第85回選抜高校野球大会第 2日は23日、甲子園球場で 4試合を行い、初の21世紀枠対決は、戦後最短 1時間16分の戦いとなり、福島県立いわき海星(福島いわき市小名浜)は、遠軽(北海道)に<遠軽 3- 0いわき海星>で敗れた。大会史上初の21世紀枠同士の対決を制した遠軽は 2回戦に進んだ。記事をまとめてみました。
歴史的初勝利。日本最北端からの初出場を果たした遠軽ナインが、甲子園で勝った。佐藤貴之監督は「本当にうれしくて…。奇跡とまぐれだった」と喜びをかみしめた。
いわき海星と史上初の21世紀枠対決。両校ともに投手がテンポよく投げ、バックも好守が目立った。試合時間は 1時間16分。1932年に行われた第 9回大会の京都師範―海草中の史上最短 1時間15分に迫る 2位タイの記録だった。指揮官は「(いわき海星の)若林監督とは、見てくれる人に対して、いい試合をしようと話した。そういう試合になったのでは。21世紀枠としての役目は果たせたかなと思う」と胸を張った。
大会史上最短に迫る 1時間16分で試合を終了した遠軽―いわき海星戦のスコアボード。手前は整列する両校ナイン
第85回選抜高校野球大会第 2日は23日、甲子園球場で 4試合を行い、盛岡大付(岩手)、聖光学院(福島)、鳴門(徳島)が 3回戦に進出し、大会史上初の21世紀枠同士の対決を制した遠軽(北海道)は 2回戦に進んだ。
初の21世紀枠対決は、戦後最短 1時間16分の戦いとなり、いわき海星(福島いわき市小名浜)は、遠軽に<遠軽 3- 0いわき海星>で敗れた。
遠軽は 6回、安打と四球などの二死 1、 2塁で 4番柳橋が中越え 3塁打を放ち、自らも中継ミスの間に生還して 3点を先取。前田は 3安打無四球の安定した投球で完封した。
完封勝利した遠軽エース前田知輝投手
いわき海星は左腕の鈴木が丁寧なピッチングを見せたが、勝負どころで甘い球をはじき返された。打線は 3回一死 3塁の先制機を逃したのが響いた。 0- 0で迎えた 6回裏二死 1、 2塁。鈴木悠太投手( 3年)のストレートの甘い球を、遠軽 4番柳橋倖輝( 3年)に中越えに運ばれ、中継の乱れもあって 3点を許した。
それでも若林亨監督(46)は、最後まで粘り強く戦った選手を「いつも通り元気はつらつのプレーで、よく頑張ってくれた」と褒めたたえた。
いわき海星打線を 3安打完封した遠軽・前田知輝投手( 3年)は「守備に助けられた。リズムに乗れて投げやすかった」と仲間への感謝を口にした。
3回、一死 3塁のピンチで 3塁線の鋭い打球を主将の柳橋が好捕。無失点で切り抜けると、「調子が良かった」と言うフォークボールを交えて、打ち気にはやる相手に的を絞らせず 9回を84球で終えた。
いわき海星ナインは初戦で敗れ甲子園球場を後にする
震災当時の福島県立いわき海星高校
(2011年05月02日(月)のブログ:福島県いわき市の東日本大震災被災地に行って来ました-2011.04.29編(3)より)
いわき海星は、健闘及ばず全国初勝利には届かなかった。 6回にエース鈴木がつかまると、打線は 3安打に抑えられた。主将の坂本は「もっと鈴木をバックアップできれば…」と悔やみ、何度も涙を拭った。
部員は今大会最少の16人。東日本大震災では壊滅的な津波被害を受け、野球用具も流された。野球どころではない中、入学した現在の 3年生たちは、がれきの中から野球用具を捜すことからスタート。全国からの多くの支援と声援を受けながら苦境を乗り越え、夢の舞台にたどり着いた。「お世話になった方々に、スタンドの皆さんに、また帰ってこいと言われたことに、感謝しかない」と若林亨監督。グラウンドはいまだに修復工事中で使用不能。それでも、はつらつとしたプレーで感謝の気持ちを表した。
いわき海星を完封し、喜ぶ遠軽・前田知輝投手
0- 0の 6回裏二死 1、 2塁で 4番打者の柳橋倖輝三塁手( 3年)が中越え 3塁打、中継の乱れもあって 3点を先行した。先発した前田知輝投手( 3年)は 130キロ台速球に、スライダーなどの変化球を交えるコンビネーションで 3安打無四球の完封。守備陣も固い守りでエースを盛り立てた。
遠軽のエース前田は散発 3安打、わずか84球で無四球完封勝利。「 1時間16分、楽しめた。守備に助けてもらった」と目を細めた。
6回二死 1、 2塁、遠軽・柳橋が先制の 2点適時3塁打を放った 投手・いわき海星のエース鈴木
試合を決めたのは、主将の一振りだった。 0― 0の 6回二死 1、 2塁。 4番・柳橋が中越えに 3塁打を放ち、中継プレーが乱れる間に自身も生還した。「合わせるのではなくフルスイングしたから打球が伸びてくれた。最高です」。開幕 2日前、母・徳美(なるみ)さん(52)からの激励メールに「緊張しないで、いつものようにやるわ!」と返信した。ビニールハウスで振り込んできた、いつもの自分のスイングだった。 3塁の守備では 3回一死 3塁のピンチにライン寄りの打球を跳びついて好捕した。
土の上での練習は 2月23日からの神奈川合宿から。氷点下25度にもなる環境にも音を上げず、 1勝をつかんだ。 9回に 1塁手・松下が走塁妨害で失策が付いた。ナインは「あの妨害がなければなあ」と最短記録更新を悔やむほど、最高の笑顔だった。
4回無死、比佐(手前)を 1ゴロに打ちとった遠軽・前田知輝投手
1メートル74、87キロの堂々とした体格からフォークなど多彩な変化球が持ち味。この日は投球の半分を変化球が占めた。「みんなの応援のおかげで勝てた。大阪桐蔭は凄く強いが、自分の投球をする」と意気込んだ。
佐藤貴之監督(41)は「 1塁側スタンドにあいさつに行き、多くのOBや地元の人たちが喜んでくれていて最高でした。たくさんの支援のお陰」と感謝の気持ちを表した。試合時間 1時間16分、きびきびした好ゲームだった。
2回戦は 3季連続甲子園制覇を狙う大阪桐蔭戦。好投した右腕は「自分たちの野球をして一戦必勝でいきたい」と力強かった。
【評】遠軽は 6回、安打と四球などの二死 1、 2塁で 4番柳橋が中越え 3塁打を放ち、自らも中継ミスの間に生還して 3点を先取。前田は 3安打無四球の安定した投球で完封した。いわき海星は左腕の鈴木が丁寧なピッチングを見せたが、勝負どころで甘い球をはじき返された。打線は 3回一死 3塁の先制機を逃したのが響いた。
▽遠軽町 北海道の北東部、オホーツク総合振興局の紋別郡で内陸部に位置し、商業、林業、農業が盛ん。これまで甲子園出場校中、最北端の高校は網走南ケ丘(1967年夏、1970年春)の北緯44度 0分だったが遠軽は北緯44度 3分に位置し、それをわずかに上回る。町民は 2万2035人(2012年12月現在)で、町のシンボルは北海道自然百選にも選ばれた高さ78メートルの瞰望岩(がんぼういわ)。町花はヒマワリ。佐々木修一町長(54)。
第85回選抜高校野球組み合わせ
2011年 3月11日に起こった東日本大震災の影響で海辺に建つ校舎を流され、虎ちゃんの母校で高台に建つ「福島県立小名浜高等学校(福島県いわき市小名浜下神白字武城23 通称:小名高(おなこう)北緯36度56分49秒東経140度55分18.7秒)」の体育館を借りての授業を行い、野球部の練習は地元では「毎日が対外試合」と言われた「福島県立小名浜高等学校」との合同練習を行って来た福島県に一校だけの水産高等学校「福島県立いわき海星高等学校(福島県いわき市小名浜下神白字舘の腰153 旧学校名が福島県立小名浜水産高等学校なため、地元では小名水(おなすい)と呼ばれている北緯36度56分39.3秒東経140度55分33.6秒)」だった。
最近では、校庭の半分から2/3迄が片付き自校での練習ができるところまで来たという。
その高校が、地元の大会では良い成績を常に挙げて来て阪神甲子園球場の地に立てただけでも良かった。お疲れ様でした。次は無いかも知れないけれど、元気に地元に帰ってください。
福島県小名浜付近マップ
福島県立いわき海星高等学校附近マップ
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いわき海星今大会最少部員16人感謝届けた、 1時間16分も満足 遠軽・前田が84球で 3安打完封
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