2013年11月16日(土)から 5日間に渡って行われた明治神宮大会大学の部は、亜細亜大學(東都野球)が明治大學(東京六大学)に<亜細亜大學 2- 1明治大學>で競り勝ち、 7年ぶり 4度目の優勝を果たした。
4回1死走者なしでDeNAからドラフト 3位指名されている嶺井博希捕手( 4年=沖縄尚学)が左翼へ先制のソロ本塁打。
広島からドラフト 2位指名を受けた九里亜蓮投手( 4年=岡山理科大學付属)が先発し 5回を被安打2、無失点と完璧な投球。 6回から救援した山崎康晃投手( 2年=帝京高校)も、 7回に失策絡みで 1点を失ったものの 4回を被安打 2と粘りの投球。 1点差を守り切り、神宮王座に就いた。
明治大學の 2年ぶり 6度目の優勝はならなかった。亜細亜大學 2投手の前にわずか 4安打。 7回に挙げた唯一の得点は、相手野手の落球から拾ったものだった。
日本ハムからドラフト 3位で指名を受けた明治大學・岡大海内野手( 4年=倉敷商業高校)が、不完全燃焼で学生野球に幕を閉じた。
善波達也監督(51)は「相手バッテリーの精度の方が上だった」と完敗を認めた。
高校の部は沖縄尚学(九州地区)が日本文理(北信越地区)に<沖縄尚学 9- 8日本文理>で逆転勝ちし、沖縄県勢として初優勝した。
0- 8の 7回一死 2、 3塁から「琉球のライアン」こと山城大智投手( 2年)が左翼へ反撃の 3ラン。 8回には 6安打の集中打で 6点を挙げ、一気に逆転した。
新潟県勢初優勝を狙った日本文理が逆転負けを喫した。先発した飯塚悟史投手( 2年)の 2本塁打などで 7回表まで 8点をリードしていたが、裏の攻撃で 3点を奪われると 8回にも 6失点。最終回で反撃できず準優勝に終わった。記事をまとめてみました。
明治神宮大会組み合わせ
優勝した亜細亜大學ナイン
2013年11月16日(土)から 5日間に渡って行われた明治神宮大会大学の部は、亜細亜大學(東都野球)が明治大學(東京六大学)に<亜細亜大學 2- 1明治大學>で競り勝ち、 7年ぶり 4度目の優勝を果たした。
高校の部は沖縄尚学(九州)が日本文理(北信越)に<沖縄尚学 9- 8日本文理>で逆転勝ちし、沖縄県勢として初優勝した。九州地区は来春の選抜大会の「神宮大会枠」を 9年ぶりに獲得した。
亜細亜大學は嶺井のソロ本塁打と適時打で 2点を挙げ、継投で逃げ切った。
念願の日本一達成で、リーグ優勝時は封印していた胴上げを解禁。生田監督が 3度宙に舞った。 4回に左腕の山崎から左翼席へ先制ソロ、 6回にも中前適時打で全打点をたたき出した 5番嶺井が喜びを表した。
「優勝の瞬間、ホッとしたのが一番。“人間はどうあるべきか”を教えてくれる監督さんについてきてよかった。最後の最後で日本一の胴上げができた」
ナインから胴上げされた亜細亜大學・九里亜蓮投手
沖縄尚学高では 1年先輩の東浜巨投手(現ソフトバンク)とバッテリーを組み、2008年のセンバツを制した。昨年まで東浜がエースだった亜細亜大學はリーグ戦で 5季連続優勝中。嶺井はそのうち 4季でマスクをかぶっているが、今春まで全国大会の優勝とは縁がなかった。
今年 6月の大学選手権決勝で敗れると、練習メニューは選手に委ねられた。入学時から生田監督が 4年時の主将と思い描いていた嶺井は後輩の話にも耳を傾け、チームをまとめ上げた。この日の 2安打は[常につなごうという意識で打席に立った結果」という。
ドラフトではDeNAから 3位指名を受けた。「陰になり、リードする捕手の雰囲気がベスト」と担当の武居スカウト。「プロでの背番号は何番でも。自分の番号にしますから。(広島 2位指名の)九里と対戦したら勝ちたい」と芯の強さを秘める嶺井が、大学日本一を手にプロの世界へ踏み出す。
沖縄尚学は日本文理に 1試合チーム最多記録の 5本塁打を浴びるなどして 8点のリードを許したが、終盤に逆転した。
先発し力投した広島ドラフト 2位の亜細亜大學・九里亜蓮投手
明治神宮大会で、亜細亜大學が 7年ぶり 4度目の優勝を果たした。
4回1死走者なしでDeNAからドラフト 3位指名されている嶺井博希捕手が左翼へ先制のソロ本塁打。 1- 0で迎えた 6回二死 2塁でも中前に適時打を放ち、貴重な追加点を挙げた。
「最高のメンバーです。 4年間で培った技術や精神面を今後の人生に生かしていきたいと思います」と念願の日本一に笑顔がはじけた。
1回表明治大學一死、高山俊を三振に打ち取りマウンド上でほえる亜細亜大學・九里亜蓮投手
広島からドラフト 2位指名を受けた九里亜蓮投手が先発し 5回を被安打2、無失点と完璧な投球。
6回から救援した山崎康晃投手も、 7回に失策絡みで 1点を失ったものの 4回を被安打 2と粘りの投球。 1点差を守り切り、神宮王座に就いた。
山崎は「いつでも投げるつもりで準備していました。僕自身初めての日本一でまだ実感がわきませんが、いい先輩の下でプレーできたことを誇りに思います。今後もっと成長していきたい」とさらなる高みを目指す。
亜細亜大學・九里亜蓮投手と嶺井博希捕手
主将でDeNAの 3位指名、嶺井博希捕手が本塁打と適時打で全打点を挙げ、継投で逃げ切った。嶺井は試合前に、高校の部で初優勝した沖縄尚学高校の比嘉監督から「次はお前だ!」とハッパをかけられた。25日からは教育実習で母校を訪れる予定で「まずは野球より勉強です。得意じゃないですけど…」。大学日本一チームの主将は、高校日本一に輝いた母校で、社会科を中心に教えるという。
明治神宮大会で優勝し喜ぶ亜細亜大學ナイン
明治神宮大会最終日亜細亜大學の生田監督にとって 7年前の優勝は早大を倒してのもので、今回は明治大學を下した。「神宮を使う東京六大学はライバルですし、勝てて光栄です」と自身 2度目の制覇を素直に喜んだ。
2年ぶりの優勝を逃した明治大學の善波監督は「やっちゃあいけないミスが出た。それと亜大のバッテリーにやられた」と脱帽した。
大会後に行った、亜細亜大學~武蔵境駅前のすきっぷ通り商店街までの優勝パレート
明治大學の 2年ぶり 6度目の優勝はならなかった。亜細亜大學 2投手の前にわずか 4安打。 7回に挙げた唯一の得点は、相手野手の落球から拾ったものだった。
善波達也監督は「相手バッテリーの精度の方が上だった」と完敗を認めた。春秋のリーグは連覇したものの、全国大会では大学選手権に続き日本一には届かなかった。善波監督は「送れない(バント失敗)、飛び出し(けん制死)などやっちゃいけないプレーが出た。そのへんがきちっとできるチームをつくってチャレンジしたい」と来季のリベンジを誓った。
2回表明治大學無死 1塁、左前打を放った明治大學・岡大海内野手
北海道日本ハムからドラフト 3位で指名を受けた明治大學・岡大海内野手が、不完全燃焼で学生野球に幕を閉じた。
2回は左前打で出塁。 2塁へ進んだが、けん制死でチャンスを逸した。さらに 0- 0で迎えた 4回一死 1、 2塁の先制のチャンスでは空振り三振。チームも追い上げたが 1点差で逃げ切られ、大学日本一になれなかった。
「自分のせいで負けた。申し訳ないです」と、流れを引き寄せられなかったことを悔やんだ。
優勝旗を受け取る亜細亜大・嶺井博希主将
明治神宮大会組み合わせ
5回表日本文理高校二死 2塁、飯塚悟史投手は中越え 2点本塁打を放った
沖縄尚学高校が 8点差をひっくり返し、<沖縄尚学高校 9- 8日本文理高校>で初優勝を決めた。
0- 8の 7回一死 2、 3塁から「琉球のライアン」こと山城大智投手が左翼へ反撃の 3ラン。 8回には 6安打の集中打で 6点を挙げ、一気に逆転した。勝利に貢献した山城は「高校野球は何が起こるか分からないと試合中もミーティングで確認していました。勝つことができて良かった」と劇的な勝利を喜んだ。
この結果、来春センバツの「神宮枠」は九州に与えられることが決まった。九州は一般枠が 4から 5に増える。
新潟県勢初優勝を狙った日本文理が逆転負けを喫した。先発した飯塚悟史投手の 2本塁打などで 7回表まで 8点をリードしていたが、裏の攻撃で 3点を奪われると 8回にも 6失点。最終回で反撃できず準優勝に終わった。
「勝てるのではないかという気持ちの甘さが逆転につながってしまった」とエースは肩を落とした。
優勝旗を受け取る沖縄尚学高校・赤嶺主将
【明治神宮野球大会】
毎年11月に明治神宮野球場で開催される学生野球のトーナメント大会。主催は明治神宮と日本学生野球協会。
明治神宮鎮座50年を記念して行われた1970年(昭和45年)の奉納野球が同大会の始まりである。第3回までは大学野球のみであったが、第 4回大会から高校野球も加わり、高校と大学の 2つの部となり、現在に至っている。
なお、本大会の 2年前にあたる1968年(昭和43年)秋(11月)には、明治維新百年記念明治神宮野球大会として、大学の部、高校の部、社会人の部がそれぞれ行われている。 そのときの参加チームは、大学の部が、東京六大学野球連盟、東都大学野球連盟、首都大学野球連盟、神奈川五大学野球連盟、関西大学野球連合、愛知大学野球連盟、広島六大学野球連盟、九州六大学野球連盟の各連盟選抜チームが 8チーム(首都大学野球連盟選抜が優勝)。高校の部は全国10地区代表に沖縄代表を加えた11チーム(日体荏原(東京)が優勝)。社会人は全東京対全神奈川が参加( 7- 0で全東京の勝利)。 かつて早春( 3月)に実施されていた日本学生野球協会結成記念野球大会(1946年-1964年の18年間毎年開催)が取りやめになって数年経ていたことに加え、この1968年に実施された大会が思いのほか好評だった事が現在の明治神宮野球大会の起草に繋がったとされている。
【大学の部】
全日本大学野球連盟の協力の下に全国各地の大学野球リーグの秋季大会の優勝チームなどの中から11チームが参加してトーナメントで行われる。大学野球の成立経緯の事情に加えて、神宮球場主催による招待大会という色合いが濃いため、以前から神宮球場を主会場にしている東京六大学野球連盟と東都大学野球連盟のみは単独出場枠を持つ(第35回大会以前はその他にも単独枠連盟があった)。他の代表に関しては地域単位で複数連盟間での代表決定戦が実施されている。
この大学の部に限っては、春季の全日本大学野球選手権大会(他スポーツ競技でのインカレに相当)と合わせて大学野球の春秋の2大全国大会となっている。
初期の頃は、全日本大学野球選手権大会と全く同じ出場枠であったり、選手権優勝校招待枠があったり、東京六大学野球連盟や東都大学野球連盟の両連盟からは2校以上の出場枠があったりなど、その年度により開催内容が度々変更されたが、 8回大会で 8校制に、さらに11回大会から10代表制度になった。
この11回大会(1980年)での改編では、新たな単独出場枠が設定された一方で毎回の出場権が消滅してしまい隔年でしか代表権がないという特異な出場枠の地区も一部で誕生した。
その後、地方での強豪校の台頭に伴い、その方法への不満が高まり、次第に地区主導での見直しが始まった。その結果、当該連盟同士の合意の下で代表決定戦制度が順次復活していき(地区により導入年度は異なる。北海道東北5連盟では1987年、中四国3連盟は1992年、九州3連盟は1994年)、2005年度の第36回大会からは隔年招待枠が全廃となり、これにより全ての連盟に毎回の出場の機会が開け今日に至っている。
【組み合わせ上の特徴】
以下の順番で割り当て上の調整を行なっている。
先ず東京六大学・東都大学の両連盟代表を決勝まで対戦しないでかつ初戦が 2回戦からとなる位置に割り当てる。( 2枠分を 2連盟間で抽選)
2000年-2007年の間は、東京六大学代表と東都大学代表のシード位置は、必ず1回戦を勝ちあがった相手と対戦する形に固定されていたが、2008年では久々に変更され、両連盟の対戦相手も 2回戦から登場する位置に変わった(1999年以前までは、両方法が隔年で変る方法が採られていた)。
次に関東・関西の両第1代表を同様に初戦が 2回戦からとなる分の空いた位置に割り当てる。( 2枠分を 2代表間で抽選) 3番目に関東・関西の両第2代表を初戦が 1回戦からとなる位置に割り当てる。( 2枠分を 2代表間で抽選)
なお、関東・関西の同地区同士が対戦しないなどの考慮は特に行なわれていない。従って、これらにより、現行のトーナメント表上で完全なフリー抽選となるのは、初戦が 1回戦からとなる 4枠分と初戦が 2回戦からとなる 1枠の合計5枠分に割り当てられる北海道地区 2連盟・東北地区 3連盟・北陸東海地区 3連盟・中国四国地区 3連盟・九州地区 3連盟の 5代表分となる。
【高校の部】
実質的な新人戦トーナメントである全国の各秋季地区大会で優勝した10チーム(各ブロックから 1校ずつ。但し東京都は東京ブロックとして他の関東地方と切り離した単独の出場枠)によってトーナメントを行い、優勝チーム所属地区は翌年の選抜高等学校野球大会の出場枠(神宮大会枠)を 1つ多く獲得できる。
第 4回大会から始まった高校の部であるが、2002年の第33回大会までは前述した様な選抜高等学校野球大会の出場枠(神宮大会枠)の恩恵等は全くなく、また初期を除く長い間代表校も 8校制で全国全てからの出場枠があるわけでもなかったため、地区によってはその代表校も必ずしも地区優勝校ではなく 3位校を当てるなどその取り組み姿勢はまちまちなものであった。しかし神宮大会枠の設置により、高校の部の運営方法が改善され、出場参加意義が高まった。
尚、高校の部の前史としては、1924年-1943年に明治神宮中等野球大会が開催され、1951年には単発にその年の秋季地区大会を制した各校を招待して明治神宮野球場で開催し、前述の通りに1968年開催の記念大会には高校の部としての開催があった。これらの前史の大会運営関係者としての経験や記憶が、第4回大会から現在まで続く形での高校の部設立に繋がった。また、メディアやファンなどの間ではこの大会で優勝したら翌春のセンバツ大会で苦戦するというジンクスが語られることもある。理由としては秋の段階での各地区優勝校が集うとあってセンバツ出場濃厚チームの監督やコーチなどが視察に訪れ、投手や打者の特徴を調べることによって対戦時の参考になってしまうということが考えられる。
虎ちゃんの母校「亜細亜大學」と虎ちゃんの父親の母校「明治大學」で明治神宮大会の決勝戦が行われ、虎ちゃんの母校が優勝した!
それも 7年ぶり 4度目の優勝となったという。現在ソフトバンクにいる東浜巨投手の時にも優勝していたかと思っていたが、実際には負けていたのですね。
しかし、これで母校に勲章がまた 1個増えたのには間違い無いのです。
来季も年が明ければ直ぐに来ますので、頑張って行って欲しいですね。
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神宮大会・亜細亜大學・九里→山崎で逃げ切る!明治大學・善波監督「相手が上」、明治大學・岡無念
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