●「パ・リーグ2位」から勝ち上がったソフトバンクが「セ・リーグ優勝」の巨人に 4- 3で競り勝ち、「4連勝」として「球団史上初の3年連続で10度目(南海、ダイエー時代を含む)のシリーズ制覇」を果たした。「4連勝」での「日本一」は南海時代の1959年以来60年ぶり。就任 5年目の工藤公康監督(56)は「3年連続4度目の日本一」で、監督としては「歴代4位」に並んだ。“鬼采配”の仮面が一気に解けた。早足でナインに近寄った工藤監督は柳田悠岐外野手(31)に飛びついた。ナインを順番に抱きながら輪の中心へ。10度も宙を舞った。安堵と疲労があふれるように表情を崩し、お立ち台で感謝した。令和初の頂上決戦は、平成後期の常勝軍団の完勝だ。2000年の「ON対決」以来の対戦で、九州移転後の「セ・リーグ6球団撃破」を達成。「4連勝での日本一」は南海時代の59年以来となった。「3年連続日本シリーズ制覇」は、指揮官が投手として活躍した1990~92年の西武以来 4球団目の快挙。「クライマックスシリーズ(CS)ファーストステージ」第 2戦から、就任 5年で最長の「10連」勝で頂点を極め、「4度の日本一」は監督としては「歴代4位」に並んだ。評論家時代に「勉強」のために横浜市の自宅に研究室を作った。 6試合を同時に録画する 6台のテレビ。今季は同じ“基地”を単身赴任の福岡にも用意した。ひとまわり大きなスクリーンも加えて「分析」に進化。まぶたが限界を迎えるまでにらみ続けた。「2年連続でリーグ優勝」を逃した屈辱は消えないが、新たな後悔も糧。野球漬けの旅は、終わりと同時に始まる。
●強力打線の中でひときわ輝きを放った。ソフトバンクのジュリスベル・グラシアル内野手(34)が 4回、「2試合連続本塁打」となる「先制3ラン」を左中間へ。 1ボール 2ストライクから、菅野智之投手(30)が投じたスライダーが甘く入ったのを逃さなかった。キューバ代表として出場した2017年の「ワールド・ベースボール・クラシック」で、同じように東京ドームで菅野から「2ラン」。大舞台で、日本を代表するエースから再び貴重な一発を放った。
●巨人と前回対戦した2000年の「日本シリーズ」で監督として指揮したソフトバンク・王貞治球団会長(79)は23日、東京ドームで観戦。長嶋巨人との「ON対決」として注目された中で「2勝4敗」で敗れた雪辱を、19年ぶりに果たした。胴上げを終えてベンチに戻るナインに、王会長は自ら近寄ってハイタッチを交わす。「4連勝」で巨人を撃破。予想を上回る形で幕を閉じた。巨人の選手時代に11度、ダイエー(現ソフトバンク)監督として 2度、「日本一」を味わった王会長も、フロントとして 6度目の頂点は格別なものだ。東京ドーム元年の1988年。「リーグ2位」に終わった責任を取る形で巨人監督を退任し、94年から福岡へ。「20年連続Bクラス」のチームを「日本一」まで押し上げた。03年から「4年連続でV逸」した巨人から復帰待望論。それでも、監督退任後も福岡に骨を埋めた。令和初の王座をつかみ笑顔。巨人を投打で圧倒し胸を張った。
●ソフトバンクが「3年連続で日本シリーズを制した」工藤公康監督に、複数年契約で来季以降の指揮を要請したことが23日、分かった。就任 5年目の今季が契約最終年で球団は続投を要請していた。就任から「5年連続2位」以上で、「2度の優勝」と「4度の日本一」。受諾に支障はなく、今後のチームについてもフロントと話をしている。「日本一」を見届けた後藤球団社長兼オーナー代行は期待した。
記事をまとめてみました。
SMBC日本シリーズ2019<福岡ソフトバンク 4- 3巨人>◇第 4回戦◇福岡ソフトバンク 4勝 0敗 0分◇23日◇東京ドーム
「パ・リーグ2位」から勝ち上がったソフトバンクが「セ・リーグ優勝」の巨人に 4- 3で競り勝ち、「4連勝」として「球団史上初の3年連続で10度目(南海、ダイエー時代を含む)のシリーズ制覇」を果たした。「4連勝」での「日本一」は南海時代の1959年以来60年ぶり。就任 5年目の工藤公康監督は「3年連続4度目の日本一」で、監督としては「歴代4位」に並んだ。
“鬼采配”の仮面が一気に解けた。早足でナインに近寄った工藤監督は柳田に飛びついた。ナインを順番に抱きながら輪の中心へ。10度も宙を舞った。安堵と疲労があふれるように表情を崩し、お立ち台で感謝した。
「こんなにすばらしい仲間と野球ができて、こんな幸せ者はいない。コーチ、スタッフ、何より選手のみんなに勇気をもらった。みんな、本当にご苦労様。ありがとう」
令和初の頂上決戦は、平成後期の常勝軍団の完勝だ。2000年の「ON対決」以来の対戦で、九州移転後の「セ・リーグ6球団撃破」を達成。「4連勝での日本一」は南海時代の59年以来となった。
巨人に「4連勝」して「日本シリーズを制覇」し、喜ぶソフトバンクナイン=東京ドーム
「3年連続日本シリーズ制覇」は、指揮官が投手として活躍した1990~92年の西武以来 4球団目の快挙。「クライマックスシリーズ(CS)ファーストステージ」第 2戦から、就任 5年で最長の「10連」勝で頂点を極め、「4度の日本一」は監督としては「歴代4位」に並んだ。
フィナーレも動いた。グラシアルの「3ラン」で先制すると、早めの継投。甲斐野やモイネロが回をまたぎ、攻撃は代打攻勢を仕掛けた。CSの松田宣らに続き、今度は内川がベンチスタート。主力にも容赦ない大胆な起用を続けた将は、最後まで戦力をフル活用した。
「僕が胴上げをしてもらって申し訳ない。相手にも自分にも負けずに結果を出してくれた選手が頼もしいし、感謝しています」
決断の度に、謝罪と同時に「悔いは残したくない」と繰り返した。現役29年で「224勝」の野球人生も「後悔ばかり」。いまも続く無限の反省から「どれだけ野球のことを考える時間を作るか」という信念が生まれた。
評論家時代に「勉強」のために横浜市の自宅に研究室を作った。 6試合を同時に録画する 6台のテレビ。今季は同じ“基地”を単身赴任の福岡にも用意した。ひとまわり大きなスクリーンも加えて「分析」に進化。まぶたが限界を迎えるまでにらみ続けた。
日本一を決めて宙を舞う工藤公康監督。3年連続で頂点に立った=東京ドーム
重いバッグに 3台のタブレットを忍ばせ、シーズン中も専門家の学会をのぞく。体のしくみの勉強。知識を伝え、使うことの難しさを痛感して手に取る本も増えた。マネジメント、リーダーとは。妥協なき日々から生まれた勝負強さを、王球団会長も「彼が日頃から試合を振り返り、最高の力を出すことを考えているから」と感服した。
そんな策士が優勝争いの要所でかけた言葉は驚くほど単純だ。「バカになって野球をやろう」。指揮する明るいナインの姿から学んだこと。夢中で白球を追った選手の手による胴上げ。「温かい手が背中を宙に浮かせてくれる気持ちを体いっぱいで感じながら」と感無量で舞った。
ささやかな休息は身の回りの手伝いに福岡を訪れる三女・阿偉さんとの映画鑑賞だ。地下鉄を利用して映画館に向かう。肌で感じる街への何よりの恩返しを終えた。
「きょうの勝利はファンのみなさんに心から捧げたい。まだまだ強くなれるチーム。強くなれるように、みんなで一生懸命頑張っていきます」
「2年連続でリーグ優勝」を逃した屈辱は消えないが、新たな後悔も糧。野球漬けの旅は、終わりと同時に始まる。
柳田悠岐外野手に抱きつく工藤公康監督(左)。選手一人一人をねぎらった=東京ドーム
★南海・1959年の「日本シリーズG倒」VTR
鶴岡一人監督が率い、55年以来 5度目の「日本シリーズ」で巨人と対戦。過去 4度はすべて巨人に敗れていたが、杉浦忠が第 1戦から 4連投し、全試合で「勝利投手」となり「MVP」に選出。「4連勝」で球団初の「日本一」に輝いた。大阪市でのパレードでは先妻の位牌(いはい)をユニホームに忍ばせた鶴岡監督が涙を流し「涙の御堂筋パレード」と呼ばれた。
◇データBOX◇
◎…ソフトバンクが「3年連続通算10度目」(前身球団を含む)の「日本シリーズ制覇」。「シリーズ3連覇」は1990-92年の西武以来27年ぶり 4球団目( 7度目)。最多は65-73年の巨人の「9連覇」。
◎…「開幕4戦4勝」で制したのは59年南海、60年大洋、90年西武、2002年巨人、05年ロッテに次いで 6度目。
◎…「シーズン勝率2位以下」(73-82年の前後期の通算勝率も含む)での制覇は昨季に続く 2度目。 2度は西武(82、2004年ともに「2位」)、ロッテ(05年「2位」、10年「3位」)と並ぶ最多。
◎…03年から「出場7連続」で制覇。「7連続」は巨人の「11連続(61、63、65-73年)」に次ぐ「2番目」。
◎…18年第 3戦から「シリーズ8連勝」で、西武(88年第 3戦-91年第 1戦)、巨人(00年第 3戦-02年第 4戦)、ロッテ(74年第 4戦-10年第 1戦)と並ぶ「シリーズ最多連勝記録」。また「CSファーストS」第 2戦からは「ポストシーズン10連勝」で、阪急(75年プレーオフ第 2戦-76年日本シリーズ第 3戦)と並ぶ「ポストシーズン最多連勝」。
◎…13年から 7年連続でパ・リーグ球団が制覇。「同一リーグ7連覇」は65-73年のセ(巨人「9連覇」)以来46年ぶり 2度目。「日本一」の回数はセ・パとも35度で並んだ。並んだのは、59年(セ・パが 5度)以来60年ぶり。
◎福岡ソフトバンクホークス
1938年に南海電鉄を経営母体に創設。44年に近畿日本、46年に近畿グレートリングと改称し、47年から南海ホークス。 1リーグ時代に「2度優勝」し、73年までに「パ・リーグ制覇10度」(日本一2度)。低迷期を経て88年にダイエーが買収して本拠地を大阪から福岡に移した。93年に福岡ドーム(現ヤフオクドーム)が完成。95年から王貞治監督が指揮し、99年にダイエーとして「初優勝」、「日本一」。2000年も「優勝」したが、長嶋茂雄監督率いる巨人との“ONシリーズ”で敗れた。05年からソフトバンクとなり11、14、15、17、18、19年に「日本一」。「リーグ優勝」は前身を含め「18度」( 1リーグ時代からは「20度」)。「日本一」は「10度目」。孫正義オーナー。
4回、「3点本塁打」を放ったソフトバンク・ジュリスベル・グラシアル内野手=東京ドーム
強力打線の中でひときわ輝きを放った。ソフトバンクのジュリスベル・グラシアル内野手(34)が 4回、「2試合連続本塁打」となる「先制3ラン」を左中間へ。「最高の結果になってくれた」と胸を張った。
1ボール 2ストライクから、菅野が投じたスライダーが甘く入ったのを逃さなかった。キューバ代表として出場した2017年の「ワールド・ベースボール・クラシック」で、同じように東京ドームで菅野から「2ラン」。大舞台で、日本を代表するエースから再び貴重な一発を放った。
今シリーズは「打率0.375(16打数6安打)、3本塁打、6打点」。「最高殊勲選手(MVP)」に選ばれただけでなく、ポストシーズン11試合全てで安打を放つ大車輪の活躍ぶりだった。
◇データBOX◇
〔1〕グラシアルが「シリーズMVP」。外国人選手の受賞は2017年のソフトバンク・サファテ以来 2年ぶり11人目。ソフトバンク(前身球団を含む)では 4人目。
〔2〕 4回に先制弾。第1戦が逆転、第 3戦が「同点と殊勲本塁打」(先制、同点、逆転、勝ち越し、サヨナラ)を「3本マーク」。 1シリーズに「3本の殊勲弾」は最多タイで、15年のヤクルト・山田哲人以来 4年ぶり 6人目。外国人選手では80年の広島・ライトル以来39年ぶり 2人目。
〔3〕 4試合シリーズで「3本塁打」は、05年のロッテ・李承燁(い・すんよぷ)と並ぶ最多。
試合後、王貞治球団会長(右)は原辰徳監督(左)のあいさつを受けた。中央は孫正義オーナー=東京ドーム
巨人と前回対戦した2000年の「日本シリーズ」で監督として指揮したソフトバンク・王貞治球団会長は23日、東京ドームで観戦。長嶋巨人との「ON対決」として注目された中で「2勝4敗」で敗れた雪辱を、19年ぶりに果たした。
胴上げを終えてベンチに戻るナインに、王会長は自ら近寄ってハイタッチを交わす。「4連勝」で巨人を撃破。予想を上回る形で幕を閉じた。
「どんな形でも戦えると感じさせてくれるチーム全体が頼もしかった。工藤監督の状況による的確な起用、決断もすごかった」
巨人の選手時代に11度、ダイエー(現ソフトバンク)監督として 2度、「日本一」を味わった王会長も、フロントとして 6度目の頂点は格別なものだ。
2000年10月、日本シリーズ開幕を前に、記者の質問に答えるダイエーの王貞治監督(左)と巨人の長嶋茂雄監督=東京ドーム
「長嶋さんとは初めての、そして最後の戦いでしたが、弟分の私として兄貴分の長嶋さんを超えたいという気持ちがありました。2000年は私にとって特別な年だと今でも思っています」
今年 1月の会見でこう振り返ったのが、00年の「日本シリーズ」。巨人の「V9」を支えた盟友との「ON対決」は、敵地で「2連勝」しながら「4連敗」。最後は敵地で宙に舞うミスターを背に、唇をかんだ。
東京ドーム元年の1988年。「リーグ2位」に終わった責任を取る形で巨人監督を退任し、94年から福岡へ。「20年連続Bクラス」のチームを「日本一」まで押し上げた。03年から「4年連続でV逸」した巨人から復帰待望論。それでも、監督退任後も福岡に骨を埋めた。
令和初の王座をつかみ「念願かなったの一言。完璧な形で何も言うことはない」と笑顔。巨人を投打で圧倒し「中身も上回ったという手応えを持てて、こんなにうれしいことはない。これからは(巨人が)『打倒ホークス』でかかってくるんじゃないか」と胸を張った。
ソフトバンクが「3年連続で日本シリーズを制した」工藤公康監督に、複数年契約で来季以降の指揮を要請したことが23日、分かった。就任から「5年連続2位」以上で、「2度の優勝」と「4度の日本一」。受諾に支障はなく、今後のチームについてもフロントと話をしている。「日本一」を見届けた後藤球団社長兼オーナー代行は「正式な話は終わってから」としつつ「工藤監督以上の監督はいないと思います」と期待した。
「4連勝」で「3年連続10度目の日本一」に輝き、胴上げされるソフトバンクの工藤公康監督=23日、東京ドーム
ソフトバンクは24日、工藤公康監督と来季から「2年契約」で合意したと発表した。就任 5年目の今季が契約最終年で球団は続投を要請していた。
工藤監督にとって 2年ぶり 3度目の「リーグ優勝」を目指した今季は「2年連続」で「2位」に終わったが、「クライマックスシリーズ(CS)」を突破し、球団初の「日本シリーズ3連覇」を達成。就任 5年目で 4度目の「日本一」に輝いた。
球団を通じ「来季はチーム一丸となり、『リーグ優勝』、そして『4年連続日本一』を目指し、精いっぱい頑張ります」と抱負を述べ「将来にわたって強いホークスであるための育成、強化に努めたい」と誓った。
声援に応えるソフトバンク工藤公康監督(右)=東京ドーム
◇工藤 公康(くどう・きみやす)
1963(昭和38)年 5月 5日生まれ、56歳。愛知県出身。名古屋電気(現愛工大名電)高から82年「ドラフト6位」で西武入団。95年にFAでダイエー(現ソフトバンク)へ移籍。巨人、横浜(現DeNA)を経て2010年に 復帰した西武で戦力外となり、所属がないまま11年に引退。通算成績は 635試合に登板、「224勝142敗3S、防御率3.45」。15年からソフトバンクの監督を務め、「リーグ優勝2度、日本一4度」。16年に野球殿堂入り。 175センチ、83キロ。左投げ左打ち。年俸 1億円。背番号「81」。
2019年 公式戦 順位表
クライマックスシリーズ セリーグ日程
日本シリーズ2019 日程