●日本高野連と朝日新聞社は20日、「第102回全国高校野球選手権大会」( 8月10日開幕予定)の「WEB運営委員会」を開き、中止を決定した。「新型コロナウイルス感染」は減少傾向にあるが、安全確保が難しいと判断し、「49地方大会」も中止とした。地方大会に代わる都道府県の独自大会開催は地方の自主性に任せる方針。今春の選抜大会に続く全国大会の中止となった。
●夏の甲子園大会中止の決定を受け、横浜高(神奈川)で春 3度、夏 2度の優勝を誇る渡辺元智氏(75)は20日、教え子の松坂大輔投手(39=現西武)にも授けた“金言”を球児に送った。何とか夏の甲子園を開催できないか、と今でも思っている。50年間ほど指導してきた中でもなかった、まさに国難。指導者がどれだけ各選手を思ってやれるか、寄り添ってやれるかを考えなければならない。監督就任後、勝つことだけを求め、厳しい練習を課していた私が、部員が増えて試合に出られない者が出てきた頃に「無駄な若者は一人もいない」と伝えたという記述がある。ベンチ入りが難しくなった選手とは、できるだけ会話するようにしていた。その中から、率先してグラウンド整備をする部員も現れ、「公式戦44連勝」を支えてくれた。小、中学生の時に輝いていた彼らは将来、野球界で活躍する夢を描いて入部している。そこに楽しい経験はなくても「耐えること」を学び、多くの選手たちが今は立派な社会人として活躍している。明治維新から今日まで、若者が立ち上がって日本は復興してきた。 3年生が、「新型コロナウイルス」の影響で苦しんでいる人や後輩のため元気になる言葉を贈れるような、「人生の勝利者」としてたくましく生きていってくれることが、大きな価値になるのではないかと思う。
●夏の甲子園大会中止の決定を受け、開星(島根)の野々村直通監督(68)が20日、発言。数々の直言で話題をまいてきた名物監督が代替大会の重要性を語った。前監督の不祥事による辞任で 3月に 8年ぶりに監督に復帰した。しかし、野々村監督は春休みから 2週間だけ練習を見ただけで、活動休止に追い込まれた。そして夏の甲子園大会が中止。 6月からようやく活動を再開できそうな状況だっただけに納得できなかった。今回は落胆だけ。親交のある青学大陸上部・原晋監督(53)がツイッターで共鳴したという。大学、プロに行ける選手は一握り。 9割は燃え尽きて、これが最後の野球の場になるだろう、という思いがある。開星の場合、残る希望は島根独自で行う代替大会になる。県高野連は 7月10日から24日の当初日程を、 7月末まで視野に準備している。
●「2017年夏の甲子園大会」を制した花咲徳栄(埼玉)の主将、井上朋也内野手( 3年)は20日、埼玉・加須市の同校でオンライン取材に応じた。「6年連続8度目の出場」を目指していた夏の甲子園中止が決まったことを受けコメント。今秋の「ドラフト候補」は、埼玉県高野連が構想する「夏の埼玉大会」(仮称)での活躍を目指す。また、連覇が懸かっていた履正社(大阪)など有力校、名門校からも無念の声が相次いだ。選抜大会中止決定後の 3月19日、埼玉・加須市のグラウンドで選抜旗を手に仮想の入場行進をしてから 2カ月。井上は、春に続く悲しい知らせを静かに受け止めた。昨年までPL学園に並ぶ「歴代3位」の 5年連続でプロ野球選手を輩出している花咲徳栄。今年、「ドラフト候補」に期待されているのが、昨秋まで高校通算「47本塁打」を放った右のスラッガー井上だ。選抜大会で通算「50号」を達成するためティー打撃、フリー打撃で 1.5キロの金属バットを振ってパワーアップに努めてきたが、夢は幻に。選抜中止決定後の 1カ月は、左翼から右翼までのフェンス際に砂を埋めた約 150メートルの“徳栄ビーチ”を走り込み、体力作りに励んだ。しかし、夏の舞台も失われてしまった。岩井隆監督(50)は、自宅にいる生徒に無料通信アプリLINEでこう伝えたことを明かした。埼玉県高野連は代替大会の開催を前向きに検討している。井上は通算「50号」達成と、その後の「ドラフト指名」を目指し、鍛錬を続ける。
●元近鉄、阪神で2014年から母校を指導する天理(奈良)の中村良二監督(51)は20日、今後想定される各都道府県独自の大会に向けて、独自のアイデアを披露した。
●あらゆるスポーツができないこのご時世、今回の中止決定は無理もない。球児はかわいそうだけど、高校野球というものは教育の一環でやっているわけだから。大会自体がなくなるというのは、なにも高校野球だけでなく、スポーツに関わる多くの人が同じような思いをしている。裏を返せばみんな、目指す場所へ行けなかったということ。感情論で球児がかわいそうと言い続けても仕方がない。中止も一つの人生と思わないといけない。もちろん、個人的には試合をやらせてあげたい。だから、大会に代わるようなものをやってあげてもいいのかなと思う。大人は子供たちの心のよりどころを作ってあげないといけない。
記事をまとめてみました。
日本高野連と朝日新聞社は20日、「第102回全国高校野球選手権大会」( 8月10日開幕予定)の「WEB運営委員会」を開き、中止を決定した。「新型コロナウイルス感染」は減少傾向にあるが、安全確保が難しいと判断し、「49地方大会」も中止とした。地方大会に代わる都道府県の独自大会開催は地方の自主性に任せる方針。今春の選抜大会に続く全国大会の中止となった。
大阪桐蔭・西谷浩一監督
大阪桐蔭・西谷監督は「 3年生のことを考えると心が痛い」と言葉を絞り出した。一昨年は史上初の 2度目の「春夏連覇」を達成したが、昨年は 8年ぶりに春夏とも甲子園出場を逃し、今年は出場が決まっていた春の選抜大会が中止になった。「(指揮官として)何もしてやれない無力さを感じるが、子供たちが何とか前に進めるよう考えていかないといけない」と自らを奮い立たせた。
夏の甲子園大会中止の決定を受け、横浜高(神奈川)で春 3度、夏 2度の優勝を誇る渡辺元智氏は20日、教え子の松坂大輔投手(現西武)にも授けた“金言”を球児に送った。
何とか夏の甲子園を開催できないか、と今でも思っている。50年間ほど指導してきた中でもなかった、まさに国難。指導者がどれだけ各選手を思ってやれるか、寄り添ってやれるかを考えなければならない。
以前に出していただいた自著『若者との接し方』(角川書店)を読み返した。監督就任後、勝つことだけを求め、厳しい練習を課していた私が、部員が増えて試合に出られない者が出てきた頃に「無駄な若者は一人もいない」と伝えたという記述がある。
ベンチ入りが難しくなった選手とは、できるだけ会話するようにしていた。その中から、率先してグラウンド整備をする部員も現れ、「公式戦44連勝」を支えてくれた。
小、中学生の時に輝いていた彼らは将来、野球界で活躍する夢を描いて入部している。しかし、私は「勝つことは目標だが、甲子園を手段にするな」と言ってきた。そこに楽しい経験はなくても「耐えること」を学び、多くの選手たちが今は立派な社会人として活躍している。
横浜高監督時代の渡辺元智氏。高校球児に金言を授けた
春夏とも甲子園出場の機会を失い、奈落の底に沈んだ思いでいる球児に、昔の話が簡単に伝わるとは思わない。ただ、松坂大輔(現西武)がプロに入り、インタビューで「目標がその日、その日を支配する。人生の勝利者になりたい」と話していたことを思い出す。私が横浜高を創設した黒土四郎先生から学び、伝えた言葉だ。好きな野球とはいえ、栄光の後で必死にもがいている松坂の姿は、今の高校球児の目にも映っているはずだ。
明治維新から今日まで、若者が立ち上がって日本は復興してきた。 3年生が、「新型コロナウイルス」の影響で苦しんでいる人や後輩のため元気になる言葉を贈れるような、「人生の勝利者」としてたくましく生きていってくれることが、大きな価値になるのではないかと思う。 (横浜高元監督)
◇渡辺 元智(わたなべ・もとのり)
1944(昭19)年11月 3日生まれ、75歳。神奈川県出身。旧名・元(はじめ)。横浜高では外野手で、神奈川大中退。65年から横浜高のコーチを務め、68年に監督就任。教職免許を取得し、社会科教諭になる。73年の選抜で「初出場初優勝」。98には松坂大輔(現西武)を擁して「春夏連覇」。甲子園では監督として「歴代4位タイ」の「通算51勝(22敗)」を挙げ、「優勝」は春 3度、夏 2度。2015年夏の神奈川大会を最後に監督を退任。
夏の甲子園大会中止の決定を受け、開星(島根)の野々村直通監督が20日、「命がけでやってきた 3年生の機会がなくなった。それでいいのかということ」と発言。数々の直言で話題をまいてきた名物監督が代替大会の重要性を語った。
前監督の不祥事による辞任で 3月に 8年ぶりに監督に復帰した。しかし、野々村監督は春休みから 2週間だけ練習を見ただけで、活動休止に追い込まれた。そして夏の甲子園大会が中止。 6月からようやく活動を再開できそうな状況だっただけに納得できなかった。
「 3年生の思いがあるので、どういう状況でもチャレンジせずに終わるのはね。(屋)外の競技で『3密』もなく離れた状態。言いたいのは、 3年生は命がけでやってきている。それをなくしていいのかということです」
選抜中止のときは「(日本高野連が最後まで)開催の道を求めていた。『夏があるよな』と 3年生にも言えた」というが、今回は落胆だけ。
「生徒の命が大事というのは確かにそうなんだけど。(夏の甲子園が)中止になるかもしれないが、どうやったらやらせてあげられるかが、(事前に球児に)伝わっていれば。今年だけはしようがないよな(という雰囲気)だったような気がする」
日本高野連の姿勢に疑問を呈した開星・野々村直通監督。高校球界のご意見番だ
親交のある青学大陸上部・原晋監督がツイッターで「しかし、これからの日本を背負う若者がスポーツを通じて人格形成を養う大切な徳育の場が失われることがあっていいものか!?」などと発信。「高校野球も陸上もできる。なんでやめるの、ということでしょう」と共鳴したという。
大学、プロに行ける選手は一握り。 9割は燃え尽きて、これが最後の野球の場になるだろう、という思いがある。
「熱中症(が心配)とかいうのなら今年だけベンチ入り(メンバー)を18人から25人に増やすとか、そういう規約を作れないのかな。球数制限もあるんだから」
開星の場合、残る希望は島根独自で行う代替大会になる。県高野連は 7月10日から24日の当初日程を、 7月末まで視野に準備している。「私は来年があるが、彼ら3年にはないんだから。県大会はぜひ可能にしてほしいですね」と期待した。
◇野々村直通(ののむら・なおみち)
1951(昭和26)年12月14日生まれ、68歳。島根県出身。大東高から広島大に進み、 4年時に大学選手権に内野手で出場。府中東高監督として79年選抜大会初出場。松江日大高から88年に松江第一高(現開星高)監督。2010年の選抜初戦で「21世紀枠校」に敗れ「末代までの恥」」「腹を切りたい」と発言し、物議をかもし辞任。11年復帰、12年に再び辞任。20年 3月に復帰。甲子園出場は春 3、夏 7度の計10度。通算「3勝10敗」。
「2017年夏の甲子園大会」を制した花咲徳栄(埼玉)の主将、井上朋也内野手( 3年)は20日、埼玉・加須市の同校でオンライン取材に応じた。「6年連続8度目の出場」を目指していた夏の甲子園中止が決まったことを受け「前を向いて頑張っていきたい」とコメント。今秋の「ドラフト候補」は、埼玉県高野連が構想する「夏の埼玉大会」(仮称)での活躍を目指す。また、連覇が懸かっていた履正社(大阪)など有力校、名門校からも無念の声が相次いだ。
選抜大会中止決定後の 3月19日、埼玉・加須市のグラウンドで選抜旗を手に仮想の入場行進をしてから 2カ月。井上は、春に続く悲しい知らせを静かに受け止めた。
「夏の大会に向けて努力をしてきたことをパフォーマンスできないのは悔しいですが、甲子園が全てではないので、(次の)進路に向けて頑張っていきたい」
昨年までPL学園に並ぶ「歴代3位」の 5年連続でプロ野球選手を輩出している花咲徳栄。今年、「ドラフト候補」に期待されているのが、昨秋まで高校通算「47本塁打」を放った右のスラッガー井上だ。
選抜大会で通算「50号」を達成するためティー打撃、フリー打撃で 1.5キロの金属バットを振ってパワーアップに努めてきたが、夢は幻に。選抜中止決定後の 1カ月は、左翼から右翼までのフェンス際に砂を埋めた約 150メートルの“徳栄ビーチ”を走り込み、体力作りに励んだ。しかし、夏の舞台も失われてしまった。
井上朋也内野手は2018年夏の甲子園に 1年生で出場。鳴門戦の 8回に 2点 2塁打を放った=阪神甲子園球場
「常々、高校で一番大事なことは進路決定、そして2番目に甲子園があると言い続けてきた。もう一つの目標があるのだから、前へ向かっていくことを忘れないでやらないといけない」
岩井隆監督は、自宅にいる生徒に無料通信アプリLINEでこう伝えたことを明かした。埼玉県高野連は代替大会の開催を前向きに検討している。井上は通算「50号」達成と、その後の「ドラフト指名」を目指し、鍛錬を続ける。
◇井上 朋也(いのうえ・ともや)
2003(平成15)年 1月28生まれ、17歳。大阪・四條畷市出身。小学生時は軟式の畷ファイターズでプレー。四條畷中時代は奈良・生駒ボーイズに所属し、 3年夏には「全日本中学野球選手権大会ジャイアンツカップ」に出場。埼玉・花咲徳栄高では 1年時から 2年連続で夏の甲子園に出場。甲子園通算 3試合に出場し、「打率0.385、0本塁打、2打点」。 181センチ、82キロ。右投げ右打ち。
元近鉄、阪神で2014年から母校を指導する天理(奈良)の中村良二監督は20日、今後想定される各都道府県独自の大会に向けて、独自のアイデアを披露した。
「もし、開催されるのなら、 3年生だけの大会にしてほしい。 3年生全員が出場機会を与えられるような大会にしてくれたら、もうひと踏ん張りしようかという気持ちになれると思う」
天理・中村良二監督
現状のルールではベンチ入りできるのは20人まで。天理の 3年生は25人であるため、指揮官としての親心をみせた。
「うちよりも多くの 3年生がいる学校もあります。そういう学校は 2チーム出場してもよいのでは…。選手には、野球を好きで(高校生活を)終えてほしい」と願った。
あらゆるスポーツができないこのご時世、今回の中止決定は無理もない。球児はかわいそうだけど、高校野球というものは教育の一環でやっているわけだから。
大会自体がなくなるというのは、なにも高校野球だけでなく、スポーツに関わる多くの人が同じような思いをしている。裏を返せばみんな、目指す場所へ行けなかったということ。感情論で球児がかわいそうと言い続けても仕方がない。中止も一つの人生と思わないといけない。
もちろん、個人的には試合をやらせてあげたい。だから、大会に代わるようなものをやってあげてもいいのかなと思う。大人は子供たちの心のよりどころを作ってあげないといけない。
江本孟紀氏
だが、球児が甲子園を目標に頑張ってきたのは分かるけど、それだけが野球人生ではない。
エモトも高知商高 3年春、選抜出場を決めながらも大会直前、控え部員の暴力行為が発覚し、連帯責任で出場取り消し。しかも、 1年間の対外試合禁止。夏の甲子園に出られなかったが、法大を経てプロでは11年間プレーし、「8年連続2桁勝利」など通算「113勝」を挙げることができた。
球児にはこの先も大学、社会人、独立リーグ、クラブチーム、プロ野球…と、まだ野球ができる場所はある。だから、感情的にならずに次の目標を持て、と言葉を送りたい。 (サンスポ専属評論家)