだ結論を出していないので」と詳細は伏せた。引退試合についても「試合に出るために努力もしてきましたので」と、開催する方向で調整していることも明かした。
<阪神 3- 0DeNA>◇第24回戦◇阪神15勝 8敗 1分◇22日◇阪神甲子園球場
まだ諦めん! 鳥谷敬内野手が 5回のチャンスに代打で登場し、左前へ先制打を放ち、「2連勝」を呼び込んだ。「3位・広島」と「1.5ゲーム」差と再接近。残り 4試合。今季限りで退団する男の意地が、「逆転クライマックスシリーズ(CS)」へ上昇ムードに変えた。
割れんばかりの声援を背に受けて、背番号「1」が打席に立つ。鳥谷が 3遊間を一閃すると、さらにボルテージが上がった。今季初の決勝打を放ったヒーローが「鳥谷コール」を受けて、今季初のお立ち台へ。帽子を取って大歓声に応えた。
「(お立ち台に)なかなか立つことがなかったので、懐かしい感じですね。打席に入って名前がコールされたときにすごい声援を感じましたし、この声援にあと押しされて、いいヒットが打てたと思います!」
適時打を放った鳥谷敬内野手=阪神甲子園球場
両者無得点と緊迫した空気に風穴を開けた。 5回一死 1、 2塁で代打で登場すると、先発・バリオスの甘く入った真っすぐを華麗に流し打ち。先制左前打で勝利を呼び込んだ。出場 4試合ぶりの安打&打点を記録で、通算「822打点」目。元監督の岡田彰布に並ぶ「球団歴代4位」となった。
その岡田元監督は早大の先輩で、 1年目の2004年の開幕戦で遊撃スタメンに鳥谷を抜てきした。「リーグ優勝」した03年、遊撃レギュラーには藤本敦士(現内野守備走塁コーチ)がいたが、「将来のタイガースを背負う選手。差別はしないけど区別はする」。通算「2085安打」も、そこから始まった。
打撃だけじゃない。適時打の後、木浪の遊撃への打球で 2塁へスライディング。内野安打もアシストし、矢野監督も「打ったのもすごいけど、あの( 2塁への)走塁の方が、すごいんじゃないかなと思う。ムードも結果も、すべてにとって大きいプレー」と絶賛した。
今季初めて甲子園のお立ち台に上がった鳥谷敬内野手。退団する男が頼もしく映る=阪神甲子園球場
この日、脳腫瘍からの復帰を目指していた横田が引退会見を行った。横田が開幕スタメンを果たした16年に鳥谷は野手のキャプテンとして牽引。ともにプレーした弟分と試合前にあいさつを交わした。「すごい寂しい思いはある。でもまだ24歳。『いろんなことに挑戦していく』という話もしていたので、自分も挑戦していこうかなという思いをもらった。それがいい結果につながった」と新たなステージへ羽ばたく若虎から刺激も受けた。
それでもお立ち台で笑顔はなかった。 8月末に球団からの引退勧告を受け、今季限りでの退団も決定。阪神のユニホームを着て 1試合でも長くグラウンドに立つために、バットで勝利に貢献することしかない。この日も昼過ぎ、誰もいない甲子園の 1塁側アルプスで階段を走り、そしてストレッチ。どんな逆境もルーティンは崩さない。
「残り 4試合、自分たちができるのは全部勝つこと。そこに向けて、選手全員でがんばっていきますので、最後まで応援お願いします!」
「3位・広島」とは「1.5ゲーム」差。逆転での「CS進出」へ。鳥谷の不屈の闘志が虎を勝利へと突き動かす。
お立ち台に上がった鳥谷敬内野手に、甲子園のファンも注目=阪神甲子園球場
★鳥谷ヒーロー缶バッジ発売で試合後大行列
試合後には球場外周に“鳥谷行列”ができた。甲子園での勝利後、球団はその試合のヒーローを独自に選定し「イチオシ缶バッジ」を発売するが、この日の人選は当然鳥谷。日付と写真がプリントされる限定品ということもあり、 1塁側からレフトスタンドまで続く大行列。あまりのフィーバーだったため、25日からオンラインショップで異例の再販がされることも決まった。
◇データBOX◇
◎…鳥谷は今季 4打点目。決勝打は昨年 8月11日のDeNA戦(横浜)の 2回に浜口から先制打を放って以来。
◎…鳥谷は岡田彰布に並ぶ「球団歴代4位」となる通算「822打点」。「3位」の真弓明信の「824打点」にあと「2」。最多は藤村富美男の「1126打点」。 ◎…阪神が「3位」広島と「1.5ゲーム」差となるのは、 7月24日以来。
鳥谷敬内野手の缶バッチを求めて、試合後に長打の列が出来た=阪神甲子園球場
試合終了から 1時間以上が経っても、甲子園には長蛇の列が出来ていた。
お目当ては、試合で活躍した選手がデザインされた「イチオシ缶バッチ」。この日は決勝打を放ち、お立ち台にも立った鳥谷敬内野手のデザインだった。 1塁側の5号門付近から始まった列は伸びに伸び、最長でバックスクリーンも越えた左翼席側の18号門まで続いたという。
鳥谷敬内野手の缶バッチを求めて、試合後に長打の列が出来た=阪神甲子園球場
グッズ担当者は「異例中の異例です。近本選手がセ・リーグの『新人最多安打記録』を更新した時の列も超えました。あまりにも長い列が出来て終電もあるので、後日ネットで販売することになりました」と驚きながら説明した。
ヒーロー鳥谷のボードを持つファン=阪神甲子園球場
本来なら販売は当日の試合後のみだが、異例の長蛇の列が出来たことを受けて、 9月25日の午前10時から午後11時59分まで公式オンラインショップで販売することが決定した。同様にオンラインショップで販売したのは、鳥谷が「2000本安打」を達成した17年 9月 8日以来のことだという。
鳥谷は今季限りでの退団を表明。改めて絶大な人気ぶりを感じさせた。
屈辱を跳ね返し て、全員野球でファン皆が待ち望む「二文字」に向かって、全員で力を合わせて進め!
ガンバレ!阪神!我らのタイガース!勝利を掴め!
2018年の悔しい結果を 打ち破 るため、選手・監督・コーチ・スタッフ・フロント、そしてファンの皆さんも全員が、どんな状 況でも「オレ がやってやる」「オレが決めてやる」という強い闘志をもって 1年間戦っていこう。という思 いをスローガンと して表現しています。
※このスローガン・デザ インは 2019年のシーズンロゴとしても展開してまいります。
2019年 公式戦 順位表
2019年 公式戦 日程と 結果 (08月)
2019年 公式戦 日程と 結果 (09月)
◇公式戦全試合実況速報 公式戦全試合をテキスト速報!タイガース迂遠実 況で 応援気分を盛り上げます。ほかにも対戦中の選手の成績が」一目で分かる「観戦モード」も必見!
◇現場からお届け!トラ番LIVEニュース 主催試合時は、現場から直接ニュ ース を配信! タイガース情報をどこよりもはやく、そうして細やかに。「生」の情報もお届けします!!