南信男球団社長(57)から「進退も含めて考えてみたらどうか」といわれ、10日間、熟考の末に決断。虎に名を刻んだ鉄人が21年のプロ野球人生に幕を閉じる。
アニキ・金本知憲外野手(44)が12日、兵庫・西宮市内のホテルで会見し、今季限りでの現役引退を表明した。
今季限りでの引退を表明した金本が、 1点を追う 9回裏一死 1塁から代打で登場。外角低め 144キロの直球をとらえた打球は、右中間を襲うライナー性の当たり。しかし、ヤクルト中堅手、比屋根のダイビングキャッチに安打を阻まれた。金本にとって節目の 1日となった試合を白星で飾れなかった。記事をまとめてみました。
アニキ・金本が12日、兵庫・西宮市内で今季限りでの現役引退を表明した。2010年に右肩を痛めた影響で、思うようなプレーができなかったことが要因になった。今後の去就は未定。1991年のドラフト 4位で広島入りし、2002年オフにFA宣言して阪神に移籍。1492試合連続フルイニング出場の世界記録だけでなく、歴代 7位の2532安打、同10位タイの 474本塁打をマーク。2003、2005年のリーグ優勝に貢献した鉄人が、一つの時代に幕を下ろした。
アニキ・金本が12日、兵庫・西宮市内で今季限りでの現役引退を表明した。2010年に右肩を痛めた影響で、思うようなプレーができなかったことが要因になった。今後の去就は未定。
アニキ・金本の引退会見につめかけた多くの報道陣
南球団社長から「進退も含めて考えてみたらどうか」といわれ、10日間、熟考の末に決断。虎に名を刻んだ鉄人が21年のプロ野球人生に幕を閉じる。
無数のフラッシュの中、21年間を凝縮した涙がこぼれ落ちた。慣れ親しんだ背番号「6」に身を包み、プロ野球生活への別れを告げた。10日間、一人悩み抜いての電撃発表。金本が今季限りでの引退を決めた。
「タイガースの歴史の中で一番強くて、お客さんが入って一番人気があるときにプレーさせてもらって、タイガースに来てからは幸せな野球人生だったと思います」
広島から2003年にFAで加入して、 2度のリーグ優勝に貢献した。2005年には打率 0.327、40発 125打点でリーグMVPも獲得。1492試合連続フルイニング出場という世界記録を樹立する中、弱虎を常勝軍団に変えた。だが、栄光の日々は暗転した。
球団からの進退勧告を受け、引き際を決断し引退会見で涙ぐむアニキ・金本
「この 3年間はみじめで自分がみっともなくて、かわいそうというか。自分で言うのもおかしいんですけど、こんなに苦しい人生はあるんかなという 3年間でした」
2010年に右肩を故障。懸命のリハビリを続け、プレーはできるようになったが、本来の姿にはほど遠かった。バックホームどころか、カットマンまで投げるのが精いっぱい。こだわりを持つ本塁打は今季 4本。 8月25日の広島戦(マツダ)では左翼守備でランニングホームランを許す屈辱も味わった。
南信男球団社長から花束を渡されたアニキ・金本
そんな中、“進退勧告”を受けた。 9月 2日の試合前。南球団社長から「進退も含めて考えてみたらどうかと」と話があった。慰留をされたわけでも、来季のコーチ要請があったわけでもない。来季に向け、若返りを図るチームにあって、進退は自分に委ねられた。功労者の心は揺れ動いた。
アニキ・金本が、今季限りでの現役引退を表明した。12日午後、兵庫・西宮市内のホテルで会見し、今季限りでの現役引退を表明した。「もっとやっておけば違ういい数字が残せたという思いと、よく頑張ったなという思いとがある。肩をこわしてからのこの 3年間はみじめ、自分がみっともなくてかわいそうという感じだった」と話した。
代打で出場し右前打を放ったアニキ・金本
プロ21年目の今季は、ここまで 109試合に出場し、打率 2割 5分 8厘、 4本塁打、26打点の成績。 9月 1日の広島戦(甲子園)を最後に先発を外れ、代打出場が続いていた。
角界からも惜しむ声が相次いだ。阪神ファンの枝川親方(42=元前頭蒼樹山)は「さみしいね。アニキがいなくなったら、とにかくさみしい。いいところで、打ってくれたもんね」としみじみ言った。元幕内力士で若者頭の花ノ国(52)は、今も阪神の選手と交流がある。「最近、ベンチに座っている顔を見て分かったよ。もうやめるのかなって。ここ一番に強かった。もう悔いはないでしょう」と金本の気持ちを思いやった。小学生のころからの阪神ファンという幕下格行司の木村亮輔(29)「みんなの手本になる選手だった。口で言うより、やるタイプ。横浜にも、そういう選手が 1人いれば、変わると思う」と話していた。
リボンビジョンに次々と表示されるアニキ・金本引退へのファンのメッセージ
▽金本のアンチエイジングに協力していた京都府立医大の吉川敏一学長の話:肩のけがさえなければ50歳までいけた。今後は彼のノウハウをほかの選手やアンチエイジング研究に生かしてほしい。
▽新井貴浩内野手の話:やはり寂しい。最後は金本さんらしい身の引き方で、さすが金本さんだなと思う。姿を見ているだけで言葉は要らない。それだけで勉強になった。
会場入りし恥ずかしそうに笑顔を見せるアニキ・金本
▽桧山進次郎(本名:黄進煥(ファン・ジンファン、ハングル:황진환))外野手の話:一緒に10年もやった。(プロ入りが)同期というのもあるし、簡単には語れない。一緒のユニホームで優勝も味わえた。寂しいのひと言。
▽鳥谷敬内野手の話:当たり前のようにいた先輩がいなくなるのは寂しい。まだ正直、実感が湧かない。練習する姿や試合に臨む姿など、背中を見てここまできた。自分もそういう先輩でいたい。
▽新井良太内野手の話:寂しい。まだ実感が湧かない。
2003年日本シリーズ阪神対ダイエー サヨナラ本塁打のアニキ・金本と星野監督
▽楽天・星野仙一監督の話(優勝した2003年の阪神監督):この10年で阪神の最大の功労者だろう。すごい選手。現役選手のかがみで、本当に頭が下がるくらいだった。こんな選手は出てこないだろう。いろいろな選手と一緒にやったけど、あいつがナンバーワンだな。
▽山本浩二・元広島監督の話:入団当初は技術的にまだまだだったが、一番大事な気持ちと闘争心がすごかった。大学を出て現役21年か。 474本塁打は努力以外のなにものでもない。
▽達川光男・元広島監督の話:けがに始まってけがに終わった野球人生。1492試合連続フルイニング出場は走攻守の三拍子がそろって初めて挑める偉大な記録だ。走れなければ代走を出されるし、守れなければ守備要員と代えられる。打てなければ言わずもがな。入団当時は体も細くて、江藤や緒方、前田智ら当時の若手と比べても物足りず、とても 1軍には上がれないだろうと思っていた。それが球史に名を残す選手になるまでには、壮絶な努力があった。本当にご苦労さんでした。
広島時代のアニキ・金本知憲=2000年 4月18日
▽広島・緒方孝市野手総合コーチの話:自分の中では本当にいいライバルだった。心強いチームメートだった。まだまだ頑張ってやれると思っていた。
▽広島・大野豊投手チーフコーチの話:どちらかというとけがの多い選手で、けがしないように体をつくってきた。オフの間もトレーニングを継続してきた。自分の弱さに気付いてそういうことをした。若い時に気付いたからここまでできたと思う。
客入りのまばらな甲子園の外野スタンドで「ありがとう金本」のボードを掲げるファン
▽ヤクルト・宮本慎也内野手の話:けがをしても試合に出続ける姿勢はプロとして見習う部分だった。近い年代の人は金本さんを目標にしてやってきた。言い訳をせずに黙々とやられている姿は素晴らしい。
▽巨人・原辰徳監督の話:前人未到のことを達成した人。さんぜんと野球界に輝き続ける選手の 1人だと思う。残り試合で金本選手らしい野球をやってもらいたい。
▽巨人・江藤智打撃コーチ(広島時代の同僚)の話:けががあってもけがをおしてでも出て大記録を達成した選手。本当にご苦労さまでした。一緒にやってきたから寂しいですね。
▽巨人・高橋由伸外野手の話:えっ!? まだまだやるんだろうなと思って見ていました。ビックリしました。
引退会見を行うアニキ・金本。母親や家族の話題になると涙ぐんだ
▽中日・和田一浩の話:目標にしていた選手だった。残念です。思い出はいっぱいある。燃え尽きるためにやっていたから、最後はけがも多かったけど、それがなければもっとすごい成績を残していた。
▽中日・谷繁元信捕手の話:いつも元気な人だった。一番対戦が多いと思う。広島で出たてのころから、ずっと一緒にやってきた方。いろいろ思いもあると思うが、いつかはそういう時期が来る。
▽ソフトバンク・小久保浩樹内野手の話:同じ年にやめるというのは縁を感じる。選手の寿命が延びたのも、こういった先輩がいたから。連続フルイニング出場の世界記録は抜かれることはない。まねできることじゃない。
▽広島・町田公二郎打撃コーチ(広島に同期入団し阪神でも同僚)の話:人間的にも好きだし、プレーする心意気がすごい。阪神にも先に行かれて、縁みたいなものを感じる。一緒に入ったから余計に寂しい。
▽オリックス・高代延博ヘッドコーチ(広島時代のコーチ)の話:ああいう選手がいなくなるのは寂しい。努力に関して金本の右に出るものはいない。若手にとって見本になる選手。
▽野村克也・元楽天監督の話:わたしと同じで、もともと大きな期待を受けずにプロ入りし、誰にも負けない努力でここまでやってきた。努力家タイプの典型である好打者の引退は残念だ。努力と挫折を繰り返した者だからこそ、経験を生かした指導者になれるはずだ。
▽阪神・坂井信也オーナーの話:リーグ優勝の原動力となり、後輩の手本としてチームを引っ張ってきてくれた。功績を挙げればきりがない。連続フルイニング出場は想像を絶する努力のたまもの。
9回、新井の後ろでネクストバッターズサークルに立つアニキ・金本
今季限りでの引退を表明した金本が、 1点を追う 9回裏一死 1塁から代打で登場した。ヤクルト・バーネットの投じたカウント 3ボール 1ストライクからの 5球目。外角低め 144キロの直球をとらえた打球は、右中間を襲うライナー性の当たり。しかし、ヤクルト中堅手、比屋根のダイビングキャッチに安打を阻まれた。続く代打桧山も倒れ、ゲームセット。金本にとって節目の 1日となった試合を白星で飾れなかった。
中飛に終わり、悔しげに地面を蹴るアニキ・金本
阪神が金本の背番号「6」を永久欠番として検討していることが12日、分かった。南球団社長は「今日の時点で何も申し上げることはできません」と話すにとどめたが、藤村富美男の「10」、村山実の「11」、吉田義男の「23」に続き、球団史上 4人目の欠番になる可能性が出てきた。
金本は生え抜きではないが、2002年オフに阪神に移籍してから通算2000安打、1492試合のフルイニング出場を達成。「阪神で言えば、巨人のONのような存在だ」と球団首脳も功績をたたえており、シーズン終了後に電鉄本社サイドの意向も確認した上で本格的に話し合う。
引退試合についても、金本にとって古巣との直接対決となる29日の広島戦、もしくは本拠地最終戦となる10月 5日のヤクルト戦(いずれも甲子))を候補に調整を図る。
試合前、ヤクルト・宮本(右)と握手をかわすアニキ・金本
ヤクルトの宮本慎也内野手が12日、来季の現役続行を表明した。
今季は史上最年長で通算2000本安打を達成した。しかし、成績には不満を持っており「もう 1年という気持ちはなかった」と 1度は引退を決意した。その後、 9日に続投が決まった小川監督から「(来年も)一緒にやろう」と言われ「(小川監督は)僕が入団した時のスカウトで、その人のためになら 1年頑張れそうな気がした。こんな成績で申し訳ないが、監督を胴上げするためにもう 1度やりたい」と決意した。球団側も宮本の現役続行を望んでおり、近日中に衣笠球団社長兼オーナー代行が本人と話し合う。
この日の試合前、引退を表明した金本とグラウンド上で談笑。「『お疲れさまでした』と言って、40過ぎでやっている人にしか分からない話をしました。尊敬する選手。けがしても試合に出続ける姿勢は見習う部分があった」と偉大な野球人の意思はしっかり引き継ぐ。
アニキ・金本は必ず帰って来る。それも、背番号を「6」から大きな番号に変えて。場合に寄っては、来季からそれは来るかも知れない。それ程の大選手だった。
プロ21年目の今季だったが、今まで実に凄い記録を築いてきた。野村克也・元楽天監督が言う様に、入団した時のドラフト順位が物語っている。D4での入団だった。この順位は何を意味しているかというと、一軍に上がれなければ数年で「サヨウナラ」となるギリギリ順位だったのだ。それを自分の努力で肉体改造まで行い頑張って来た。それで、ファンだけでは無く他球団ファンからも「衣笠二世」とか、「鉄人」という名称を貰い頑張って来た。
そんな選手にも引退する時が来たのですね。今まで本当にお疲れ様でした。これからは、後輩の育成に頑張ってください。
◆金本 知憲(かねもと・ともあき9:1968年 4月 3日、広島市生まれ。44歳。広陵高校から東北福祉大學を経て、1991年ドラフト 4位で広島入り。2002年オフにFAで阪神移籍。2003、2005年の 2度のリーグ優勝に貢献した。2005年は打率 3割 2分 7厘、40本塁打、 125打点でMVPに輝いた。ベストナインには 7度選出。 180センチ、88キロ。右投左打。
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