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Channel: 阪神ファンの障碍(害)者アスリート・虎ちゃん77のスポーツ日記
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金田正一さんの通夜に親族、関係者ら80人!通算400勝投手!張本氏、金田正一さん偲ぶ!

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球団OBで、 6日に急性胆管炎のため86歳で死去した金田正一(かねだ・まさいち)氏の冥福を祈り、阪神戦前に30秒間の黙祷(もくとう)がささげられた。東京ドームの22ゲート前には記帳所も設けられ、現役時代の写真と花が並べられ、多くのファンが列を作った。期間は 9-11日の各日午後 4- 8時。「ご供物、ご香典、ご供花は固くご辞退申し上げます」としている。また、米ニューヨーク州クーパーズタウンにある米国野球殿堂は公式ツイッターで「日本のプロ野球の通算最多勝記録を打ち立て、ただ一人の400勝投手である金田正一さんを忘れません」と追悼のメッセージを送った。

プロ野球国鉄(現ヤクルト)、巨人で前人未到の「400勝」を達成し、 6日に急性胆管炎による敗血症のために86歳で死去した金田正一さんの通夜が12日、東京都内の斎場で営まれ、「台風19号」による大雨の中、親族、関係者ら約80人が参列した。後日「お別れの会」が行われる予定となっている。1950年に愛知・享栄商高(現享栄高)を中退して国鉄に入団。長身から投げ下ろす速球と大きなカーブを武器に 2年目から14年連続で「20勝」以上をマーク。58年に長嶋茂雄氏のデビュー戦では「4打席4三振」に打ち取った。65年に巨人へ移籍し、69年で現役引退。74年にはロッテの監督として「日本一」に輝き、背番号「34」は巨人の永久欠番となった。

6日に86歳で亡くなった金田正一さんの現役時代から引退後も長い親交のあった作家石原慎太郎氏(87)が 7日、金田さんを悼み、思いを語った。彼とは山中湖の別荘が隣同士でね。 2人でよくゴルフをしました。国鉄スワローズが負けてばかりのころ、金田しかいなかった。孤軍奮闘でね。それは見事な「男」でしたよ。浅利慶太が神宮球場の近くに住んでいてね。飲んだ後、役者とかと連れだって、試合をよく見に行った。スワローズの選手にぼろくそにやじってやった。選手たちがベンチから出てきて怒鳴り返してきた。そうしたら金田も出てきて、こちらに腕を突き出して威嚇してくるから「金田、本物のプロはお前だけだ!」と叫んだ。彼は「サンキュウ!」と手を挙げたね。それで大いに満足して、球場を後にした。「400勝」した時、電話がかかってきてね。彼にテニスを勧めた。彼の左腕で打ち出すサービスだったら誰もとれやしない。彼は乗り気になったがやめてしまった。残念だが、仕方ないよ。でもね、彼のおかげで、プロ野球は華やかだった。長嶋茂雄からも「4打席連続三振」を取った。あれは長嶋のためにもよかったと思う。

元日本ハム監督の大島康徳氏(68)が 8日、「400勝投手」の故金田正一さん(享年86)の東京都内の自宅を弔問。約50分間、故人との時間を過ごした。中日の選手時代から約40年間、愛知県出身の金田さんにお世話になったという大島氏は声を詰まらせた。大島氏は金田さんが亡くなった 6日の深夜に「また一人大切な方が」というタイトルで自身のブログを更新。

これが「400勝」の投球フォームだ! プロ野球唯一の「400勝投手」で、 6日に急性胆管炎による敗血症のため86歳で死去した金田正一氏。一夜明けた 7日も球界から悼む声が相次いだ。日刊スポーツ評論家の西本聖氏(63)は、連続写真で伝説のフォームをチェック。投手の理想型とし、偉大な先輩をしのんだ。私ごときの人間が金田さんの投球フォームを解説するのは、とても恐縮してしまうのですが、お世辞ではなく大変素晴らしいとしか言いようがありません。全体的な感想として、まるでキャッチボールをしているかのようにリラックスし、それでいながらダイナミックなフォーム。リリースした後に力感が出るのは、それだけ理想的な流れで投げられている証拠になる。力強さと柔らかさの両方を備えている。こうしてあらためて見ると、「400勝」するのが理解できる。長身の金田さんは、当時の選手からすれば 2メートル近い身長に感じたのではないか。マシンもなく、速い球を打つ練習もできない。それでいて当時でも少ない左で投げているのだから、打者は打てるわけがない。野球は進化しているが、金田さんを超えるような投手は、今後も出てこないと断言していい。天国から野球界を見守ってくれるでしょう。

張本勲氏(79)が13日、TBS系テレビ「サンデーモーニング」に出演し、急性胆管炎による敗血症のため88歳で亡くなったプロ野球唯一の通算400勝投手で元ロッテ監督の金田正一氏をしのんだ。

記事をまとめてみました。

 

 セ・CSファイナルステージ<巨人 5- 2阪神>◇第 1回戦◇阪神 0勝 2敗 0分◇ 9日◇東京ドーム

 球団OBで、 6日に急性胆管炎のため86歳で死去した金田正一氏の冥福を祈り、阪神戦前に30秒間の黙祷(もくとう)がささげられた。東京ドームの22ゲート前には記帳所も設けられ、現役時代の写真と花が並べられ、多くのファンが列を作った。また、米ニューヨーク州クーパーズタウンにある米国野球殿堂は公式ツイッターで「日本のプロ野球の通算最多勝記録を打ち立て、ただ一人の400勝投手である金田正一さんを忘れません」と追悼のメッセージを送った。

 試合前に行われた金田正一氏の黙祷=東京ドーム

 巨人は 8日、プロ野球最多の通算「400勝」を挙げ、 6日に急性胆管炎による敗血症のため86歳で死去した球団OBの金田正一さんを悼み、東京ドームの22番ゲート前に記帳所を設置すると発表した。期間は 9-11日の各日午後 4- 8時。「ご供物、ご香典、ご供花は固くご辞退申し上げます」としている。

 

 プロ野球国鉄(現ヤクルト)、巨人で前人未到の「400勝」を達成し、 6日に急性胆管炎による敗血症のために86歳で死去した金田正一さんの通夜が12日、東京都内の斎場で営まれ、「台風19号」による大雨の中、親族、関係者ら約80人が参列した。後日「お別れの会」が行われる予定。

 1950年に愛知・享栄商高(現享栄高)を中退して国鉄に入団。左腕で長身から投げ下ろす速球と大きなカーブを武器に 2年目から14年連続で「20勝」以上をマーク。58年の長嶋茂雄さんのデビュー戦では「4打席4三振」に打ち取った。65年に巨人へ移籍し、69年で現役引退。背番号「34」は巨人の永久欠番となった。

 金田正一さんの通夜が営まれた東京都内の斎場

 国鉄(現ヤクルト)、巨人で前人未到の「400勝」を達成し、 6日に急性胆管炎による敗血症のために死去した金田正一氏(享年86)の通夜が12日、東京都内の斎場で営まれた。「台風19号」による大雨の中で親族、関係者ら約80人が参列。後日「お別れの会」が行われる予定となっている。

 1950年に愛知・享栄商高(現享栄高)を中退して国鉄に入団。長身から投げ下ろす速球と大きなカーブを武器に 2年目から14年連続で「20勝」以上をマーク。58年に長嶋茂雄氏のデビュー戦では「4打席4三振」に打ち取った。65年に巨人へ移籍し、69年で現役引退。74年にはロッテの監督として「日本一」に輝き、背番号「34」は巨人の永久欠番となった。

 

 石原慎太郎氏 (2017年 3月 3日撮影)

  6日に86歳で亡くなった金田正一さんの現役時代から引退後も長い親交のあった作家石原慎太郎氏が 7日、金田さんを悼み、思いを語った。

 彼とは山中湖の別荘が隣同士でね。 2人でよくゴルフをしました。プレー中、彼が足を蹴り上げたり、腕を上げたりするんだが、左腕を見せてね。「俺はこの腕で日本のプロ野球に何十億も稼がせてやったんや」。まさにその通りだと思っていた。

 国鉄スワローズが負けてばかりのころ、金田しかいなかった。孤軍奮闘でね。それは見事な「男」でしたよ。

 浅利慶太が神宮球場の近くに住んでいてね。飲んだ後、役者とかと連れだって、試合をよく見に行った。スワローズの選手に「おまえらそれでもプロか」とぼろくそにやじってやった。選手たちがベンチから出てきて怒鳴り返してきた。そうしたら金田も出てきて、こちらに腕を突き出して「こら!」と威嚇してくるから「金田、本物のプロはお前だけだ!」と叫んだ。彼は「サンキュウ!」と手を挙げたね。それで大いに満足して、球場を後にしたよ。

 金田正一さん

 巨人に行った時は金田正一が強さと権威に憧れるのかと批判しましたよ。「400勝」を目前にしてもたもたしていた時、「『400勝』したら必ず辞めろ」言ったんだ。彼は「俺は来年も10勝はしてやる」と言ったが「みっともないからやめろ」と言った。彼は「君はなんでそんなつらいことを言うんだ」と言った。「僕はね、君が好きだし、素晴らしいと思っているから言うんだ」と伝えました。

 「400勝」した時、電話がかかってきてね。「俺は君が言う通りに辞めるよ」。僕は「君らしくていいな」と言った。彼が「慎太郎さん。俺は野球しか知らんのや。これから何やったらいい」と聞くからテニスを勧めた。彼の左腕で打ち出すサービスだったら誰もとれやしない。彼は「やったろかな」と乗り気になったが「それで、テニスは金になるんか」と聞くから「ならない」と言うと「なら、やめた」とやめてしまった。

 残念だが、仕方ないよ。でもね、彼のおかげで、プロ野球は華やかだった。長嶋茂雄からも「4打席連続三振」を取った。あれは長嶋のためにもよかったと思うね。印象深い男だった。

 

 元日本ハム監督の大島康徳氏が 8日、「400勝投手」の故金田正一さん(享年86)の東京都内の自宅を弔問。約50分間、故人との時間を過ごした。中日の選手時代から約40年間、愛知県出身の金田さんにお世話になったという大島氏は「コメントできるような心境ではないです」と声を詰まらせた。

 大島氏は金田さんが亡くなった 6日の深夜に「また一人大切な方が」というタイトルで自身のブログを更新。「今も信じられません。茫然(ぼうぜん)としています」とつづっていた。

 

 これが「400勝」の投球フォームだ! プロ野球唯一の「400勝投手」で、 6日に急性胆管炎による敗血症のため86歳で死去した金田正一(かねだ・まさいち)氏。一夜明けた 7日も球界から悼む声が相次いだ。日刊スポーツ評論家の西本聖氏は、連続写真で伝説のフォームをチェック。投手の理想型とし、偉大な先輩をしのんだ。

◇   ◇   ◇

 私ごときの人間が金田さんの投球フォームを解説するのは、とても恐縮してしまうのですが、お世辞ではなく大変素晴らしいとしか言いようがありません。

 全体的な感想として、まるでキャッチボールをしているかのようにリラックスし、それでいながらダイナミックなフォーム。あえていうなら、力みが出ているのは最後の(7)ぐらいで、リリースした後に力感が出るのは、それだけ理想的な流れで投げられている証拠になる。

 解体新書 金田正一

 (1)ではリラックスした状態で振りかぶり、(2)では下半身からホーム方向に勢いをつけているのが分かる。(3)で左腕が背中側に入りすぎているように感じるが、(4)のトップではしっかりと高い位置までボールを持つ手を持ってきている。(2)と(3)の間の写真がないが、肩の関節が柔らかく、おそらく肘から抜くように上げていくのではなく、ボールを持つ手で円を描くように上げているのだろう。長身を生かし、高い位置でトップが作れている。

 (5)以降で特徴的なのは、歩幅が狭いところ。スタンスが狭ければ、それだけ(6)のように高い位置でリリースできるメリットがある。(7)でやや背筋が丸くなっているが、これだけ上から投げ下ろしていれば、気にする必要はない。それより(6)と(7)の右足は、しっかりと上半身を受け止めるように使えている。これがスピードを生む要因になっている。

 力強さと柔らかさの両方を備えている。こうしてあらためて見ると、「400勝」するのが理解できる。長身の金田さんは、当時の選手からすれば 2メートル近い身長に感じたのではないか。マシンもなく、速い球を打つ練習もできない。それでいて当時でも少ない左で投げているのだから、打者は打てるわけがない。野球は進化しているが、金田さんを超えるような投手は、今後も出てこないと断言していい。天国から野球界を見守ってくれるでしょう。

 

 張本勲氏 (2015年 7月20日撮影)

 張本勲氏が13日、TBS系テレビ「サンデーモーニング」に出演し、急性胆管炎による敗血症のため88歳で亡くなったプロ野球唯一の通算400勝投手で元ロッテ監督の金田正一(かねだ・まさいち)氏をしのんだ。

 張本氏は「日本プロ野球、昭和の巨星が落ちましたね。300年たっても、こんなピッチャー出てこないでしょうね。力はある、素質はある、自己管理がすごい。こういう速い球を投げる人は『世界一』でしょう。止まって見えるんですから。川上さんがボールが止まって見えるといったでしょう? 私は 1回だけオールスターで投げられて、止まって見える。そこからキャッチャーの間をウワァーっと。コースが甘いからもらった! と思うんですよ。でもかすりもしない。 187センチの背から、もう 1回上がるからね。今のピッチャーは沈むから。 1番の思い出は、けんかをよくした。しょっちゅうけんかをした。絶対に向かっていく人いませんよ、この人に。で、いつも周りに張本だけが向かってくると。非常にかわいがってもらいました。(けんかの原因は)ちょっとしたことですよ。『このシャツなんや』というから、それがどうかしたんですかと。これからお別れにいってきます」と語った。

 金田氏は、享栄商高を中退して50年に国鉄(現ヤクルト)に入団。65年に巨人に移籍し、前人未到の「400勝」を達成し69年引退。引退後はロッテ監督を務め、74年に日本シリーズを制した。

 

 

 

 

 

 

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