●落語家の林家こん平さん(はやしや・こんぺい、本名笠井光男=かさい・みつお)が17日午後 2時 2分に「誤嚥(ごえん)性肺炎」のため亡くなった。77歳だった。所属の落語協会が21日、発表した。葬儀は近親者のみで19日に執り行ったという。「新型コロナウイルスの感染拡大」が収束した後に、「お別れ会」を開くという。こん平さんは、新潟県千谷沢村出身で、中学卒業後、初代林家三平さん宅に押しかけて入門。二ツ目時代の1966年(昭41)から日本テレビ系「笑点」に出演。三平さんが80年に54歳の若さで亡くなった後は、林家一門を引っ張った。「1、2、3、チャラ~ン」のギャグで人気者に。07年 6月に監督を務める「らくご卓球クラブ」発足20周年記念パーティーで、 2年10カ月ぶりに公の場に姿を見せた。07年 9月には「林家三平追善 林家一門会」にトリで登場し、3年ぶりに持ちネタ「チャラーン」を披露していた。晩年は国指定の難病、「多発性硬化症」や「小脳梗塞」など病魔と闘い続けたが、力尽きた。同じ新潟県出身で近年交流があった落語家、瀧川鯉津(46)によると、最後に会った今年 3月には介護認定が「要介護」から「要支援」になるまで元気になっていたといい、突然の訃報に驚いていた。葬儀・告別式は19日に近親者のみで執り行われ、落語家仲間には21日に訃報が伝えられた。趣味は小学 4年から続けた卓球。87年に三遊亭小遊三(73)ら落語家仲間と「らくご卓球クラブ」を結成。「全日本クラブチーム選手権」の常連で、都内の卓球道場で週 1回、 3~ 4時間打ち続けたことから自らを「お笑いスマッシュ人間」と呼んだほど。2002年にスイスで行われた「世界ベテラン卓球選手権大会」では小遊三とダブルスを組み、「ベスト16」に進出。スポーツマンとしても一流だった。それが一転、晩年は病との闘いが続いた。2004年に声帯を痛めて入院。05年に退院したが、「多発性硬化症」を発症していたことを公表。以降、手足のまひや思うように声が出せなくなるなど、リハビリ生活を余儀なくされる。13年には「糖尿病」を併発し、心肺停止状態になったこともあった。それでも復帰への情熱は失うことがなかった。17年に行われた「都電落語会」に車椅子で登場し、 1年半ぶりに卓球を披露。昨年 4月に「小脳梗塞」で緊急入院するも、同 8月の「都電落語会」でも卓球する雄姿を見せた。落語と卓球をこよなく愛し、人懐っこい笑顔で全国に笑いを届けたこん平さんが、人知れず天国へ旅立っていた。
●大学入学を巡る週刊新潮の記事の「名誉毀損訴訟」で勝訴したお笑いコンビ「爆笑問題」の太田光さん(55)は21日、東京都内で記者会見し訴えた。「日本大芸術学部」に裏口入学したとする週刊新潮の記事で名誉を毀損されたとして、発行元の新潮社に約3300万円の損害賠償と謝罪広告の掲載を求めた訴訟で、東京地裁は21日、名誉毀損を認めて同社に 440万円の支払いとインターネット上の記事の削除を命じる判決を言い渡した。判決で田中孝一裁判長は、記事が真実であると信じる相当な理由があったとは認められないと指摘。太田側は、中づり広告で写真を使われたのは、名前や写真から生じた利益を独占できる「パブリシティー権」の侵害に当たるとも主張したが、田中裁判長は認めなかった。新潮社が控訴する意向を示したのを踏まえ、太田さん側も控訴する方向で検討しているという。
記事をまとめてみました。
林家こん平さん (2018年 8月22日撮影)
落語家の林家こん平さん(はやしや・こんぺい、本名笠井光男=かさい・みつお)が17日午後 2時 2分に「誤嚥(ごえん)性肺炎」のため亡くなった。77歳だった。所属の落語協会が21日、発表した。葬儀は近親者のみで19日に執り行ったという。「新型コロナウイルスの感染拡大」が収束した後に、「お別れ会」を開くという。
こん平さんは、新潟県千谷沢村出身で、初代林家三平さんに師事。二ツ目時代の1966年(昭41)から日本テレビ系「笑点」に出演。三平さんが80年に54歳の若さで亡くなった後は、林家一門を引っ張った。
ただ、04年 8月に声帯を痛めて入院。05年に退院したが、多発性硬化症(MS)を発症していたと公表。「笑点」も休演し、その後、長期のリハビリが続いた。07年 6月に監督を務める「らくご卓球クラブ」発足20周年記念パーティーで、 2年10カ月ぶりに公の場に姿を見せた。07年 9月には「林家三平追善 林家一門会」にトリで登場し、3年ぶりに持ちネタ「チャラーン」を披露していた。
近年では、18年 8月22日に都内で行われた、14年から主宰する「都電落語会」 4周年を祝う会に出席。席上で「ありがとうございます。しゃべってこなかったけれど、『1、2、3、チャラーン』」と、おなじみのギャグを披露し「幸せです。だいぶ良くなった。いい気分です」と話していた。
「第1回都電落語会」に車いすで出席したこん平さんは、三遊亭小遊三さん(右)とチャラ~ン!=2014年 8月
落語家、林家こん平(本名・笠井光男=かさい・みつお)さんが17日午後 2時 2分、東京都内の自宅で「誤嚥性(ごえんせい)肺炎」のため死去したことが21日、分かった。77歳だった。19日に家族葬を執り行い、この日発表された。中学卒業後、初代林家三平さん宅に押しかけて入門。日本テレビ系「笑点」に出演し、「1、2、3、チャラ~ン」のギャグで人気者に。晩年は国指定の難病、「多発性硬化症」や「小脳梗塞」など病魔と闘い続けたが、力尽きた。「コロナ収束」後に「お別れの会」を開く予定。
落語と卓球をこよなく愛し、人懐っこい笑顔で全国に笑いを届けたこん平さんが、人知れず天国へ旅立っていた。
リハビリを続けていた東京・豊島区の自宅で「誤嚥性肺炎」を患い、17日午後、息を引き取った。同じ新潟県出身で近年交流があった落語家、瀧川鯉津によると、最後に会った今年 3月には介護認定が「要介護」から「要支援」になるまで元気になっていたといい、突然の訃報に驚いていた。葬儀・告別式は19日に近親者のみで執り行われ、落語家仲間には21日に訃報が伝えられた。
真打ち昇進披露で師匠の林家三平さん(左から 3人目)の弟子入りの頃の話に顔をくしゃくしゃにする林家こん平さん(左端=当時29歳) (1972年 9月11日)
こん平さんは中学卒業後、芸で身をたてようと米一俵を担いで上京。ラジオで好きになった初代三平さんの東京・根岸にある自宅に押しかけて、入門を許された。
1962年に二つ目に昇進。66年から日本テレビ系「笑点」に出演し、大喜利のレギュラーに。「チャラ~ン、ふるさとの男ッ」と大声で自己紹介するなど、おもいっきりはしゃぐ明るいボケキャラに徹し、一躍人気者に。72年に東京・帝国ホテルで1200万円をかけて開いた「真打ち昇進披露宴」は、その豪華さが話題になった。
三平さんが他界した80年からは林家一門を引っ張り、仕事で呼ばれればどんな田舎にも出かける人情派で、なまりを直すため英会話スクールに通うほどの努力家。頻繁に海外旅行に出かけては日本の芸能を伝えるなど、はなし家きっての国際派としても知られた。
趣味は小学 4年から続けた卓球。87年に三遊亭小遊三ら落語家仲間と「らくご卓球クラブ」を結成。「全日本クラブチーム選手権」の常連で、都内の卓球道場で週 1回、 3~ 4時間打ち続けたことから自らを「お笑いスマッシュ人間」と呼んだほど。2002年にスイスで行われた「世界ベテラン卓球選手権大会」では小遊三とダブルスを組み、「ベスト16」に進出。スポーツマンとしても一流だった。
24時間テレビで、笑点メンバーに迎えられた林家たい平さん(前列右)はこん平師匠(前列左)と手をつなぎ、歌を熱唱した=武道館(2016年8月28日撮影)
それが一転、晩年は病との闘いが続いた。2004年に声帯を痛めて入院。05年に退院したが、「多発性硬化症」を発症していたことを公表。以降、手足のまひや思うように声が出せなくなるなど、リハビリ生活を余儀なくされる。13年には「糖尿病」を併発し、心肺停止状態になったこともあった。
それでも復帰への情熱は失うことがなかった。17年に行われた「都電落語会」に車椅子で登場し、 1年半ぶりに卓球を披露。昨年 4月に「小脳梗塞」で緊急入院するも、同 8月の「都電落語会」でも卓球する雄姿を見せた。
天国ではリハビリ生活から解放され、「チャラ~ン」と大声を上げながら思う存分、ラケットを振っているに違いない。
▽林家 こん平(はやしや・こんぺい)
本名・笠井光男。1943(昭和18)年 3月12日、 6人兄弟の末っ子として新潟県刈羽郡千谷沢村(現・長岡市)に生まれ、本人は故郷を「チャーザー村」と呼んでいた。中学卒業後、初代林家三平に入門。当時は痩せていて、目がつり上がってキツネに似ていたことが芸名の由来。2006年に所属する「落語協会相談役」に就任。
お笑いコンビ「爆笑問題」の太田光が、「日本大芸術学部」に裏口入学したとする週刊新潮の記事で名誉を毀損されたとして、発行元の新潮社に約3300万円の損害賠償と謝罪広告の掲載を求めた訴訟で、東京地裁は21日、名誉毀損を認めて同社に 440万円の支払いとインターネット上の記事の削除を命じる判決を言い渡した。
判決で田中孝一裁判長は「取材源とされる人物が話した内容について、十分な検討や裏付け取材を行ったとは言い難い」とし、記事が真実であると信じる相当な理由があったとは認められないと指摘。「原告の社会的評価を看過できない程度に低下させた」とした。
謝罪広告については「各種メディアを通じて被害の回復を図ることが一定程度可能であるとの事情を考慮し、必要性が認められない」とした。
太田側は、中づり広告で写真を使われたのは、名前や写真から生じた利益を独占できる「パブリシティー権」の侵害に当たるとも主張したが、田中裁判長は「記事の見出しを補足する目的で使用されたものだ」として認めなかった。
新潮社は「大変残念で遺憾に思う。控訴して真実性を立証する」とのコメントを出した。
新潮社に損害賠償などを求めた訴訟の判決を受け、記者会見する「爆笑問題」の太田光さん=21日午後、東京都内のホテル
大学入学を巡る週刊新潮の記事の「名誉毀損訴訟」で勝訴したお笑いコンビ「爆笑問題」の太田光さんは21日、東京都内で記者会見し「父親の名誉が傷ついてしまったことはもどかしい。雑誌を売るためでも、こういうことはしてほしくないと思った」と訴えた。
週刊新潮は2018年に「爆笑問題『太田光』を日大に裏口入学させた父の溺愛」と題した記事を掲載。東京地裁は21日、「名誉毀損」を認め、発行元の新潮社に 440万円の支払いとインターネット上の記事の削除を命じる判決を言い渡した。
太田さんは判決後、ホテルの会場にスーツ姿で現れ、報道陣に「『名誉毀損』を認めてもらい、納得はしている。芸人なので、全部ネタにしていきたい」と前向きに語った。
一方、「謝罪広告の掲載」が認められなかったことに「非常に人の目につきやすい中づり広告だけを見て『太田、裏口』という印象を持つ人もいる。そういう意味では載せてほしかった」と話した。
新潮社が控訴する意向を示したのを踏まえ、太田さん側も控訴する方向で検討しているという。
こん平師匠に、「チャラ~ン」と心よりお悔やみ申し上げます。天国に行って、初代三平師匠と落語会をお楽しみください。